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ミナ

「ふー、生き返った」

 ミミルが満足して上の層から下りてきたスロープの所まで歩いてくると、同じようにここで待っていれば落ち合えると踏んだエイルがぐったりしたルトを背負って立っていた。

「ミミルさん、一人ですか? シャルさんが楽器の音がすると言ってどこか行ったきりまだ戻ってこないんですが、そっちに行ったんじゃなかったんですね」

「あはは、何言ってるの。シャルが私の所に来るなんてありえないよ」

 彼の予想がおかしくて苦笑いしながら返すとエイルは狐につままれたような顔をした。

「そこまで言い切れるって……お二人はミミルさん位の時から愛し合っていたんじゃないんですか? ルトの歳から考えると」

「ううん、全然。私が友達同士の会話のネタのために強引に押し掛けてただけで、シャルは迷惑しかしてなかったの。私の方も好きだったのは本当だけど今のシャルは変わりすぎてて、ほとんど初対面の人とおんなじね」

 「私」がいなくなってから何があったかは知らないけどね、と肩を竦めてみせる。

「シャルが本当に好きだった人がいたとしたら、ルーズと……ね」

 ちらりと彼の背負っている子供に目をやると、エイルは照れくさいやら申し訳ないやらではにかみながらそれを持ち上げて背負い直す。

「この二人は本当に仲がいいですからね。親子だからとかそういうのを超越してる気がします。はは、ルト僕があがるまでずっと無理して待ってたみたいですっかりのぼせちゃって」

「はぁ、は……ふう……」

 ルトは全身真っ赤になって湯気をたて、少しでも冷たい空気を吸おうと息を荒くしている。子犬のようにだらしなく舌を出して、なおマフラーは外そうとしない。

「あんまり温かいお風呂に慣れてないみたいなのよね。でもしばらく森暮らしで、湖に潜って水浴びする生活だったって聞いたらなんか納得したかな」


「あははははは、マジでー? 超うけるんだけどそれ」

「いやあまさか雪の中に放り出されるとは思わなかったなー、死ぬかと思ったよ」

 程なくしてシャルはミミル達を探して辺りをせわしなく見回しながらも、彼らの見知らぬ女と談笑しながら戻ってきた。その女はかなり俗っぽい雰囲気を持っており、以前のシャルならば口を聞く事はおろか近寄る事さえも断固として拒んでいたような相手に見える。

「あ、あれがアンタのツレ? さえないおっさん? にーちゃん? そんなのが一人と、あっかわいー娘二人も連れてんじゃんよー。ねね、どっちがアンタの娘? もう片方はあの兄ちゃんのコレだったりするぅ?」

 無遠慮に小指を立てて見せているその女に、二人は思わず一瞬顔をしかめる。谷の中は暖かい環境とはいえ、はちきれんばかりに肉の詰まった胸と足を大胆に見せつける挑発的な装いも悪印象に拍車をかけた。

「シャル! 遅いよ~どこ行ってたの?」

「悪い悪い、思ったよりいい温泉だったからついゆっくりしちまって」

 まだちょっとふらついてはいるが何とか復活したルトは駆け寄り、女には目もくれずにシャルの左腕に絡みついて満足げに目を細める。

「ぶっ、なにその髪型! だっせえにも程があんでしょ!」

 女はルトの姿を近くで見るや、これ見よがしに身を引く。ひょんひょんとハネの目立つ引きずるような頭髪が目についたようであるが、ルトはまるで気にもせずに淡々と返事を呟く。

「なんでもいいの、ボクが気に入ってるから」

「そんなんじゃカレシできないよぉ?」

「いいの、まだいらないし、こんやくしゃになりたがってる人ならいるし」

 くっついているルトがそんな事を言ったので、女はシャルに懐疑の視線を向ける。シャルは焦った様子もなくルトの体をひょいと持ち上げひとしきり自分の胸に押し当ててから、彼女に向き直る。

「娘はこいつさ。そこの女の子がこれの母親になるはずだった奴で、そっちの兄ちゃんが婚約者志望中」


「へぇ~、アンタ達変わってるわー。こんなのが一緒なくらいだし信じてはあげるけど」

「にゃはは、口が悪いな~この仔猫ちゃんは」

 皆が揃ったのを耳ざとく察知して合流してきたテオリアを中心に自分たちの境遇をざっくり話してしまうと、意外にもすんなりと飲み込んでくれた。シャル達としては翼のない彼女もまた別の時代からこの世界にやってきたものと思っていたので、時球の事を何一つ知らなかったのには驚いた。

「ねえ、なんで普通に一緒に歩いてるのよ? あなたは誰なの? 一緒だった人とかいないの?」

 一層登って先程の石橋に差し掛かったあたりで、まだ名前も知らない彼女の存在にミミルが突っ込む。わざわざ少しドスをきかせたその声は明らかに、素性が知れない事よりも相手の人格そのものを嫌悪していた。

「あーあたし? ミナ! かわいいかわいいミナ様よ。今は色々あって一人旅してるんだけどぉー、そこのお父さんがあたしの音楽に興味持ってくれたからさぁー、あーそんな大したもんじゃないんだけど。せっかくだからついてった方が面白いかなーって。ほら歌とかって聞く相手がいなきゃつまんないじゃん? あたしがいたとこの奴らは音楽に見向きもしないだもん、ウンザリだっつーの」

 ミナというその女は誇らしげに胸を張って曖昧な自己紹介をする。

「要約すると……なりたての吟遊詩人みたいなもんか? 俺はちょっと物珍しかっただけなんだけどな」

「吟遊詩人に失礼よ! ちょっとこっちきて」

 ミミルは強引に全員を橋の縁まで引っ張っていくと、この短時間で累積した不満をぶちまける。

(もう~何なのあれ! 人の神経逆撫でするような事ばっか言うしとにかく俗っぽくて昔の自分見てるみたいで腹立つ、いやそれ以上! おまけにちょっと……スタイルいいからって自分が世界で一番可愛いみたいな顔してるし! シャルとテオリアはあれと喋ってて平気なの!?)

(正直一刻も早く消えてほしいな、だけどまだ別れる理由がないから、しばらくは適当にいい感じで相手してすまそうかと)

(おつむの弱い奴はどこにでもいるもんだよ、まともに相手するだけ損さ)

「別に一人増えたくらいどうってことないでしょ、旅は道連れっていうしさー」

 ミナはダメ押しとばかりにシャルに体当たりをしかけ、その魅力的な肢体を左腕に押し付けた。シャルが露骨に嫌な顔をしたのも束の間、押しのけられたルトが橋から落ちそうになる。

「わわわわわわっ」

「危ないっ」

 エイルが寸でのところで引っ張りあげると、ルトはまっすぐに元の位置に駆け戻りシャルの腕を引っ張る。

「そこはボクの場所なの! シャル取っちゃだめ!」

「邪魔だっつの。右側空いてんでしょ」

「ボクはいつもシャルの左にいるの! 右も好きだけど!」

「はあ? 何言っちゃってんのお前バカじゃん」

「バカじゃないよ!」

 ルトもミナがとても受け入れられないようで、普段シャルに馬鹿馬鹿言われている時とは大違いの涙目で本気で嫌がっている。

「ルト……ほんとにシャルさんが一番なんだね、僕には自分からは滅多に寄ってきてくれないのに……そして落ちかけた事はどうでもいいんだ……」

「ま……頑張りんしゃい」


 それからしばらくルトはミナと言い争っていたのだが、口喧嘩では戦力差は明らかであった。ミナはルトの言う事なす事頭ごなしに非難し、臭い、頭がおかしい、生理的に嫌などとその物言いには筋道も何もないので拙いながらもちゃんと会話しようとするルトには返すべき言葉が何もなくなる事が多く、そのたびに涙目になっていた。そもそもルトは相手を罵倒する言葉の類は数えるほどしか知っておらず、律儀に一度言った単語はしばらく控えるのでほぼされるがままになっていて、シャルはまさに昔の自分をそのまま投影されているようで心が痛んで割って入らずにはいられなかった。

「その辺にしとけ。ミナ、悪いが俺は娘を過度に貶める奴を側にはおきたくない、この橋を渡りきったらそこでお別れだ」

「はあ!? なんで意味わかんねーし! あのね、あたしは石を集めないといけないの。わかる? 手は多い方が楽だって言ってるだけじゃん」

「ムシのいい話ですね……第一そんなの今初めて聞きましたし」

 迷惑の種を蒔いてはわめき散らすミナに大人しいエイルまでこめかみに血管を浮き出させ始めた。

「ちょっと待って今石を集めるって言ったね? どういうものかわかる? ウチらがこの時代に来たのも石を収集してる奴をどうにかするためなんだよね」

「そりゃもちろん。一つだけ持たされたのがあるわ」

 彼女が吊り下げた楽器ケースから取り出してみせたその物体は、まさしく時球そのものであった。

「しっかしさー、どこにでも転がってそうな無難な形に、濁った水色って。もうちょっと綺麗な宝石だったらモチベ上がんのに、しかもどことな~くブキミでしょ? こんなん集めろだなんてマジ信じらんないし」

 それがどんなものかもよく知らずに、ミナは言いたい放題だ。

「シャル……ボク、泣いてる声が聞こえる気がする」

「俺もだ……おい、それはさっき説明した好きな時代へ跳躍できる石だ。そんなのを好き勝手に使われちゃ後々取り返しのつかない事になる、集めるのは中止してくれないか」

 シャルはじりじりと彼女との間合いを調節しながら、いいえぬ怒りを押し殺して聞いた。だが、返答は至極真っ当なものだった。

「これがあ? あたしはこれは願いを叶えられる石だって聞いたんだもん、知ったこっちゃないですー。どうしてもってんなら集めろって言った奴に直接言ってほしいしぃ、そっちだってこれ使ってこの町に来たんでしょ? 自分はよくて他人はダメとか横暴じゃね?」

「そこを突かれると弱いんだけどな……事情を知ってる誰かが改善して回らなきゃいけないんだ。確かにそれが沢山集まれば大抵の願いは叶うだろう。だけどそいつは何らかの犠牲の上に立つ成功。人は一度楽を覚えるとずっとそれに頼ろうとする……俺はその結果をずっと見てきた。あれは麻薬のようなもんだ、最後には破滅する。そしてその毒はもうこの世界中に広まってしまっているそうなんだ。人は無理な願いは無理と諦めて、難しい望みは本来とるべき方法で努力して叶えなきゃいけないんだ!」

 シャルは自分の見てきた全てを自分なりの言葉にしてぶつけた。これで駄目なら、もはや話し合いの余地はないだろう。ミナはだがそれを一蹴した。

「ったくめんどくさいなぁ、いるんだよね周りに迷惑かけてるのに気付かないで正義の味方ヅラしてでかい顔するイタい人間って。クサいクサい、正義正義って言えば済むと思ってんだから」

「ふざけんな! 正義がひとところにあると思ってるだなんて誤解されちゃ困る、俺達はそんな温室育ちじゃない!」

 シャルは見てきた。弾圧され蔑まれ多くを奪われた人達が、大都市に強盗に攻め入った賊の烙印を押され嘲笑われながらも自分達について戦ってくれ、そのまま勝って正義の名乗りを上げる事も叶わず帰らぬ人となったのを。かつて憎んでいた敵こそ正義そのものの形をとっていた彼にとってその煽りはこの上ない挑発となった。

「そうだ、一ついい事教えてあげよっか」

 ミナはこちらによくわかるように呆れ顔を作ったかと思うと、一つのステージにでも立つかのように橋の真ん中に移動し、ピースサインを二つ作って笑う媚びたポーズで言ってのけた。

「可愛いは、正義! つまり! このミナ様こそ正義なのよ!」

 シャルの頭の中で、何かが切れる音がした。こいつとまともに話をしようとした俺が馬鹿だった。

「うちの子の方が可愛いッ!!!」

「ちょっ、何言ってるんですかシャルさん! その通りですけど!」

「ほんと、元気になったねシャルっちも」

 彼がいつになく眩い光を放つ時球剣を抜き放ったと同時に、その場にいる全員が戦闘態勢をとった。

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