表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/370

女湯

 しばし一人に戻ったミミルは久々に他人と行動を共にする事で疲れた気分を長い息をひとつついて紛らわし、できるだけ近くに誰もいない場所を選んでから服を脱ぎ始める。

「それなりにいい物持ってるんだから、堂々としてればいいじゃない」

「それでも嫌なものは嫌なの」

 オルタナとは環境が変わった今でも、男性女性を問わず体を開けっぴろげにするのは恥ずかしい。いや、普通はそうなのだろうが、ミミルの場合それが更に顕著なものだった。誰かに見られていたり見ていたりすると、どうしても比べてしまう。評価を気にしてしまう。

 ――あの人には勝っている。自分はあの人みたいにはなれない。少し目を向けられているからって、調子に乗っていると思われないだろうか。目を向けられないのは、やはり魅力がないからだろうか。

 そんな風に消極的に考えてしまうのは、やはり他人に合わせるだけの人生が長かったからだろう。ついてこれない者は置いていかれ、出る杭は打たれる。

 アクアと出会ってからはそんな生活も終わりを告げ、自分の時間を大切にし、新しい世界での友人たちとはぎこちないながらも自然体で付きあえていたのだが一度ついた癖はなかなか消えるものではなかった。

「まあ、度の過ぎたお洒落をやめたのは進歩かしら」

 着ていた物を外しきると、ミミルはそのまま透き通った湯に静かに身を預ける――オルタナに居た頃、彼女は今とはだいぶ違う姿をしていた。栗色の可愛いポニーテールに青いカラーコンタクト、派手なマニキュアを毎日変えて、服や靴は手が届く限りのブランド品。やりたくもない化粧も少しして、女友達の目を満足させる毎日。そんな彼女がいくらすり寄ってもシャルは全くなびかなかった。今ではそんなの当然だと、自分でも思う。こうやってただ入浴するのにも一苦労するような馬鹿な事に執着して、自分自身を隠す気でいっぱいだったのだから。

(そう……私は私らしさを残したままで、誰かに好きになってもらいたい。今はまだ慣れなくても、そうなりたいんだと思う)

 あまり人の目を引かない暗い茶髪を一括りにして、冷えた体を深々と湯に沈めると冷気が体からぐんぐんと抜け出していき、肩の荷が下りたような解放感が訪れる。

 昔好きだったシャルは偶像であったと判明した今、彼について行って自分が何をやりたいのかはまだ考えがまとまらないが決して悪い方に向かってはいないと思う。そうだ、なんならいっそ暫くはルトの母親役に集中してみるか。ルトがオルタナに来たばかりで自分が料理などを仕込んであげていた頃は純粋に楽しかった。その方が皆との会話も生まれるだろう。

 そこまで考えてミミルは自分とルトが現在殆ど変わらない歳である事を思い出す。十六で元の世界を去ってから三年が経つ自分と、十五でオルタナを訪れてから一年を別の時代で過ごし二年間シャルと寝食を共にしたというルト。いきなり親子だと言われても苦笑いしか出てこないが、それでもやっていけそうに思ってしまうのは彼女が子供っぽすぎるからか。なんだかおかしな関係が出来上がりそうだと思ってミミルは一人含み笑いした。


 シャルは散々苦労して岩山のてっぺんに手をかける。谷底に目のくらむような崖の上よりはマシだが、うっかり滑れば足の爪は剥がれ、打ちどころが悪ければ命を落とすような不安な高さ。

「よっ……と。温泉で岩登りだなんて猿みてぇだな。そっちに誰か……」

 小さな岩山を挟んだ向こう側には、入り組んだ地形の隙間にちょうど一人か二人ぶんの湯が溜まった空間があり、周りからは見えない個室のようになったその場所で一人の女がハーモニカを吹いているのが見受けられた。

「あん? 何よあんた」

 その女はこちらに気付くと、いかにも鬱陶しそうな眼を向けてくる。まあそうだろう、そんな所にわざわざいるという事は恥じらっているか孤独を愛する性質なのだと思われた。

「楽器の音が気になってちょっとな。俺は素人だけど、結構いいと思うよ」

「何言っちゃってんの気持ち悪い、男はどっかいって――と思ったけど、あんたもしかして子持ち?」

 女はタオルを巻いてからこちらに歩いてくると、シャルをまじまじと見る。覗きを疑いながらも年の頃をみて少し疑問に思ったのか。

「ああ、娘なら結構大きいのがいるけど? どうかしたか」

「あーううん、あたし見ていやらしい顔しない奴なんて初めてだもん。子供っぽいのにおっさんなりかけの微妙な見た目してるし、さっきから向こう側の温泉で元気な声がしてたから連れじゃないかなって。子持ちなら普通よりは見慣れてるわよね」

 そう言われて初めて納得する。成人するかどうかの歳だろうか、その女はタオル越しでも分かるほど身体の起伏がはっきりしており、抜群のプロポーションを所持していた。見慣れているというよりシャルはさして興味がなかったのだが……また、彼女にも自分達と同じように翼が生えていない事にばかり注目していた。

「それならいっか。これに興味あんの? あたしもあんまり人に見せるほどのもんじゃないけど聞いてく?」

 女は自信があるようなないような遠慮がちのモーションでさっきまで吹いていたハーモニカを突き出すと、嬉しそうな笑みを隠すように踵を返して再び湯に浸かってからこちらに手招きする。

「おっ、よければお願いしようかな。でもいいのか? 確かハーモニカってのは濡れると故障しやすいもんだったはずだけど」

「えっマジ!? 全っ然知らなかった、なんなのこれからって時にさー。じゃあうーんとそうね」

 激しく湯気の立ち上る温泉から大急ぎで楽器を持ち出し、乱雑に服の中に埋もれさせてしまうとシャルから出来るだけ離れた位置に腰を落ち着けた彼女はお楽しみを邪魔されて目くじらを立てている。

「そうだ、歌えばいいじゃん。あたし天才! ハーモニカは今度聞かせたげるから、ちょっと付き合いなさいよ。ずーっと一人で歌ってたってバカみたいなんだもん。あンのクソオヤジども頭ごなしにくだらないくだらないってうっさいっつの」

 こっちはわりと自信あんのよ、とこちらの返事を待たずに喉を鳴らし始める彼女。ハイテンションでまくし立てる相手に若干辟易していると、やがて目の前のがさつな印象の女の喉から発されているとは信じられないような透明なソプラノが流れてきて両の耳を魅了し始めた――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ