フィアレス到着
「うう、やっぱり寒い……よくみんな我慢できるね」
大地に開いた溝を越えて再び吹雪にさらされると、またミミルが一番に音をあげた。
「だらしないわね、氷の城に住んでた癖に」
しきりに歯を鳴らしている彼女にアクアは呆れるが、彼女の暮らしていた城は快適な温度に保たれていたから寒さに慣れていなくても不思議はないだろう。オルタナは温暖な気候だったのだ。
防寒着を着ているフィズはともかくとして、彼女は不思議そうにまだ耐えている四人に視線を向ける。どうして平気なの――と言いたげに。
「ウチは体温調節くらい余裕だし……」
「森でもっと寒い日に、ほとんど裸で走ってた事もあったからね」
「俺は、肉体的な事なら我慢するのには慣れてるから……」
ちょっと言い方にトゲがあったか。今考えれば虐められる方にも問題があったかも知れないのだし――当人以外がそれを主張する事は許されないが。
「じゃあ、エイル君は? 私と同じ普通の人だよね?」
「同じ暮らしをしてたかはちょっと分かりませんが……うちは暖をとれるような物が殆どありませんでしたから。冬は少ない油で火を焚いて、薄い布団をかぶって……」
出会ってしばらくしてから聞いた事だが、エイルの家はかなり貧乏な暮らしをしていたらしい。彼の住んでいたアレスタリアの街自体が重い税に苦しんでいて、貧富の差が激しい所だったのだという。それに加えて沢山の弟や妹達を養う必要があったそうで、その暮らしぶりは並々ならぬものだったろう。
「ご、ごめん……ごめんね、暖炉の前で膝掛け敷いてココア飲んでて……」
「しかしお前、高い所は好きじゃなかったのか?」
申し訳なさそうにうなだれるミミルを尻目に、自分の隣にぴったり付いて歩いているルトに声をかける。考えてみればルトは道を歩けば子供よろしく段差の上を辿るし、しょっちゅう家の屋根にも登る。今更高い所が怖いとは考えにくい。
「好きだよ! でも怖いものは怖いの、だってさ、落ちたら死んじゃうんだよ?」
「そりゃそうだけどさ。足を踏み外せばそんなのどこでも一緒だろ?」
それに対して、ルトは質問の意図が分からないという様に首を傾げる。
「え? いやだって、足を踏み外さなければいいじゃん? ボクいつも気を付けてるよ、何回も樹の枝から落ちてるうちにどのくらい高いと痛いのか分かってきたもん」
要するに、自分の身体と見慣れない設備とでは信用度がまるで違うせいで不安だったのだろう。シャルがもう一度あれに乗れるか、と聞いてみると迷わずに頷き返してきた。一度確認がとれてしまえば問題ないらしい。
「みなさん、もう間もなく着きますよ。翼のある人間に使いやすいように渓谷をくり抜いた街ですので、みなさんは細長い吊り橋で移動する事になります。なにぶん滅多に使われないものですので少々年季が入っていますが……ええと」
「は、はし……」
雪原の向こうにぽっかりと口を開けた谷の下からほのかな熱気と灯りが漏れてくるのが確認できるようになった辺りでフィズの告げた事実に、ルトは顔を引き攣らせるのであった。
「それでは、僕はここまでになります。本当はもう少しお供するべきだと思いますがこちらの都合もありますので」
「いや、ありがとう。助かったよ」
崖に設けられた緩やかなスロープを下りていくと、地上の殺風景な雪原とは別世界のような大規模な集落が目の前に広がった。
先程の巨大な溝とは異なりこちらは自然に出来た谷のようで、より広大だ。岩肌の中から半分だけ顔を出すようにして確保された沢山の住居から、フィズと同じように立派な翼を持った人々が飛び出しては谷の中をせわしなく飛び回っている。
所々に掘られた大きな洞窟は、店か何かだろうか。その辺りは特に活気があり、リフトや橋の便も行き届いている。下を向けば二段構造になった崖を横切るように大きな川が流れていて、のんびりと釣りを楽しむ人の姿もある。きっと、いい街だ。
「綺麗な川でしょう? 更に谷底の方へ降りていくと温泉があるんですよ。その熱のおかげでこうして暮らせているんです。みなさん体が冷え切っているでしょうから、ひとまず行ってみるといいかと。それでは、フィアレスの街を楽しんでくださいね」
そう言ってフィズは翼を広げて手近な崖から飛び降りると、あっという間に彼方の人混みにまぎれて見えなくなってしまった。
「温泉かぁ、そりゃさっそくいただきたいね。ウチにも翼はないから一番下まで下りてくのはちょっと手間だけど」
「う~ん……何本吊り橋歩く事になるんだろ……」
ルトはまた怖くなって、首のマフラーをぎゅっと抱きしめる。
「ル、ルト。なんだったら、手でも繋いでようか?」
チャンスとばかりに勇気を出したエイルの提案は、残念ながら徒労に終わる。言い終わる前にルトはシャルの腕に絡みついて離れなくなってしまったのだ。
「そういえばルト、そのマフラーすごく大事にしてるみたいだけどいつ買ったの? いい皮使ってそうだよね」
「あ、それは僕も気になるな。昔会った頃は持っていなかったし」
二人の視線が、ふとルトのマフラーにとまる。地面に引き摺るかどうかという位長いそれは銀色の美しい毛の生えた皮で出来ていて、サラサラと風になびくのに防寒性も兼ね備えていそうな理想の素材だ。いそうな、というのはルトが他人には絶対に触れさせてくれないので確認できないのである。薄いシャツに短パンだけの涼しそうな格好とはミスマッチだが、橙色の髪とのコントラストは金銀に煌いてとてもまぶしい。
「これは……お父さんの一部。これがあればずっと一緒なの」
「こいつはしばらくの間、森で龍に育てられたんだ。つい最近それが死んだ時、みんなで作った」
谷を降りていく道中、シャルは二人に知っている限りのルトの経緯を話した。二人は驚いたか信じられないかで黙って聞いていたが、一通り聞き終わると立ち入った事を聞いた謝罪を入れようとする――しかし、ルトはそれを遮った。
「いいの、ボクはもう受け止めたから。ゼザはもう一人のボクのために死ぬ事を選んでくれたんだから、誰に当たる事もできないよ。それに、ボクにはここにいるみんながついてるからね」
谷に吹きかう気流に乗ってバサバサとはためくマフラーが、シャルには力強く頷いているように見えた。




