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高所恐怖症です

「ねえシャル私、準備くらいはさせて貰ってもよかったんじゃないかと思うの」

 ミミルは見知らぬその世界に到着するや、ぴったりとシャルの腰に身をすり寄せる。が、別に好きでそうしているのではない。

「そうだなーはは、うっかりしてた。どんな所か聞いておけばよかったな」

 見えていた映像は白一色で、てっきり逆光で眩しいだけかと思ったのだが。

「うっかりじゃすまないわよ! こんな……吹雪の真ん中に放り出されて!」

 粉雪を運ぶ風の音に負けないように、ミミルは絶叫する。そこは一面の銀世界が広がる寒冷な世界で、人の住んでいそうな場所などどこにも見えない。そんな場所に普段着で降り立った彼らは、早い話が遭難からのスタートであった。

「こ、困りましたね、これじゃあ行き倒れるのも時間の問題ですよ」

「ハハハハ、雪だぁ~!」

 ルトだけは大した危機感も覚えず、そこらじゅうの積雪に足跡をつけて回ったり体を投げ出してみたり、どこかで狼の吠えるのに返事をしてみたりとはしゃいでいる。

「エイルも遊ぼ! ね、ね」

「えぇ、この歳で雪遊びかい…? それでなくても、今は体温は大事にしないと」

「それ~!」

 逆らいづらいながらも嗜めようとする婚約者候補に、ルトは思いっきり体当たりをして白い絨毯に組み敷いてしまう。

(やれやれ、エイルも災難だな……)

 ミミルほどこたえてはいないが、嫁というより孫のようにルトにせっつかれる彼の腕にも大分鳥肌が走っている。このままではいけないとはしゃぐ首根っこを掴んで言い聞かせにかかる。

「こらルト。そういうのはもっと安全な時にな」

「えぇ~どうせ一回オルタナに戻る事になりそうじゃん~」

「それは最後の手段。ここに来た意味が薄くなるだろ?」

 確かに、シャルとルトの持つ武器があればいつでも「外側の世界」を経由してオルタナまで戻る事は出来る。しかし転移をあまり軽はずみに行っては世界に大きな負担をかける。行ったのか、どこへ跳んだのか、いつ戻ってくるのか、転移先で何をして戻ってくるのか。本来ない無数の分岐が追加で発生した結果自分達が今立っているこの世界がオルタナの二の舞になっては目も当てられない。

「第一、こいつらが納得してくれないとね。外側の世界ではあのフードの男と一緒に、たくさんの生き物がお前らを見張ってるんだよ」

 テオリアの指差した剣自体が、それを許さないとでも言うように鈍く黒ずんでいる。自分達の命は便利な道具ではないと、時球を通して外側の世界に弾き出された者達が訴えかけてくるようだ。彼らの納得する使い方でなければ実質機能しないも同じだろう。

「そっか……ごめんね、森で雪が降った時は他に人がいなかったからさ」

「そうか、分かった。じゃあかまくらだけ作ってどうするか考えような」


「へえ、できちまうモンなんだな~」

 出来上がった即席のドームの中をひらひらと飛び回ってシルフィが少し呆気に取られている。

「僕は弟たちに付き合わされて、時々やりましたから……精っていうのは寒さは感じないのかい?」

 やる気充分のルトとテオリアの怪力もそうだが、エイルの手際のよさが意外だった。オルタナではあまり雪が積もったりはしなかったのだが、彼の住んでいた過去のアレスタリアではまた違ったのだろうか。

「そりゃ感じねえよ、半分幽霊みたいなモンだからな」

「うらやましいね……ごめん、もう少し火を大きくできる?」

 誘い入れて早々だというのに不憫にもミミルの唇はすっかり青紫色になっていて、エイルの上着を借りて身を震わせている。その通りにしてやると段々と落ち着いてきたようだ。

「ミミル、ボク達より温度変化に弱いのかな……」

「お前が強すぎるだけだと思うぞ」

 流石にルトも体を縮めていないと辛くなってきたようであるが、髪で体をすっぽりと包んでぬくぬくとやっている。まるで藁蓑を着ているかのようだ。それに愛おしそうに見入っていたエイルが当人と目が合ってしまい、慌てて話を振ってくる。ルトはそういうのは喜ぶ性質なのだが。

「そ、それでどうしますシャルさん? だいぶ回復したと言っても限界はありますし」

「それなんだけど、やっぱり何もない所に落とされるのはちょっとおかしいと思うんだよな。さっき辺りを見渡した時には何も見えなかったが、実は少し低くなってるとかで近くに人里があるんじゃないかな」

「ああ~ウチの家みたいにか」

 テオリアの住んでいた小屋も、窪地に埋め込まれるように建っていたために遠くからでは判別できなかった。なのでまずは丘になっている所を探して、一度高所から見てみようというのがシャルの考えであった。

「しばらく山登りになるのね、とほほ……」

 ミミルが大きな溜め息をついてやっとの思いで立ち上がったちょうどその時、外の方から見知らぬ青年の声がかけられた。

「いえ、もしこの辺りの集落を探しているのでしたらその必要はありませんよ」


「ははは、そうですか野盗に服と荷物を奪われてしまって……いや失礼、地上は物騒ですからね。見付けられてよかった」

 青年の名はフィズと言うらしい。すぐ近くにある街の自警団の一人で、見回りをしていた所シャル達を発見してくれたのだという。

 ひとまず自分達は普通の旅人だという事にして話をすると、快く街まで案内を引き受けてくれた。

「しかし翼がないなんて今時珍しいですね。どこか山奥の方に住んでらしたんですか? 少し不便かもしれませんが、かのエアハルト様も翼の無い時分を味わった方ですから、もしかするとこれから生えるかも知れません。あまり気にしすぎないで」

「あ、ああそうなんだ。そうだな、生えるといいな。それよりさっきは助かった、あのままじゃ全員仲良く凍えてたかも知れないからな」

 驚いた事に、青年の背中には立派な翼が備わっていたのである。鶴のように真っ白で美しい翼で、彼の言い方から察するにこの世界の人間は翼が無い方が珍しいらしい。

「困った時はお互い様ですから。あ、「大地の裂傷」に突きあたりました。ここからこれに沿って歩きますので落ちないように気を付けて下さい」

「裂傷……? うわっ」

 おかしな単語に辺りを見回したエイルを初めとして、全員が絶句する。そこには数十キロにも及ぶ規模の巨大な地面の裂け目が口を開けていたからだ。遥か下の方に底がぼんやり見えるが、白骨化した動物の死体と思しきものがそこここに散乱している。なるほど落ちれば即死であろう。

 一見するとただの渓谷にも見えるが、その壁面は複雑ながら規則的な模様を描いており、何か変わった形の刃で強引にねじ斬られた痕のようである。しかしそんな巨大な生物がいるなど想像もつかない。この世界には巨人の類でもいるのだろうか?

「恐ろしいですよね。こんな事をやってのける生物なんて……風の噂では「コウショウキ」がやったんだ――とか聞きますが、どうもはっきりした情報がなくて」

「コウ……哄笑鬼……? うーん」

 シャルは適当に字を当てはめて頭を捻る。確かに恐ろしいが、どうも音だけでは要領を得ない。ともかく、そんな脅威がそこらじゅうに徘徊している世界でない事だけは確からしい。

「なんだろ……どっかで聞き覚えがあるんだけどな」

 テオリアはしばらく喉に魚の骨が刺さったような顔で歩いていたが、やがてフィズが振り返って一行に声をかけて来たのを境に諦めたようである。

「では、ここを渡ります。町はこの裂傷の向こう側ですから、あなた方は翼が無いので荷運び用のリフトを使って頂きます」

 彼が断崖絶壁に掘られた階段を下りていくのに追従すると、その先には木の板を頑強に組み合わせて出来ている古びた荷台が何本かのワイヤーに吊るされた簡単なリフトが備え付けられていた。

「だ……大丈夫なの? これ……」

 不安を露わにするミミル。許容重量は高そうだが、確かにあまり安心して乗れる代物ではない。突風でも来て少し揺れたらたちどころに振り落とされそうだ。

「う……うぇ……」

 ルトなど今にも泣きだしそうなのを堪えているのが見てとれる。落ち着かせようと声をかけようとしたフィズの手が直前で何か迷うように止まり……。

「女だ」

「あっ……はい。大丈夫だよ、お嬢ちゃん。この辺りの気流は安定してて、事故なんて一度も聞いた事がないからね」

 なんとか一旦はなだめて、彼は先に対岸の機材の操作をしに翼を広げて渡って行ってしまった。


 キリキリとワイヤーの張る音が鳴り響き、ゆっくり一行を載せた荷台が崖に掘り抜かれた洞から離れて裂傷と呼ばれた大空洞の上を平行移動していく。思ったほど揺れはない。これならば何事もなく渡り切るだろう。

「ほらルト、我慢して! 大丈夫だってば、何ともないでしょ、ね?」

「頑張って、恐くない恐くない、もう半分越えたから」

「う、う、うぅうぅぅぅ……!」

 動き出し安定してしまえばけろりとして谷底を覗いたりしているミミルとは対照的に、ルトは困るアルテミスとエイルに励まされながら涙目で足をがくがく笑わせていた。

「大丈夫!? ねぇシャル、大丈夫だよね、落ちたりしない!?」

「大丈夫だって。ほら、もうフィズが向こうに見えて来……うおぉ」

 巻き取り機に何か噛んだのだろうか、ガコンという音と共にリフトは一瞬だけ急停止をした。すぐに元通り動いたのだが……。

「ひうぅぅぅっ!」

 娘は裏返った声を上げ、シャルの胸に抱き付いて全身を硬直させる。鼻を啜る音が何度もして、ようやくフィズの待つ対岸の洞窟に到達した時には安堵で足の力が抜けて立てなくなっていた。

「お手数かけます――う、そ、そんなに怖かったかい、お嬢ちゃん……」

「……あーあー、漏らしちまってる……」

「うぅ、ぅえああぁん……ゴボッ……ゲホッ、ごほッ」

 本格的に泣き出してしまったルトは失禁しており、吐いた。心配しつつもどうしたものかと迷う一同を向こう岸で入った時と同じ階段から外に退散させ、シャルとミミルで着替えさせるのにしばらく時間を取られる事になった。

「まったくなぁ、頑張った、頑張ったから」

「いい子いい子、泣き止んで」

 とても十八かそこらの娘にかける言葉ではないだろうと自分達でも思う。

 何だかずいぶん昔、まだ小さいリアの面倒を二人で見た事を思い出した。身の周りの世話というのは難しくて気も進まないが、自分の子供の事なら何の苦もなく実行できるものだ。リアが物心つく辺りまでは自分もよくこうやって世話をしていたか……それを今また、一度は妹と呼び、恋人なのではないかと悩んだ相手にしているのだからおかしなものだ。

 ルトは、今どんな気分でいるだろうか。彼女にとって自分は父なのか、兄なのか、それとも恋人なのか、たまに聞いてみたくなる。しかし、おそらくはシャルはシャルだと返されるだろう。自分もまた、ルトとの関係はルトとの関係としか言い表せないと思っているのだから。

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