ミミル再登場
とある世界の、何気無い一日。几帳面だがものぐさな人の部屋のような、区画ごとに物の種類がひと揃えになったおもちゃ箱をひっくり返したような町の一角。そこに一軒の集合住宅を包み込むようにして巨大な氷の城が建っていた。
元はただの集合住宅の一室だった最奥部のその部屋で、まだ若い少女が腰まで伸ばした地味な濃い茶色の髪を指でいじりながら一人窓の外を眺めている。分厚い氷の層で覆われたその部屋はそれまで通りの入室を許さず、町の外側にせり出した城の門からホールを通って登ってこなければ入れない彼女だけの空間となっていた。
ちょうど町とこの城を空から見ると雪ダルマを立てたような格好だ。
「う~ん……今日はあの山でもどっかにやっちゃおっか」
彼女が背丈ほどの布袋一杯に詰まった時球に手を突っ込んで窓からの風景の一部を指差すと、その一帯は蜃気楼のように消え失せ、その先の見晴らしが一気に広まった。
――ねえ、まだそんな下らない事続ける訳? あなたどれだけ人の迷惑になってるか分かってないの?
いつものように耳元から呆れた声で注意するのは家族とも友人の一人とも違う。彼女の頭一つ分くらいのサイズの、深い蒼のジェル状の身体を持った美しい女性。少女はそれを聞き入れる様子もなく、二本の指で彼女の首を軽くつまんで口応えする。
「いいのよ私はここでどう思われたって。それに今更やめたって私この世界じゃすっかり魔王サマじゃないの」
――全くもう。一人の男のためだけになんでそんなになるのかしらねえ……ていうかあなた、結構悪者楽しんでるでしょ。私が手伝ってあげなかったら何もできないのにね。
「だ、だから何よ! 別に人は傷付けてないでしょ!」
――そのうちバチが当たるわよ絶対……あ、早速かもね。城門の向こう側から誰か来てるわよ。四人くらいかしら。いつもみたいに追い払う訳?
「もちろん! ほら強いのお願いね!」
少女は壁面の氷を刃物で削り取ると、一抱えの塊を苦心して持ち上げ、「詠唱」を始めた。
「主ミミルの名において命ず、仇を踏み砕く氷河の護り手、衆を為して兵となれ。具現せよ! 「フロストドール」!」
口上が完成すると手の氷はそこから消え、代わりに城門から全身氷で出来た巨大な悪魔像のような魔物が大挙して進軍を始める。地と空の両方から、編隊を組んで侵入者を狙う。
――ちょっと今日は詠唱短いんじゃない? いまいち力出なかったんだけど。
「別に問題ないでしょいくらでも追加できるんだしさ~……それに私なら一体でも諦めて帰るけどなぁ」
もちろん、それらは彼女達が創造したものだ。少女は城の背後に広がる町に足を踏み入れて、俗に言う魔法というものを覚えた。自分の目的を達するまで、邪魔する存在は全てこの氷の兵で跳ね除けてきた。今日もそれを小さな部屋の窓からオペラグラスを使って文字通り高見の見物をして終わりだ。
一人は剣を持っているが、あと三人は丸腰だった。やはり彼女の呼んだ氷の魔物に戸惑って少しづつ後ずさっていく。
「あ、やっば……いくらなんでも四人相手には多すぎた?」
――え、そうかしら……あ、百体くらい出てる。私も強くなったのかもね、誰かさんの無茶な恋路のお世話してるうちに。
「大丈夫かな……殺されないといいんだけど……」
「いえ、その心配はありませんよ」
突然後ろから声をかけられて、彼女は口から心臓が飛び出そうなくらい驚いた。振り返った時にはもう片手を取られていて、ろくな抵抗が出来なかった。
「ちょっとあなたのしている事について相談があって来ただけですから」
「うんにゃ、場合によってはあり得るかもだけどね」
「う、うそ……あなた達確かにちょっと前まであっちに……!?」
慌てて窓の外を見やると、ほんの数秒前まで遥か先にいた灰色の髪の男性と緑髪の小さな子供がそこから影も形もなくなっていて、今自分の目の前に対峙している。
「無駄に暴れないでくださいね、今のところ身の安全は約束しますから」
「そそ、シャルりん達の暴れっぷりを見てやろうぜ~」
「シャル……? あそこにいるの!?」
懐かしい名前に、彼女は息を呑む。まさか本当に来るとは。奇妙にも今自分を捕縛している相手と一緒に部屋の窓を覗き込む事になった。
そこには少し目を離している間に、信じ難い光景が広がっていた。男の足元から巨大な階段が姿を現し、それを使って白いマフラーをした髪の長い子が空を飛ぶ氷像に突っ込んでいく。もちろんそれらが抱えている槍は本物だ、当たれば怪我では済まない。自分は本気で人を傷つけるつもりはなく、そんな度胸もなかった……思わず全身の血の気が引く。
だが、そんな心配はいらなかった。
「……「星の散歩道」っ!」
どんな奇術を用いたのか、その子の手元に突如巨大な武器が出現。しかも滅茶苦茶に回転しながら次々とその武器のコピーを作り出して投げまくっていく。たちまちその子を中心とした天球儀のようなフィールドが出来上がり、近づく氷像は複雑に絡み合った弧を描いて飛ぶブーメラン及び衝突し弾かれ合ったそれの斬撃の雨に晒され、一撃で粉微塵になっていく。
「……「アナイアレイト」ォッ!」
もう一人も負けてはいない。その場で何か呟きつつ大袈裟な程大きなモーションで彼が横薙ぎに振り抜いた剣は城門前まで届き、全ての氷像を真っ二つに断った。剣が暗闇の中の光の筋のように際限なく伸びたのだ。そして彼女は驚愕する……ただの草地だった外の風景が急に一変したから。否、振り抜かれた水色の刃が剣閃に沿って空に絵を描いたように残っているのだった。やがて一定間隔のボーダーラインになるように刃が収束していくのを見て、彼は背を向けて本体となる茶色い剣を地面に突き刺した。
「っ殲滅だ!」
それを合図にして集まった光が上下に疾走、後に残ったのはシュレッダーにかけた紙のようになった美しい氷の板の山だけ。
「お~いい感じで操れるようになってるじゃんもう。エイル君も慣れてきたし、ウチの出番はなくなってくれるかな」
「いえ、僕なんて。二人は本当に凄いですよ、足を引っ張らないようにするのが精一杯で」
横で感心する二人の交わす言葉など耳に入らず、ミミルはただひたすら圧倒されるとともに自分の置かれた状況に絶望していた。そしてこのままではいけないと、反射的に男の手を振り解き部屋の入口へ駆け込む。城には城門までにいくつかのルートがある。もしかしたら上手く逃げ切れるかも知れない。
「あぁんもうめんどっちぃから逃げんなっちゅ~のに!」
そんな思案も虚しく、廊下に出る事すら叶わずに少年の背後から細く伸びた九本の動物的な触手に捕らわれ彼女は空中に磔にされる。狐に似たそれは見た目とは裏腹に力強く、伸びきった手足がまるで動かせなかった。
――……お目当ての人は来たみたいだけど、この様子じゃ終わったわね。いい加減バチが当たったって感じ? この人は心配ないって言ってたけど、ナニされるのか見物ね。
(カ、カタカナにしないでお願いだから……)
――どうなるかしらねぇ、スマートに首を撥ねられるんだったらまだいいけど、下手したらこのまま連れ去られて一生どこかで慰み者かも知れないわね?
「ここが……あいつの部屋か?」
「早かったですねシャルさん」
「あ、ああ、結構単純な作りの城みてぇだったから……」
そう長い時間を置かずに無人の城を抜けて彼女の前に姿を現した、シャルと呼ばれた……男性。ミミルはおもわず目を疑った。
――これがあなたの言ってたシャル君? 確か少し年上くらいだって聞いたけど……これ少しじゃないでしょ、親の歳ほど離れてるわよ?
耳元で小さな女性が彼女にささやく。ミミルが事あるごとに彼女に話していたオルタナでの暮らしとシャルという青年とは違い、部屋に入ってきた男性はミミルと一世代も歳の差があるようであったから。
(そんなはずない……これは別人、そう同姓同名ってやつよ! 私の一つ上だったはずなんだから。それにシャルは滅多に時間を跳んだりなんか……)
――ふ~ん、じゃああなたこれから殺されるのは確定な訳ね?
耳元で浮かぶ蒼い女性はそれ見た事かと含み笑いする。自分が死んでも全く構わないのだろうか。いや違う、会った時から彼女は絶対に自分を見放さず、必ず最後に手を差し伸べてくれていた。
(……しょうがない、ちょっと黙ってて。詠唱考える)
――ここから打開するつもり? それで私は何を貰えるの?
(この城全部持ってっていいわよもう)
――あら嬉しい。あなたが大枚はたいて買ったアクアマリンを貰って作ったものなのにね。いいわよ、辺り一面、海にする? 氷漬けにする? せいぜい頭を絞って満足させて頂戴。
小憎らしげな視線を返した後、ミミルは自分を捕らえたまま上下に振ってみたりして遊んでいる奇怪な子供に意識を集中させた。彼が隙を見せたら素早く術を完成させてしまおう。それで自分の勝ちだ。……注意を逸らしたと言うより飽きたのか、彼はすぐに余所見をする。
「な~な~、ちょっと遅過ぎね?」
「っし、ええと、永遠の氷け……!」
「てぇりゃぁああああぁああ~~~~っ!!」
彼女が気合を入れて超早口でまくし立てようとしたちょうどその瞬間に、上からバキィだのズドンだの、派手な轟音が立て続けに迫ってきて、城の天井をぶち破り大量の氷の粒と共に巨大な物体が彼女のすぐ隣に落ちてきた。彼女を怯ませたそれは勢い余って床をまた突き破り階下に落ちていく……。
お気に入りのカーペットの切れ目から間もなくモグラのように顔を覗かせたのは、一人確かに見覚えのある少女だった。
「うわ、ルト!? なんでここに!?」
「わあ~、ちょっと変わってるけどやっぱりミミルだ~っ! 会いたかったよ~っ!」
中性的(貧相)な身体と顔。快活な声、まるで手入れもされていない引き摺るほどのオレンジの髪。正直、こんな子が二人といる訳もない。ルトは大喜びで彼女に跳び付き、しがみ付いて頬を摺り寄せてきた。
「ミミルミミルだ~、ミミル~っ!」
「ちょ、やめ……重いってば」
「お前ら、重いのはウチだっての~!!」
「え!? ミミルさんそんな事しようとしてたんですか! 危なかったな……早とちりでテオリアさん以外あの世行きかも知れなかったなんて」
ひとまずルトのおかげで強引に知り合い同士である事が明言されたので、床の穴を囲んで腰を下ろし、安心して顔を突き合わせられた。
「しっかしお前、なんで普通に来なかったんだよ」
苦笑されながら、ルトは恥ずかしそうに答える。
「最初は普通に来ようとしてたんだけど、そのぉ~……途中で道に迷っちゃって気が付いたら外に出ててさぁ……大事そうなところ屋根から壊せばおんなじかなって! へへ、今日も無事生き残れたねシャル! 勝利の合図、しよ!」
ミミルは急に跳び付いたルトを慣れた様子で受け止めるその男性から目を離せない。ルトがそう呼んだのだから、もう確定だろう。しかし……。
「あの程度で迷ったのかよお前は――っしゃ、やったぜ!」
――パァンッ……!
「抱っこ抱っこ~!」
「ははははっ、しょうがない奴だなー」
愉快そうに破顔してルトとハイタッチを交わし、その身体を強く抱きしめるその男性が、自分の知っているシャルとはどうも結びつかない。
ミミルの記憶の中のシャルは感情をあまり表に出さないばかりか大きな動作も子供っぽい仕草もほとんどせず、今浮かべているような楽しそうな笑顔など、月に一度見られればいい方だったのだ。




