死別
「ほら二人共はやく~! もっとずっと向こうだよ!」
ルトは二人を先導して、馴染みの森の奥へ分け入っていく。一度足を向け始めたらもう一刻も早く着きたくなったようで、ちょっと走ってはこちらを急かしてを繰り返している。
「ああ……ゼザに会っておきたいんだな」
(確かに、子供にとって一番大事な時期を面倒見て貰ったんだ。俺はあの龍の方がルトの父親と言うにふさわしいと思う、理由としては納得だな)
やがて不揃いな景色の続くデタラメな森の先に今まで見た事がない、ひと際大きく明るい草地が開けた。何の変哲もない森の外観からは想像もつかない、天を突くような巨大な広葉樹の地面に突き出た根っこをルトは軽い足取りで駆け上がっていく。
複雑に絡まった根を越えて滑り降りた先に、樹自体がそこを避けて成長したような枯草の敷き詰められた空間があり、強い動物臭が鼻をつく。
「ここが……「ルト」ん家か」
「ゼザの巣……入れたんだから多分……ゼザぁ! ここだよ、ねえ! 怒ってるのかな、やっぱり……」
ルトは動く物のないその空間に向かってしきりに叫ぶ。
程無くして巣全体が強く輝き、眩い光が収まってから目を開けるとあの銀龍がそこに横たわっていた。
「ゼザ!」
ルトはすぐに、その顔に身を寄せる。
「ウチらは根っこにでも座って見とこっか、この中きっと二人の世界じゃん?」
「ああ、でもどうしたんだあの龍、今にも死にそうだぞ……」
以前見た時の威厳はどこにもなく、体中に巨大な裂傷と火傷を負って、爪が全て剥がし取られている瀕死の様相だ。見ているだけで、こちらの体にまで激痛が走るほど……。
「ルト……またここに戻って来るとすれば、今頃であろうと思っていた」
「ボクも、きっとまだ生きてると思った……あのボクはゼザに勝ってみたかっただけで、殺したそうじゃなかったもん……ボクだってそうなんだからそうだよ」
(あのボク……?)
ルトが持ち歩いていた爪を取り出し、そっとその指元に戻すのを見て、シャルの中でも過去と今とが繋がった。
ルトは、育ての親を自分に殺されていたのだ。だからもう一人の自分にあの爪を投げ渡された時、かつてない程激昂した。あの時代に森を訪れずわざわざ元の時代に帰ってきたのは、再びやってきたのがどちらの自分か誤解されないためか。
「見れば分かるな? 我はもう死ぬ。だが悲しむ事なぞない、ただ命が一つ終わるだけの事だ、それにお前に我の庇護はもういらぬだろう」
「うん、そうだね……ねえゼザ、ボクそうは見えないと思うけど、すっごく悲しいよ? ゼザはもうダメだって分かってから時間が経ったから、今会ってもぜんぜん泣けないんだよね。でもあの時ボク、ちゃんと泣いて、いちばん怒ったんだよ」
双方顔色一つ変えず、ただ無表情に視線をぶつけ合っている……この二人には、死を前にすれば泣いて然るべきという常識は意味を為さないのだろう。都育ちの自分は昔から人でなし呼ばわりされたものだが、泣くというのは結果であって、義務ではないとシャルは思っている。
ルトはしばしの沈黙の後おもむろに服を脱ぎ捨て出すと、その場でくるくると回って彼に自分の身体をくまなく見せつけた。
「ほら! 見てゼザ! ボク十八才になったんだよ! けっこう食べがいがありそうに育ったでしょ? もうボクなんか食べたってぜんぜん意味ないけど……ゼザがいなかったらここまでならなかったもん、ありがとう!」
「フン、細っこいのは相変わらずだがな。まあ悪い気はせんわ、あの危なっかしい小娘がよくそこまで生き延びたものだ」
「……ねえゼザ……ほんっと~にボク、勝てたの?」
「ああそうだ、我は成長したお前に手も足も……」
「ウソだよ絶対! わざとでしょ!?」
ルトはもう光を失いつつある彼の眼をこじ開け、食ってかかった。
「ボクがゼザと戦ったらね! 何かする前に尻尾で掴まえられて焼かれたり、いつでも引っ掻かれて体が六個くらいにバラバラにされちゃったりとかそんなんだよ! 何回もゼザの強いトコ見てるもん、ちゃんと体全部動かさなくたって何が来てもケガもしなかったじゃん!」
「……では、我が偶然病にでも臥せっている時にお前に襲われたとしよう、それで死んだとしても、我は不満を感じたりはしなかったはずだ」
「なんで!! なんでなんでなんでなんでなんでなんで!」
ゼザは微かに瞳孔を揺らがすと、強引に瞼を下ろしてしまう。逃げととったルトが顎の上に馬乗りになって殴りつけるのも、ほとんど感じていないように見える。そして一つ問いを投げかけた。
「お前は……我が望みに考え至っていたか? 何故何も出来ない小娘一匹、傍に置いていたか、先を見通して想像してみた事があるか?」
それを聞いてルトは手を止め、決まり悪くうな垂れる。
「……ううん、ない……一回も……」
シャルの横でテオリアが額に手を当てて、哀れむような視線を彼に向けだす。
「わかった……あいつ、ウチと違って体がアレだから……」
「話し相手が、欲しかったんだろうな……」
「そう……だが、始めから無理な相談だったのだ。要らぬ力を手にしてからは、挑んでくる者と潰しにかかる者のどちらかしかいない。人間として生まれて間もない頃は、対等な友がいたものだが……いつしか孤独を諦め、一所に落ち着いてから何百年かで、お前が飛び込んで来た」
今のような汚らしい泣き顔を隠しもしないでな、と彼は付け加えて笑う。
「こやつが万に一つも正しく生き延び、且つ元の鞘に収まるような事があれば……橋渡しをしてくれるようになるやもとな。それでなくとも、子供一人いれば退屈する暇もない」
「じゃあ……じゃあねだったら! だからもっとヤでしょ!? ボク一番いい所で殺したじゃん! ボク恩返しくらい大人になったらするつもりだったよ!? でも……まだなんにもしてあげてないんだから、ゼザ損ばっかりじゃん! ボクなんか殺しちゃえばよかったでしょ!?」
「お~いルトぉ、言ってる事が支離滅裂になってるよ~?」
「なってない! みんなが昔から怒る事、少ない命は大事だって言ってるんでしょ!? ゼザが一番大事だよ!」
ルトの論にシャルの心中は、どうにも言い表せないむず痒い事になった。絶対の公平を重んじるルトだが、それ故命の扱いが軽すぎる。いや、ルトの方が正しいとしか思えないのだが、およそ人間らしくない。彼女を気に入った理由の一つだというのに、親だと分かった今では直させるかどうか悩んでいる自分がいた。
「ルト……お前の家を半壊させた時の事を覚えているな?」
「うん……あの時は、お母さんが死んじゃってたなんて知らなかったけど……」
「そうだ。お前も我も、後から言われるまで気付かなかった……我はあれから二年……お前を傍に置いている間じゅう考えていた。我にはさもお前が虫一匹殺す程の感覚で人が殺せてしまう、近くにいる限り全く害を与えないなどという事は難しいのがあれで明らかになった。例え受け入れられたとして、歩けば人は必要以上に散り、気付かぬうちに尻尾が当たれば骨は砕ける。多くの人間と共存なぞ、そもそもが夢のまた夢だったのだ」
彼が果てる前に完全に諦めてしまっているのを見て、ルトはそれ以上拳をあげられなくなる。種族の違いというどうにもならない理不尽さに、ますます涙が落ちた。
「ゼザ……悔しいよぉ……ドラゴンなんかにならなければ……そんな体にならなくてよければ……っ、だれもゼザをイジめなければ……!」
「……お前が気に病む事は何もない……最後にはお前以外の人間とひと時でも話せたのだ、どんな会話にせよ、我はその事実だけで、お前に至上の感謝を捧げる……我の道は……微かにでも輝きを失っては、いなかったのだと……」
淡々とそこまで述べるのを最後にして、彼は突然糸が切れたように倒れ伏した。ルトは顔の上から転げ落ちると、天を仰ぎ大粒の涙も吹き飛ばす勢いで叫ぶ。
「死んだ……ゼザ、おしまい……ぅぐぎ……わあぁああぁぁぁあああ!!!!」
「ルト……」
シャルは、何と声を掛けたらいいか分からなかった。いや、絶対に声を掛けたりしてはいけないだろう。ここで親だからといって抱きとめて慰めでもしたら、ルトは聞き分けのない子供と言っているようなものだ……彼らの別れを、自分の自己満足で陳腐なものに変えてしまう訳にはいかない。
だから二人は辺りの地面や樹の根に滅茶苦茶に手足をぶつけ回る、半分狂ったように泣き叫ぶルトに、敢えて何もせずに見守っていた。
(好きなだけ泣け、暴れろ……これはお前以外が共感していい問題じゃあないんだ、俺達はただ絶対……邪魔しない……!)
「……シャル……それ。ん」
そして……眼から肩から脚から、全身真っ赤に腫らしつつも自力で立ち上がったルトは、シャルの剣を指差して要求してきた。
「……ほら」
何をするかは聞かない、ただルトのしたいように。
「ゼザ……ボクはゼザの事、大好きだから。これでずっと……一緒だからね……」
剣を受け取ったルトは、かつて毎日のように寝ていたゼザの腹下に立ち、ひと時想いを巡らせたのち――その身体に刃を入れた。




