スノウ
「わあぁ~、雪だぁ~! 雪、雪! そういえば雪って何だっけ、ゼザ?」
「……氷の結晶だな。こら、食いすぎると腹を下すぞ」
この森の冬は雪が降る事もあるようだ。町の方は少し肌寒いだけでなんの面白みもないのに、まるで外界と切り離されているかのようにさんさんと粉雪が降り積もっていた。
「さて、今日は早めに糧を獲りに行くか……」
「いってらっしゃ~い!」
「今日くらいは遊ぶのもいいが、蓄えが無くならんうちに稼いでおかんと、冬は二人共野垂れ死にしかねんぞ」
「は~い、分かってるって!」
ルトは返事もそこそこに、早速雪ダルマ作りに取り掛かった。子供にはしゃぐなと言う方が無理な話、ゼザはそれ以上言わずにさっさと森の深部へ分け入っていった。
「ふ~、たくさん出来た~」
飽きもせずに繰り返し繰り返し雪玉と戯れて、いつの間にか巣の前に二、三十体の雪ダルマが鎮座している珍妙な光景が出来ていた。
(うーん、これだけあると、ジャマ? ……一個残して壊しちゃおっか)
「よ~し、Lサイズ(仮)はどこにあったかな~っと」
ルトは巣の中から巨大なL字型の、丸みを帯びた木の板を持って来て――振り回しつつ強引に引き摺ってきて、それらの前にセットする。藁人形代わりにしようというのだ。身の丈の二、三倍あるブーメランのようなこの木片は、自分にどうしても足りない一撃の殺傷力を十分すぎる程補ってくれる。
まだ狩りには持ち込んでいないが、練習して何とか使えるようになったら自分用にちゃんとした物をこしらえて、やっと一人前に変身できるはず。
「やぁっ! んぎぎ……ていっ!」
設置したLサイズの周りを自分が回るようにして、徐々に重心を身体に持ってくる。そのまま遠心力で左右に振り抜くと、軌道上の雪ダルマが崩れ……いや、弾け飛ぶ。今度はLサイズを地面に立てて、上を跳び越えながら頂点を掴み、全体重で引き倒すように思い切り叩きつけた。
ズドォォ……ン。
「わっ、耳がっ……!」
雪ダルマなぞ文字通り粉砕して、漫画の巨大ハンマーよろしく頭が揺らされるような轟音が辺りに響く。鳥がギャアギャアと喚きながら一斉に空に飛び立つのを見て、ルトはこの武器に浪漫を感じた。彼女は男子ともよく遊んでいたから、知らない内に影響を受けたのかもしれない。
(すごい、これはボク好きだよ! ん、あれは……!?)
木々の間から見える、この場を離れようとする小動物に混じって、大物の影が一瞬見えた。あれは……。
「お布団だ! あ~じゃない、クマだぁ!」
今までは逃げる対象だったが、見つからずに上手くLサイズを叩き込めれば、ゼザが暇を持て余している時でなくとも手っ取り早く暖が取れる! ルトはここぞとばかりにLサイズを引き摺って追跡し出した。
「ん~……ど~こに行ったかなぁ……」
さくさくと、ときにずぶずぶと雪を踏み込みながらゆっくり足跡を辿っていくルト。しかしなかなか目当ての姿が見えてこない。もっと早く追いたい所だがLサイズは如何せん重く、何より警戒しながら進まないとばったり正面から出くわしたら死は免れない。
手が悴んできて、身体に髪を手繰り寄せる。早くゼザの腹の下で丸くなりたい……いや、口の中の方が暖かそうだ。どうにか入れて貰えないか……。
「あっ、いた! っとと、声……危ない危ない、気付いてないね……? Lサイズセットセット……」
巨大なクマは他の何かに気を取られているようで、一点を見たままのそのそと歩き回っている。これは久々にゼザに褒めて貰えるかもしれない。
ルトは地面に突き立てたLサイズの上に乗り、木の枝に掴まってチャンスを待つ。自分と目標の間には深い茂みが一つ、Lサイズならブチ抜いて殺せるだろう。
逆にそれを外せば最後。木に跳び上がってやり過ごせばいいのだろうが、撒いて帰るのにあまり時間をかけるとそのまま凍え死ぬだろう。さっきまで遊んでいた時はほとんど感じなかったのに雪はとても冷たく、髪に積もった雪が背中に落ちると焼け付くように痛かった。
(うう……羽織れるもの欲しいよぉ……その為にこんな寒い思いするんだけどさ……)
どのくらい経ったか、少なくとも十回は抑え気味なくしゃみをした。諦めて帰ろうかと思ったその時、クマは動きを止めると、こちらに背を見せて唸り声を上げながら立ち上がった! そこを逃さずにルトも枝を蹴り、武器を投げる!
「これで死んでぇ~っ!!」
「うわぁ……うん決めた、ちゃんとしたの作って、ずっと使お」
Lサイズはクマの骨という骨を叩き潰し、糸の切れた操り人形のような死体がルトの前に転がっていた。有り得ない方向に身体の折れ曲がったそれを潰れそうになりながら背負って、帰路に付こうとする。
足が震えるくらい重いが、そうすると暖かいので時間を掛ければ持って帰れそうだ。Lサイズは、残念ながら持って帰る方法が無い。自分のにはゼザに車輪でも作って貰おう。
「うん? くすぐったい……?」
ふと、足にすり寄ってくるものが。振り返るとそこには、オオカミの子供が縋り付いてきていた。
「どうしたの、キミ? オオカミって群れだよね……仲間は? あ、一匹狼さんなの?」
そんな筈もなく、彼が自分の周りを走り回ったのち向かった所には、何匹ものオオカミが酷い怪我をして倒れていた。
(あ……このオオカミと戦ってたのかも……)
クマは自分から他者を襲ったりしないというのは自分も元から知っていたくらい有名な話なので、ドジを踏んで刺激してしまったらしい子オオカミの方を結果的に助けた事になる。
(ちょっと悪い事しちゃったかな……ボク、ズルしたみたい。やっぱり一人前は遠いなぁ……)
子オオカミは瀕死の仲間に鼻を擦りつけると、もの言いたげに自分の顔を覗きこんでくるが、助かるとはとても思えない……助け方も、自分はろくに知らない。どうしていいか分からないルトが立ち尽くすのを見て察したようだ、彼は一声吠えてうずくまってしまう。
後ろ髪を引かれるが、自分もいつまでもこうしている訳にいかない状況なのでルトは立ち去ろうとする。だが、彼はなお自分の足に寄り添ってきた。
「とりあえず……一緒に来る?」
「アウンッ!」
「それで、連れて帰って来たと。ひとまず、いい経験をしたな。そやつとどうしようが我は文句は言わん、自分のやりたいように、或いは流れに身を任せるがいいだろう」
「うん、とりあえずは一緒に暮らしてみるよ、ゼザには今まで通りあんまり頼らないようにするから。それにしてもこの子、ゼザが怖くないのかな?」
ゼザを前にしてもこのルトの腰までしかない子オオカミは依然として、クマの革に包まって火に当たりながらとってあった魚に口を付ける彼女に懐いている。
「気配を静めてやっているからな。折角だ、名前でも付けるか? そのままでは話に登る時にも不便極まりなかろう」
「名前かぁ、ちょっと思いつかないかな……喋れればいいのにね、キミ」
ルトはゼザと同じく白い毛皮を持つ子オオカミにまじまじと顔を近づける。雪の中に溶け込んでしまいそうな、綺麗な白だ。
「キュ~?」
ゼザは動物の言葉が理解できる。しかし未成熟の子オオカミはまだまだ、ただ喉を鳴らしているにすぎなかった。
「では無難だが、スノウでいいのではないか? お前が雪に耐えて拾って来た仲間だ」
「スノウかぁ、うん! そうしよう! ね? キミの名前はスノウだよ、ス・ノ・ウ!」
ルトはその子オオカミを抱き上げ、新しい友達の誕生を喜んだ。もうルトは友達は人でなければならないという考えをとっくに捨てる事が出来ていた。
「これからは潰してしまわぬよう、ますます慎重に寝なければならんな……ところでルト、我の歯ブラシを知らんか? 帰ってきたら無くなっていたのだが」
「あ……! ……へ、えへへへ~、クマ肉全部あげるから、許して? ね、ねっ?」
歯ブラシというのは、あのくの字に折れ曲がった巨大な木片だ。
本来練習だけでゼザのものを汚すつもりはなかったのだが、あろう事か置いて帰って来てしまった……手を合わせた脇からゼザの顔を覗き込んで……幸い、あまり怒ってはいなさそうだ。
「……まあ、幾らでも代わりは作れるがな……あんな物数時間あれば出来るのだから、使いたければ一言言えばよかろうに」
「ごめ~ん、ホントは使うはずじゃなかったんだけどチャンスだったからさぁ~……」
「はい、スノウ! ……どうしたの、ヤ? ゼザぁ~オオカミってお肉だったよね? あっ、もしかして焼かないとダメかなぁ?」
次の日の昼頃、走り回ったり舐め合ったり、背負ってみたりしてスノウと遊んできたルトが痛まないうちに食べてしまおうとして鳥の肉を出してきたのだが、スノウはどうにも口を付けようとしない。ただお座りしたままでルトの顔を覗き込んでいるだけだ。
「焼かねばならんのは寧ろ人間くらいだろうに……そういえばルト、お前は平気なのだな」
「そりゃ最初はお腹イタくなることもあったけど、前から生で食べてみたかったからさ。お母さん体に悪いからダメって言うけど焼いたら平気って何でなんだろって。それでここに来て沢山食べたら慣れちゃった。このままも食べてみれば結構おいしいのにね?」
「そうかそうか、ならそのおいしい肉を今も心ゆくまで食ってみろ」
「えっ? 言われなくてもそうだけど今はスノウが……あれっ!? 食べてる!」
ルトが話ながら訳も分からずにひょいひょい鳥を片づけていくと、ちょっと手が止まった拍子にスノウも勢いよく食い付き始めた。
「それはそうだ、群れで順位が上の者より先に飯にありついてはならんからな」
「へぇ~……えっ、ボク? 上?」
「命を助けたのだから当たり前であろう? お前にその気が無かったとはいえ、ついてくるのを拒まなかった以上そやつは一生お前に付き従うぞ」
「グルゥ~……!」
「ほえほえ~……」
その通り、と言わんばかりにスノウは自分に頬擦りしてくる。ルトは急に気恥ずかしくなってしまった。
「ふふ、難しく考える事は無い、お前が上なのだからお前の好きなように接すればいい、それこそ友達扱いでもな」




