数奇な出会い
夜が明けて、どんどん背の高くなる木々の隙間から陽射しが降りて来るようになってもなお、リアは走り続けた。行くアテもなかったがいつもの森の奥へ奥へと分け入ってゆく。
ボクはもういらないんだと、だれにも見てはもらえないんだと、悪い考えが卑屈にさせ、いつもの底抜けに明るい自分が何だか色あせてとても馬鹿馬鹿しく見えてくる。沈む気持ちが相乗し合い、とうとう自分の居場所なんてどこにもないんだと思うまで至って、珍しく息が乱れた頃、宙に浮いた様な感覚と共に唐突に視界が開けた。
これまで一度も見た事もない、無数に枝葉の広がる視界を埋め尽くさんばかりの大樹と、リアが踏み入った事のない程深い森の奥にも関わらず山吹色の空気の漂う陽だまりの広場。鳥たちの楽しそうな囀りがよく響く、とても安心できる場所だ。
「なんだろここ……」
鬱蒼とした森の中にあって、そこだけ穴が開いたかの如く頭上に青空が広がっている。その中心を貫くようにそびえ立つ立派な一つの大樹を囲む青々とした草原。まるで特別な何かに敬意を表するように一本の木もその領域へ侵食していない。
「……何者か?」
見上げるほどに地上に隆起した大樹の根の向こう側から、唸り声に似た小さく重々しい声が響いて来る。リアは泣き顔を拭って、ぴょんぴょんと根っこを登っていった。
彼は自分の数十分の一の歳のその娘にさして期待もしていなかった。
一時的に自分と同じ苦しみを持ったからこそここに辿り着いたのだろうが、これまで見てきた人間と同じ結果にしかならないと諦めていたから、適当に相手をして落ち着いたらそれきりのつもりだった。
「わぁあぁぁぁ~っ!」
しかしその娘は、今まで誰もが臆し、畏れ、迫害した自分の姿を見るや否や、歓声を上げながら飛びついて来たのだ。
「どうした娘、我が恐ろしくないのか?」
「お話で見たもの、ドラゴンでしょ? 真っ白でサラサラの毛皮、夢だったんだ~!」
少々くすぐったかったが、生きている物に友好的に触れられるなどいつ以来だったか、と思いふけるうちに、いつの間にか気にならなくなっていた。
「……ふ、馬鹿な娘よ。お前がここに来たという事は、一時的にでも居場所を失う程己を否定されたか? でなければこの空間に飛び込める訳がない」
「……うん……ボクがボクだからみんな笑ったり怖がったり……ボクもうリアやめたい!」
大体の察しはつく。自分と同じ、容姿や能力、素性の異常さで満足なモノを手に入れられない娘、か。
「なら、やめればいいだろう」
自分はまだよかった。今はこの森で一匹、静かに暮らしているだけだから。
人間の世では欲しい物はそれと同じモノを少なからず持っていなければ手に入らないと記憶している。金も、力も、友も。もがく内に、悪評は増すばかりだろう。
「我と共にここで暮らせばいい。何とでも呼んでやろう。そうだ……代わりに、我にも名を付けてはくれぬか?」
「名前……ありがとう、でも自分が呼ばれる名前は自分で決めたくないから、君が付けて!」
二人を取り巻いた空気が、やっとこの優しげな光の降り注ぐ領域の雰囲気と同調した。
リアは長い間頭を悩ませた。目の前にいるのは人間でも可愛らしいペットでもない。美しい白銀の毛皮で深々と全身を覆った、雄々しい体躯の龍だ。全体的なシルエットは犬のそれに近く、特に長く伸びた顎ヒゲにあたる部分の毛と落ち着いた蒼色の瞳は、人間で言えば頼りがいのある好々爺のそれを思わせる。
「決まったか?」
「うぅんとね、えぇっとね、強そうな名前がいいよね…………うん! 決めた! ゼザ! ボクは君の事、ゼザって呼ぶよ! 特に理由はないんだけどさ。強そうでしょ!?」
その龍は人が考え事をするように鋭い爪の生えた前脚を顔の前に持ってきてその名を数回反芻すると、満足げに笑った……笑っているのだと思う。
「ゼザ、か……いい。不思議としっくりくる。さて、お前の名は……ルト。ルト・セレス。意味は分かるか? 天の川を言い換えたのだが。ここでのお前はルト・セレスだ」
「ルト……! ルト・セレス、ルト・セレス! うん、うん! ルトルト! 天の川かぁ……。夏に見えるあの星の道が、ボク……! ふふふ~」
リアもその動作を真似てみせる――いや、リアという名はこの時をもって棄てた。ここにいるのはルトという素性不明の少女なのだ。大好きな両親の子であったリアは愚かにも森に分け入って迷い、飢えて行き倒れたのだ。
「……二つの星を隔て、時に存在を恨まれる事もあるがそれ自体に罪は無く、寧ろ美しい。逸話を知らねば、いつでも語ってやろう」
――ふ、いつかもう一度人間達と繋がる為の輝きの道となってくれれば、とは言えんな。
ゼザという名をつけられた白銀龍はルトに聞こえないように小さく呟くと、自嘲ぎみに微笑んだ。
それからリア――もとい、ルト・セレスは森の真ん中にある大樹の麓に居付き、そこを住処とする白銀龍の腹の下で眠る生活を始めた。
もちろん、今までとは違い生きる為の行動を身に付ける事を前提とした生活だ。始めの苦労は並大抵のものではなかった。白銀龍――ゼザは色々とものを教えてはくれるが、実際に歩き回り学んでいかねば生きていけないとして、ただ座していれば助けてくれるという訳ではなかった。ルトもそういった自然での在り方を童話の中からだが知っていたので納得して頑張った。しかしルトが想像していた程簡単ではなかったのも事実。
「うぅ~、お腹空いたよぉ~……もう二日も草しか食べてないっけ~……?」
改めて森へ踏み出したルトは自分が今まで傍らに見ていた木々や動物の事を何も知らなかった事を思い知った。
これはよく見た事ある、くらいは思っても、ではそれは何の仲間でどうやって捕まえるのか、どういった所に生えているのか、どこが食べられるのか、そもそも毒はないのか。持ってきてしまった図鑑に頼ったりゼザに見せに戻ったり、植物はそれで半分は何とかなったがすぐ忘れてしまうので効率がなかなか上がらない。当然動物はそうもいかず……何十回目か大樹の根元の草原広場に戻って来たルトはへろへろと寝転んでしまう。
「きゅ~……お弁当があるってすごい事だったんだなぁ……お腹がペシャンコだぁ……」
ゼザの前まで戻って来て力が抜けると、途端に腹の虫が鳴り出す。「ぐぎゃるるるう~!」とそれだけは力強い。
「よくある事だ、お前だけの良い採取地を見付けるまではな。肉が欲しければ強くなるしか無い、店など無いのだ……まあお前の場合ここに親はいるがな、ほれ。なるべく早く卒業するのだぞ」
見かねたゼザが目の前に投げてくれたのは、綺麗に革のとってある大きな鹿。ルトは思わず目を丸くした。
「わりゅあっ!? え~っ!? こんなのどこにいたの!?」
こんなに分かりやすく「これは食べられる!」というイメージのある動物をルトはほとんど発見した事がなかった。リアであった頃森を遊び歩いているとたまに見かける事もあったが、いざ手に入れようとすると一週間以上森を走り回っても見つけられたのは鳥やリスなどの小動物に爬虫類、いても子犬やキツネがせいぜいだった。
「その気になって探せば幾らでもいる。よもや足音を鳴らしながら探索していた訳でもあるまい? 身の守る術の少ない者は敵対する者に敏感だ」
普段はこの樹の洞にある藁で出来た巣の中に身体を横たえているが、時々いなくなったかと思うと難なく食糧を調達してくるゼザ。
自分も早く自分の事くらいは出来るようにならなければ。そう、本当にいつまでもこのままではいけない。ルトはついいつもの調子で、ガサガサと高草を掻き分けながらバタバタ走り回っていたのだから……。
「えっ? ……あぁ~、それでかぁ」
手っ取り早くファイアブレスで肉を焼いてくれたゼザは長い髭を蓄えた細長い顔を下げ、目を細める……どうやら呆れているようだ。
「これは……存外険しい道のりやも知れんな……」
「そういえば最初に言っていなかったな、分かっているとは思うが我の事は絶対に他の人間に口外してはならぬぞ」
ある日起きるとゼザに突然そんな事を言われた。
「どうして? ゼザの事知られちゃったら何でいけないの?」
誰に言う予定も、今は言う相手すらいないが、そう言われると理由が気になる。何故だろうか? なんとか教えて貰えないだろうか? 言われても小難しくて分からないんじゃないか? それだったらルトはちょっと自信がなかったが、ゼザはそんな考えは見透かして、簡潔に教えてくれる。
「「お前」が何百人もに増えるからだ。我を見た時お前が思った事がそのまま理由だ」
「……わかった……はは、ちょっと困るねぇ」
ゼザを見付けた時、リアは胸が高鳴った。いる筈のないドラゴン、自分より大きな生物、言葉の通じる動物。パッと見ただけでも魅力的で新鮮で、いつも通りの自分で出会っていても可能な限りお近づきになりたいと思ったに違いない。
「それに、強大な者がいれば其を打ち倒して一旗揚げようとする者も出る。そうでなくても人の噂は途中でどう推移するか分からぬ。いつか悪しき龍を討伐しろと決起するかもしれんな」
「そうなったらゼザ殺されちゃうの?」
「笑止、この広場が骸で埋め尽くされるだけよ。まったく迷惑極まりない」
ゼザの四本の脚に光る大きな爪を見て、ルトもちょっとだけ背筋が冷たくなった。自分に反抗期が来るなど想像出来ないが、これは今まで以上にいい子にならなくては命が幾つあっても足りないなと思う。まあ意識していい子になれる程器用な自分でもなかったが。
「分かったな? 他は構わんが、我の事は隠せ。お前と我以外には秘密だ」
「うん、秘密にする! ず~っと絶対ぜ~ったい二人だけの秘密!」




