オルタナのリア 前
――あれ? ボク、いつのまにかこんなに大きくなってる? ……今までどんなかんじだったっけ? う~ん……わかんない……。
ふとリアは、今まで見上げていた机や窓、階段という何気無い家の設備に自分が肩を並べている事に気付いた。身体を見回せば、知らないうちに拳を握れるようになっていて、意識せずとも立っている。髪もあるのが当たり前で、背中に手も届く。転ばずに家の中も走り回れるし、ドアも自分一人で開けられる。靴紐は……まだ自分で結べないけれど。
「んっ? どうしたのリア、またお友達のところ? 暗くなる前に帰ってくるんだよ?」
玄関で悪戦苦闘していると、いつもの大きな手が添えられる。それはすぐに足を締め付けてしまうと、自分の身体を簡単に持ち上げて立たせてくれる。
「うん! お母さん、いってきます!」
そうだ、振り返れば自分に笑いかけてくれている大好きなこの人が、自分の母親。
少しずつ増えていく出来る事に気付いたり、それが当たり前になったりを繰り返して、リアがはっきりと物心ついたのは八歳になっての事だった。
オルタナの広場に散らばった沢山の子供達が、今日もあれこれと騒ぎ合っている。みなリアと同じくらいの年頃の男女で、比率も同じくらいだ。
「な~女子もサッカーやろうぜ~。見ててばっかで何がたのしいんだよ~」
「あたしたちはそんなヤバンなことやりません~。イクトだって女の子の遊びはやりたがらないくせに!」
「へん、手元しか動かさないのばっかですぐイヤんなっちまうぜ。あんなんどこがおもしろいんだか」
「言ったなあ~!」
「まぁまぁアスミ、イクトなんかと同レベルで争うことないでしょ」
「何だと! お前らとオレたちの何がちがうってんだよ!?」
「知らないの? おんなじ年でも男子は女子より精神年齢が低いんだってよ~」
「いや、ぼくは逆で教わったよ? そりゃイクトはガキだけどさ、やっぱり男だよ!」
「ミツル~! オレのどのへんがガキだって!?」
「だってイクト、きみ典型的な体力バカのガキ大将じゃないか」
「……イクトくんは早く、大人になるべき」
「く~、もういい! リアはやるよな、サッカー!」
「うん! ボクどこに入ればいっかな!?」
「お~いイクト~、リアなんか入れたっていつもあんまり役に立たねーじゃん」
「えぇ~だってみんなじょうずすぎるもん、ボクだってがんばってるよぉ」
「あんたらねえ、誘いたいのかいらないのかはっきりしてよね!」
「……大人数でやりたいのはそっちなんだから、下手で嫌なら教えた方が……」
「え~めんどくせーな~。リア、ちゃんとついてこれんの?」
「や、やってみる……色々おしえてイクト!」
「な、なんでオレだけなんだよ!?」
「ま~イクトがやってくれんならいっか。おれら続けようぜー」
「ほらほら、言いだしっぺが責任とんなさーい。イクトはたらけー」
「ちくしょー、アスミはだまってやがれ!」
「リアちゃんもいちいち付き合う事ないのによくやるよね。イクトたちとばっかり遊ぶから自分の事ボクなんて言うようになっちゃってさ、リアちゃんだけじゃない、そんなの?」
「だってボク、うちとかわたしとか合わないよ~。どっちの遊びも好きだけど、男の子のの方が覚えなくちゃいけない事少ないしさぁ。やってみると面白いよ~?」
「……リアが一番ガキ、かも……」
どこにでもあるような子供達の日常。居場所となる友達グループがいくつもあって、肌に合う遊び相手を求めて自由に転々とできる。名前を言うだけで友達になれて、細かい事は気にせずともそこで時間を過ごすだけで楽しい一日だったと思える。どのくらい小さい時からか? いつの間にか中にいたその世界がリアは大好きで、ずっとそれが変わる事はないと信じて疑わなかった。
「た、ただいまぁ~……」
今日もすっかり夜遅くになってしまった。子供の足で家が町の外というのは不便だ。もう少しもう少しと思っているうちに外は暗くなっていき、帰るのにかかる時間を忘れている事に気が付いて怒られるのを心配しながら必死で走って帰ってくるのがいつものパターンになっている。
「リーア! 夜まで遊んでちゃいけないっていつも言ってるでしょ!? 明日になったら友達がいなくなる訳じゃなし。心配したんだからね」
玄関先でそわそわと待っていた母親が自分を見付けるや、お決まりの注意を投げかけてくる。
(ああ、またお説教かぁ……)
好きな子供がいるはずもないが、リアは特別それが苦手だった。基本的に我が家では中途半端な反論は意味を為さず、しばらくは動かずに聞きに徹さなくてはならなくなる。怒られる事自体は嫌ではなかったが、その不自由さはなんとかならないのか。
「……ごめんなさい」
反省なら、帰り道でいつも嫌と言うほどしてくる。自分がもう分かった事を伝えられればいいのだが、自分からしてもその場しのぎの言葉にしか聞こえない言い方しか浮かんでは来ず、もどかしい思いをするだけ。頭で分かっていても友達といる時に、「もうそろそろ帰った方がいいかなあ?」などと考えるタイミングなんてない。あるとしたら、その日は楽しく遊べていないのだ。
「おいおい、リアだってもういい加減叱られ飽きてるだろ」
助かった。今日は父親も出て来て、家の中に連れて行ってくれる。
「だって、言われて早く帰った試しがないじゃない!」
「リア、気を付けてはいるんだろう?」
「う、うん! もちろん、いっつも!」
「じゃあいいだろ。毎日時間通りに帰って来る方が、俺は心配だよ」
父親はそういった子供の都合をよく理解してくれている。怒る時はしょっちゅう怒るけれど、それはリア自身怒られて当然と思った時だけだ。
普段から積極的に優しく接してくれる母親とは違って父親は必要な時以外なかなか話さないから、近づきがたい存在であるのは友達の話の中の怖い父親達と同じだったが、少なくともうちの場合、近づいてしまえばおおらかで、飛び付けば受け止めてくれる。そんな父を大好きにならない訳がなかった。
あくる日、リアは最近見つけたいい遊び場に何度目か出かける。慣れた手つきで靴紐を結んでしまうと、朝から一分一秒を惜しんで町とは反対側へ走り出そうとする。
「お母さん、今日は森に行ってくるね~!」
「またあそこ? あんまり変な事しちゃ駄目だからね、お腹を壊したりしても誰も助けてくれないし、前みたいに真っ黒になって帰って来られても困るし。それでなくても女の子なのにあんな何がいるか分からない森の中で遅くまで一人で……やっぱりお父さんについていってもらった方が……」
これからという所で母があれこれと気を巡らすのを、リアは早く終わらないかと足踏みして待つ。母親はちょっと過保護だと思う。もちろん普段何気ない事を頼むにしても何でもやってくれるのは嬉しいし、近くでくつろいでいる時ふと理由もなく引っ付いて甘えられるのもそんな親子ならではだが、こういう時は少しめんどくさい。
「だいじょうぶだよ、お母さん心配しすぎ! ボクどうしても一人で行きたいの!」
「こら、女の子がボクなんて言ってちゃいけません。お父さんも何か言ってやってよ」
(う~、また女の子女の子~……! 男の子とどこがちがうのさ~……!)
リアが嫌いなのは女の子扱いされる事だ。更に言えば子供扱いされるのはもっと気に入らなかった。自分はもう周りが考えているよりずっと色んな事が出来るのに、ボクはもっと色んな事が出来るようになりたいのに。
自分を時々縛り付ける、誰も理由を説明してくれない理由が嫌で仕方ない。早く大人になりたい……いや、子供をやめられれば何にでもなりたい。
「なんだ、また森に行くかで揉めてんのか? 別にあんな小さい森で心配も何もないだろ」
「万が一って事がないとは言い切れないでしょ」
「リアだって何の想像も出来ないような歳じゃないだろ? 危険に釣り合うだけの楽しさがあるから何度も行きたがるんじゃないのか」
リアは父親の腕に絡みついて何度も頷く。父親はリアを女の子扱いも子供扱いもしない。まるで自分と同じくらいになってからの日常が空っぽだったみたいに、子供の時の事をよく思い出した立場を貫いてくれる。
「もう知らない! リアなんかクマさんとか出て来て食べられちゃえばいいのよっ」
「リア、本当なら駄目な所を行かせるんだからそれを自覚するんだぞ、帰り道で迷っても泣かずにとにかく歩く。野犬にでも追われたら木に登ってずっと耐えるくらいの気持ちで。夜になったらちゃんと探しに行ってやるから」
「うん、分かってる!」
家ではいつも母にべったりなのに都合のいい時だけ父親の側につく自分は勝手だろうか。しかしリアももう危機管理くらい出来るつもりだった。要はちゃんと家まで帰ればいいのだ、それくらいボクにだって出来る。子供だからなんだ。簡単じゃないか。
リアはオルタナの外れの小規模な森に分け入っていく。優しい日差しが木の葉の隙間から金色に輝く糸のように見え隠れし、数え切れないほどの木々が生み出す空気は冷たくみずみずしい。一面の緑の世界を、町では見られないイノシシや野鹿、タヌキの子供が居心地よさそうに歩き回っている。
実の所この森は、とても小さいように見えて中に入ってみると外から見るよりも何十倍も広い。細かい理屈はリアには分からなかったがとにかくそうなのだ。一度森の裏手から入って家まで一直線に抜けようとしてみた事があるが、外側を回り込むのには大した時間はかからなかったのに森を抜けた時には夜になっていた。しかもその時実際は丸い森の端っこの方を斜めに通り抜けたに過ぎなかったのだ。
だが、怖いとは思わない。むしろこの不思議な森を自分だけで独り占めできるのが嬉しすぎた。箱庭だと思われて関与を許されている秘密基地は本当はいつまでいても飽きない程大きな世界。その中をリアは自由に駆け回った。
(うふふふ……みんなここを知らないんだろうなぁ……! ボクしかいないおっきなひみつの森、今日は何をしようかな!)
ここでは何をするのも自由だ。大声を出してみても誰も気にしないし、少しくらい周りの物を壊しても怒られる事はない、逆立ちしてみて背中からすっ転んでも誰も笑わない。汗をかいたら上着を脱いでも何の問題もない。
では自由すぎて帰るタイミングを見失うのではないか? そんな事もなかった。何もかもが自分のペースで進められるのだから、朝に来てお腹が空いたら好きな時に好きな所でお弁当を食べて。来た道を戻れば大体暗くなるころには帰り着き、ちゃんと自力で帰った事を褒めてもらえる。
木漏れ日差し込む綺麗な森では、ある日お父さんに教えてもらった通りに影を見れば帰る方向の見当もつく。自分に出来る範囲で絶対にしてはいけない事など、せいぜい腐った枯れ木に火を点けるくらいのものじゃないか?
時間が経つと共に彼女が町に行くよりもここに来る事の方が多くなっていったのも、当然といえるだろう。




