別れ
七日というのがステラを一旦アレスタリアまで二人で送り、街の周囲に散らばる防衛に使われた時球を拾い集めて戻って来るまでの時間という事で、オルタナに帰ってきた頃には既に溢れんばかりの人が集まって来ていた。
誰が指示した訳でもないのに広場に乱雑に積み上げられた時球の山はなかなか壮観だった。青空を映し込んだような透き通る水色の石の数々を目の前にすると、これが普通の石だったらどんなに素晴らしいだろうと考えずにはいられない。
ルトはその美しさには少しの間物珍しそうに眺めただけだったが……というよりその後てっぺんまで登っていった時の方が機嫌良さそうにしていた。その後降りられなくなって雪崩を起こしシャルだけでなく居合わせた全員から袋叩きで叱られたのだが。
「あのさテオ、これで全部捨てちゃった後にこの世界に別の時代から人が来たらどうするのかなぁ?」
シャルとルト、テオリアにステラの四人で集まった人々、そしてオルタナの皆を引き連れて、メイレンを通り抜ける。この先に海があるとはシャルも知らなかった。小さい頃人から聞いた話ではメイレンの南も山ばかりだったと記憶しているが……。
ちなみに出発の際、テオリアがキメラと見るや斬りかかる者もかなりいたが、刀身は粉砕、持ち手まで握り潰されたのでは諦めて引き下がったのもやむなしといえるだろう。
「む……多少の犠牲はつきものってね、どうせ身から出た錆なんだからどうあっても帰りたきゃ海を渡れって事だね」
シャル達が家で落ち着く間もなく、もう約束の日だ。だが自分達の分身が目の前でキメラ化するのを見てからというもの、早くこの日が来ればいいとそればかり考えていた。
もう二週間くらい前、彼らと会ってからろくに休んでいないのに、何だか最近は体が勝手に動いている感じだ。こんなに早く帰って来れるとも始めは思っていなかったし、今こうして何百人もの人を先導して歩いているのも、人との関わりをなかなか持てなかった二年前までの自分からは想像も出来なかった事だ。
「到着じゃな……。では始めるとするか。まずアレスタリアからじゃ。なに、こんなもの無くとも我が国はビクともせんわ」
ステラと取り巻きが荷台に乗せた大量の時球を迷いなく次々と海へ投げ入れていく。それを見るや、一人また一人と持ち寄った時球を投げ捨て始める。すぐに辺りは鳥の群れに石を投げたように水色の宝石が嵐の如く乱れ飛ぶ圧巻の光景で満たされた。
「……すごいね、シャル。ほんとにこんな事すぐ出来ちゃうなんて」
「ああ……オルタナがなくなってからの俺達の頑張りは無駄なんかじゃなかったんだ」
高い崖の上から無数に投げられる石はその一つ一つが元は一個の命だった物、それを知っている人間はおそらく自分達の他にいないだろうが、彼らはこの行いをどう思っているだろうか。
無為に捨てられる事を嘆く石もあるだろうが、破滅の引き金となるよりはいいといつか納得してくれれば……感慨深げにそんな事を思っているうちに、遂に時球は自分達二人が持っている二つだけとなった。
「シャルっち、そいつはお前が大切に持っておく分だよ。元々使う事もほとんどなかった上にウチの話もちゃんと聞いてたんだ、絶対に手を出さないっしょ? そのうち今のこの世界の状況をもう一度招こうとするバカが出るかも分かんない、その時はこれで止めるんだ。もちろん、ウチを頼ってくれるのでもいいけど……分かってるね、シャルっちを見込んで持たせておいてやるんだからね! 時球刃は、ウチが預かっとくよ」
「こいつで……うん、約束するさ。何があっても、私欲の為には使わない」
「それからもう一個……ルト。お前は、どうする?」
そして、今まで待ち望んでいた裏でシャル自身はまた、この日は決して来て欲しくないと思っていた。今のままでいたかったが、自分の分身を殺した時感じた強烈な使命感の向かった先にある結論は、この選択を迫る必然性を同時に孕んでいた。
「うん……ボクは……ん~っ……! うぅ~っ……!」
ルトは答えを返すのを躊躇うように唸る。
時球をなくせば、ルトは永遠に帰れなくなる。だが、家族のもとへ帰れば、シャルとルトは別れなければならない。一緒についていく事も考えたが、今のオルタナも手放しには出来ない。今ここで二人はどれかを選ばなければならないのだ。
「ゆっくり考えなよ、ここにはだーれもいないと思ってさ」
ルトははっきり答えられない。シャルも、今更かける言葉が見つからない。
いつか帰そう、それが一番の罪滅ぼしだと今までは考えていたが、いざその時となるとどうか。二人はもう互いが肉親のように思え、自然とそう過ごしてきた。シャルはルトと離れたくないし、それが我慢できたとしてもルトだってそれは同じ筈だ。
ルトはその場にしゃがみ込んで、土を掴んではならす。
大切な人に別れを告げるのは辛いが、大切な人に別れを告げられるのは、それとは比較にならない程辛い。もう帰れると言っていたルトが言葉を向けてこないのは彼女もまたそうしようとしてそれに気が付いたからに違いない。
――相手を傷つけまいとして、言い出せないのだ。
「うぎぎ……ん~……! ねぇ、シャルぅ……!」
「ルト……お前が……悩んでるのは、凄く嬉しいよ。本当の家族がいて、戻らなきゃいけない、それと釣り合うくらい大切に思ってくれてるんだからさ……だけど」
「ボクだって!」
言葉を遮るようにルトは勢いよく顔を上げ、シャルの肩に背伸びして掴みかかる。
「ボクだってさ! 最初はシャル、どうせすぐ帰るからいいかとか、早く用事をすませて戻ってくれとか、いつもめんどくさそうだったのが、今ボクがいなくなっちゃうの嫌がってくれてるのがウソみたいで! ……っ、ずっごくヤだのに、すっごくうれしぐって! そしたらボク、ボクがどうしたいのか分かんなくなっぢゃっだんだよぉ……!」
そのまま自分を押し倒し、胸に噛み付くようにわんわん泣きじゃくるルト……いつまで経っても自分は人をなだめたりが得意になれないが、背中を擦ってやるくらいは出来る。
ルトはその程度では一向に収まらないながらも、シャルも涙を流しているのに気付いて腕を差出し、袖がないのを一瞬恨めしく見るとその荒れ放題の髪で撫でてきてくれる。そうしていると段々シャルの天秤は傾き始めた。
ルトの重み、感触、体温、それらがシャルの理性に一斉に襲いかかり、未だ暗闇に包まれたままの彼女の家族の影を明るく塗りつぶしていく。
言ってはならないと決めていた事が、口をついて出ていた。
「頼む、帰らないでくれルト! 俺はもっとお前と一緒にいたいんだよ!!」
「わっ、シャルッ!?」
今度は逆にルトの肩を捕まえて体を起こすシャル。普段は気恥ずかしくて無理だったが、今は違う。ルトの目を真っ直ぐに見て、自分の本当の望みを打ち明けた。
「迷うくらいだったら、ずっとここにいろよ! 俺はお前と一緒にいた二年で、本当の家族にも負けないくらいお前を大切に思ってたつもりだよ!? オルタナだって今まで頑張ってきたのは、半分はお前にいい暮らしをさせてやりたかったから! あの二人が現れた時、お前が火傷を負ったまま目を覚まさなかったらきっと簡単に諦めてた!」
ここでルトを引き止めるような言葉をかける事は、彼女にますます別れを言い出しづらくさせる愚行だ。あくまでも彼女の意思だけで決めなければ意味がない。だが、これで最後だと思うと言葉はとめどなく飛び出してくる。
「お前がいたから俺はやれるだけをやってきた、傍から見たら大した事はしてないかも知れないけど、お前と会うまでただ「生きてた」だけだった俺からしたら信じられない事なんだ! お前がいなくなったら俺は、きっと、目的を見失って……なあ、何もかも、これからじゃねぇか! 苦しい時間はもうすぐ終わる所なんだ、やっとって時に……!」
今、時球を奪い取って二つとも投げ捨ててしまうのはとても簡単だ。ルトも、もし自分がそうしたいのならそれでもいいと考えているのか、胸の前で時球を両手に乗せたまま動こうとしない。
そこまでして隣に置きたいとする事自体は、ルトにとってはもしかしたら嬉しいかも知れない。だが、そうやってルトを抱き込んだ所で明日から自分は納得して毎日を送れるのか?
そう思うとただ石一つ払い除けるだけが、シャルにはどうしても出来なかった。
「お前は、どうしたいんだ……お前が我慢してる事は何なんだよ……?」
ルトは帰りたいのだろうか、それとも自分といたいのだろうか? もちろん一言で表せないからこそ自分と同じく決断が下せないでいるのだろうが……。
自分を悲しませるのが嫌で帰りたくても帰れないのなら、笑って送り返してやりたい。
自分と離れたくないのにいつかは親元へ戻らなければならない状況に縛られているなら、強引にでも引き止めて十八年後一緒に親の顔を殴り飛ばしてやっても構わない。
長い時間をおいて……ルトは安心したように笑った。あれだけ言ったにも関わらず自分の一存では決めきれないシャルをも、ルトの瞳はまっすぐにとらえてくれていた。
「やっぱりシャル、優しいよね……優しい人だって思ってもらえない方の、とってもいい優しさだよ」
迷っているうちに時球を乗せるその手はゆっくりと閉じられてしまう。ルトは、帰るつもりだ。
「ボクね、帰りたくなかったよ。向こうのボク、何の役にも立たない生きてるだけのボクだったから。ホントはね、二年前シャルがオルタナ作り直し始めた時、ボクだけかな……嬉しかったんだ。やることがたくさん出来て、ボクでもできることを選んでやれば皆に褒めてもらえたもん、途中でやめたくないよ……でも、どうしてもボクが子供のうちに、あっちでボクだってすぐ分かってもらえるうちに帰らなくっちゃいけなくなっちゃったの」
「なんで! 大切な事を学んだってやつか、それとも俺が知らない何かがここであったってのか!」
何かが弾けたようにルトの肩を揺さぶるシャル。思い返せば、ルトに起こった事で自分が全く理解できない事も無い訳ではなかった。アレスタリアの見知らぬ男、ルトがあれ以来肌身離さず持っている白い爪。
「たくさん理由はあるよ、でも一番は……やっぱりダメだよ! ボクバカだから、信じてもらえるようにうまく説明できないんだよ~……」
「馬鹿なのくらいもう知ってる! 何言ったって信じてやるから、何からでもいいから言ってみろ!」
シャルも必死で食らいついていく。そこさえ分かればまだ色々考えようがあるのに、教えて貰えなくてはこのまま堂々巡りを続けるばかりになってしまう。だがルトは何か言おうとしては口ごもって、最後にはまた泣き出してしまった。
「わぁ~んごめんなさい~! 言いたいのに、シャルには言っても大丈夫なのに~! 誰にも言っちゃいけないって、約束しちゃってるんだよぉ~……! でも言わなきゃシャルとお別れできないじゃない、帰らなくちゃいけないのにシャルこんなにボク大事にしてくれてるじゃないのさぁ~!」
さっきと同じように引っ付いてくるルトに、今度は頭を撫でてやる、もう一人の自分にも負けないように丁寧に。この感覚も、これで最後となるのか。
「あ~もうごめんってば……分かった分かった、無理に言わなくてもいいよ。お前が帰らなくっちゃいけないんなら、俺の事は気にする必要ない。お前のしたいようにしてくれるのが俺にとっても一番なんだから」
帰りたがっているのだから悲しむ事はない。ルトが泣き止むまで、ずっとこのままで……それでお別れだ。
そして……どのくらい経っただろう? 死ぬ時以外でも走馬灯は見えるものだとは知らなかった。これまでの事をぼんやりと思い返しているうちに、ルトは段々と落ち着いてくる。今回限りは、立ち直りの早さが恨めしい。
「シャル……最後にお願いがあるんだけど、いっかなぁ……?」
「お。なんだ? 何でもいいぞ、遠慮すんなよ」
「う、うん! ……肩車、してほしいな!」
もっと大仰な事を言っても罰は当たらないだろうに。だがルトらしいと言えばらしい、今まで通りの二人で終われるならそれ以上の事はないか。
「わぁは~、やっぱりこれいいよねぇ~。……ん」
一つ高い所から辺りを見回して、図らずもルトは気付く。用事が済んで引き上げた人達も多いが、それでも結構な人間が自分達をまだ何も言わずに待ってくれているのがそこからだとよく見えた。
「んへへ、ボクもしかしたら、帰るだけでも一つ役に立てるかも!」
「そうだな、皆お前の小さい背中についていくんだ」
シャルも冷静に周りを見てすぐに理解する。ちょっと勘のいい人間なら、今のやり取りを見せられて自分達の関係は分かっているだろう。特にオルタナの皆にとってもルトは可愛らしいマスコットで、事情は知れ渡っている。
時代を跳んで、これ程までに長居しそこの人間と打ち解けた例はなかなか無い。ここで二人がそれを断ち切れたなら、時球との決別として周囲へのこの上ない決意表明となるだろう。
そして今の自分達はそれができる。
「お前らよく決めたよ、ちょっち見てて恥ずかったけどね。ほら、派手にやんなね!」
「……お父さんに飛ばされたあの頃をイメージして……いっくよぉ~シャル~ッ!」
シャルに跨ったままルトは時球を高く掲げる。もう涙はなかった。
「ルト、ルト! ずっと、元気でな!」
「うん! シャルの事大好きだったよ……ん~ん、違うね。ボクはシャル大好きだよ!」
最後は表情を見る必要すらなかった、ルトは笑えていたと、手に取るように分かった。
ルトの重さが消え失せ、反動で地面に倒れ込むシャル。ルトは、今まで一度も恋心からものを言った事がなかった。その言葉の返事としてならこんなにも簡単に、誰よりも強く言えるのに。難しく考える事をせず、何度でも言葉通りの意味で言ってやればよかった。
「俺も好きだった……もちろん俺も、お前が! 大好きだよーーっ!!!」




