ミミルの苦悩していた事
その頃場所は変わって、シャルらの通ってきたパリフェアの大坑道の遥か上空にて巨大な鳥が山の上にある巣へと帰還していく所だった。頂上でも変わらぬ大時化の海をそのまま固めたような険しい勾配。その隙間に隠された巣で羽を伸ばしていると、どこからか機嫌よく笑う声がする。住処の異変は排除するに限る、鬱陶しそうにまた翼を広げ、彼は声の主を探し始めた。
細くそびえ立つ岩山を木々の間を縫うように飛ぶ鳥はそこに人の姿を見つける。どうやって登って来たのかは分からないが愚かなものだ、自分の縄張りで無防備にも石の上に座り込んで何かを見下ろしている。住処に安息を取り戻さんと、一気にその背中から奇襲を仕掛ける!
……確かに自分が殺す側だったはずだ。だが今まさに爪が届かんとした所で彼が最後に目にしたのは、賽の目状にバラバラと瓦解していく自分の肉体だった。
「お~やるもんだなぁ! ルト今一瞬武器の力を引き出したね。やっぱりあいつは教えなくても無意識に色々覚えていっちゃうかもな」
立派な望遠鏡を目に当てがった姿勢のまま空からの暗殺者を斬り裂いたテオリアは刀のようになった尻尾を大きく振って血を払うと、足元に転がる鳥肉に向けて口から火を吐いて羽ごともそもそ食べながらシャル達が進むのを確認する。
面白そうだから見物しに行こうとしているのだ。地平線の彼方に小さく見えるオルタナらしき街に向かって、軽く助走をつけるテオリア。――余裕で届く。
先回りして街に溶け込んでおこうと、彼は風を斬り裂いて跳躍していった。
一週間くらいだったか、それほど長く離れていた訳でもないのに、自分達の手で積み上げてきたオルタナに帰って来ると凄く安心する。もっともルトは一年振りだけれども。以前までの立派に整備された町は寧ろ帰りたくない所だったというのに、そこに住む人の影響力とは大きいものだ。
「ちょっとだけ復興が進んでるでしょ? シャル、すっごく張り切ってたもん。今までで一番楽しそうだったな、その分ボクはちょっと置いてきぼりだったけど……あ、でもね! クロクにいたキメラはみ~んなボクが殺したんだよ! なんだかやめられなくなっちゃってさ、シャルも街の人も喜んでくれるし大きな生き物と戦うのは楽しいもの。やっぱりあの溶岩龍が一番怖かったなぁ」
早口でまくしたてるもう一人のルトの言う通り、町が少し大きくなっている。中でも住宅街が特に大きくされていて、道行く人にも知らない顔が時折見受けられる。本当に話を通してあるらしく、親しい相手とすれ違えば決闘がんばれよ、などと耳打ちされたりもした。余程上手く説明したのか、または街にどちらが残ろうとそこにシャルとルトがいる事は同じである訳で第三者には緊張感が出ないのか。
「あっ、あれミミルじゃないかな? 久しぶり~!」
しかし昔と比べるとまだまだ密度の薄い人の波の中から、ルトがミミルを見つけ出す。しかし久々に面と向かった彼女は姦しかった以前の彼女ではなくなっていた。眼や髪は地味な茶色で、ポニーテールもほどいている。
「あ、二人とも……よかった、戻って来て。うまく収まるといいね」
「あれ、随分雰囲気変わったな……? そうだ、今日は一人なのか?」
シャルが訝しげな顔で聞く。そういえば町の再建を始めてからしばらくの間は彼にくっついていた彼女はいつの頃だったかぱったりと交流がなくなってしまっていた。人が増えていくのに連れて友人ができたのだろうとばかり思っていたが、そういう訳でもないと彼女は答える。
「ほんと変、全然違うよ。何があったの?」
「あはは……ね、前までの私ってどんな感じだったっけ?」
「前までならそうだな……人前の時に限って無闇に抱き着こうとして、俺に殴られかけてたっけ。周りが何をしてもオーバーリアクションで笑いをとって……そうそう、そのくせ目立とうとしなかった。周りが騒げば自分も無意味に叫ぶ、周りが黙れば絶対に自分から口を開かない。今みたいに変だって言われる事なんかなかったな」
「そっか、やっぱりそうやってたんだ。嫌な女だったな、シャルは迷惑だったよね、少なくともやり過ぎちゃった時は。ごめんね……勝手に巻き込んじゃって……」
こちらが訳も分からない内にミミルは突然泣き出してしまう。慌てる二人のルトに三人のせいじゃないから、と何度も伝えるが、大丈夫という言葉は出てこなかった。
「なぁ、何があったんだ? 聞いちゃまずい事だったりするか?」
「ううん、そんな事ないんだけど……シャルは怒るかも……」
「構わないから! 言っとくがな、俺は中身のない理不尽な罵倒以外で怒った事は一度もないつもりだけど?」
「うん。私はあれからね……」
「ミミルちゃん、買い出しご苦労さま。いつも文句の一つも言わずに何でもやってくれてみんな助かってるよ」
「あいえ、私なんかそんな大した事してないですし、ほら皆さん働いてるんですから私だけぼうっとしてても悪いかなってだけで……もちろん町も大事ですけどもっ」
ミミルは見知らぬおばさんが話しかけてくれたのに対して、驚いて何度か噛みながら謙遜の言葉を並べていた。
「あの崩壊前のオルタナにもこんな娘がいたなんてねぇ、世の中捨てた物じゃない。もう少し自信持ってもいいんだよ? 最近街の若い子は遊び呆けてばかりで、やる気を出してきたと思ったらてんで使い物にならないのばっかりさ……そうだ、おばさんの家に嫁ぐ気はないかい? うちの息子は気難しいけど、雪国育ちで体だけはいいからね。もう少し街が復興したらこっちに呼んで手伝わせるつもりなんだ」
「えっ、あ、あの私はもう心に決めた人がいるんですよね、なのでそういう話はちょっと」
「あれま本当に? 私は初耳だったよ。うまくやったら紹介してよ? それじゃあね、楽しみにしてるよ~」
「は~い……。うまく、いってる……ハァ、心に決めた、かぁ……」
まだまともな家もそう多く建っていない、崩壊後数か月の頃。ミミルはほんの数十人の大人と共にシャルとルトが行っている街の再建を手伝っていた。しかし街のためにではなく、あくまでそれは意中の相手の気を惹きたいがためだけの行動であった。
だがシャルにとってこの街を作り直すのは大切な贖罪で、彼が自分にそういう目を向けようとする日は来る気配すらない。人が増えるのに従いだんだん目立たなくなっていく彼女だが、毎日それまで見た事もないほど楽しそうに再建に頭を悩ませている彼の所に下らない世間話を持ち込む度胸もなかった。
気心の知れたルトも行く先々でちやほやされた後はそんなシャルにべったりかと思えば、屈強な大人も逃げ出すような強力なキメラが人々を脅かす現場に、あの不釣り合いに大きなブーメランを引いて独り突っ込んでいく。今のルトには自分が友達として接する隙は少ない。ルトは自分なんていらないと思っているのではないか。
二人に話しかけられない。ちょっと前までの自分なら息をするのと同じ位簡単だった事が、できなくなってしまっていた。
「どうしたのよミミル、ちょっと暗いよ~? さてはとうとう振られたか~?」
「えっ、ミレイユ!? 嘘っ……かぁ」
放心して地面を見つめている所に知り合いの声が聞こえた気がして、驚いて振り返る。後ろには誰もいない。ミミルが今まで何でも出来たのは、不安な事があれば後ろ盾にでき、嫌な事があれば愚痴と悪態をつきあい、一人で出来ない事があれば一緒にやってくれた友達がいたからだ。そう……例えば口喧嘩とか。
彼女は独りになってしまった。顔見知りはほとんどこの世を去って、泣く暇も無く周囲が変化していく……違う、ゆっくり泣いていられなかったのではない、泣く理由が無かった。寧ろ友達が揃って死んだ事に対しては安心すらしている自分がその時は怖かった。
「頑張らなきゃ、「今」を越えれば……私は私らしい人生を送れるんだから」
彼女が変わったきっかけはこれよりもっと前、シャルに応えて数えるばかりの人達が最低限生活できる環境を整えようとしていた頃だ。お互いに何も知らないまっさらな人間関係ができた時、試しにミミルは他人と素の自分で話してみた。引っ込み思案で面白みもないけれど人を刺激しない、無難な性格。
それだけでは以前のオルタナで友達が出来なかったから無理に周りに合わせていた、話すのが苦手でもシャルへのアタックを不滅の話の種にして。
しかし、自分が気付かなかっただけで皆必死で似たような事をしていただけだったのかも知れない。今思えば昔の友達集団には個性というものがなかったのだ。「普通」という仮面をかぶっての付き合いは、気楽な代わりに窮屈だった。
もうあんな自分で生きていたくはない、お互いにゼロから始めた今いる町の人達とは本当の自分で親しくやっていけているのだから。
「オルタナの少女Aじゃない、私はミミルなんだから」
時は変わって、つい最近の事。
ミミルは恋こそ成就しないものの順当に、慎ましく、充実した日々を味わう事が出来ていたのだが、いつまでも気がかりな事が頭に残っていた。それがある日ふと表面に出てくる。
「今の私をシャルに見せて……あの頃の事は謝らなくっちゃ……!」
自分の気持ちは確かに本物だった。それは自信を持って言える。だが自分は自分らしくもないアピールを開けっ広げにやり過ぎた。ただでさえ虐められていたシャルが逆に自分の事をネタに男女問わずからかわれ、非難されてきたのを何度も目撃している。しかし彼女はそれを止めたりできず、それどころか一緒になって笑い飛ばした事もあった。シャルはきっと自分の事を怒って、いや呪っているに違いない。どう考えてもシャルは自分に好意は持っていなかったのだから、彼を盾にして甘い汁を吸っていただけの償いは必要なはず。
それまで行こうとして行けなかった彼とルトの家にやっと顔を見せる勇気を振り絞ったその日、「自分が迷惑をかけていた頃のシャル」が自分の事を訪ねてきた。曰くこれから自分がこの世界のシャルになり代わるが、本物がこの席を取り返しにくるはず、周りの人間に迷惑はかけないからといった事を説明された。
「それがついこの間……でもその時気付いちゃった、私はそっちのシャルにも惹かれた」
「それってあの時のシャルがこっちに来てるんだからあんまりおかしくないんじゃないのかな?」
「いや、俺に引っ付いてた事を謝ろうとしている時に二年前の俺もいいと思ったって事は……」
「本心ではあんまり反省してなかったって事だよね……落ち込んでるうちに帰って来てくれてよかったかも、友達はもうここにいないけど、それでもシャルの前に行ったら昔の自分が暴走して、余計に怒らせちゃうんじゃないかと……そうとしか思えなくなって、もう合わせる顔が無いよ……」
泣き止んでも下を向いたまま、彼女は顔を上げない。時折見せる震えは、自嘲気味に笑っているようにも見える。
「……あのさ、ここで良い事だけ言っても薄っぺらいから本当の事言うけど、確かに俺はお前に何も思ってなかった。鬱陶しかったし恨んだ時もあったし。でも、あれだ、何もないよりはよかったかな。嫌で嫌で時々本当にぶっ飛ばそうかとも思ったけど、そこから抜け出した今考えたらそんなんもなしでただ機械的に過ごすよりかはまだマシだったんじゃないかなって。どうせ周りには元から嫌われてたし……まぁこんな事二年前の俺に聞かせたら絶対いない方がよかったって答えるんだろうけどな」
シャルは嘘くさくならないように、且つ傷付けないように慎重に言葉を紡ぐ。こういう考えを持てるようになったのはテオリアのおかげだ。彼が頭ごなしに否定する事無く自分の全てを聞き、認めてくれたからシャルは過去を振り返るのが恐くなくなった。一つ一つ、冷静に考える事が出来るようになった。たどたどしいそれが終わった時には、ミミルも少しは落ち着いたようだ。
「シャルも変わった、テオに会えてよかったよね!」
「お前のおかげでもあるさ」
「ごめんね二人とも。それだけ聞けて充分だから、整理がついたらちゃんと謝りに行くから。だから今度家に行ったらちゃんと二人が出てくるって約束してね」
シャルの返事に安堵した彼女は申し訳なさそうに手を振って、そそくさと街へ消えていく。少し顔が紅かったのはさっきまで泣いていたからか、それとも。
「負けられない理由、増えちゃったね」
「やってやるさ、みんな少しずついい方向へ向かってる。俺は自分達で建て直したこの街にいたい」




