心を包むテオ
「さて、適当に訓練して待ってろとは言われたが……ふう」
「ご、ごめん、あんまり役に立たなくて……」
「いや、俺の方こそ」
剣が折れてしまったのでルトと基礎的な勝負をするしかなかったのだが、彼女とシャルとではまるで効果が上がらなかった。単に男女差があるという問題ならばまだよかったものの、ルトは得意不得意が極端すぎるのだ。
走り込めばシャルの倍は早いし、押し合えば片手で勝ててしまう。ならばと実戦形式で取っ組み合ってみれば、彼女の蹴りはとても受けられたものではないし蹴り以外はそこらの子供レベルである。動きは速くてシャルの目ではなかなか追い切れない癖に何か一発攻撃を当てれば軽く吹き飛ぶ華奢な身体をしていてお互い割にあわない。第一格闘技の練習をしているのではないので、何か二人が同じくらいこなせる分野がなければ手合せにはならなかった。
「はあ~なかなか骨が折れるねやっぱり……おや二人共どうしたん? 何か問題でもあったかな」
昼頃になってテオリアが伸びをしたり首を鳴らしたりしながら奥の部屋から出てくる。二人が家の中にいたのを不思議そうに見ていたが、事情を話すと苦笑いを浮かべる。
「やっぱ二人共丸腰じゃあなぁ」
「あはは、難儀なコンビだなあお前ら……」
「テオの方はどんな感じ? 進んでる?」
「ん、かたっぽ出来たよ。あとは仕上げだけで今もう一本」
「早いな……」
「そうだシャルルん、もうかたっぽ作る間にお前らの経験話してよ! 壁越しでいいからさ。きっとあれっしょ? 仇討ちの旅とかそんなっしょ? だから修行始めるし」
「えぇっとだな……それじゃまず俺がオルタナに居付いた頃の事から話さないとな」
話し始めておいてなんだが、果たして共感してもらえるのかシャルは正直不安だった。今までのように、虐められる方にも問題がある、とか言われるんじゃないか。それを言われると傷は倍増するから、いつからか父と幼馴染み以外には相談する事が無くなっていたのを思い出したが、一度口に出すと今まで溜まっていた分が一気に飛び出して、気が付くと陽が沈むまでかけて扉の向こうのテオリアに今までの事を打ち明けていた。
「……それで俺達二人とも、居場所を横取りされて今に至る……だからもう一人の自分達に打ち勝たないと、これまで必死で作ってきたものが全部戻って来ないんだ」
「ふんふん、結構すごいね。でもさ、大分恵まれてもいるんじゃない?」
「えっ……?」
予想だにしない感想が帰ってきて思わず扉へ振り返る。恵まれている、とはどういう事なのか。
「優しくて人間出来た父親がいて、理解してくれてる幼馴染みがいて、シャルルんが嫌でも言い寄ってくる女もいて、ある日突然女の子を家に引き取って、そいつは恥じらいもなく人懐っこいときたもんだ♪ 裸を見慣れるって男からしたら相当羨ましいよ」
(あ……確かにそうかもしれない。そんな風に考えた事、あんまりなかったけど……)
言われてみると自分はかなりおいしい思いもしているかも知れない。何も言えなくなったシャルはしかし耳を塞いでしまう。次に来るであろう言葉は、自分を完全に突き放した上で酷く聞き分けのない人間に仕立てる恐ろしいものだから。
(嫌だ、嫌だ! 僕……頑張った! たった一言で片づけられる程、我がままな奴じゃない!)
散々枕を濡らした涙が蘇ってきて、その場で震えながら耳を潰れそうな程押さえつける。頭に響く、体の波打つ音がとても大きく感じた。
「……にへへっ」
だがそれでも少しは伝わるはずのテオリアの声はなく、代わりに扉が開いて中に引き込まれた。
「分かんない訳じゃないよ、それも自覚しなきゃってだけ。ウチも何度か似たような目に遭ったっけ……低俗な連中だったな、どいつもこいつも。ほれ、ウチの尻尾使っていいよ。顔上げるとこ、見ないでやっから」
ルトの髪とは違った温かみのある、羽毛に包まれた大きな尻尾が膝に乗せられる。それはすぐに涙を吸い取ってしまい、落ち着いて彼の言葉を受け入れられるようにしてくれた。
「悪循環にハマったせいで自分の考えを出しちゃいけないとか思い込んでるんだよな。お前見てるとすぐ分かったよ。そだな~、外側の視点から言わせて貰うと、そんな街に入ってシャルルんが暴走したのは責められた事じゃない。期間を決めて自分から望んで入っていったならいざしらずね。自分に非があるって言われるようなら、それはそいつの目線がおかしいんだ、ストレスが溜まって変わった性格が叩かれるなら悪いと分かってて保身に走り続けてた奴らだって同じはずだろ? 最後にシャルルんがどんな行動を起こすかその七年の内で一度でも考えなかった筈がないんだから、それでも叩き続けた自業自得。群れってのは簡単に力を持てるけど、その人数分の責任を持ってなきゃいつかはしっぺ返しが来るもんだって」
「お前……俺が恵まれてると気付いてもそんな風に言ってくれるの……?」
「どんなにいい立場にいたって自分を見下す奴がいる限り幸福感は霞むもんだって、当たり前でしょ? いい思いしてるから「我慢しろ」なんて、ちゃんと考えればとても言えないはずじゃん」
作業を続ける手元から目を離さないまま、平然と答えるテオリア、ほとんど言葉に詰まる事なく淡々と続けるその様子に立場の弱い者をかばってやろうなどという慈善的な態度はなく、こちらの状態に応じて自分の考えと異なる部分を指摘、考えて議論してくれる先生のように見える。
「ウチから見ればね、お前のした事はとっても自然な事。そりゃあウチもお前も相手の細かい事情なんて知らないから決めつけられないけど、生き物が不自由な環境にあって限界がきたらそれを改善するために努力するのは当たり前だよ。その時のシャルルんは籠の中の鳥で、籠の開け方を覚えてやってみたらちょっちミス、籠ごと倒れちゃった感じっしょ」
「うん……そこは分かっちゃいるけど、やっぱり今考えたら……居心地の悪い籠でも、いい餌は貰えてた訳だし……」
「む。プラスとマイナスで釣り合わせようと考えるシャル君は、一つ常識が抜けちゃってるな?」
尻尾の先が大きな手の形になって口を塞がれた。一区切りつけたテオリアがこっちを振り返って、今までのキャラに似合わない、包まれるような優しい笑顔を向けてくる。
「誰にそんな価値観にされちゃったのかなぁ~? 生きてるっていうのはね、気の置けない仲間達と一緒に自分のやりたい事を責任持ってやって、楽しく過ごすのが基本なんだよ。そこがゼロ。きっと、子供の頃はそうだったでしょう? 何もないのがゼロだなんて、そんなのは生きてる屍だよ」
「…………!」
「ん~、今度はよく眠れたや~」
本のベッドを気付かない内に掘り下げ、埋もれるようにして丸まっていたルトが起き出すと、どこからともなく鳥の声がして来る。家の中で寝たにしては珍しく早起き出来たようだ。
(なんか、何とな~くいい事ありそうな気がするなぁ……! すっごいの出来てたりしてね!)
今日は食べ物は出ていないが、そんなの気にならないくらい楽しみだった。家主のいる部屋までの短い廊下を進むにつれどんどん足取りが軽くなる。
「テ~オ~、終わった~?」
言いつけは守って、人生初のノックをしてみる。中指の根っこがパキッと音を立てて一人声なき声を上げる。
「お~、ちょうど今しがたな~。入る? 凄いの見れるぜ~」
「うん! って、ありゃ……?」
いいと言われた途端嬉々として扉を蹴り開けて蝶番のカウンターを額にもらった後に、おかしな光景が目に飛び込んでくる。
「テオリア~、も大好きだよお前~!」
あのシャルがテオリアの背中に抱き付いて、安心感溢れる顔を見せている。シャルに対する自分を見ているようだ。別にそうしようと思ってしている訳ではないけれど、何だか人がそうしているのを見るのは変な気分だ。
「えぇ~っ!? テオ、昨日何があったの!?」
「ゆうべからずっとカウンセリングしててねー……悩み溜め込んじゃうタイプじゃん? 全部叩き割ってやったのよ。んま、そこはウチの経験が為せる業ってやつ? シャルりんみたいのにとってウチに性別無いのが一番大きいだろうけど」
「そうそう、これだよこれ……何の遠慮も要らない相手がずっと欲しかったんだよ……」
「きっとシャル君がルトを好きになるのも同じ理屈が働いているのだよ。女らしくないルトがどんどん攻めていくからこそ、心を開き始める事が出来てるという訳だね?」
「わ、ちょっと待てよテオリア、本人の前で勝手な事……」
「雌として、とは言ってないけど~?」
「あ、そっかぁ。ホントはシャル、ボクと一緒だったんだね。よかったよね~頑張ってたもんね……! んじゃそしたら、テオの方は?」
「もち完成、ほれ、そこにあるやつだよ。ルトのやつは使い方変わらないように重さ調整してあるからね。そのまま使うと今まで通りでオッケ。ほら、いつまでもそうしてないで見てみんしゃいな」
「うんうん、ありがとな何から何まで……」
ルトもいつもと違ったシャルをほほえましげに見つめ、オルタナが壊れた日自分がない頭を絞って引き出したのと同じ表情で涙を拭いながら小走りにやってくる彼と一緒に、足元にかかっている大きな布を取り払いにかかった。
「うし、それじゃあ行ってくるといいよ! 気が向いたら骨は拾ってあげるからさー」
縁起でもない事をサラッと言ったかと思うと、もう客は去ったとばかりにぐーたらと横になるテオリア。まあ二人がいても平気で昼まで寝る人(?)だったけども。
「「えぇ~……ね、もうちょっとだけいちゃ駄目?」」
「シャルっち、ルトと同レベルになっちゃったな~。まだ町をやりたい風にしてないんっしょ? 落ち着いたらまた来ればいくらでも相手してやるから、ほれ行った行った~。ウチは徹夜した分寝溜めすーんのっ」
二人はこのキメラと別れるのが本気で残念だったが、今度は細長い尻尾で背中をピシピシはたかれるのにそう長く逆らう事はせずに出発する。あまり甘えてばかりという訳にもいかないだろう。
「あぁ、いかんいかん。もうどうかしてたなぁ俺。我が儘言う歳じゃないのに……さーいっちょ行きますかー、絶対オルタナ奪い返すぞー!」
「くっふふふ、シャルってば無理してる、ボクでも分かっちゃうや」
「るっさいなあ、何故か求める台詞がそのまま返って来るんだから、誰だっておんなじだって! ……それは置いといて、だ」
「ん? なになに~?」
「それを押してここ登んの……?」
ルトが引き摺っている、ローラー付きの巨大ブーメランを差して溜め息をつくシャル。
「…………みたい、だねぇ……? てぃへへ、おねがいしま~す。ボクが後ろいくから」
「はいはい、承りましたよ」
帰り道には家を隠していた、傾斜六十度はある急な上り坂が立ちはだかる。聞こえていたのか、意地悪な場所に建つボロ小屋からクスクスと笑い声が漏れ出てきた。
「結局得物を取り戻した以外に進展は少ないけど、とりあえず体勢を整えたって事にはなったかな」
「頑張るしかないよね。あんまりボク達が街を空けてると戻れてもそれまでやろうとしてた事とかどんどん忘れてっちゃうから困るし」
二人は新品の剣とブーメランを持ってオルタナへ向かうべく西へ西へと歩きながら、テオリアに聞いたこの武器についての話を思い返す。
あの時テオリアはお披露目した武器に向かって何事か呟くと、二人に仰々しく持たせてくれたのだった。
「はい! 名前はね、剣の方がロストセレスティ、ルトの方がセレスティアルスター! 可愛がってやってね」
かっこいいだろ、と本人は胸を張っていたが二人はこれに吹き出してしまった。
「うわあ、なんだよその名前は」
「笑うなよぅ! 中二病ってのは名前負けしてるから可笑しく見えるんだよ! 使い方によってはこれでも足りないくらいだから、呼んでて恥ずかしいかはお前ら次第、ウチ知らなーい」
彼の弁によるとこの二本には自分達に合わせた特性というものが秘められているそうなのだが、もう一人の自分達と戦うにあたってそれを教えてしまっては勝負にならないという事で何故かその特性は教えてもらえなかった。
分かっているのは時球製の武器であることにより圧倒的な硬度を持っている事、羽のように軽い事の二つ。これだけでも通常の武器と比べて規格外の逸品である事が窺えた。ただしルトのブーメランの方は重さを味方につける武器である以上、それまで振るっていた木製ブーメランの重量にひとまず合わせてあるのだという。今の自分達にはどのような仕組みなのか見当もつかなかった。
「秘めた力のヒントはね、その武器の材質だよ。時球っていうのは世界から追い出されたドッペルゲンガー君達の飛び出ていった穴そのものなんだ。それを沢山集めて固めたんだから、世界の外側のキメラ化しようとしている命が近くに集まってくる……何かの拍子に力を使えるといいね」
まあルトにとっては簡単かもしれないけどね、と付け加えた彼の意図はどういうものだったのだろうか。自分達には知らない事が多すぎる。
「肝心な所は教えてくれないってのも勿体ないよな、じゃあ何でそんなの作ってくれたんだ? 俺達別にまた戦う予定がある訳でもないのに」
「そう言われてみれば……一回勝てればおしまいなのにね? まるでこの戦いが終わってからが本番だって言いたいみたいに……ボク、テオがわからないよ」
思案しているうちにアレスタリアを通り過ぎようとしていたようで、二人の歩く道に高い城の作る影がかかるようになった。二人は背後の街を振り返って来た方角を確認すると、数日前に通って来た坑道を目指して歩を進めようとする。
「とはいえ、単に作るなら手間のかからない範囲で良いものをって考えただけかもな。それとも俺ら……ペットみたく適当な物与えて遊ばれてる?」
「なのかなぁ~、やっぱり。犬を拾ったら、ボールあげるよね」
ルトはブーメランの端についた、水色に煌く透き通った刃にそろそろと指を滑らせていた。刃物を見ると無性に触りたくなるのは子供っぽさからだろうか、指を斬らないように忠告だけして気に留めなかったのだが、アレスタリアを一瞥してからすぐに異変は起こった。
「わわっ!?」
突如ルトがそのブーメラン、セレスティアルスターごと拡散する光として散ってしまったのだ。
「なっ……! そりゃそうか、これも時球の塊だったな。にしてもルト、行きたい所があったのか……?」
「ただ待つってのも焦るな……もう一時間くらいか? ってこっちの体感時間なんてアテになんないけど」
ルトがいなければ自分は今頃どうなっていたか分からなかったのは確かなので、多少のトラブルや心配事は許容してやるつもりだったからこの程度待つくらいどうという事はない。なのだが……一つ不安が残る。
(もしかしてあいつ……自分の時代に帰っていったんじゃあ……!?)
今の自分が少なくとも精神的には非常に良い方向に向かっているのは他ならぬルトのおかげだ。だから絶対にルトを笑って帰らせてやるのが、最大の恩返しだと思う。しかし今のように無意識的に帰れてしまった場合どうだろうか。ルトはもう学ぶべきだと言われただろう事を体験する事が出来ているし、案外何の不満も無いかもしれない。そう考え至ってしまうと、待てば待つほどに不安に襲われる。
(俺とルトはもうこれ以上ないくらい打ち解けたつもりだ……でも、本当の家族とも同じくらい想い合っていても何も不思議はないんだよな)
自分達は今まで目の前の問題ばかりに頑張って目を向けすぎたのだろうか? すぐ帰る帰ると思って結局いつまでも聞いていなかったあちらでのルトの暮らしぶりを、もっと早く、話の脈絡などお構いなしに気軽に聞いておけばよかったかもしれない。はっきりした情報が少なすぎて、シャルは頭の整理をつけられずただうなだれて待ち続けるしか出来なかった。
「はぁ……ルト、戻ってくるよな……? 武器使って戻れるって、気付いてるよな?」
やがて、背後から軽い足音と重々しいローラーの音が聞こえて来た。戻って来た!
「失礼、待たせた!」
「えっ……?」
なんか妙な台詞に一瞬硬直したが、振り返れば走って来るのは確かにルトだった。
「あっ、違うや。もういいんだった~、へへ、おまたせ~」
「お、おお……脅かすなよな~、心配かけやがってー!」
日常的にそうしていたのと同じように、頭をかばうルトの脳天に手の甲でカコンッと一発加える。しかし、何か違和感がある。何だろうか? 考える。
「……? 少し高さが変わったのか……?」
「わかる? 十五年くらい前のアレスタリアに行っちゃってさ、そこに一年いたんだ! だからちょっと背が伸びたんだよ!」
「へ、へ~、一年も……」
さっきそれで後悔したばかりなのに、それとセットで聞かされると思うと元の時代の様子を聞く気力が出てこない。
(あぁもう、とにかく今は今だ! どうせオルタナに戻れればいくらでもゆっくり話せるだろうし!)
しかし一年経ったと言われても、背が拳半分程伸びた他に変化がない……。顔つきは変わらず、引き摺っている髪もそのままだ。何より……。
(やっぱまだ時々おぶらされるのかな……軽いし別にヤじゃないけどさ)




