テオリア
「よーしなんか話そうぜ~。ウチは隠す事なんかなん~もない、ほらほら~」
本の山を押し退けて適当に場所を作った所にシャル達を座らせて自分もしゃがみ込む少年キメラ、どうやら質問待ちらしい。
「なんかって言われても急にはなぁ……元々話すのは得意な方じゃないし」
「ありすぎて迷うよね~……」
「まあ、だよねー。時間さえかければ雄からポンポン出てくるだろけどリズムってもんもあるしね。でも本当に何でもいいんだよ? ほれ雌、思い付くこと遠慮せずに言ってみ? ウチも何も聞かれずに色々喋れるほど饒舌じゃないのよ」
「と、とりあえずオスメスで呼ぶのやめてもらえねえかな?」
「あっ、そういえばボク達お互いの名前も知らないんだった。ボクは……うん、ルトって呼んで」
「俺は、シャル。お前は?」
「そう……だな~。ウチ位生きてると名前も十や二十じゃない訳で。好きに決めていいよ、なんて呼びたい?」
「あぁ……なんかそんな気はしてたけど」
「う~ん……あっシャル、ルトはボクが持ってるからね!?」
シャルは訳が分からず沈黙したが、ずいぶん必死で差し迫ってくる。
「子供の頃イノシシに付けた事があったでしょ!?」
「いや……? ハウルの奴に担がれたんじゃないか? だってあれの名前はロンだったし」
ショックだったのか目と口を丸くするとルトは身を縮めていじけ、くるくると髪を弄り出した。二年前から根に持っていたようだ。
(あいつなりに話に面白みを持たせようとしたんだろけどなぁ……)
「はは……特に案がないならさ、テオリアでいっかな。なかなか気に入ってるやつなんだ。何億年か前に人間に付けられたんだけど」
「億? そんな頃から人間がいたのか?」
「いや? そんな訳ないっしょ。ウチにとって大体それくらいの期間だよ。言ってなかったっけ? キメラは自由に時間軸を跳び回れるんだよ。ほら、こんな風に」
テオリアがごく自然にひょいと飛び跳ねてみせるとその体がすぐに水色の光に溶けて消滅、数秒後に今度はその光が収束し、彼の形になると瞬く間に色が戻っていく。その手には一握りの雪が乗っていた。
「食う? 今日は暖かいからうまいよ」
「食べる食べる!」
たったそれだけで機嫌を直すルトも呆れたものだ。
「へーえ……それで時間を往復して回って気に入った世界に居ついてを繰り返してるのな」
「キメラは時球がいらないし、世界を分岐させる事もない。その時間軸の運命って事にされちゃうのね。ちょうど樹の枝を掴んでしならせるみたいな、外側からの力なんだ」
「うーん、なんかボクちっとも分かんなくなってきちゃったんだけど……」
「とりあえず、キメラは自由にどんな世界にも跳べる、とだけ理解すればいいさ……あっ、さっき用意した風呂が沸いたみたい」
テオリアと呼ぶように言った少年は目を輝かせて立ち上がる。
「えっ、そんなの分かるの?」
「耳と、微妙な空気の温度変化でね。ウチの感覚はその気になれば人間の何十倍も発揮できるさー。三人で入ろ~ぜ、だーいじょうぶちゃんとこの世界の一般的な風呂だから。四十度で普通だっけか」
「待て待て何でそうなる、大体お前って……?」
「ふふふのふ、さ~どっちでしょ~う?」
「なんだ、性別ないのかお前?」
「残念だったね~? まあ見た目的には女に近いと言えなくもないけど。ウチはそもそも一つの種じゃないから性別って物が意味無いもんね」
テオリアは不思議な事に「下が」まな板だった。
「お前と同じ生物が存在しないから、生殖能力は捨てたんだ? てかそれって進化なの?」
「そうなのです……わたくしは愛すべき殿方と出会う事もなく、ただ孤独に死んでしまう運命なのですわ……」
急に女顔になって左側だけの胸部を強調するように弱弱しく座り込んで見上げて来る。ここだけ見ると可憐な乙女のような顔と声に騙される男もいるかも知れない。
「その手には乗らねーぞ、しおらしくしてもさっきまでのキャラを見てるからな」
「ちぇ、逆ハーレムを築いた事すらあるウチの魅力が分かんないなんてね。も~ルトさあ、お前がもっと雌やってれば好きなだけからかえたのにぃ」
湯船に口まで沈めて、浮いた髪で傘のようになっているルトを上から軽く押さえつけて慌てるのを楽しむテオリアに、彼女も立ち上がって抗議する。
「そう言われても……ボク女の子らしくするのとか、やっても似合わないんだもん」
「挙動がいちいち子供っぽいからなぁ」
いまだにルトは蝶や鳩を見れば全力で追うような奴である。
「ま、性別の話はそんなもんで。どう? 気になる所はある?」
その場でくるくると回ってみせるテオリアの背に、二人が妙な切れ込みを見付ける。
「これは? 首の下と、腰に裂け目があるよ」
「そこか、何だと思うー? 開いてみてもいいよ」
「ん~……? うわっ」
軽く皮膚をかき分けたルトが大きく身を引く。テオリアの背中には鋭く睨みを利かせる、第三の目があった。
「ちなみに下は色んな尻尾が生やせるよ」
「そ、そかぁ……」
洗い場の隅まで後退して頬を引き攣らせているルトに、テオリアは何やら納得したように目を光らせる。
「なるほろ。お前もそうなんだ……ルート、ウチの目をよーく見ててみ~。ほ~れほれ~」
それを追い詰めるように彼は顔を近づけていく。そして鼻を突き合わせるかの距離まで達した直後、どんな表情をしてみせたのだろうか、濡れ髪がはね上がる程体を竦み上がらせたルトはいつぞやのように桶をひっくり返したかの如く涙を決壊させて自分の後ろに逃げてきた。震えがこっちまで伝わって来て鳥肌が立つ。
「ぴやあぁぁぁっ!?」
「にゃっははははは、やっぱりだ懐かし~!」
「何だこれ何した!? ルトのこれの事知ってんの!?」
すぐ本格的に抱き着いてきてブルブル気持ち悪い。自分達だけ地震にあったようだ。テオリアはそれを見てさぞかし楽しそうに腹を抱えている。
「いやぁちょっと威嚇……なーに、昔似たような知り合いがいたのさ? 防御本能が目覚めちゃった奴なんだ。食物連鎖を悟ったとか言えば分かるかな? 鹿が虎や火山噴火を見て一心不乱に逃げ出すようなモンだよ。病気とかじゃない、相手によってたまーに役立たずになるくらい」
(そういえばルトがこうなったのは岩の竜とオルタナが吹っ飛んだ時か……人相手やその辺のキメラなら楽しそうに戦うし)
「も……も~、遊ばないでよっ! 怖いのはしょうがないでしょ!」
立ち直ったルトがテオリアの腕に無造作に蹴りを入れる。だが彼がとっさにそれを受け止めるとルトの爪先からは嫌な音がして、双方うずくまってしまう。
「っつつつ……ぅぁ痛ぁ……」
「く~痛ったいな~。ウチにはあんまり力で当たるなぁ、どっちも損だぞー……」
「あれ? お前ってそんなに進化してる割に痛みは普通に感じるんだ?」
「痛覚が強いのは進化の一つだよ、小さな危険にも気付けるからね。ウチはなくなって欲しいけど……。体は確かに丈夫だから本格的に傷つけるのは難しいけど、痛みは普通にあるんだ。昔知り合いと実験したら大体……人間の十倍くらいの痛みを感じる。とほほだよー」
「えぇ!? これ十回分!?」
「まあね……それを耐える精神力も備わってるつもりだから、意識してりゃ問題じゃないけど、やっぱ痛いもんは痛いじゃん?」
「進化もいい事ばっかじゃないんだな」
「そういえばさっき剣で思いっきり刺しちゃったような?」
「あっ……!?」
「アレは何万年かぶりに痛かったなー……人間で言ったら大体……刃の付いた熱っついドリルで腹かっさばかれてそのままぐりぐり~っと」
「「ご、ごめんなさいー!!」」
「さ、もう寝なよ。あの町に来たばっかで色々あって、疲れたでしょ?」
家の方々に積み上がっている本のうち装丁の強いものを積み上げてベッドを二つ用意してしまうと、「寝相が悪いと明日ばれるよ」と笑って、部屋の中に吊るされたハンモックに飛び乗って、微笑しながらこちらを眺めるテオリア。
(な、なんか見られてると眠れないね……)
(段々無事に起きられるのか不安になってくるな)
「大丈夫だって、別にお前らは取って食ったりしないって言ったっしょ!」
「お前ら「は」!?」
「なんだよぅ、ダメかよぅ、人間美味いんだよー」
「うんうんそーだよね、ボク足が好きでさぁ~」
「足はハズレがなくていいよなー、でも一番は頭っしょやっぱ」
「えぇ~あんなの食べられないよ~」
「ルートー! お前自分がその立場かもしれないって分かってんだろうな!」
「シャルルんは心配性だなー……じゃーこう考えてみ、いつも食べる野菜や魚に明日から一つ一つ名前が書いてあるとする。食べたい?」
「あぁ……それはちょっと」
「も一つ、鳥が目の前を歩いてて自分は料理できる、でもちょっと足伸ばせば店で焼き鳥の一本でも安く売ってる……分かるっしょ、餓死寸前ならともかく」
「自分で殺したもんは何となくやだな、確かに」
「ウチはたまに人間食べたくなったら戦争してる時代までさっと行って死んでんのから好きなの選んで……とと、人間相手に話すには不謹慎すぎるか、メンゴメンゴ。一回毒に当たってぶっ倒れた事もあるんだけどね、あはは」
なんだかいちいち怖がるのすら馬鹿らしくなってくる。とりあえず自分達が殺される事はなさそうだと分かると瞬く間に隣から寝息が鳴り始めた。
「お、チャンスじゃん! 黙っててあげるよ~?」
「うっせー、大きなお世話だ!」
その後はもう細かい事を気にせずに、勢いで寝てしまえた。もしかしたら全ての会話の流れを掌握されていたのではと思える程、テオリアというキメラに対する警戒心は今日一日で消え去っていた。




