平野の外、坑道を抜けて
トンネルの中は最初こそなだらかで灯りもしっかりしていて歩きやすかったが、一時間、また一時間と経つにつれて人もいなくなり、険しくなっていく。
「真っ暗でなんだか、こわいね」
いつの間にか二人の歩いている道は互いの顔も確認できない暗さになり、かすかに吹き込んでくる風で洞窟に響く空洞音が恐怖心を煽る。はぐれないようルトの手首をとってやり、トロッコのレールに沿って点在するランタンを辿っていく。
「そういやお前ってお化けとか駄目なタイプだったりすんの? まあ、そうは見えないけど」
「おばけ? 何それ、どんなの? ここにいるの?」
そうだ、ルトはこういう奴だった。
「うーんとだな……」
(あれ、一から説明するのって結構難しいな)
頭をひねっていると前方に淡い光を放つ、ぼんやりしたものが飛び交っているのに気付いた。蝋燭の火のようなそれは一つの群れを作ってあてもなく不規則にその場を浮遊している。
「そうそうちょうどあんなイメージのさ……って、何だあれ! まさか本物なんてこたないだろし、どういう仕組みだ!?」
「あ、みつかったよ!」
それらは二人が近づくと混乱したように飛び散ってから、ゆっくりとこちらに向かってくる。訳が分からなかったが少なくともいい予感はしない。
「にげよう! また熱いのはヤだよ!」
「そだな、どっか横道探すぞ!」
「え!? でもこの道外れちゃダメなんじゃないの!?」
「だからって引き返しても始まんないだろ!」
後ろに迫る火の玉のようなものが放つ光を頼りに、二人は近くの脇道に駆け込む。
こちらは今までの一本道とは対照的に蟻の巣のように細いトンネルが入り組んでいて、それまで進んでいた方角に出来るだけ沿って進むも、やがては袋小路に行き着いてしまう。
「ルト、発破!」
「え、はっぱ!?」
「その髪に結びつけてある爆弾を使えって言ってんの!」
ルトは慌てて、リンゴの木のように髪でくくっていた爆弾を量の調整も何もなく、次々と着火しては投げつけて土を崩していく。
「やた! さっきの道と繋がった!」
幸い、ずっと向こうに明るみが見える。まだすぐ後ろを追跡してくる火もこのまま出口まで走れば振り切れるだろうとシャルは思ったが。
「えぇ~い、追いかけてくるなぁ~!」
ルトが火の玉の集団に、両手に持てるだけの爆弾をばら撒いた。ルト的には外まで追ってくるだろうと考えたのだろう、だが爆撃はそれらに通じず、代わりに坑道全体に軽い地震をもたらした。
「あっ馬鹿! 無闇に負荷をかけたらこういうとこは!」
先に注意しておくべきだった。ルトの常識のなさにはもう慣れてきたはずだったのに。
投げた位置を中心としてトンネルに少しずつヒビが広がっていく。
「走れ!! 出口は見えてんだ!」
頭上や壁から弱い部分の岩壁が剥がれ落ちてくる。とても避けきれない程ではないが、万一当たれば即死は免れないだろう。
「わあっ!!」
隣にくっついていたルトが突然ビィンと何かに引っ張られるようにして転んだ。
「どうした!? あっお前、髪が……!」
すぐ後ろに落ちてきた岩に髪の先が巻き込まれてしまっている。真上を見れば、ヒビが大きく円を描いている! すぐ剣を握るが、そこで一瞬躊躇ってしまう。
「っ……クッソ、これくらい!」
大きく首を振って、剣と足をテコにして自分と同じくらいある岩と対決する。全身を絞るようにしてありったけの力を込める。不思議な事にシャルがそこに意識を集中すると同時に、火の玉は視界の外で吹き消されたように消えた。
(浮けっ! 少しでいいから……こんなんで、一人になって堪るかあー!!)
「シャルッ!」
全力で剣を押し沈めた次の瞬間には、自分の二の腕を取って飛び出す影を確認できた。
背後で岩が轟音を立てて砕ける。シャルの、道は潰えなかった。
「ぬ、抜けた~! あぶなかった~」
「危なくしたのはお前だろ! トンネルそのものが崩れなかったからまだよかったようなものの!」
(どうして俺さっき、髪を切らなかったんだろうな……?)
気が抜けてその場に座り込み、その理由を探しにかかる。
(髪って言うと、そういえばこいつ女だけど……いやないない、こいつにそっち方面の魅力はね。うーん……)
「うりゃあ~!」
急に脇腹に強烈な体当たりをかまされた。口に出ていたのだろうか。
「だっ……何しやがん、ぉうわっ!」
次第によっては殴り返そうかと思った瞬間、何かが身を掠めて高速で通り過ぎた。衝撃波と驚きで心臓が縮む。
一体何から助けられたのか? また何かの変異したキメラかと思ったが、上空に登って身を翻したそれは、普通の三、四倍はある大鷲だった。どこにもおかしな点は見受けられない、大きい以外何の変哲もない鷲だ。
「へへ~、最強の鳥って聞いたけど、ゼザに比べたら! かかってこ~い!」
「あの三白眼、完全にただの狩りみたいだな。単純でいい、追い返してやる!」
意気揚々と構えた二人だったが。なにぶん相手は中空に留まっているので攻撃の主導権はどうしてもあちらにある。時折しかけてくる急降下しての爪や嘴はシャルの腕と長剣一本あれば鷲としても強引に当てにいけないのだが、すぐに高度を上げてしまうのでどうにも膠着状態が続く。
「くっそ~、Lサイズさえあれば一発なのに!」
ルトはむずがゆそうにあのブーメランを切望している。
(考えてみりゃあれ優秀すぎる武器だよな……隙が馬鹿でかいけど当てれば大概一撃で決まるし。そう思うとあんなんに爆薬でも塗ってるんだろう向こうのルトって恐ろしい相手だな)
「にゃあぁもう飽きた~!!」
ルトはシャルから離れた所に行って大きく両手を広げ、鷲を挑発する。自分に向かって一直線に突っ込んでくるその首元にバク宙で股がると、口に爆弾を押し込んでみせた。
シャルも思わず手を握るが、ポケットからライターを出したルトがそのまま固まってしまった。
「あ。導火線が奥にいっちゃってる……」
もたついたルトは急に体がぐーんと傾いたのに反応して、必死でその場にしがみつく。頭のいい鷲はそのまま高度を上げ、ルトを連れ去ってしまった。
「ゎみや~~~~っ!!!」
ドジな妹の悲痛な叫びがこだまする。取り残されたシャルは、どうにも開いた口が塞がらなかった。
「………………はぁ……あいつは確かに強いはずなんだけど、どうも悲鳴ばっかり聞いてる気がするよ」
ルトを背負って動きの鈍った鷲をひたすら追いかける!
「ハァ、ハァ……あいっつ、明日は絶対荷物持ちだっ!」
三人ともで根比べといった所だろうが、ほぼマラソン状態のシャルが一番キツイ。こうなってみるとルトのブーメランがこの場に無くて本当に良かったと思う。
クロク平野の草原に続いて、遮るものがない赤土の荒野を走っているうちに城のような建物とそれを囲う町が見えてくる。空も赤くなり始めたので真っ赤な視界の中で白や青の爽やかな建物群はよく映えて見えた。
「いったいどこまで飛んでいくんだ、あの町の向こうまで行かれたらもう追い切れないぞ……!」
と、大鷲がフラフラとそこに近づいた途端、その城から大砲か投石器かと思われる弾が次々と発射される。
(あいつらを狙ってるのか? あ、当たった。鳥が消えた……? あ、ルトが落ちた……。ちょっと待った、あれは流石にヤバい! 死ぬぞあいつ!)
空高くからほとんど身一つで落下するルト。あれで助かる方がおかしい。シャルが走って間に合う距離ではないし、さしものルトも万事休すか。惨状を認めるのが怖くて、とっさに顔を伏せてしまう。
その時、風が吹き抜けた。
僅かな望みを賭けて目を上げると、そこには無傷のルトがきょとんとした顔で座り込んでいた。
「やっと、追い付いた……お前今どうやって着地したんだ? ムササビの真似でもしたか?」
「分かんない……あのねボク、あ、死んじゃったなって思って目つむったんだ、そしたら誰かが受け止めてくれたように、感じたん、だけど……誰もいないよね……?」
何度もキョロキョロと周りを確認しだすが、見える範囲には自分達以外には何もいなかった。
「うーん……あっ! 危ね……」
「はぐッ!?」
ルトの背中に先程の弾が激突する。そびえ立つ城は照準を自分達に変えたらしい。鷲は光に溶けるようにして消えたが、ルトは錐もみで吹き飛ばされるだけだった。だけ、というのもどうかと思うほど見事に飛んでいったが。
ルトは二発目をバク宙で躱し、同時にシャルの方にも向かってきたのを受け止めると、彼には見知った感触がした。
(あ……!? これ少し大きいけど、時球じゃねーか!)
せっかく避けたのに空中で別の弾に当たり、紙のように吹っ飛ぶルト……。いくつか残っていた爆弾が髪からほどけて散らばる。目立つから集中して狙われているのか。
「あっやば、また当たりそうなのが! ――いっ、けぇ!」
ダメもとで危険な弾を撃ち落とそうと、ルトの方に時球を投げ飛ばす。それは上手く衝突したが、何が起きたのか。その場で二つの時球は砕けて消え、空間に真っ暗な穴が口を開けた。そこから猛スピードで、体の燃えている人の子供位の大きさのクジラが空を泳いでルトを突き上げた。
「あちっ! なにこの魚!? なんでこんなんが出て来るの!?」
「分からないけど、それ魚違う!」
クジラは前方に飛び散った爆弾の一つを見付けると、引き寄せられるようにそれに近づいて行って……ルトの着地点で破裂した。意図せずしてルトは一度に三段の攻撃を浴びた事になる。
「わぁ~ヒドいよ~! なんか今日ボク痛い目にあってばっかり~~!!」
そういえばルトは今日だけで当たり所や成り行きによっては死んでもおかしくないような事に五回くらいなってるような。
「その言い方だと俺がまるで助けてないみたいじゃん!? 今度また何か食わせてやるから、今は頑張ってくれとしか……おお? もう飛んで来ないな」
意外とすんなり攻撃が止んだのでどうも腑に落ちなかったが、ようやく一息つけた。
「お~いルト! 大丈夫か! もう暗くなるから急ぐぞ~!?」
果てしなく吹っ飛んだルトからは返事がない。また意識が飛んでしまったのだろうか。今回はそれでもゆっくり出来る状況だから構わないかな、と呟いてもやはり心配で駆け寄ってみれば、目は開けているがそれがなにやら抗議の視線を向けている。大の字に転がったまま動こうとしない。
「……な、なんだ?」
「色んなとこが痛くて熱くて重いの、疲れてもう動きたくない~」
いきなりその場で駄々をこねだした。こういう時は言う事を聞くしかない。普通の子供なら置いて行かれれば泣いてついて来るがルトはその場で躊躇なく寝てしまうから。
「あぁ分かった分かった、おんぶしてやるから。はぁ、まあ今日は久しぶりに歩きづめだったからな、お前も二年のうちに体力落ちてたって事か。にしてもお前もう十七だろ、あんまり子供みたいな事言うのやめろよー、ほら、よっ……と」
「ふゅぅ~。年なんてい~の。ボクシャルにおぶってもらうの、大好きなんだもん!」
今回は致し方ないとも思えるが、彼女は二年経った今でも普段から子供っぽさが抜けない。全幅の信頼をおいて接してくれているのはこの上なく嬉しいが、背中で嬉しそうにくすくす笑っているこの子ももう大人になりかけなのだ。
「はは、そっか……じゃなくて! そういう恥ずかしい事も言うなって! そうだなぁ、どんなに譲歩しても胸が出てきたらもう絶対頼まれてやんないからな!」
「へへ、じゃあボク胸なんてい~らないっ」
シャル自身も、今の関係は好きだ。背負ってくれと言われればいくらでも背負ってやりたい。だが自分達くらいの歳になったらどのくらいの距離は保つべきなのか、普通はどう接しあうだろうとか、つい考えてしまうのだった。ルトにはあんな事を言っておきながら、自分ももっと大人らしく変わらなければならないんじゃないかと時々思う。しかしどうやって、どう変わっていくべきなのかが分からないジレンマに思い悩みながら、シャルはまだ夕方の賑わいを見せる城下町へ足早に歩を進めた。




