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オルタナ完全崩壊

 そして、クロク平野の大部分の人間にとっての運命の日がやってきた。

「いよいよだな……まさか俺なんかの言葉でこんなに人が集まるとはなぁ……」

「ねぇシャル、どうしてメイレンには行かなかったの?」

 ルトは捕まってなお相手の性根を噛みちぎった勇壮(?)さを買われて、あれ以来ずいぶんエルミ達に可愛がられている。

「食糧の流通が止まったら困るだろ? それに「つて」がない。どこの誰に声をかけていいのかさっぱりだし、あそこ程の規模だと偉い人が首を縦に降ったって他も、とはいかないしさ」

 クロク平野中心部、オルタナをちょうど正面に見据えた草原。二人の後ろには数だけでも二百を超す有志がついている。ハウルとルーファスはよくやってくれた。ちょうど全員に簡単な装備も行き渡ったところで改めてシャルは皆に頭を下げる。

「皆! 俺たちのわがままに付き合ってくれてありがとう! 全員俺が責任もって元の生活に戻すから、自分に出来るだけの事を、他人に流されずこなしてくれ! 先頭は俺とルトで務めるから! 片っ端から殺していってくれて構わない!」

「「ぃよしきたああぁぁ!!」」

 まだ不安が拭えない者も多いが、そこかしこから湧き上がる歓声だって本物だ。自分達が派手に斬り進めば、きっと実力以上の勢いが発揮できるだろう。

「ルト、いっちょ頼む!」

「みんなびっくりするだろうね~!」

 ブーメランに特大の弦を張って、ルトは全身で弓を射るようにして腰に付けた鞄を外壁に向けて飛ばした。すかさずシャルが火矢を撃ち込む。着弾した時の閃光に一拍遅れて物凄い熱風が一行に吹き付け、それは否応なく皆の士気を上げる。目を開けられるようになると、オルタナの閉じこもる殻が大きくこじ開けられているのがはっきりと見える。

(いける。負けるはずがねぇ。いい加減罰を受ける時だぜ、覚悟しやがれ……!)

 駆け抜ける熱風に負けない烈火の怒りを奥底に秘めた彼らは確かな突破口を開示された事で、弾かれたように走り出した。


「くっそおおお!!」

 第一撃はシャル。気が狂いそうになるのを必死で耐えてガディウスらを串刺しにし、一列になって迫りくる敵に投げ飛ばす。敵はそれを後列が押し倒されるのも厭わず、事無げに斬り捨てる。

「れあああ~っ!!」

 それに続いて桁違いの殺傷力を誇るブーメランが飛んで行く。突出する者はおらず半円状にシャル達を囲む彼らはちょうどその軌道に沿って、豪快に薙ぎ倒される。相手の布陣が削り取れるのを見たシャルはそれがルトの手元に戻って来るのを確認すると、数少ない知り合いの肉の感触に涙を浮かばせながらも特攻をかけた。反動でぐるぐる回っているルトを敵の狙いから外さなくてはならないからだ。

(ほんとにこれしか無いんだ……分かってるけど! どう見たって悪は俺だ、こんな理不尽ってあるかよ!)

「絶対押し切ってみせるから! お願い、皆僕に続いて!!」

「「うおおおおお!!」」

 彼の叫びに背後の協力者たちは威勢よく呼応する。リーダーに威厳や風格は必要ないと考えたシャルはとにかく彼らが力を持て余さないように、何をすればいいのか誘導することに心血を注いだ。


(引き摺るな! 前に出ろ! 振り払え! 断ち切れ! 拭い去れ! 自分の正しさを自分が諦めちゃ、ダメだー!!)

 ハウルやルーファスは説得しておいて、シャル自身は未だこの戦いを倫理の天秤にかけたまま答えを出し切れていなかったが、面識のある人を斬るたびに自分が潰れないよう言い聞かせるのに必死だった。

 それでも、ルトからは目を離さない。近づく敵を骨ごと真っ二つに割りまくる彼女が見据えているのは自分と同じ、ささやかだけど譲れないモノ。ルトを失って目的を果たしても、自分は納得できないはず。もうシャルにとってルトは単なるバカな押しかけの義妹ではなく、純粋な家族なのだ。

 真っ赤に染まったブーメランの上で逆立ちになったルトが狙われれば片っ端から蹴り倒し、囲まれたのに気付いた彼女がそこから体をよじって回転斬りをするのを危うい所で躱して、そのまま止めると肩が壊れるのだろう、明後日の方向へくるくる飛ばされるブーメランを回収するまでは自分が盾となって護衛する。

 シャル自身もあらゆる手を使って前へ進んだ。ナイフが落ちていれば弓で撃ちだし、剣に血と脂がこびり付いていれば振り払って相手の目を潰し、他の味方と斬り結んでいる所を背後から刺したりもした。ついて来てくれた皆の事は振り返らない。状況は掴んでおきたいが、自分とルトが足を止めたら実質的に無限の戦力を用意できるオルタナを破る事は出来ない。ただ、中央塔に向けて走り続けるだけだ。


「よし! もう塔は目の前だ!」

 中央塔まであと一歩! だが目的が分かり切っている以上、塔の扉上部の手が届かない位置に弓を持った集団が立っていた。

「あら、どんなキチガイかと思ったら分からず屋のシャルじゃないの。とうとう頭がおかしくなっちゃった? こんなことしていいと思ってるわけ?」

(あぁ、出やがったラム……一番ウザい奴だ)

 シャルの事を何も知らないラムは見透かしたような目でシャルとルトを一目見るなり、指を指して高尚に笑い出した。

 それを見て横にいる女友達も二人、四人、九人……シャルとルトに見えるように冷笑を始める。

「アンタいい事と悪い事の区別くらい付かないの? 日頃うるさく言うくせに自分には甘いのね。自分勝手な奴。情けないったらありゃしない。ガキ、気持ち悪い、意味わかんない」

 二人は顔を見合わせて嘆息する。

「……あ~ボク初めて会ったけど、こりゃダメだね~……」

「俺、よく我慢しただろ……?」

「ほら何も言い返せない。男ってほんと口喧嘩弱いわ~」

 うなだれる二人を示し合わせたように狙う彼女ら。性格の悪さをよく反映した矢尻は一様にルトを狙っていた。

「そいつ。いきなり現れて好き放題してくれちゃって、はっきり言って鬱陶しいのよね。見てたんだからね。アンタそのチビと同棲してんでしょう? あーだめだめ。下心見え見え。ミミルだっているのに、とんだ欲張り! そんなだからケダモノなんて言われるのよ」

 ――ビシュシュシュシュッ……!

 飛んでくる十本の矢はさも当たり前のようにルトの顔を狙う。

「うぐぐぐぅ~……」

 何とかブーメランを持ち上げ防ごうとするルトだが、素早い挙動は難しいのが分かり切っている。かといって前からは続々と新手が歩いてくる。ここで一旦引き下がる訳にもいかない。

「ふざけんな! てめえはいつもルールを都合のいい盾にしてるだけだ!」

 シャルは自分でも信じられない程の速度で動けたのを感じた。ブーメランに渾身の回し蹴りを叩き込み、すんでの所で矢を弾く盾とするのが間に合う。

「チッ、キメぇ」

「こいつら……覚悟はできてんだろうな!」

「何それ、ばっかじゃないの? 覚悟だってさ、か・く・ご! 頭湧いちゃってんだねかわいそー。あ、元からかー! アッハハハ、ねぇあたし天才じゃね?」

 当然第二撃の用意を始めるラム達。ルトはまたもブーメランを投げつける。狙いは珍しく正確。左半分を即死させ、シャルは右から順に火矢を撃ち込む。

 一人落とし、二人、三人、四人……間に合わない! ラムの矢は放たれた。弓を取るのに剣を収めてしまっているシャルは無防備なルトをフォロー出来ない。安全な位置からの執拗な攻撃は止め切れないのか……理不尽を憂う心は急な決断を迫られる事で、優しさではなく殺意に変わる。

「てめぇぇぇ!!」

 頭が真っ白になったシャルは気が付けば、ラムの立つ塔の大扉の上まで跳躍を果たしていた。罵詈雑言を撒き散らすラムを蹴り落とし、それを追うようにして飛び降りると空中で剣を構える。左胸に狙いを定め刺し貫こうとした時、ラムが呟く。

「女の子に手をあげるなんて最っ低」

 あくまでちょうどいい常識を盾にして提示してくるラム。だがこういった時に迷うとこの女はすぐさまそれを破っては盾を持ち替えるのをもう嫌というほど知っている。

(知ってるよ!! それは女の反論じゃなくて、男が最後に思い留まる言葉!)

「僕のルトだって、女の子だああぁぁーー!!」

 ありったけの憎しみに体を預け、硬い手ごたえがして我に返ると長剣はラムの喉笛を正確に射止め石畳に縫い付けていた。剣が貫通しても消えない、顔にこびり付いた人をあげつらうような笑みを消したくて、何度も何度も、頭蓋骨の感触が無くなるまで突き刺し続けた。傍から見れば狂っているようにしか見えないだろう。だがシャルはラムのにやけ顔に風穴が空くたびに言いようのない安堵を覚えるのだった。


「はっ……そうだ。こんな事してる場合じゃない、ルトがどうなったか確かめないと!」

 やがてラムの死体をミンチにする一歩手前までいってようやく我に返るとちょうどハウルがルトを連れて追い付いてきた。

「おう、無事か!」

「そんな事よりルトは!?」

「ほらよ。お前がこの子から目離しちゃ駄目だろー。お前がついてなきゃこの子、何も出来なくなってたぞ」

 脇を抱えられたままキョロキョロしているルトをハウルが手渡してくる。

「あ、お前がかばってくれたのか?」

 抱き上げたルトは次は何をすればいいの?と目で問いかけてくるだけ。怪我はない。

「いやー、そうしたかったんだけどな、見せ場を取るには至らなかったよ……まとめた髪を盾にして止めたんだよこの子。便利だよな……このばさばさ」

 全く手入れをしないのが幸いして、ラムの矢はがっちりと絡め捕られている。しかし、もう少し上質な矢なら軽々と突き破っていただろう事にシャルは肝を冷やした。

「……ほんとはイヤだったんだけど、あれはしょうがないよね……」

 ほんの少しだけ髪が切断されてしまったのをルトはずいぶん寂しそうに見ていたが、彼の背後に横たわるラムの惨状を見るや普段のルトに戻った。

「よぉしルト! とにかくここまで来たら戦力増強も兼ねて俺らの目的を先に!」

「うん! ルーズがいればますます負けないね!」

「そうだハウル、戦況はわかるか?」

「やっぱエルミ達がめっさ強ぇな、制圧は時間の問題。この塔にお前らが陣取ってくれれば敵の敵も増えないんだろ? こっちは勝手にやっとくから行ってくればいいさ」

「ああ、ありがとう」


「うらぁ!」

「うひゃぁ~!」

 ルトを乗せたブーメランを蹴って押し出し、塔内部のホールに突っ込ませる。勢いを利用してブーメランを振り回すルトによって十数秒後ホールは血の海と化し、壁際で怯える者達を抑止しながら一気に駆け抜ける。あとは知った手順だ。ちびっこい妹を先行させるのは今更ながら疑問を覚えたものの、当たれば即死する程の重量を持った武器は殲滅に便利すぎる。剣だけでは到底ここまで侵攻出来ていないだろう。

 そして、何年ぶりかの時球のもとまで侵入を果たした。

「ほらほらシャルシャル、早く早く~!」

「分かってるって、慌てんな」

 やっぱりこれはやってはいけない事なのではないかと、また少し迷ったが、考えても答えの出ない問題のためにわざわざ我慢してまでルトを落胆させる事もないだろうと、目の前を流れる一つを乱暴に掴んだ。

(ルーズが死ななかった今に、繋がれ!)

 しかし。そこで予期せぬ事が起こった。

 ――パキィィン……。

「え……何だこれ、確か手元から消えたら望みの所に着いてて終わりじゃなかったか?」

 本来なら時球が静かに消滅し、辿り着いたいつも通りのオルタナへルーズを連れてくるために繰り出すはずだったが、時球は何故か粉々に割れた。まだ外の騒がしさも耳に届くため、効果を発揮しなかったのだと思われる。

「うん……割れちゃっただけ、だね。どうなってんだろ?」

 二人が首を傾げていると、いつのまにか目の前の空間が陽炎のように揺らめき、なんと空中に穴が開いた。徐々に広がるそこからはやがて人が落ちてくる。

「いっ痛ぅ……。ここは……って二人とも!?」

 それがルーズだった。

「ルーズだ~! やっと会えたよ~!」

「あぁもう、簡単に人に飛びついちゃ駄目っていつも言ってるでしょ! また全身血だらけにして、危ないからあんまり戦いに出ちゃダメって約束したのに、もう!」

 ちゃんと二人を知っている上に、注意しながらもルトを拒まない穏やかで世話好きな所も、この間までのルーズそのものだ。

(よかった……よかった)

 シャルは自然すぎて何を言ったらいいか分からなくなる感じが、また言いようもなく嬉しかった。

 だが、彼女がなぜこの部屋に直接現れたのか、二人はもう少し疑問に思うべきだった。

「ん? 何か聞こえるよ? ……ッ!!!? わわわめめみゆゆ、はく、はふ、ねぇねぇねぇねぇねぇ!」

 ルトが何か察知したようにバッとルーズから離れて奇妙な声を上げると、またどこにそんな量の涙を抱えていたのか不思議に思う程の勢いで泣き出した。

「お、おいどうした!? 前みたいにパニック起こすなよ!?」

「にに、逃げよう!! 早くここからどこか! うんと遠くまで行かなきゃ!! やだいやだこわいよここはやだよ巣に帰りたいよ~!!」

 とんでもない力を発揮して、ブーメランを引き摺って駆けて行くルトを追いかけて外に出てみると、そこはもう見知ったオルタナではなかった。

 上空から地面まで、空間の至る所に大小の穴が開いて、骨だけの魚のような紫色に発光する謎の物体が浮遊、赤や紫や緑の空気が漂い、石畳からは砂が吹き上げる。体が完全に繋がっていない異様な生物も見受けられる。

「何っだこりゃあ……キメラのがまだ可愛い位じゃねえか」

「早く逃げよ逃げよ逃げよ逃げよ逃げよ!!」

 飛び跳ねながら手足を振り回しているルトは今にも走り出しそうだ。とりあえず首を掴んでおくが、逃げた方がいいのは二人とも感じていた。

「ルト、とにかく落ち着いて!」

「皆はどこに行ったんだ!? この辺りには誰もいないな」

 ついさっきまで塔の前にいた両陣の集団もハウルも忽然と姿を消していた。あるとすれば地上、壁、空中を問わず口を開けている真っ暗な穴だろうか。どうなったのかまるで想像がつかない。

「状況を掴むのは無理か、確かにすぐ逃げるのが一番だな……ハッお前ら、危ねぇ!」

 二人を突き飛ばすのと同時に、その場を顔があるべき場所に剣山のように角が生えまくったイノシシに近いモノが走り抜けていく。家屋に風穴を開けながら突進していくそれは戻って来る気配はない。

「グスッ、もうやだってば~! 外に早く外に~!」

「分かってるから、おい、揺さぶんな! この……」

 おかしくなっているルトを見かねた彼と同時にもう一つ、顔の前で手を打ち合わせた。

「ひゅっ……あ、ボク、また……」

「ダメだよルト! 怖いのは皆同じ。でもパニック起こしてちゃ助かるものも助かんないよ。大丈夫、いつものあなたならきっと上手くいくって。だからほら。いつもみたいに楽しそうに笑っていて。私達もその方が落ち着くからさ」

 一緒に猫だましをしかけたルーズはこちらの勝手で連れて来られた自分の境遇に文句一つ言わずにルトを励まし、抱きとめる。赤ん坊を母親があやすように、みるみるルトが平静を取り戻していく。

「いつもの……うん、やってみる。足と胸は、止まらないけど」

 涙だけでも押しとどめて、ルトはかすかに笑ってみせる。

「いけるか?」

 普段の元気な「うん!」は無かったが、しっかり頷き返してきた。


「あれ……? 実はこんなに簡単だったの……?」

 ブーメランを紐で引きながらでも街を走り抜けられている現状に拍子抜けするルト。

「そこらにいる非常識な生き物達、目が見えてないみたいね」

「向こうも混乱してるみたいだしな……」

 言った途端、能動的に襲ってくる者が現れたが、それはいつも相手をしている、喋らない人間だった。手甲で受け止めて穴に蹴り落とすと、何故かその穴は発光して塞がった。

「何でこいつらが今いるんだ!?」

「分かんないよ! どこかに隠れてただけじゃないの!?」

「あぁ~! 二人とも、前前前~!」

「うわ、何だあれ!? 見るからにヤバそうなんだが!?」

 行く手を阻むのは、ドス黒い生物的な管で出来た壁。赤や黒の空気に溶け込んで気付かなかったが、オルタナを囲むようにそびえ立つそれは段々と狭まってきている。

 周囲を徘徊する蠍のような尾を持つ球体の生物がそれに衝突すると、ほんの数秒で腐り落ち、吸収されてしまった。

「しょうがないかぁ……」

 再び突き立てたブーメランの上に駆け上がり、前のめりに倒れ込むようにして投げつけると、ルトお気に入りのそれが煙となって崩れる代わりに、金属音がして肉壁に穴が開いた。

 ルトは四つ足で駆けて、二人はスライディングで通り抜けると、重い空気が薄れて彼方にはいつも通りの空が見えている。

「今のが境界線だったのかしら、空は青いし景色も普通に戻った……」

 ルーズは安堵して座り込み、ルトは脚をさすり出したが、シャルは訳の分からない状況の中で感覚的に次の脅威を感じとっていた。

「まだ駄目だ! 足を止めるな!」

「ええ!? だってもうさっきまでのおかしな生物は見当たらないじゃない――」

「シャルも分かるよね!? 怖いよね!?」

 対称的な反応を示す二人の手を引いて走り出す。ルトの気分が少し理解出来るような気がした。

(なんとなくだけどさっきの時球がスイッチだとしたらあの内臓みたいな壁はもうしばらくしたら塔の時球と反応して……)


 四つ足になって超高速で突っ走り、時々こちらを振り返ってはもどかしそうに足踏みをするルトの髪が、電流を浴びたかのように逆立っている。流れる涙も先程より量を増していて、凄く嫌なものを感じ取っているように見える。

「あっ、ミミル!」

 ルーズが声をあげる。振り向くと自分達の他にも街の中心部から逃げようとしている数人の人達が並んで走っていた。ミミル以外には、見知った顔はいない。

(親父は……って、さっきまでやってた事を考えたら図々しい望みだよな……)

 ミミルは何も言わない。あわせる顔がないのだろう、特にルトには目を向ける事もできずにいた。

 人が大量に横たわっていて最早言われないとそれと分からなくなった南部広場を縦断して、ルトの爆破した外壁の穴まで来た所で、稲光のようなものを感じ、突如嵐の只中の如く無秩序に強風が吹き始めた。

「きらぅゃうぅっ!」

 泣き叫ぶルトの顔に限界だと書いてあった。外壁の裏に滑り込み、頭を抱えて震えだす。

「もう時間が無い! 俺らも早く壁に!」

 ルーズがミミル達を外壁の裏に身を隠すように誘導していく。その時シャルは壁の端から塔の方を盗み見た。オルタナの住人はもちろん、エルミ達やルーファスも、嵐に巻き上げられていくのが辛うじて見える。

 今の今まで自分も怖くて仕方がなくて頭が真っ白なままだったが、彼らがこんな事になったのは誰のせいか。もっと単純な結果なら覚悟もしてあって、責任はとる気だったが……空白になった頭から、とっくに出ているはずの「僕」という一文字が出てこなくて、やがて目を開けていられない程の水色の光が意識を吹き飛ばしていった――。


 シャル達が外壁の陰に身を隠す、ほんの僅か前。迫りくる肉壁の内部。

「はっ、はっ……だめ、もう、走れない……」

 ミミルの脚は限界を迎えようとしていた。今まで絶対に破れなかったオルタナの守り。それがいとも簡単に崩されたかと思うと、今度は訳の分からない、臓器のようなものが複雑に絡まったようなグロテスクな物体が自分を呑み込まんと押し寄せて来る。

 それが接触した人やあらゆる建築物が腐敗し崩れ落ちるのをミミルはもう幾度となく目撃している。この十六年の内で初めて感じる、明確な死の恐怖。それは全身の感覚を奪い去り、自分の抱える弱さを露呈させる。大好きなシャルは普段こんな物と隣り合わせで戦っていたのか。

「もう無理……こんな私なんかじゃ生き残れなかったんだ……」

 虚ろになった目は前方から歩いてくる胴の無い双頭の馬の群れを映し始めたが、何も思わない。彼女はもう諦めていた。脚が硬直し、その場に泣き崩れてしまう。

「私、なにがいけなかったのかな……? ウソばかりだから、罰が当たったの? 私が私でい続けられる所なんてどこにあるんだろう……こんな私なんかじゃ、ここにいちゃいけないんだろうな……」

 ――行きなさい、そこなら――

「……誰?」

 ――あなたの全てを受け入れるモノ、と言えば喜んで貰えるかしら?――

 頭に直接響いてくるような、すぐ隣から囁かれているような感覚。そちらを見やると、自分の目の錯覚だろうか、道に大きな縦穴が空いている。そこからは明るい陽の光が噴出して来ていて、その底に見える芝生の大地はこんな状況では限りなく魅力的だった。

 ――その先で私を生み出してくれるのを、楽しみにしてるわ――

 感覚が無いのはいつの間にか腕の方で。無意識に、かつ自ら望んで、ミミルは手を伸ばした――。


「………………」

 一番に意識の戻ったシャルは大の字に倒れたまま、起き上がる事も言葉を発する事もなく、ただ無感動に天を見上げていた。

(夜、か……流れ星、よく見えるな……当たり前、か……)

 オルタナは塔の爆発で消し飛んだ。あの謎の生命体達も全く見当たらず、残るは元の大きさの十分の一もない、申し訳程度の瓦礫の山だけ。時球は一つも見つからなかった。シャルは結果的にクロク平野の六つの町村のうち、四つを壊滅させたのだ。

(父さん……もう、会えないんだな……最後に話した言葉、もっとよく覚えておけばよかった、よ……)

 もう皆目を覚ましただろうが、誰にも顔をあわせられる気がしなかった。澄み切った頭とまっさらな時間がやっと与えられて、これまでの考え方を振り返り自分がどんなにか狂って、真っ当な理由を付けてわがままを押し通していたのか見えてくると、涙だけが止まらなくて。

(なんであんな事しようとしたんだろう……それに僕、繋がった先の世界の僕がどんな思いをするかだって、考えられたはずなのに……)

 視界の端から丸々とした男性の顔が伸びてきて、吐き捨てられたものが顔に当たる。今のシャルには言葉は入って来ず、細かい表情や口の動きも分からないが、シャルには罵倒されているのが目を見れば分かる。ゆっくりと刃を眺めながら刃こぼれした剣を抜くと、どんな力が出たのだろう、いつの間にか刀身の根元までが彼の腹に沈み込んでいた。

(この人知ってる……確か政府区になってる西エリアのトップだって何処かから聞いたっけ……でも僕はこの人が仕事してるの、見た事も聞いた事もないな……ルーファス達、辛い思いしたんだよね……)

 右手を突き上げたままで腕を伝ってくる血を眺めていると、がくんと衝撃が走り、突然重みが増した。男性の体の向こう側から垂れ下がる見慣れた黒髪は、シャルの朦朧とした意識を一気に覚醒させる。

「ル……なんで!?」

「ごめん、ここで私がいなくなったら、辛いなんてものじゃないよね……でも聞いたの、最初から全部」

 飛び上がらんばかりに体を起こすと、少し離れた所でルトがこちらを見て泣いて――さっきまでのように涙が出るだけではなく、今は本当に心から泣いているのが口元から伝わってくる。彼はすぐ理解できた。自分も不器用で馬鹿正直だから、聞かれた事はあったままを言って人を落ち込ませてしまった事に気付いた時の無力感と後悔は何度も味わった。

「やっぱり私も、私がここに来た事が皆を殺しちゃった原因としか考えられなくなっちゃって……それで……」

「そんな事ない! あれは偶然だよ!! お前のせいじゃ……っ!」

 すぐに傷を押さえてやるが、そんなものではどうしようもない事は前回の事で身に染みている。

 助からない。ナイフを刺されて死んだ女が同じ場所に長剣を突き刺して生きているはずがない。

「シャルも同じ事思ってなきゃ、そんなに泣いてるのの説明が付かないよ。強かったもんね、大抵の事なら相手の都合を補完して納得する方に頭使ってたのに。これじゃ逃げ場がないから、やり切れなくなった。違う?」

 言葉が返せなかった。何を考えても文章にまとまらなくて、顔を拭う位しか出来ない。

「私さ、ここまでする程大事に思われてたっていうのは、素直に嬉しいんだ。でも結果、私一人の為に数え切れない位の人が帰ってこなくなっちゃった……存続が掛かってた人達もいたんだってね?」

「…………」

「私はそんなに大した人間でもないからさ、そんなプレッシャー、きっとすぐに負けちゃう。その時、時間が経ってればそれだけ、シャルの心に穴が開いちゃうと思ったら、そう考えたらもう、こんな風にしか……」

 力尽き崩れ落ちる彼女を今度はしっかりと抱きとめる。耳元で最後に聞こえた言葉に、彼は初めて声を張り上げて泣いた。

 ――幸せになってね。

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