トゥルースへ
「ふう、ようやくゆっくりできそうだ」
オルタナの住宅街では、買い物帰りのフェイがいつも通り穏やかに生活している人々の雑多な喧騒を聞き流しながら歩いていた。最近は家の事はシャルとルトによく手伝ってもらって三人でこなしていたから、久しぶりにいざ一人でとなるとなかなか骨が折れる。
「見て見てネイル新しくしたの」
「うそマジ? 超いけてる」
すれ違った女の子達を、ちらと見やる。少し前まで騒ぎになっていた、あの時ルトが攫われた工場で「焼け死んだ子」の一人であった。友達が数日前の過去から引っ張り上げて来たのであろう、自分がそんな目に遭ったと聞かされた時どう思っただろうか。いやもしかすると何も思わなかったかも知れない。
「そろそろあの子達が帰って来ても大丈夫そうだな……ん?」
突如。ざわついていた街にもカンカンとよく響く警鐘の音が鳴り始めた。もうすっかり聴き慣れた防衛戦の開幕を告げる音。高い外壁の向こうの空を見上げると何本もの黒煙が上がっている。普段中心戦力となっているシャルとルーズが不在の今、この街の人達はしっかりやれるだろうか……彼は表情を曇らせると少しでも手伝いになるべく、家に駆け込んで少し埃をかぶった弓を持ち出した。
「くっ……こいつらルーズばかり狙いやがって!」
「二人とも急いで! ここじゃ危なくて戦えないよ!」
シャルら三人は追いすがる数匹のオオカミの攻勢をかわしながら、西へと走っていた。もうすぐそこまで見えている大きな丘の上、そこだけ雲が裂けていてこの薄闇の中で明るく光る花畑の集落、あれが次にルトが選んだ目的地のトゥルースの村。
しかし、そこへ至る障害は少々大きかった。村の周囲にはいつからか毒沼が湧き出す所が増え、高低差の激しい小丘群になっている上に最近では局所的に地震まで起きているという魔境。そんな場所でオオカミ――そのなりそこないのような連中に目を付けられてしまったのである。
「ケエェッ!」
一定の距離を空けながら並走してそれらは時折隙を見つけては奇声を上げて飛びかかってくる。シャルは疲弊の激しいルーズを庇ってその牙を剣で受け止め、肉の一部が溶け落ちた前足を斬り落とす。一旦は吹き飛んで動かなくなったその体からはすぐに新しい脚が再生して起き上がってくる。通常の生物ではない……つまりはキメラという事だ。
「獲物は弱い相手から一体ずつ、時間かけて確実に仕留めるのが狼のやり方! あっちもムリはしてこないと思うから、どうにか守って走って!」
「さりげに傷つく! あなただって丸腰なのに!」
紫色の体毛で毒沼の景色に溶け、自らも毒液で体を溶かして血を流しながら襲い来るそれらに、ルトはなぜか全く狙われていなかった。
「どっちにしろこの数でバラバラに襲って来られたら対応しきれねえよ! この方がまだマシだ」
おかげでシャルは沼の上に木の板で組まれた細い道を踏み外さないようにしながらルーズを護衛し続けるのだが、そのまま走るのも限界かと思われた時、彼女の足に食らいつこうとした一匹のキメラがくぐもった悲鳴と共に怯んだ。
「あ、あれ! 村の入口に誰か立ってるよ!」
「走れ! もう少しだ!」
丘の上ではいつからか、大きな弓を構えた青年が的確に近づくキメラを牽制してくれていた。次第に追走する群れとの距離は離れ、息も絶え絶えの彼らは集落にたどり着く事ができたのであるが、キメラ達が諦めて引き返していくのと同じようにその青年の姿も丘を登りきった時にはもう見あたらなかった。




