ルトの小さな足かせ
「なんで~!? みんながボクのこと怖がってさけていくよ!?」
朱色の陽が西から降り注ぐ頃、二人は首尾よく薬を用意して帰路についていた。
「当たり前じゃない、ちょっとホラーよ今のあなた」
トドメの一撃の直後、深い血だまりの中にぼちゃんと落ちたせいで今のルトはとても見られる姿ではない。長い髪がこれでもかと血を吸い込んで、子供がすれ違えば一生トラウマものか。
「ねぇルーズぅ、キメラって何なのかなぁ?」
「分かんないけど……あんな風に身近で突然変異が起きる事もザラだからね、割り切っといた方がいいよ」
「そうじゃなくてさ、どうして仲良く出来ないんだろうね? キメラってさ、普通じゃいないくらいものすっごく強くなった生き物でしょ? ボクだってそんな感じのと一緒に生活してたよ」
「私だってよく分かってないもの、それに! 第一それ十年以上先の事じゃない!」
「あ、そっかボク過去に来てるんだったっけ……じゃあその頃には状況が変わるのかな? 早く十年経つといいね~」
あの後青年も父も、あとから集まって来た飼育員たちも、ルトのやらかした一連の行動を咎めも誉めも出来ず、ただただ驚いていた。
自分達は危険なキメラを討伐したが、頭が冷えてくると彼らにとって大事な家族を殺したばかりか施設の破壊まで、と理解してルーズは何と言われるものか肝を冷やしたが、それは杞憂に終わった。大切な存在ではあるものの放置しておくのは困る、かといって自分達にはどうにもできず、一度匿い始めた以上町民にも言い出しずらかった……という均衡のとれた状態だったようで、全員成り行きに従う気だったそうだ。牧場主の父親だけは、頭の潰れた死体を見て涙も見せたが。
ただ沈黙する飼育員達に囲まれて途方に暮れている二人を見かね、あの青年が慌てて切り出した。
「あのさ! え~とまぁあれだ、とにかく俺らを守ってくれた事になるしさ、サービスして製粉もやってやるからさ! あ、金ももういいよ! 俺が自腹切っとくよ! ほら、入った入った!」
畜舎の穴からではなく正面玄関口まで迂回して入らせたのは気を遣ってくれたのだろう。ルーズらは少しの後ろめたさを感じながらも、そそくさとその場を離れた。
「ほら。今日の事はあまり気にしないでくれな。皆一つの意見に傾くのが嫌で口に出せなかっただけで、きっと感謝してるさ」
青年はすぐ飲めるようにした粉末の入った小袋を手渡す時にしっかりフォローを入れてくれたが、決してこちらを見ようとはしなかった。彼もキメラに対して分け隔てのない感情は持っていたのだろう、まだ納得できない様子だった。
「うん……何て言ったらいいかわかんないけど、とりあえず、ごめん。私あいつを見ただけで、事情も知らずに色々言って……お父さんにもよろしくそう伝えて」
ルーズは安全のためとはいえ、自分の口が厳しすぎたと反省していた。迷うな、殺せ。それは赤の他人だからこそ軽く口に出来る事だった。
再び沈黙が流れる。その空気を変えようとしてかは分からないが、ルトは青年の手を強く引くとちょきちょきと鋏を使う真似をしてみせる。
「ありがとう! ところでさ、何か切れるもの持ってない? できるだけよく切れるのね」
「は? ああ、分かった。ちょっと探してくるよ」
彼は一瞬暗く沈んでいた表情を弛ませると、畜舎の奥へ消えるとすぐに戻ってきた。
「あったぜ、これでいいか?」
青年からルトに渡されたのは動物の肉を裁断するための大型のナイフ。
「そうそう、こういうのこういうの」
「何するつもり?」
「これこれ!」
さっきむしり取ったキメラの翼。いつの間に回収したのだろうか。ルトはその場に座りこむと、慣れた手つきで中の骨肉を掻きだし始めた。
「へえ上手いもんだな、経験あるのか? 家業は狩人か何かか?」
「ううん、お父さんは花火師なんだ、始めたばっかですごいのは作れないけど。これは自分で覚えたんだ~」
「ほう、自分でか。よくそんな機会に恵まれたな」
「ボク、よく家の近くの森に行ってさ! 秘密基地作って何日も過ごしたりしてたからね~これくらいはね~!」
狩りをしながら森で秘密基地ってそんな男の子みたいな……とルーズは思ったが、この子ならば違和感がないとも思った。
「とか言って。本当は悪戯して閉め出されたんじゃないか? 家の壁も破ったりしてさ」
青年の口からからかうような冗談が飛び出す。だいぶ気が紛れたようでなによりだと思う。
「あのねぇ、いくらルトでもそんな事そうそうある訳が――」
「あ~うん、そういう事もたびたび……」
「……今後は気をつけてよ」
「はぁい……よし、で~きた!」
両翼合わせてルトの身長と同じくらいの翼が支えの骨と皮、翼膜を残して空っぽになった。これで年月に負ける事はそうそうないだろう。
「今見るとけっこう小さいね~。こんなんで飛べたのかなぁ?」
「ずっと出してやらなかったからな、退化したのかもな」
「これで飛べるくらい力があったのかもよ?」
「もしかしてただのかっこつけで、飛ぶ気なんてなかったのかも!」
三人で色々と仮説を出すが、そもそも誰もキメラというものについて詳しく知らないので無意味な憶測だった。キメラと話せでもしない限り、彼らの身体的謎は解けないだろう。
「で? それをどうするのルト。売れば結構なお金になるかもしれないけど……」
(この子がお金を目的に行動するとは思えないしね……)
ルトは外に出て、両腕を見た目は燕っぽいが構造は飛龍などのそれに近い翼に通した。爪のあった部分は切り落として、そこから指を出す。ちょうど神話に出てくる、鳥人のような姿だった。
――バサリ……!
ルトが羽ばたくと、大きく体が浮き上がる。一振りしただけで体二つぶんくらいは浮いただろうか。空中でもう一度。重力に打ち勝ったようだ、何度も羽ばたくと僅かずつ上に上がっていく。
「わ~い! とべるとべる~! アハハ、足が変な感じ~!」
「うそ、そんなので!? 私もやらせて……あ~でも私あんなのに手を入れたくない!」
下半身をばたつかせながら子供っぽくはしゃぐルト。その様子を見るや、青年は当初の仕事に戻ろうと畜舎に足を向けた。
「ははは、よかったな。さて、もう俺は失礼させてもらうぜ。君らも用は済ませたんだ、そろそろ帰ったらどうだ? 待たせてる人がいるんだろ?」
まだ目的を達していないことに気付かされたルトは慌てて下降してきて、慣れない着陸に四苦八苦。
「そうだった! とと、落ちる落ちる。もう戻らないとシャル待ってるよね」
「そうね、明日まで響いたら困るもの。それじゃあ今日は突然失礼しました、でいいのかな? さようなら!」
「へぇ、そんな事がね……」
帰り着いてからずっと、ルトは今日のことをシャルに夢中で話していた。学校の出来事を親に逐一報告する子供のようだとルーズは思う。
「そ! 結果的にだけど苦労して手に入れたんだから、ちゃんと飲んで今日中に治してよ」
「へいへい。ところでルト、お前その格好で帰って来たとか言うんじゃないだろうな?」
「え? ボクそんなに変かな?」
「だからね! 胸が血だらけで両腕にでかい翼通した女の子が大通りをニコニコ笑いながら走り抜けていったら絶対怖いわよ!」
その避けられっぷりはかなりのもので、宿の主人もそれが誰かを判別するのにかなりの時間を要したばかりか、無料でいいからと特別に風呂の用意までしてくれた程。
「ルト、頼むから周囲の目も考えてくれよ? ……一緒にいづらくなるからさ」
「う、うんまぁ、気を付けるね……それよりどう!? 効いた!? ねぇねぇねぇ!」
「ゴフッゲホッ、あのな。今飲んだばっかじゃねえか!」
いきなりベッドによじ登って彼の胸にすがりつき、目を輝かせるルトをシャルは萎えがちな腕で引き剥がす。伝染りでもしたら事だ。
「ボク、ずっとそばについてるからね。してほしい事があったらすぐ言ってね! なんでもするからね!」
「あーそうか、じゃあまず風呂に入ってきてくれ、血生臭ぇ!」
「ふふ、なら私も。もういい加減血と動物の匂いとはおさらばしたいわ」
その夜、ルトは本当にシャルに尽くしてくれた。十分過ぎる程に。
「えと、シャル、枕はまだ冷たい? あ、もうおかゆ冷めたよ! 何か何か……あ、首にネギとか巻く?」
「だぁ! もう寝てりゃ治るよ!」
顔を真っ赤にして、そっけなく突き放すシャル。彼は人に優しくされるのに慣れていないから、こういう時素直になれないのだとルーズは知っている。
一箇所にとどまっていられず右往左往するルトとは対照的に、ルーズはベッドの上で手持ち無沙汰にしていた。彼女がなんでもすぐにやってしまうので、正直出る幕がない。
「やけに熱心ね~ルト。どうしてそんなにシャルッ子なの?」
「えっと、宿がヒマだからっていうのもあるけど、やっぱりシャル達はボクの面倒見てくれてるしね。あ、あとね、よくわかんないけど、シャルのこと見てると甘えたくなって、なんだか段々落ち着かなくなっちゃってきてね……もちろんルーズにも一緒だけどね!」
「へぇ……はは~ん、そうなんだ、困っちゃうわね~。ふふふふ」
ルーズが二人を見比べてほくそ笑んでいるのに、さしものルトも居心地悪さを覚えたらしい、慌てて話題を変えた。
「そ、それよりさ! ルーズは戦い慣れてるんだよね、全然逃げようとしなかった」
「うん。あの暇な外壁の見張りが敵襲を知らせた時の防衛戦にちょくちょく参加してるよ」
「何回か見に行ってみたよ。それでなんだけど、ルーズはどうして戦おうと思ったの?」
「どうしてっていうか、それが普通だと思うんだけどなぁ。自分たちの街は自分たちで守る。当然の事なのに、残念ながら女は私の他に指折り数えるほどしかいないのよね、あぁ嘆かわしいですこと」
ルーズは大げさに手でやれやれ、とジェスチャーをしてみせる。ルトは当然かぁ、と復唱したかと思うとしばらく黙って……壁に立てかけてあったシャルの剣を何度か振る真似をしてみせる。
「ボクもそれ、一緒にやっちゃダメかな? ボク、結構強いよ!」
「いいや、やめといた方がいいよ」
不意に、シャルの方から返事が返ってきた。
「お前はあくまで、この時代にとってお客さんなんだ。街を守る義理もなければ、こっちで何かあったら元の時代の家族になんて言えばいいか。いくら強くたって運が悪けりゃ怪我もするし死にもする。危険は少ない方がいい」
「シャルの言う通りだよ。確かにルトが一緒なら心強いけど、あなたがこの時代で死んじゃったら家の人達が困るでしょ? 普通に死ねば普通に皆が悲しんで、もちろんそっちも嫌だけど、ルトの場合は違う。いつ帰って来るかもどうしてるのかも何も知らないまま待つしかないんだよ? ……それでも無茶が出来る?」
死んだ事すら伝える事が出来ない。それは遺族が諦めない限り十年でも百年でも行方不明になる事を示す。
「うん……わかった。もう言わない……もちろんボクも、時球で生き返らせてなんて言う気もないもん」
ルトは目を伏せてひとしきり黙り込んだかと思うとベッドの上で丸まってしまう。三人とも二の句が告げなくなって、彼女につられるように二人も床に入る。
「……おい、ルト」
やがて彼女が本格的に眠る前に、シャルは静かに声をかける。
「……なぁに?」
「病気のこと。もうほとんど大丈夫だ、ありがとな」
「ん……うん!」




