畜舎に隠れたもの
「二人ともー、そろそろ起きなさーい! もう陽は上りきってるんだからね!」
ルーズが大声をあげながら二人の毛布を剥がしとっていくので、彼は目が覚めた。彼女の朝はいつも早い。自分はかなりの寝坊癖があったしルトはそもそも朝だから起きようという習慣が薄いので、もっぱらこの旅行ではお世話になってしまっていた。
「ああ……ありがと――うっ……!」
まだ睡魔は去っていなかったがひとまず上半身だけでも起こそうと腕をついた時、ひどい寒気と頭痛が襲ってきた。
「ど、どうしたの!?」
被っていた毛布が湿るほどの寝汗もあって、完全に体調を崩してしまったのだと分かる。吐きそうになるのを堪えながらどうにかまた横になるだけでも相当な苦であった。
「咳はそれほどでもないけど、高熱と喉の焼けつき、頭痛……ね。風邪にしてはちょっと症状が重そうよね」
「シャルがどうかしたの? わ、病気? 大丈夫そう?」
毛布を奪われても髪にくるまってなかなか起きようとしなかったルトが異変に気がついて駆け寄ってくる。もうすっかり疲れも取れたようだ。
「悪い、あんまり病気とかしないタチだったんだけど……こんな時に」
「う~ん、あのトンボの粉のせいかなぁ?」
そうかも知れない。一昨日森でキメラ二体と交戦した時に、シャルはもろに鱗粉を器官に入れてしまった。おそらくは軽い毒が含まれていたのだろう。
「――さて、どうしたものかしらね」
ひとまず彼を寝かせておくとして宿の階段を下りつつ話し合う二人。
「やっぱり薬がいるかなぁ?」
「ううん、キメラの毒で体が弱ってるのだから当てずっぽうで薬を用意するより何か栄養の強い、強壮剤になりそうなものがいいと思うんだけど。思いつかない?」
ルトは頭をひねった。色々候補になりそうなものは知っているが、今の自分達が町で手に入れられそうな物でなければならない。畑と牧場と……。
「あっ、そういえばゼザが……うん! 山羊の角とか買ってこれないかな!」
商店街の大門をぬけると、それまでの両脇に規則正しく家屋の並んだ街道の風景とは打って変わって芝生と飼い葉に覆われた平原が目の前に広がっていた。
「これが牧場かぁ。森のウサギたちにそっくりなにおいがする~」
平原を歩いて、とりあえず彼方に見える畜舎群を目指していると、そのうちに放牧されている牛や兎、羊、鴨などとすれ違った。その度にルトはトテトテとついて行っては抱きついたり、頬擦りしたり、逃げられたり、頭突きを食らったりしていた。時々ルトの事を異常に怖がる素振りを見せるものもいたのが気になったが、人に慣らされていないだけだろうか。
「楽しそうだね。ルトは牧場初めてなんだ?」
「たはは……元の時代ではオルタナと家の近くの森しか行った事なかったから」
やがて畜舎に着いた時、ルトの心はその隣の区画に向けられる。
「角なんて売って貰えるものなのかしら、お願いしてみよ……ルト?」
「…………あ、あれ! ちっちゃい頃読んでた絵本に出てきた! 会いたかった~! ねえ、あっち行きたい! いいでしょ! ね!」
ルトの指差した方では、二人の飼育員が馬の世話をしている所だった。
(あ~、馬かぁ……確かに惹かれるよね……私も最初来た時はずいぶんせがんだっけ)
「うん、いいよ。こっちは私一人で大丈夫」
「ホント!? ぃやったやったぁ!! ありがとルーズ!」
あんまり行きたがっているので無下にするのもかわいそうだ。正直、ルトがいない方が話が早く進みそうだと思ったのは表に出さないようにしておいた。
「ごめん下さーい」
ノックをして藁くずの積もる正面扉を開けると、予想通り激しい動物臭が鼻を突いた。
「ん? どうしたんだ? 一般開放の期間はもう少し先のはずだぜ?」
牛や馬の囲われている間を行ったり来たりしながら掃除をしていた青年が目線だけこちらに移して応対する。忙しい時に来てしまったかなと思ってルーズはより丁寧に姿勢を正した。
「あの、今日はそういうのじゃないです。ちょっと山羊の角が入り用になりまして、よければ売って頂けませんか?」
「ああそっちね、オッケー。すぐ査定してしまうからついて来てくれ。ちょっと訳ありで割高になっちゃうけどな」
山羊の放たれている区画は、畜舎との間に先程の馬の区画を挟むような位置にあり、青年が角の査定をしている間じゅうルトの姿が確認できた。
しかし彼女は本当に自由だ。ルーズもさっきまで知らなかったものの、本来なら規定の日以外あまり動物には近寄らせて貰えないはずなのだが、ルトはそんなものどこ吹く風で大型の馬に跨って駆け回っていた。大方ルト流の方法で飼育員らを誘惑したのだろう。
「おぉーすげえな。あの馬結構暴れるのによく乗れたもんだ。ちゃんと上下関係が出来てないとすぐ振り落とされちまう」
青年はあまり気に咎めた風でもないので心の中でそっと胸を撫で下ろす。少々肝を冷やす場面もあったが、小柄なルトが長髪を振り乱しながら馬を駆るのは、なかなか絵になった。
「おい姉ちゃん、聞こえる?」
ハッとして向き直ると、どうやらかなりの間見惚れていたらしい、もう青年はとっくに査定を終え、切り取った二本の角を持っていた。
「今いる雄がこいつだけでさ、そのくせ結構上質。このくらい貰わなくちゃいけないんだけど出せるかな?」
「う、足りるかな……? ちょっと待って……」
明細を見てぎょっとする。結構高くつくものだ、ルーズもまた街に帰ったら働きづめになるかもしれない。
まあ払えなくはないーーと、その時。後ろから響いていた蹄の音が明らかに乱れた。
「危ない!!」
「わきゃ~~~~!!」
(ありゃりゃ、転んだのかな……骨を折らなければいいけれど)
心配ながらもルーズはまだ金銭を数えるのに集中していたが、更に数秒後に何かの崩れるような轟音が聞こえてきて、思わず財布を取り落としてしまった。
「ッ!? ……うっわぁ、何やったらあんなことになるのよ!」
向き直るとルトの乗り回していた馬は大きく向きを変えて畜舎の壁に突っ込み、巨大な風穴を開けていた。
「あっ、あの! すみません、あの子私の……」
「……まずい」
すぐにルーズは平謝りするが、当の青年は顔を真っ白くしたかと思うと、ルーズを無視していずこかへ走っていってしまった。
「親父!! 急いで来てくれ~!!」
「あ、ねぇ待って! 一体どうしたの!?」
「う~、いちち……」
馬はのびてしまい、衝撃でルトも前方に投げ出されて目を回していた。突っ込んだ部屋は相当きつい糞尿の臭いで満たされていて、慣れていたルトでも少々頭痛を催す程だった。
「こんなはずじゃなかったのに。みんな、怒るだろうなぁ……」
出て行った時の周囲の反応が怖くなって穴を見つめたままうずくまっていると、突然背後から誰かに蹴倒された。ざらざらした床に顔を擦ってしまって、少しだけ目をつり上げてそれに抗議する。
「ふみっ。いったぁ~~。こんの~、何すんの……さ?」




