プロローグ
――北海道某所
暦の上では春を迎えているのだが、北海道はまだ雪が残り、若干肌寒い日が続く。夜に出歩くとなると、やはりまだ冬物のコートや防寒アイテムが必須だ。
「さーむーいー! なんで今日に限ってこんな寒いのよ! 手も悴むっての!」
両手を脇の下に入れ、体を縮めながら一人の女性がそう叫んだ。
明るい紅色の長髪が特徴で、それを頭の右側でサイドテールにしている。それに加え、整った顔立ちに映える切れ目と、ダッフルコート越しでもわかる女性的な体型。健全な一般男子であれば、確実に憧れるであろう。
背はまぁ、小さい方ではあるが、それもまた魅力である。
「手が悴むのであれば、手袋を履いてくれば良かったでしょう?」
そんな彼女のすぐ隣で、長身で細身の男性がアンダーフレームのメガネの位置を直しながらそう言った。
深い紅色の髪を長めのショートカットにしており、顔立ちは整っている。常に微笑みを浮かべているような印象を受けるが、実際のところ、その目は切れ目である。
早い話が、今隣にいる女性と顔つきがまったく同じなのだ。
「うっさいなぁ! 手袋履くとうまく指切りができないの!」
「……手が悴むと結局同じじゃないですか?」
「う……。でも手袋履いてるよりはマシだよ!」
「はいはい。わかりました。そう言うなら、僕はもう何も言いませんよ。それより……」
そう言った男性のメガネの奥には、鋭い眼光が宿っていた。彼の視線の先、そこに現れたのは、まさに『異形の存在』だ。
人型であることは間違いないのだが、どこかアンバランスなのだ。
『ウウウウおおおおおお!』
人ならざる存在が咆哮をあげる。人気の無い廃工場に殺気が満ち溢れた。
「そうだね。さぁ『お仕事』しないとね……!」
そう叫び、女性が脇に入れていた両手を出す。そして両腕を左右に広げると手の中に光が満ちた。その光は少しずつ形を成し、二丁のサブマシンガンとなった。それを水平に持ちながら構え、異形の存在に狙いをつける。
「さて、合わせてくださいよ! 舞依!」
そう叫び、男性が異形の群れに突っ込んでいく。ダッフルコートを着ているとは思えない程の身のこなしで。
革製のグローブに包まれた両手から光が溢れ、それが一振りの太刀となった。抜き放った刃が銀色の弧を描く。
「誰に言ってるのさ! 雅依!」
女性――舞依――がサブマシンガンのトリガーを引いた。異形の咆哮すらもかき消す鋼鉄の咆哮。そこから撃ち出された弾丸は雨霰のように異形たちに襲いかかる。しかも、その弾丸は男性――雅依――に当たることはなかった。暗がりで狙っているにも関わらずだ。
「さすがですね……!」
舞依の射撃により動きを封じられた異形たちは身動きが取れず、雅依は容易に接近することができた。
そのまま躊躇せずに右手の太刀を振り抜く。太刀を握った右手に、肉が裂ける感覚が伝わってきた。
『ウアアアアああああ!』
夜の闇を切り裂く断末魔が響き、一体の異形が事切れた。残るは三体。しかし、その全てが舞依の射撃でダメージを受けている。
だが今、弾丸の雨はない。弾倉の交換でもしているのだろう。
(まぁ、この程度なら何とかなりますね)
雅依は胸中でつぶやき、次の獲物を狙う。体を回転させながら側にいる異形に一太刀浴びせ、返す刃でもう一太刀。反撃を許さないその連続攻撃は、どこか冷酷さすら感じる。もちろん、標的となった異形はその命を終わらせている。
これで後二体。彼は直ぐ様次の標的を狙うために振り向いた。
その刹那、異形の一体が反撃してきた。大きく変形した爪が、空を切って臥依に襲いかかる。
「おっと。危ないですね」
などと軽い調子で独りごちながら、雅依はその攻撃を危なげなく躱した。今度はこちらの番である。
いざ斬りかかろうと全身に力を込めた瞬間、
「まてぇええええ!」
自身の目に飛び込んできた光景と、耳に届く叫び声に、雅依は思いっきり脱力した。
「兄ちゃんに何すんだこの化物!」
雅依の視線の先には、異形に馬乗り状態になった舞依の姿があった。その右手に握られているのは、ソウドオフされたレバー式のツインバレルショットガンだ。新たに取り出したのだろう。
その銃口を異形の頭部に押し付け、舞依がトリガーを引いた。
――ドン!
一際大きい発砲音が響き、銃口から放たれた散弾が異形の頭部を弾けさせる。間違いなく絶命だろう。
彼女のショットガンは残りの一体にも向けられ、咆哮を上げた。同時に放たれた散弾は異形の両足をミンチに変え、身動きを封じる。
舞依は、もがき苦しむ異形に近づいて空いている左手にサブマシンガンを具現化させ、その銃口を向けた。
「あたしを怒らせたあんたたちが悪いんだ!」
叫びながらトリガーを引き、弾倉にある弾丸全てを異形に叩き込む。弾きでた薬莢の乾いた音が消える頃には、異形の原型は留められていなかった。
廃工場に沈黙が訪れる。異形たちの亡骸はいつの間にか霧のように散り、殺気の残り香も、徐々に薄まっていった。
「……お仕事終了。ですね」
雅依はそう言って太刀を消し、ずれていたメガネを直した。いつもの微笑みを携えた表情で。
「あーあ、なんかお腹減ったー。雅依、コンビニでなんか買ってこーよ」
同じようにショットガンとサブマシンガンを消して、舞依がそう言った。どこか猫をかぶったような声音で、乱れた髪を直しながら上目遣い。一般男子ならこれで一発ノックアウトだろう。
雅依はこれを『舞依おねだり形態』と呼んでいる。
「わかりましたよ。ちょうど僕も小腹がすいていたところですし、寄っていきましょう」
ため息混じりではあるが、臥依はそう答えた。滅多に呼ばれないが、やはり彼は兄であり、舞依はかけがえのない妹なのだ。
「さっすが兄ちゃん! わかってるー!」
満面の笑みを浮かべながら、舞依が抱きついてくる。彼女にとって、誰よりも信頼できるのは、幼い頃から共に育った兄の雅依だ。普段あまり兄と呼ばないのは、わざとの部分と照れ隠しの部分があったりするのは秘密である。
そのまま舞依が腕などを組んできたが――傍から見たらまるで美男美女のカップルのようだ。
――とりわけ雅依も拒むことなくごく自然な様子で、二人歩調を合わせながら、廃工場をあとにした。