知っていますか、理解できますか
知っています、ということ。
わかりました、ということと。
理解できました、ということは、違う。
僕は、地球が丸い、ということを知っている。
ただ、山があったり、深い海があったり。
大きくでこぼこしているのに、なぜ丸いといわれるのか。
それを、理解できてはいない。
片づけをしなさい、ということに。
わかりました、と応えても。
片づけの理由がわからなければ、元と同じ事。
ある話をする時に。
特に、僕が嫌いな内容で。
理解できないという事を前面に出していく。
それは、わかっているけど、止められない、ということ?
なぜ、それが起きたのか。
なぜ、それを起こしたのか。
説明を聞いて、わかった気になるけれど。
理解する気は、さらさらない。
それは、理解してもらわなくても、何の問題もないから。
だって、通院歴がありました、というと、説得力があるでしょう。
通院歴がある人は、自らからか、もしくは、周囲からか。
治そうと努力をした人だという見方はできないものか。
なぜ、そこに因果関係を求めるの。
だったら、もっとわかりやすくしましょうよ。
身近な集団の中に組み込めば、理解できるかもしれないじゃないか。
自動車免許を持っていました、とか。
実は水虫だという事を隠していました、とか。
風邪薬を飲んでいました、とか。
その方が、身近に感じられると思うのに。
自分が、同じ集団の中に組み込まれるのが怖いんだ。
身近なことを、遠くに押しやりたい。
不安な場所から、遠ざかりたい。
同じ事が起こるたび。
変わりない。
同じやり取り。
それで、安心できる。
保身。
自分が大事、身内が大事。
ごめんね、僕も、そうかもしれない。
集団が、少し違うだけ。
これは、僕の考え。僕の思考。
同じ部屋にいる人でさえ、イコールにできない、もどかしさ。
僕を、見る目が変わる瞬間を、僕は知っている。
その瞳に、瞬間的に表れる。
怯え、軽蔑、様々な気持ち。
人の気持ちに敏感なんだ。
そんな目で、見ないでよ。