暖かい光が入るテーブル席にて~
暖かい光が射し込む窓際で、ティーカップを傾ける。宝石のルビーのように赤い液体を口に含むと、程好い温かさの紅茶の味。
ふぅ、と一息。口に残る甘さを楽しみながら、外の風景をガラス越しに見つめる。素顔を隠す仮面が無いだけなのに、まるで別世界に来たような、新鮮な気持ちになった。とても落ち着いて、和やかな笑みを浮かべながら懐かしい紅茶を飲んでいけば、ティーカップから紅茶が消えてしまった。
「お嬢様、もう一杯いかがですか?」
「ええ、いただくわ」
「ありがとうございます」
飲み終わるとタイミング良く初老の執事服を着た男性が聞いてきた。タイミングを見計らっていたのだろう。お嬢様呼びに内心身悶えながらおかわりをした。
ティーポットから紅茶が注がれ後、執事は一礼して席を離れていく。その横をすれ違うように若い執事が女性を連れてきた。
「ユキ様、カリナ様をお連れしました」
「ありがとう。さ、お座りになって?」
「え、ええ...」
「カリナ様、どうぞこちらに」
若い、青年の執事が椅子を引き、カリナが座る。向かい合うように座ったカリナに微笑みかけながら、カリナに紅茶とケーキを持ってくるようにと注文した。青年の執事はユキに見惚れることなく、一礼してその場から離れた。
連れてこられてから妙に落ち着かないカリナは周りに誰もいないことを確認し、ユキと視線を合わせる。ユキが微笑むとカリナの頬がほんのり赤くなった。
「あなた...誰?」
「ふふふ、何をいってるのかしら?私はユキよ?何度もお会いし、パーティーも組んだ仲ですわ」
「...話し方の素はどっちなの?」
「それはもちろんこっちだよ、カリナさん。いや~話しづらいね。見た目は優雅に話してるようにするのは。あ、紅茶美味しいから飲んでみて?」
「ガラッと変わったわね。私はそっちのほうが良いわ。でもなんで話し方を変えたの?服はわかるけど」
「はっはっは~。内緒だよ?」
ユキは人差し指を口元へ付け、同時に左目を閉じるとそう言った。つまりは誤魔化したのだ。
いつもの格好は怪しすぎて入店拒否されて門前払い。エリアルスの店で白いワンピースみたいな【鎧蜘蛛の衣】と綿のショートパンツを風対策として買い、ここにネックレスをすれば下町に来たお嬢様みたいに見えるようになった。だったら口調もそれらしくして、また追い出されないように。
ただ、それだけの理由なので言う必要は無いと思っただけです。
「それよりも、先日の事について話そう。最初に言っとくけどデブァーラの不正の証拠はバッチリ手に入れたし、これをギルドマスターに届けるのも決まってるから。だから溜めてるもの、全部吐いちゃいなよ」
「あんたは...まぁ、いいわ。久しぶりに昔話でもしましょうか。聞かせないと帰さないつもりのようだしね」
無言でにっこりと笑顔を見せることで肯定と返した。と、そこに先程の初老の執事が紅茶とケーキを持ってきた。
「お待たせしました」
カリナの前に紅茶とケーキをテーブルに置き、チラリとユキの顔を見るとティーポットも置いた。
「こちらのティーポットは魔導具でして、紅茶を美味しく飲める最適の状態で保たれます。御用件がございましたら、何なりとお申しつけください」
「ええ、ありがとう」
一礼して去っていく執事。カリナが昔話を話始める前来てくれたのでタイミングが良い。それに、ティーポットを置いていったのは空気を読んでのことだろう。さっきまでティーポットを片手に飲み終わると毎回来ていたのから数が少ないと予測できる。そんな貴重品を預けてくれたのだから壊さないようにしないとね。
そう考えてる間にカリナが紅茶を一口飲んだ。
「あら、美味しいわね」
「でしょ?今日はボクの奢りだから気にせず飲んでね「ねだ...」値段は気にしなくていいから。こほん、話が逸れたけど...カリナさんが話してくれるだけだとフェアじゃないからボクの事も教えるよ?」
「話したら本当に教えてくれる?」
「え、う、うん。本当に」
「言質は取ったわ!まずは...そうね。あいつを親として見ない理由とシエルとパーティを組むことになった理由を話しましょう」
そう話始めたカリナはニコニコしている。重い話かと思ったが、違うのかもしれない。ユキの事を教えると言ったときには真剣な表情をし、約束をしたあたりから機嫌が良さそうだ。
緊張は解れたので、喉を潤そうとカップを傾ける。
「産まれたときに母は亡くなり、祖父母に育てられたわ。で、あいつ...デブァーラに追い込まれて、犯されそうになったのが5歳のときね。その時は執事が助けてくれたのだけど、小さかったから何をされるのかわからなかったの。身の危険を感じて逃げたのは正解だったし、今思うと危なかったわ」
「......」
口に入りかけた紅茶をカップに戻し、静かに深呼吸を繰り返す。もう少し傾けていたら紅茶を霧のように吹いてしまっただろう。初っぱなから衝撃の過去だった。
カリナはケーキに乗った【リノフの実】をフォークでつつきながら喋るが、内容が重いし、暗い。とても悲しかっただろうに、それを表情に出さないのは乗り越えてきたからだろう。
デブ領主はロリコンで、娘を愛情を贈らずに欲情するド変態なのは確定だ。なるほど、今のデブ領主はその時から、つまり前の領主が健在だったときにはもうあの性格だったと...終ってるな。助けた執事は親指を立てたいほど優秀です。
「で、その執事がさっき紅茶を持ってきた人よ」
「ふぁ?!」
あの執事が?!コスプレではなく本物だと!確かに気配りができて、知性溢れる瞳をして、他の店員よりも洗練された動きだったけど、まさか本物とはね。
まぁ、あのデブァーラが逆らう者は家に残こすとは考えられなかったけど、喫茶店に居るなんて...天職じゃないか。貴重なティーポットを置いていったのはそういうのもあったからかな?
よし、落ち着いてきた。紅茶を飲もう。
「ま、あいつは懲りてなくて、子供ができるようになったその日にまた襲ってきたわ。その時は祖父母が貴族の集まりで、執事もいなくて、ある程度の知識があったから隙をついて逃げて、裏から街に出たの。それで近くにいた人に助けを求めたら家に匿ってくれたんだけど、その人がアルス・シルファール。シエル達のお父さんよ」
アルス・シルファールの名前を言うとき、カリナは悲しそうな顔をした。一度喉を潤すと憂いを帯びた顔で続きを話始める。
「当時は自分の身を守れるくらいに強くなりたくて、有名だったアルスさんにしつこく頼んだらOKを貰った。私に魔法の才能は無かったけど、剣の才能があったらしくて、身体を鍛えるところから始めたわ。そこでシエルとルティアに出会った。今じゃ考えられないだろうけど、シエルはいつも笑っていたの。喜怒哀楽はすぐ顔に出て、私をお姉ちゃんって呼んでたのよ。居心地が良くて、とりあえず祖父母が帰ってくるまでの7日間泊まらせてもらったわ」
けど、とカリナは続ける。
「屋敷に帰ったあとも鍛えて、自衛できるだけの力以上を身に付けてきた頃よ。今から半年前に、アルスさんは亡くなったわ。魔物の討伐でね?依頼は成功したらしいけど、帰還途中で魔物の群れに襲われて...戻ってこられたのはシエルと、パーティを組んでた二人だけ。それからシエルはふらふらの体で森に行こうとして、止めようとしても無理矢理進むの。ほっといたらいなくなりそうな雰囲気で心配だったわ。だから一緒に行くようになり、パーティを組むにまで至ったの。以上よ」
話終えたとばかりにケーキを食べるカリナ。ユキは紅茶を口に入れて味わいながら聞いた話を頭のなかで纏める。
しいて言えば、デブァーラは娘に欲情するド変態。シエルとパーティを組んだのはシエルが自暴自棄になっていて危なかったから、となる。
うん、デブァーラは檻に入れましょう。常時発情中のウサギならぬ豚だからね。ブタ箱がお似合いだと思う。
シエルさんのお父さんのことは...部外者が口出しできるような事じゃないから、とは言えない。だって冒険者カードとか持ってるもの。誰にも伝えられなかったけど、持ってるんだよ。タイミングが無くて伝えてないカード。
......今、絶好のチャンスでは?本題とは全く逸れるけど、タイミングは悪くない。カリナさんからシエルさんに渡してもらえればいい気がする。チキンハートなボクには直接言うのはハードルが高いのさ!
よし!
「カリナさん...これを受け取って下さい!」
ユキは懐からアルスの冒険者カードを取り出すと、まるでラブレターを渡すかのように両手で持ってカリナに差し出した。
カリナは目を真ん丸になるまで開くとユキから乱暴にカードを取り、端から端までじっくりと見る。鬼気迫る表情にユキは渡したのは失敗だったかもしれないと思ったが、後戻りは出来ない。
カリナは調べ終えたようで、ゆっくりとユキに視線を合わせた。
「これを何処で、手に入れたの?大剣は一緒に無かった?これをシエルとルティアには言ったの?」
鼻が触れそうなほど近づいてきたカリナに、ユキは冷静にしっかりと、事実を述べる。
「ゴブリンの集落、廃村で拾ったんたんだ。大剣は群れの長が使っていたのを持ってるよ。今は出せないけどね。シエルさんとルティアちゃんには...まだ伝えてない。シエルさんの話は聞いてたから、渡すのが怖くてね」
「どうして、私に?」
「ずっと持ってることに罪悪感を感じてることと、カリナさんはアルスさんのお弟子さんだからかな。直感でGOサインが出たから問題ないかな?と」
そう、と体を席に戻して息を吐く。ティーカップを持つ手は震えていたが、紅茶を飲むうちに落ち着いたようだ。
「......シエルに渡さなくて正解ね。精神が安定してないというのもあるけど、どうしてあなたが持ってるのかってことになるわ。冒険者ギルドに渡して、伝えてもらったほうがシエルは納得するしょう。それでもしばらくは心を閉ざしてしまうと思うわ。根気強く接するしかないね。ルティアは今を見てるかど、悲しいことには変わらないからユキが慰めてあげてね」
ユキが言葉を返す前にカリナは机に突っ伏した。時折、嗚咽がユキの耳に入る。辛い過去だっだろう。もしかしたらアルスさんを師匠だけでなく父としても見ていたのかもしれない。
それでも、自分の心よりもシエルとルティアの心配を優先する。強い女性だ。今までの人生で良い母を、良い祖父母を、そして良い師を持って成長したからこそ、今のカリナはいる。
ユキはカリナの隣に近寄ると頭を撫でた。ルティアからのお墨付きのなでなでだ。優しく、褒めるようになで続ける。
涙の声は次第に無くなり、静かになる。落ち着いたかなと頭から手を離せば、カリナは起き上がらない。耳を済ませると寝息が聞こえてきた。
「まさか、寝るなんてね」
「お掛けするものをお持ちしました」
「ありがっひょわ!?執事さんは気配でも消せるんですか!?あ...こほん。気配を消して近づかないで下さる?」
「言い直さなくても大丈夫でございます。一回目に来店された際には失礼しました。見た目で判断する未熟者には後ほどきつく言い聞かせますので、またいらしてください」
バクバクとうるさい心臓を押さえながら素で話してしまう。それに気づいたユキは慌てて変えたが、どうやら初老の執事はわかっていたようだ。それだけではなく、門前払いされたユキの事も知っていたようで、イラつく店員を懲らしめてくれると言う。実に嬉しい事だった。
そう考えてる間に毛布をカリナに掛けるとユキに一言だけ伝えて離れていった。
「お嬢様の事、ありがとうございます」
ユキは元の席に戻り、ケーキを一口サイズに切ると口に入れる。しつこくない甘さが口内に広がった。
ユキが上機嫌そうに見えるのは、間違いではないだろう。
結局カリナはユキの事を知ることが出来なかった。