1-1話 再就職な○○業務
『魔の森』の麓には、『ものぐさな賢者』と呼ばれるモノが住んでいる。ものぐさな賢者は、恐ろしい混ぜモノの娘で、誰も来ない場所でいつも閉店の看板を掲げた、閑古鳥の鳴く薬師である――という噂が流れていると、以前知り合いに聞いた事がある。
そう。この魔の森の麓に住んでいる人は、大変変わり者な上に、この世界では嫌われている混ぜモノ。そんな混ぜモノの近くに人など集まるはずもなく、大人しくボッチで引きこもりな隠居生活を営んでいるはずなのだ。
それが私が幼い頃から思い描いた薬師生活であり、望んでいた最高の未来だ。
これで誰にも迷惑なんてかけないぜと思っていたのに――。
「何故……」
私は、元々小さな薬屋が建っていた場所を見て、愕然とする。
しばらく国外に出かけていた為、少しボロボロになっているかもしれないと危惧してはいたが、薬屋は一応ちゃんと残っていた。
愕然としている理由は、その裏手に、何故か大きな屋敷があるからだ。貴族が住むそれよりはこじんまりとしているが、明らかにボッチの引きこもりが住む用ではない。
そして、こんな屋敷は私が出かける前は存在していなかった。
「すごーい!! ししょー、大きなお家があるよー!!」
「へぇ。先生の家って結構大きいんだな。薬師って儲かるんだ」
私の横で、自称弟子2名がキャイキャイと楽しんでいるが、私は決して楽しくはない。
ついでに言うと私のような引きこもり薬師は早々儲からない。儲からないから、海賊を通じてお菓子も売っていたりしたのだ。それに例え儲かったとしても家をでかくするなんて無駄な使い方はしない。
そんな余剰金があれば、老後に備える。
誰か隣人が引っ越してきたならまだ納得は……したくはないけれど、何とか出来る。しかし元々あった薬屋と新しい家は繋がっている様なのだ。これで他人が引っ越してきたなら、プライベートは何処にいったである。
「おっ。完成したのか。結構、空けていたもんな」
「えっ? アスタ、知っていたの?」
私は感心している様子のアスタの言葉にギョッとして振り返った。
まさか、アスタが? いや、いくらなんでもこの家の持ち主は私だ。だとしたら私に許可なくビフォア―アフターするのは色々おかしい。
「前に、ヘキサがこのままでは狭いなと言っていたからな」
「えっ」
何でヘキサ兄が?
流石にアリス先輩という可愛い奥さんとの新婚生活があるのだから、アスタが居ようとも、うちの隣へ引っ越そうなんて事はしないと思う。思うけれど、だったらこのお屋敷は何なのだと言う話で……。予想外の人物に、愕然とする。……いや、何かそれらしい言葉をチラッとどこかで聞いた気もするが、旅行で長期に離れていた為、色々な事が記憶の彼方だ。
「オクトお嬢様ぁぁぁぁっ!!」
「ぎゃうっ」
突然名前を呼ばれたかと思うと、家の方から近づいてきた犬耳の人影が猛ダッシュで詰め寄り、私は持ち上げられるような格好で抱きしめられた。
待って。駄目。内臓出る――。
「ペルーラ。オクトも疲れているから、放してあげなさい」
「あ、すみません。私ったら……長らく留守にされていたもので、感極まってしまいまして」
アスタの注意でペルーラはパッと私を放し、何とか死の危険から脱却した。恐るべし、獣人の腕力。
昔こそこうやって獣人であるペルーラの腕力で昇天しかけていたけれど、最近はペルーラも大人になって落ち着き、こんな事はなかったというのに。
「お久しぶりです、オクトお嬢様。お元気な姿でもう一度会えて本当にうれしいです」
今にも泣き出しそうな雰囲気に、そんな大げさなという気がする。
「あ、あの。ペルーラ」
「もしかしたらこのまま黒の大地で永住してしまうのではないかと、ずっと心配しておりました。伯爵様もずっと心配なさり、帰ってきた時にオクトお嬢様に苦労がないようにと、家の立て直しを行われていたのです」
やっぱり、あの家はヘキサ兄がビフォア―アフターしたのか。
でもやっぱり一言ぐらい言ってから始めようよ。そうすれば、こんな無駄遣いはしなくて済んだのに。
かなり横暴な対応に、私は心配かけて申し訳ないという気持ちよりも、少しムッとしてしまう。
「ですからこの後、伯爵様の家を訪ねて、帰ってきた事を報告して下さい。伯爵様が首を長くしてお待ちになられています」
ペルーラの予想外の言葉にムッとしていた気分が一転して、ギョッとする。
「えっ? ……私を? アスタじゃなくて?」
「はい。オクトお嬢様をです」
……ヘキサ兄が私を呼ぶなんて、嫌な予感しかしない。
もしかして、伯爵家に収める薬をずっとサボっていたから怒ってます? 少しだけホンニ帝国に行くだけの予定だったが、予定よりも帰って来るのが遅くなってしまった。
いや、遅くなった理由は私の所為だけとも言えないのだけれど、そんな事ヘキサ兄が知った事じゃないだろう。
「な、何の薬が足りないんだろう」
私が住む場所はヘキサ兄の領地だ。伯爵様を怒らせてここから追い出されたら色々困る。
「足りてないのは薬ではないかもしれないですが、片づけは私に任せて、伯爵家へ向かって下さい」
「えっと、明日とか……」
怒られたりするのは、できれば少しでも先延ばしにしたい。むしろ怒られたくないのでうやむやになるまで先延ばしにしたい。この際ビフォア―アフターも見なかった事にして、薬屋で私は寝起きをするから大丈夫だ。
「今すぐ、旦那様と行ってきて下さい」
「……はい」
しかしペルーラの言葉が正しい事は、私自身良く分かっていた為、大人しく頷いた。
◆◇◆◇◆◇
「いらっしゃいませ」
久々にやってきた伯爵低の玄関では、犬耳の執事とメイド、それと小さな犬耳の子供が出迎えてくれた。
子供は新しい使用人の様だが、お出迎えについてくるということは、執事見習いだろうか。
「その子は誰だい?」
「私の愚息で、セイロンといいます」
「初めまして、アスタリスク様、オクト様。セイロンと言います。よろしくお願いします」
セイロンはしっかりと自己紹介をするととぺこりと頭を下げる。人見知りすることなく堂々と挨拶もできて、偉いなぁと思うと同時に、この執事さんこんなに大きな子供が居たんだと思う。いや、でも獣人族は成長が早い分結婚も早い。執事さんぐらいだと、もっと大きな子供がいてもおかしくはない。
「あれ? この子、四男坊だよね?」
「はい。息子の中で一番若いのはこの子なので。今はここでしっかり学ばせていただいております」
「なるほどね」
何がなるほどなのだろう。そろそろ末っ子も、執事の勉強を始めなければならない年齢になったという事だろうか。どうやらこの執事の一族は代々伯爵家に仕えているようだし、10歳になれば奉公に出て勉強もし始めると思うけれど……。
貴族であるアスタとは違い、私はこういう執事事情には色々疎いので良く分からない。
「セイロンは何歳なんだい?」
「今年10歳になります」
やっぱり、ちょうど奉公に出る年齢に達したからという事か。
10歳なら、ホンニ帝国で自称弟子を名乗って付いてきてしまったディノといい友達になれるかもしれない。
「伯爵様と奥様がお待ちですので、どうぞ中へ」
「お荷物はお持ちします」
私より幼い子に荷物を渡すのは気が引けるが、私が荷物を持って行ってしまうとセイロンの仕事がなくなってしまうので、よく使うだろうと思われる常備薬を入れてきた鞄を手渡す。
執事に案内されながら歩く伯爵家は家具が少し変わったかなと思うぐらいで、特に変わった様子はなかった。やはりビフォア―アフターされてしまったのは、私の家だけらしい。……何でそんな無駄遣いを。
私はリフォームするようなお金など持っていないし、お金を給されると正直困る。それとも、私をローン地獄へ叩き落とす事が目的なのだろうか。
「旦那様。アスタリスク様とオクト様が到着されました」
何を言われるのかと扉の前でビクビクする。何だろう。やっぱり何か怒らせたのだろうか。心当たりが次から次へと出て来る。
アスタが勝手についてきてしまったけれど、もしかしたらそのことでアスタの職場からヘキサ兄にクレームがきた可能性もある。いやいや、アユムの事をお願いしたのに、結局アユムが私に付いてきてしまい、心配して怒っている可能性だって考えられる。外国だったので連絡ができなかったが、やはり何か対策をしておくべきだったか。
ヤバい。考え始めたら、怒られない理由が見つけられない。
「こ、心の準備を――」
不安でいっぱいになって執事に待ったをかけたが、私の声は届くことなく、ガチャリと扉は開かれた。
「久しぶりです」
「いらっしゃい、オクトちゃん」
いまいち感情の読めないヘキサ兄と、笑顔なのに迫力があるアリス先輩に出迎えられながら、私は今スグ逃げたいと、面会一秒で既に心の中で白旗を振った。