7-3話
「えっと。そんな事より、今日はアリス先輩に図書館の事で相談に来たんですけど」
このまま、この会話を続けるのは色々不味い。主に私の精神的意味で。
私はアスタとの関係をヘキサ兄(アスタの息子)に公表しに来たわけではないのだ。そもそも初めは、アリス先輩に会う予定しかなかったはず。それが、どうしてこうなった。
「えー。仕事と恋バナ、どっちが大事――」
「もちろん仕事です」
何、その、仕事と私どっちが大事なの的な話し方は。恋バナと仕事を同列に捉えないでほしい。しかも恋バナの部分で『私の楽しみ』と副音声が聞こえてきた気がして、私は頭痛を感じた。
「あら、潔い回答ね。私としては恋バナの方が楽しいんだけど。ほら、お腹の子にもイライラは良くないそうよ」
「やりたくないことを後回しにすると、後で後悔する事もあります。特に今日の話は、今後重大な問題を抱えているので、今は仕事が大事です」
何だか色々ブーメランで私の元へ返ってきそうな内容な気がするけれど、後回しによるしっぺ返しを食らいつづけている私だからこそ言える言葉だ。
私が真っ直ぐアリス先輩の目を見れば、彼女は目を閉じてため息をついた。
「オクトちゃんが言うと重みが違う気がする言葉ね。分かってるならオクトちゃんも色々後回しにしないようにね。それで? 今度はどんな問題が起こったのかしら?」
アリス先輩の言葉に、ぐさぐさと色んなものが突き刺さった気がしたけれど、とりあえずその痛みは頭の隅に追いやっておく。うん。考えるのが面倒――じゃなくて、優先順位が今最も高いのが、図書館業務の事についてだからだ。断じて、面倒だから考えるのを後回しにしているわけじゃない。
「……あっ。えっと、実はエナメルが、白の大地に帰ろうかと考えているようなので、どうしようかと」
「えっ? ちょっと待ってちょうだい。あの子、本当に帰るって言ったの?」
目を見開いて驚かれて、私は何かおかしな事を言っただろうかと自問する。
確かに帰られると困るけれど、白の大地が彼の故郷なのだから、帰るという選択をしてもおかしなことではないと思う。ならアリス先輩は何にそれほど驚いたのだろう。私はエナメルの言葉を再度脳内でリピートした。
「正確には、一度戻ってくるようにエルフ族の村から手紙が届いていると言っていました。すぐに帰るつもりはないような事も言っていましたが、でも実際帰る事になれば、この国へ再び戻ってくるのは難しいですから対策を考えておかないといけないかと」
そしてうやむやに私がすべての館長業務を請け負うという選択だけは回避しなければ。そうなったら、今度こそ過労死する。
「帰るとは言ってないのね……」
「えっと、帰るとは言っていませんが、白の大地は神の代替わりが起きそうで、災害がここ以上に続いているだろうし、家族が心配だと思うので……」
帰る……よね?
エルフ族の血を引いているのに、エルフ族の特徴を持っていない所為で色々思う所があったらしいし、村に居ずらかったから学校に来たと言っていたので積極的に帰りたいとは思っていないとは思う。でも家族を残してきたなら心配じゃないだろうか。
私なら、仕事より家族をとる。
私のこれまでの人生とエナメルの人生は違うから、同じ結論になるとは限らないけれど、あり得ない選択ではないと思う。
「あら。あの子の家族は皆この国に引っ越してきてるわよ」
「へ?」
「正確には、あの子の家族は妹さんだけよ。ご両親は亡くなられているそうで、妹さんと二人でこの大地へ渡ってきたと聞いているわ。妹さんが渡られてきた時はまだ幼すぎて学校へ入学するのが難しかったけれど、魔力がかなり大きいから魔力制御を理由に、体が十分に成長した所で速やかに入学すると学校と契約して滞在してるはずよ」
……そうなの?
私よりもエナメルとの付き合いが長いアリス先輩の方がそのあたりの事情は詳しそうだ。だから、それは正しい情報なのだろう。
でも……だとしたら、エナメルは誰から手紙をもらっている?
てっきり家族からだと思ったけれど、確かにエナメルは家族から送られてきたとは一度も言っていない。家族以外に、エナメルを気にかけてくれる方が居てその人と文通をしていたのかもしれない。
……あれ? でも、災害続きの場所に戻ってくるようにって……。エナメルに面倒をみてもらわないといけない状況に陥っているという事? そうでなければ、災害が続いている場所なのだから、逆にしばらく戻ってこないように連絡するはずだ。そもそも、こんな離れた場所までエナメルに助けを求めるなんてよっぽどではないだろうか? でも、すぐに帰る気はないようだし、気になって仕方がないという様子もない。
んんん?
「……アリス先輩。もしもエナメルがこの国を出て自国に戻った場合、ここへは戻ってこれませんよね?」
「ええ。無理なはずよ。そもそも、この国へ他の大地から来る事ができるのだって、かなりの特例なのだし。戻る事は許されても、一度戻ったら最後、大地を再びまたいでここへ来る事は許されないわ。そんな事ができるのは旅芸人ぐらいよ」
なんだよなぁ。
この世界で自由に移動することを許されているのは、国を持たない旅芸人だけ。まあ、例外的な海賊も知っているけれど、あれも分類上は『旅芸人』枠に入っているのだと思う。王族とコネがあるようなので、そこから神に許可をもらっているんじゃないだろうか。
この世界は、普段は特に不便に感じる事もないけれど、色々と神様が決めた決め事があり、誰もそれを破ろうとはしない。
「破ったらどうなるんだろ」
「消されるわ」
「へ?」
消される?
何それ怖い。
返事なんて期待していない、意見をまとめるだけのただの独り言だったのだけれど、はっきりとした返答がきた。物騒な言葉に、私はギョッとする。
「私の家、商人じゃない? だから、『神の決め事』に触れないように詳しく教えられているのよ。で、聞いた話なんだけど、認められていない状態じゃ、境を越えられないらしいわ。なんでも透明な壁のようなものがあって、通行書がないと行き来できないの。もしも認められてないのに、魔法を使って無理に行こうとすると、存在そのものが消されるって聞いているわ。だからそこにどれだけ利益があったとしても、神の決め事は守らなければいけないと教えられてるの。まあ、旅芸人を使って小さな流通を作ったりしてるし、抜け道がないわけでもないみたいだけど」
風の神であるカンナさんが決め事に関して結構ゆるゆるにしている雰囲気だったのでのでそれほど厳しくしているとは思わなかった。私自身、旅芸人として大地をまたいで渡り歩いていたり、海賊に連れられて海を使って別の大地へ移動したりと結構自由に移動していたので、『消される』なんて物騒な話がでてくるなんて予想していなかった。
消されるというのはどういう状態になるのだろう。カンナさんなら知っているかもしれないけれど、聞くのも怖い。透明な壁があるという事は、転移魔法と同じ『空』の属性が関係してそうだけれど……。
「先ほどから聞いていたが、エナメルというのは、エルフ族なのだろう? エルフ族は私達とは、考え方が違い、家族単位ではなく一族単位で物事を考える。手紙のやり取りもその一環で続いていて、帰って助けたいと考えてるのでは?」
「あー。確かに、あそこは特殊だものねぇ。色々言われたら義務感で戻らないとと思うかもしれないけれど……エルフ族と関わりたくないから、わざわざこの国まで逃げて来て、図書館に勤めてるのに、本当にそれでいいのかしら」
アリス先輩はヘキサ兄の言葉に表情を曇らせながらつぶやいた。
「この件は、少しだけ待ってくれないかしら? 本当に帰る事が決まったら、ちゃんとオクトちゃんの負担が大きくなり過ぎないように対策を考えるわ。そうでない限り、彼を追い出すような行動はしたくないの」「私もそれで構いません」
私としては、追い出すどころか、このまま図書館に居続けてくれて、いつか図書館の館長になってくれればいいのにと思っているぐらいなのだ。なし崩しで、私の仕事だけがドンドン増えるのは止めて欲しいだけで。
「ただ……、私ももう一度エナメルと話してみたいので、勝手を言って申し訳ないですが、アリス先輩もエナメルと話し合うのは待っていただけませんか?」
アリス先輩と話してみて、私はエナメルについてほとんど知らないんだなと気が付いた。
厄介事は嫌いだ。平穏に暮らしたいという小市民な私のささやかな夢を壊してくるから。だから厄介事は全力回避の上、逃走するに限る。
でも、あの図書館は優しいエストが色んな者を守るために作って残した場所なのだ。館長代理をやるのは不本意だけれど、あの場所は私にとっても特別で、エストの意志を尊重したいとも思っている。
そして図書館の館長というのは、多分図書の業務をこなすだけの存在ではなくて、アリス先輩の様に図書館員(身内)を心配し、意志を尊重して守る立場なのだろう。
でも私は、エナメルの事を何も知らないし、知ろうともしていない。相手の話を聞かずに後悔した事だってあるというのに。
私に対して極端に緊張するエナメルが相手だ。だからちゃんと会話できるかは分からないどころか、不安要素しかないけれど、一度ちゃんと彼の話を聞こうと思った。




