episode 08 夜の河畔
二人は転がるように表へ出た。
雨はほとんど止んでいた。チェスカはトータツの腕を握った。
「トータツ君、どうしよう……。わたしたちが目を離したから」
ざっと見回したがアノンの姿はない。
「まだ、そんなに遠くには行ってないはず」
「彼女、空元気だったのよ。わたしたちに心配かけないようにって……」
「探そう。おれはこっち、チェスカさんはあっち」
二人は磁石が反発するように二手に分かれた。
正直、記憶を失った人間が行く所など、トータツには検討もつかなかった。細いカバタの路地を縦横に走って考えた。金は持っていないはずなので、店などには入らないと思う。
辻馬車にも乗れないだろう。――側溝に落ちたりしてはいないか、悪い人間に捕まったりしていないか。
なぜ、自分があんな身勝手な、ほとんど他人である少女のためにこんなことをしなくてはならないのか。心から心配している自分がわからない。
王立公園沿いの国道まで出てしまった。
向こうからとぼとぼと肩を落としながら歩いてくるチェスカがガス灯の明かりに淡く浮かび上がっていた。
彼女は今にも泣き出しそうな顔でトータツを見た。
なにもチェスカがそこまで気にする必要はない、とトータツは思った。
お互いが無言で成果のないことを確認し合う。
二人の横に、タイヤを軋ませ黒光りした自動車が止まった。後ろの座席の窓が開き、金髪の男が顔を出した。
「あれ? やっぱり、チェスカとトータツじゃないか。夜のデートは洒落てるね」
「――アルミュ」トータツは奇遇に言葉が出なかった。
「トータツはあれだろ? レーメラから帰ってきたって情報は聞いてたんだが」
「うん。今度ゆっくり話すよ。第四軍にも行ったんだけど入れなかった」
「ああ、あそこはね。どうにかしとくよ」
「アルミュ」チェスカが思い詰めたように車のドアにすがった。「ねぇ、この位の女の子見なかった? ぶかぶかな服を着た?」
「女の子? さぁ、ちょっとわからないな」
きょとんとしてアルミュは答えた。しかし、運転席の副官らしきものが振り返り、アルミュになにか耳打ちをした。アルミュは再び窓から顔を出すと、
「彼が見たそうだ。ここから一キロぐらい手前で。王立公園の中に入っていくところだったらしい。――その女の子とやらはなにものなんだい?」
「ありがとう、アルミュ!」
トータツはそれだけ聞くと走り出した。
「トータツは負傷して帰還したって聞いたんだけど?」
アルミュは不思議そうにチェスカの顔を見た。
「ごめん、アルミュ、今忙しいから」
チェスカも王立公園へ向けて駆けだした。
そんなに急いでるなら乗っていけばいいのに。誰に言うでもなくアルミュは呟き、車を発進させた。
トータツは人気のない国道沿いの歩道をしばらく駆け、王立公園を縦断した。カバタ川まで出ると、芝生になっている夜の川岸に、膝を抱えた人間の姿が浮かんでいた。
「……探したよ」
少女は寂しそうにトータツの顔を一瞥すると、また川の方を向いて、
「……わたしは最後の決心ができないの。もうトータツたちに会わないつもりで出てきたのに、こんなところでうろうろして」
黒い川に流されてしまうくらい、儚い声である。風が出てきた。芯まで冷える。それに芝生は濡れているはずだ。
「帰ろう。風邪引くよ」
「……わたしはあなたたちと一緒にいてはいけない人間なんだわ。あなたたちは優しすぎるから」
「行くところないんだろ? だったら来なよ。――それに、本当に悪い人間って言うのは悩まないもんだぜ」
少女に行き場所などあるはずはなかった。それでも、素直に来ると言えないなにかが、少女にあるのだろうか。トータツにはわかりかねた。
「じゃ、記憶が戻るまでいればいい。……戻ったら家に帰ればいい」
少女はトータツの言葉を黙って聞いていたが、しばらくすると、
「……ありがとう」ぼそりと言った。「わたしが誰だかわからない。でも、本当に怖かったのは、これからどうしたらいいのかわからないこと」
チェスカが息を切らしながらやってきた。苦しそうに顔を歪めて、
「アノンちゃん、バカ!」
「……ごめんなさい」しおらしく謝ると、少女は居住まいを正し、「しばらくお世話になります」と神妙に言った。