episode 07 身元探し
第四軍の司令部は、陸軍本部の地下にあった。
白いガス灯が煌々と、だだっ広い室内を照らす。音がないせいか、それとも、外のように光が揺れぬせいか、無機質で殺風景な部屋だった。
アルミュ・ナガツギ少佐は机が並んだ一画で、ぼんやり書類に目を通しながらコーヒーを飲んでいた。金髪の彼は、部屋のどこにいてもよく目立った。
たった今、この地下に降りてきたコール副官も、すぐに彼の姿を発見した。アルミュよりもまだ若い二十代前半の副官は、少佐の前で直立する。
「ウスタリカ号の乗員乗客の身元がほとんど確認されました」
「早かったね。ま、あの飛行船には名のあるものしか乗らないか」
書類から目を離し、手真似でコーヒーを勧めアルミュは言った。
報告をもたらしたコールは、一仕事終えた達成感からか、保温機の中のコーヒーをカップに移した。
「身元の確認が取れてないのは一人だけです」
「へぇ、なんていう人?」
「ええと」コールはポケットからメモ帳を取り出し、「テイン・クロフトというものですね。十六歳、女です。まぁ、じきにわかるでしょう」
「まだ若いのに」
可哀想に、と一瞬だけ、そういった表情を浮かべ、アルミュは再び書類に目を通した。
「なんですかそれは?」コール副官がコーヒーを啜りつつのぞいた。
「ほら、昨日警都隊のバカどもが、カバタに潜伏したレーメラの工作部隊に返り討ちにあっただろ? 我々が張っていたのに。まったく」
「随分派手な撃ち合いだったらしいじゃないですか。でも、やられたのは警都隊の連中だけ」
ウスタルの警都隊が、敵であるレーメラの工作部隊にやられたというのに、コールの口調はどことなく楽しそうだった。
アルミュも咎めるどころか、自身くすりと笑い、
「まんまと逃げられたんだ。全員怪我で済んで、まぁ、幸いってところかな。余計なことをしてくれた。――おかげで、レーメラの工作部隊を見失ってしまった。奴らの資料に目を通して行きそうな所を割り出してるんだが……」
「ほう」コールは尊敬の眼差しを向ける。元々この上官に心酔しているのである。「さすが少佐。それで、わかりましたか?」
「いや、だんだん自分のやっていることが無駄に思えてきたよ」
アルミュは臆面もなく言って、資料を机に放り投げた。
†††††††
病院や役所を回り、昨日の王立公園にも寄ってみたが、アノンはなにも思い出さなかった。
その上、雨が降り始めてきた。冷たい雨を避けるべく、三人は近くのレストランに避難した。
「よかった。開いてて」
チェスカは軒先で髪の雫を払った。
店の塀は崩れていたが、中は無傷で平穏だった。昨日の惨事を思い出さないようにするためか、店はいつも通り普通に、知らぬ素振りで営業をしていた。
木の地肌をいかした温かみのある店内だった。
一息ついたのはよかったが、どうも先ほどがからアノンの元気がない。少女は硝子のカップに入った水を静かに見つめていた。
病院へ行っても、記憶が戻るのは運次第、という曖昧な答えしかもらえず、役所では彼女の捜索願も出ていなかった。
結局、彼女はどこの誰だかわからずじまい。気落ちするのも無理からぬことであった。
役所ではトータツにとって予期せぬことが起こった。昨日の惨事により、親を失った子や、行く当てのない人間があまりに多すぎて、国の施設では賄いきれぬという。
委任状が発行されて、しばらく、アノンはトータツが預かることとなった。
人を預かるというのは、トータツが今まで経験したことのない妙に重い責任であった。これまで、色々と人の世話になってきたトータツだから、逆に世話することに異存はなかった。
しかし、少女が変な遠慮をする。行く当てもないくせに、迷惑なことは出来ない、と固辞するのである。
料理が運ばれてくると、少女は急に塞ぐのをやめて、よく喋るようになった。
「ところで、トータツは何歳なの? わたしとあんまりかわらない?」
「はぁ?」トータツは呆れる。自分は年相応に見えるはず。「おれは今年二二。全然同じじゃないだろ?」
少女は納得いかなさそうに、
「そう? ――チェスカは?」
「十八」
真顔のチェスカはぶっきらぼうに答えて、食事に集中する振りをしていた。
「すごい、とっても大人っぽいわ」
「アノン、信じるなよ。プラス十くらいは必要――」
「無礼者!」チェスカはフォークを振りかぶって怒る。「そんなにいってるわけないでしょ! ――アノンちゃんは何歳なんだろう?」
「わからないわ。でも、たぶん、きっと――」
チェスカはアノンを凝視して、
「多分、十五か十六ってところかな」
「十四でも通用するんじゃないか?」トータツがバカにするように言った。
「失礼ねっ。――わたしはきっと二十歳くらいだと思うんだけど」
ないない、とトータツとチェスカが同時に否定する。
アノンは結構頑固な性格らしく、自分の二十歳説を頑として譲らなかった。
トータツの世話にはならない、と遠慮していた彼女であったが、どこも行く当てなどなく、とうとうミンツ銃砲店までたどり着いてしまった。
トータツは自分の部屋に少女を残し、チェスカと共にミンツの部屋へ行った。
しばらく、少女を泊めることを了承してもらうためである。チェスカの予想は楽観的で、ミンツが拒むことはまずないとのことだった。
老人はベッドの上から不機嫌そうな眼差しをトータツたちに投げた。
「ミンツ、お土産買ってきたから食べてね」
チェスカがレストランから下げてきた包みを隣に置いても、ミンツは相変わらずむすりとしていた。
「若者二人で、この老人を取り残してどこをほっつき歩いていたやら」
普段は好きな銃を一日中いじくっていられるのに、ベッドで天井ばかり眺めていたのがストレスだったらしい。
「なに言ってるの? 一緒に出かけたことなんかないじゃない」
「で、今の今までぶらついていたと。エロエロじゃな」
「はぁ!? バッカじゃないの」
「ミンツさん、頼みがあるんだけど」トータツは老人の嫌味に取り合わず、「実は昨日の惨事で行き場所がなくなった子を一人預かることになって、役所の委任状もあるんだけど――」
「ガキは嫌だなぁ」ミンツはふて腐れて横を向く。
「ミンツ、見たら絶対気に入るはずよ。すっごくいい子なんだから。――トータツ君、連れて来てよ」
アノンを呼びに自分の部屋に戻ったが、少女はいなかった。奥の部屋にも、シャワー室にもいない。悔しさがこみ上げてくる。少女はどこかへ行ってしまった。
「チェスカさん! いないっ!」
二人は目を見合わせ駆けだした。
「だからガキは嫌なんじゃ」
走って出て行く二人へ、ミンツは壁を向いたまま呟いた。