episode 03 地下射撃場
チェスカが示したミンツ銃砲店と書かれた看板がある建物は、煉瓦造りの立派な二階建てである。
その前では老境のものと、柄の悪いストライプのスーツの男たちがなにやらもめていた。
「ばっかも休み休み言え!」
トータツの元まで老人の怒声が届いた。それをストライプは嘲るように一笑し、
「そんなこと言わんで下さいよ。もうこの周りは全部――」
「ふざけるな! わしがどんな思いでこの店をやっとると思っとるんじゃ!?」
「ですから、充分な立ち退き料を支払うって――」
「わしは王国民として幸福を享受する権利がある!」
「口で言うのは簡単ですな。本当にその幸福とやらが享受出来るかどうかは、あんた次第だぜ」
「な、なんじゃと!」老人は目を見開いて怒りだした。「貴様、わしを脅かしているのか!? いい度胸じゃ! そんな暴挙がこの王国で許されると思うな」
ストライプは老人の怒りにまるで取り合わずにやり過ごしていた。そして、近づいてきたチェスカとトータツを一瞥して、
「今日は帰ります。ま、ご再考ください」
と皮肉げに言うと、相変わらず不敵な笑みを浮かべて去っていった。
「ふう。……やっと帰りおった」
老人はため息をつきつつチェスカを見た。
「なに、あいつら?」
チェスカは去っていくストライプたちの後ろ姿を指した。
「政府がここの道路の拡張をするらしいんじゃ」老人は疲れたように手を挙げて、「それで、地価が跳ね上がるのを見越して買収しようとしてる土地ゴロよ。ギャング紛いの」
「ああ、自動車が普及する前に道路を広げるっていう――」
「そうじゃ。新聞社の方からも、新道路整備反対の主張をしてくれんか?」
「ミンツ、新聞読んでないでしょ? 新聞社は都市計画賛成の立場なんだから」
「なんじゃと……、どいつもこいつも。おまえさん、住む所がなくなってもいいっていうのか?」
「それは困るわね」
とチェスカは思案げな顔をしつつ、トータツのことを思い出したらしい。いつ紹介されるのかと、後ろで機会を窺っていたトータツを引っ張って、
「そういえばミンツ、下宿人探してたでしょ? この子なんてどう? 二ヶ月間なんだけど?」
小柄なミンツ老人はまじまじとトータツを見上げて、チェスカに向かい、
「身元は確かなんじゃろうな? 地上げ屋のスパイとかだったら洒落にならんぞ」
「ばっか。大丈夫よ。わたしの従弟みたいなものだから。士官学校の学生さんよ」
未だに信用ならないらしく、ミンツは胡散臭そうな目で、最近の軍人は、などとこぼしている。
「……トータツです。よろしく」トータツは出来る限り愛想よく挨拶をした。
「ついてこい」
ミンツは白頭をかき上げてそう言うと、準備中の札をかけ、店の中に入った。店の中は、入り口付近が吹き抜けになっていて、二階の部屋の扉が見渡せた。
一階の売り場には様々な銃器が陳列されている。
「トータツとやら、銃は好きか?」
「ええ。好きですよ」
「そうか」
ミンツは皺入った顔でにやにやしながらランプに火をつけると、床板を一枚外した。一本の梯子が暗い地下へ伸びていた。
「なにこれ!? 初めて知った」
すっとんきょうな声を上げるチェスカを尻目に、なにも言わず、ミンツは梯子を下りていった。トータツも老人に続いて降りた。
老人がガス灯をともす。地下室は十五メーターほどの射撃場になっていた。跳弾防止と防音の役割を果たすのか、壁には分厚い板が張られている。
いくら銃砲店とはいえ、地下にこのようなものを持っているとは、唖然とするしかなかった。公認射撃場と緊急事態を除き、市内での発砲は御法度である。ミンツ銃砲店の地下射撃場が公認であるはずがなかった。
「ちょっと! わたしもそっち行く! 梯子押さえて!」地上でチェスカが叫んでいた。
トータツが言われた通り梯子を押さえると、チェスカは恐る恐る降りてきた。スカートの合間のすらっとした長い足がガス灯に照らし出されていた。
「ちょっと、のぞかないでよ! 変態っ」
「の、のぞいてないっ!」
慌てて下を向いた。それに、わざと見たわけではない。
最後の方をトントンと降りてきてチェスカは、
「げっ、なんか腐ったような匂いが……」素速く鼻と口を押さえた。
「すぐそこで下水と繋がってるんじゃ。我慢せい」
ミンツ老人はそんなことを言いながら、部屋の奥に自分の頭程度ある空き缶を二つ並べて戻ってきた。
「トータツとか言ったな。勝負せい。わしに勝ったら家賃を一割引にしてやる」
「……早撃ちですか。いいでしょう。やります。――もし自分が負けたら?」
唐突な申し出に再び唖然としたが、一割引は魅力だった。
「心配するな。一割り増しにしたりはせん。……そうだな。昼飯でも奢ってもらおう。老人のささやかな楽しみじゃ」
今ひとつ老人の目的が判然としなかった。
「……ガキのくせになんていうもんをもっとるんじゃ」
トータツが鞄から取り出した銃を見て、ミンツは小さく声を漏らした。
「わかるんですか?」
「バカにするな。わしはこの道一筋五十年じゃ」
と言いつつ、上着の中から取り出したミンツの銃も垂涎ものの一挺であった。ミンツはそのまま銃を四十五度下へ向けて構える。
「スタンダードでいくぞ。――おい、チェスカ。コインを放ってくれ」
チェスカは財布からコインを取り出し、鉤形にした人さし指と親指の上に乗せた。彼女が弾いたコインは登り切ると、重力の法則に従い落下した。
石の地面に跳ねて甲高い音を立てたのと同時に、トータツの銃が唸り缶を吹き飛ばした。ほんの僅か遅れて、ミンツ缶も飛んだ。
「なっ、……やりおる。小僧、やるではないか……」
ミンツはトータツの腕前に、悔しさの混じった驚きを示した。
「じゃ、一割引でお願いしますよ」
「うむ。わかっておる。……――ところで、トータツ。その腕を見込んで頼むのだが、この店の用心棒をやらんか? 夜だけでいいんじゃ。地上げ屋を追っ払ってくれればいい。――タダとは言わん。二割引にする!」
二割引と言われても、わけのわからない喧嘩に巻き込まれて、学籍を剥奪されでもしたら堪ったものではない。割が合わない。トータツが渋っていると、
「二ヶ月の間でいいんじゃ……。よし、三割引でどうじゃ!?」
「やりましょう」
反射的に答えていた。割引に惹かれたわけではない。困っているものを助けるのも軍人の務めだからである。努めてそう考えるようにした。
案内された二階には三部屋あり、端から、ミンツ、チェスカ、そしてトータツの部屋となっていた。
鞄を置いてくる、とチェスカは自分の部屋のドアを開けた。その隙間から見えた彼女の部屋は、新聞屋らしいといえばらしいのか、資料や文献が積み上がった物置であった。
反対にトータツの部屋は何一つものが置かれていなかった。ただ、天井から、ガス灯が普及したため使われることのなくなった年代物のシャンデリアが虚しくぶら下がっていた。
カーテンを開け、斜陽が入ると、その部屋はトータツを誘惑した。
改装をしただけのことはある。壁の漆喰は白く眩しい。梁の木が黒く頑丈そうなのも気に入った。水道が引かれていてシャワー室まで付いている。当然ガスも通っている。ベランダも椅子が二つ置けるくらいの広さがあった。
「ここは?」
部屋は二つに分かれていた。玄関から繋がったリビングと、その横にもう一部屋。しかし、扉が付いていない。
「ああ。風通しをよくしようと思って外しとるんじゃ。外した扉は在庫置き場にあるが付けるか?」
「いや、このままでいいです」
ここにベッドを運んで寝室にしよう。そんなことを企んでいると愉快になった。
「あ! 広い! ずるい!」
チェスカは入って来るなり騒ぎ出した。
「なに言っとるんじゃ。おまえさんの部屋と同じじゃよ」
「うそよ。わたしの部屋より全然広い!」
「ちらかしすぎだよ。チェスカさんの部屋」
「うるさいわね。レディの部屋のぞき見? ――よしっ、今日の夕飯はここでみんなで食べよう! トータツ君の歓迎会!」