第5話
ヴィクターとドナルべインに連行された学生食堂で、見知っている顔を見つけた。レティである。現在の彼女の表情を一言で端的に言い表すのなら、「冷や汗ダラダラ」といったところだろうか。もっとも、僕もアリスも「冷や汗ダラダラ」状態なのには変わりないのだが。
「助けてください、アリスお嬢様、アキヒコさん」
アリスだけでなく、僕にまで助けを求めてくるとは、結構切羽詰まっているのだろうか? 彼女の前ではクリスまで縮こまっている。今日、僕やアリスにくっついてこなかったのは、レティにくっついて魔道士科の方に顔を出したからだろう。今日は何も授業はなかったと思うが、何故くっついていったんだ?
アリスを見つけた途端、クリスがアリスに飛びついた。居心地が相当悪かったのだろう。
レティの横に座る少女がその元凶か。元凶なんて言ったら悪いが。
その銀髪は先ほどまで言葉を交わしていたセリーナさんを連想してしまうな。違うのは瞳の色。セリーナさんの瞳の色が黒で、レティの横に座る少女の瞳の色は青である。
まるで、その雰囲気は王者のような風格すら感じる。……王者なんて、会ったこともないけど。
「そなた達がアリスにアキヒコか。レティに聞いた通り優しげな顔立ちをしているな。ヴィクターも一緒か。ヴィクター程の者と友人となったのなら、人を見る目がある、とでも言っておいた方がいいのかな?」
最後の一言がまるで僕らをからかうような一言に感じられたのは、どうやら僕だけではないようだ。アリスも少しカチンときたようだ。友人を選ぶのに、まるでその人本人ではなく、そのバックボーンを見て選んだかのような言い方に感じた。
「もう一人は……、すまぬ。見た顔ではないな。ふむ、こうしてみるとやはり私の交友範囲は狭いと言えるな。許せよ」
尊大な言い方ではあるが、何故か物凄く様になっているのがよく分かる。ドナルべインがまったく言い返せない。
「せっかくの昼食時じゃ。座ったらどうかな。レティの言うアリスにアキヒコが気になってな。すまないが、昼食を共にしてもいいかな?」
言い方は丁寧なんだけど、何だか断ることが出来そうにない感じなんだよね。ちょうど八人掛けのテーブルだ。僕らが一緒に座っても何不自由ない。むしろ、ある程度混んでいるというのに、何故このテーブルだけ空いているのか、まあ、分からないでもない。レティと共に座っているこの少女の雰囲気がそうさせているのだろう。もっとも、それだけではなさそうだが。
レティの前に僕、少女の前にアリス、少女の隣(レティの反対側)の席にヴィクター、アリスの隣(僕と反対側)の席にドナルべインが座った。
席をとってくれていた少女とレティの為に、僕たちが食事をとってくることになった。アリスも一緒に席を立とうとしたが、涙目で見つめてくるレティに根負けしたので、男性陣だけで食事を持ってくることになった。
学生食堂は食券で食べたいメニューを選び、その食券を厨房の職員に渡し、メニューを受け取る方式らしい。ちなみに、食券は現金でも買えるし、学生証をスキャンしても帰るらしい。学生証に入金してある限度額まで買えるとのことだ。これは冒険者ギルドのギルドカードを真似たシステムであるとのこと。今年からこのミスカトニック騎士養成校では採用されたとのことだ。
今年からとは、凄いな。まるで僕らが入学するのを見計らったかのようだ。
食券販売機を眺めてみた。へえ、結構メニューが沢山ある。様々な地域、果ては国外からの学生受け入れもしていると言うから、当然か。彼らの郷土料理も必要だろう。
ヴィクターとドナルべインはさっさと食べるメニューを決め、例の少女の分はヴィクターが決めた、アリスとレティは僕が決める事になった。まあ、あの二人は好き嫌いはほとんどないし、変なモノを選ばなければいいだろう。クリスにはミルクでも買ってやろう。
だが、僕の視線は食券販売機の上に貼られた紙に釘づけであった。
「この食券販売機はワガハイが開発・提供しました」
爽やかそうな笑みを浮かべた茶色の蜥蜴のイラスト。右手は綺麗にサムズアップを決めている。何故、誰もこの貼られているイラストを見て何も感じないのだろう? 僕には分からない事だらけであった。
「後ろが迷惑そうにしているぞ、さっさとメニューを決めたらどうだ?」
いきなり後ろからそう声をかけられた。聞きなれた感じのする声だ。振り返った僕の眼に映るは、先ほど別れたばかりのセリーナさんの苦笑。何せ、また明日なんて言ってお互い別れたばかりだからな。苦笑するのも仕方ないだろう。
「そのイラストに目を奪われるのは分からないでもないがな。どうやら、そのイラスト、彼をある程度知る者でない限り見つける事すら出来ないような魔法か何かがかかっているぞ。だから君の連れは気付いてすらいない。アキ……いや、カガミ、私もここに昼食をとりに来たんだ。すまないが、さっさとメニューを決めてくれないか?」
セリーナさんの後ろにも何人か並んでいた。先ほどまでは誰もいなかったのに……。流石にこれ以上迷惑をかけるわけにもいかないな。僕はとりあえずランチセットを三つ、そして、何故かメニューにあったミルクを学生証をスキャンして注文。出てきた食券をもって厨房の前に並んだ。……ちくしょう、ヴィクターとドナルべインは既に席に戻ってやがる。ランチ三つ、更にミルクなんて持って行けるか。
「ははは、一つくらい私が持ってやろう。今日は私もご一緒させてもらうさ。どうせ、ア……ダーレス達もいるのだろう?」
セリーナさんの優しさが目に染みるよ。僕はランチセット二つにミルクを持ち、席に向かった。セリーナさんがランチセット二つを持って僕の後に続いた。
「やっぱり、先生って呼んだ方がいいです?」
「学校ではそれで頼むよ。私も君たちをファミリーネームのほうで呼ばせてもらうさ、知り合いだからと言って、贔屓するわけにもいかないからな」
それもそうか。
「遅いよ、アキ……、って、セリーナさん……?」
「学校では先生、な。ダーレス。おや、アッテンボローも一緒か。……へえ、貴女まで一緒か。アッテンボローは確か、魔道士科だったな。成程、アッテンボローが捕まえられた、と言うわけか」
ちなみに、アッテンボローと言うのは、レティの名字だ。
「はい、正解です」
レティも正直に答えた。僕とアリス、そしてレティは去年の夏、セリーナさん、じゃなかった、セリーナ先生と知り合ったのだ。名字で呼んだ方がいいのかな。でも、セリーナさんで呼び慣れているからな。ぼちぼち慣れていかないといけないな。
しかし、セリーナ先生も少女の事を知っていたとは……、やっぱり、貴族の女性なのかな、この少女は。アリスみたいな一代貴族の娘なんてものではないかもしれないな。
「席を探すのも面倒だ。すまないが、私もご一緒させてもらってもいいかな?」
セリーナ先生が例の少女に、否、少女だけでなく、他の誰かにまで聞こえるように声をかけた。やはり、か。気配を極端に消してはいるが、直ぐ近くに誰かいるのだろう。流石に誰が護衛かは分からない。おそらくレティが「冷や汗ダラダラ」状態なのも、彼女の護衛に気付かず、クラス分けで向かった教室で彼女の隣にしか空いている席がなく、彼女の隣に座った時から殺意を向けられ続けているのだろう。少しドジなところがあるレティだ。きっと、当たらずとも遠からず、というところだろう。後でアリスに聞いてもらおう。
「流石、ティンダロス帝都騎士団最強の騎士、とまで謳われたセリーナ・ロックハートですわね。お見通しですか。もちろん、構いませんよ」
「最強には程遠いのだがね。化け物たちを何人か知っているからなあ。騎士団にも私より強い者はいるし。まあ、そんな事はどうでもいい。すまない、ヴァレンタイン、席を一つずれてくれないか」
ヴィクターはその申し出に嫌な顔一つせずに、席を譲る。おお、紳士だ。そして、イケメンだ。
全員そろって食事をとり始めた。……僕は未だ、この少女の名前すら知らないんだけど。
食事をとり終え、全員が一息ついた頃だ。皆、食後のお茶を楽しんでいる。クリスはアリスから少し食事を分けてもらい、ミルクを飲み終え幸せそうに寝息を立てている。猫はいいねえ、気ままでさ。僕は猫になりたい、自由気ままな野良猫に、さ。クリスを見るたび、何度そう思った事か。
「そうだ、済まぬな。お主達には自己紹介すらしていなかったな、アキヒコにドナルべイン。私はシャルロット。シャルロット・フォン・ティンダロスじゃ。通う科は違えど、同級生だ。よろしくな」
「テ、ティンダロスって、あの……?」
「あの、とはどのティンダロスを考えているかは知らぬが、我が一族以外ティンダロスの名を名字として使っている者はいない。少なくとも、この国で我が一族以外にティンダロスの名を使うものは厳罰に処せられる、という話ではあるな」
ドナルべインが思わず聞き返した言葉に淀みなく答えるシャルロット。……ということは、彼女が僕らと同年代の皇女様、という事か。まあ、そんな事はどうでもいい。それにしても、何故彼女はドナルべインの事をドナルべインって呼ぶのかな? ヴィクターはヴィクターって呼んでいるのに。僕に感化されたか?
「ふうん、まあ、そんな事はどうでもいい。同級生って事なら、タメ口でいいんだろ? 答えは聞いてない。まあ、そういう事だから。よろしくな、シャル」
ああ、深く考えずに物事を口にする癖をどうにかしたいものだ。アリスにレティ、それどころか、セリーナさん……、じゃなかったセリーナ先生まで苦笑しているではないか。
ところで、今僕の喉元に突きつけられているナイフ、どうしようか? 僕にシャルと呼ばれたシャルロットは目を丸くしている。僕の喉元に突きつけられたナイフに驚いているのか、それとも、シャルと呼ばれた事に驚いているのか。それとも……
「貴様如き下賤の者がお嬢様と食事を共にするというのも許しがたいが、タメ口をきき、なおかつ愛称で呼ぶだと……? 命が惜しくないのか?」
「貴女もね」
それとも、いきなり僕の背後に現れた黒髪の少女の眼球すれすれで止められたフォーク(もちろん、握っているのは僕だ)に驚いたのだろうか?
眼球すれすれに止められたフォークに一瞬遅れて気付いたのか、慌てて身を反らす彼女。ふう、助かったぜ、眼球にフォーク突き刺さなくて。だいたい、セリーナさんに気配を感じとられたレベルで、僕に気配を感じ取れない筈がない。もっと恐ろしい化け物を最低二人(二匹?)は知っているんだぜ。その程度でどうにか出来るモノかよ。
「貴様……」
「やあ、僕の名はアキヒコ・カガミ。よろしく、御嬢さん。ところで、お名前をお聞きしても?」
道化を演じるのも楽じゃない。そして、悲しい事に彼女は答えてくれなかった。また人ごみに紛れたのだ。おやおや、僕にだけ殺気を向けてやがるよ。
アリスとレティはお腹を抑えている。笑うのをこらえているのではない。声を出さずに笑っているので、お腹が痛くなっているのだろう。
「アハハハハ!! 面白いな、アキヒコ。いいぞ、私の事をシャルと呼ぶ事を許そう。ああ、ちなみに、シャルと呼んでいい男は、今のところ、お前だけだぞ!! アリスとレティは私の事をシャルと呼んでも構わないからな!!」
シャルは大声で笑っていた。はて、ボクハナニカシタカナ? 「シャルと呼んでいい男はお前だけ」と言われたあたりからアリスに物凄く抓られているんだけど……? 凄く痛いんですけど!!
痛みをこらえながらも、楽しかった(?)食事は終わりを告げた。
こうして、これからの学生生活をよく一緒に行動する人間たちが初めて顔を合わせた。僕らの学生生活に幸多からんことを祈ろう。……例の少女の名前、結局聞けなかったな、この日は。