第1話
あれから数年が過ぎた。
今、僕は制服の上着に袖を通して、ネクタイを締めているところだ。なかなか、ネクタイなどしたことがないので、上手くいかない。
ああ、でも、もう待ち合わせの時間だ。仕方ない、何だか様になっていないけど、このままで行こう。
待ち合わせ場所(正門前だ)に着くと、まだ誰も来ていない。待たせている馬車があるだけだ。
「連れはまだかい、坊や?」
「いい加減、坊やはやめてよ、ジェラルドさん」
知り合って一年以上くらいになるのに、まだ、この人(馬車の運転手だ)は僕を坊や扱いする。
二人して、待ち人を待った。
あの日、湖で命を救われた僕は、レムリア辺境伯・オーガストさんの屋敷で目を覚ました。
色々と尋ねられた僕は、オーガストさん一家に全てを話した。自分がこの世界の住人ではない事、違う世界から来たこと、その他いろいろ。
何故だろうか? きっと、この人たちが僕の敵じゃない、いや、違うな。この人たちが物凄く優しい人たちだというのが、なんとなくだけど、本当になんとなくだけど、分かったんだ。だから、全てを話してしまった。
「ねえ、名前、なんていうの?」
話を聞き終えてから、無邪気に僕に声をかけてくる、僕が天使だと思ってしまった少女。今見ても、天使のように思える。
「アキヒコ、カガミ・アキヒコ」
本名だろうか? 本当は分からないけど、あの時、僕をこの世界に送った少女が最後に僕にこう声をかけた気がした。だから、そう名乗った。
「アキ、ヒ、コ……、アキヒ、ト……、うーん、呼びづらいな、アキって呼ぶね!!」
そう言いながら無邪気に微笑む彼女に僕は頬を赤くしてしまった。
その後、一応僕のような子供の捜索依頼のようなモノが出ていないか、色々なところに問い合わせてくれたらしいが、もちろん、そんなモノは何処にもない。
不憫に思ったのか、オーガストさんのところで執事をやっているアルフレッドさんが僕を引き取ってくれた。今では、彼が親代わりだ。
その後は色々執事の勉強をしたり、アリスと一緒に学校に行ったり、秘密特訓をしたりしながら、日々を過ごしてきた。僕も少しずつ自分の中の魔力と付き合いだした。今では、だいぶ枷が外れてきた、らしい。
そんなある日のことだ。急にオーガストさんに呼び止められた。
「アリスお嬢様と一緒に騎士養成校に行ってほしい、ですか?」
この人は領地の住民が幸せなのが第一だ、と考える人で、辺境伯を名乗ってはいるが、少なくとも豊かではない。以前の辺境伯の屋敷を使っているので屋敷は広いが、使用人はごくわずかだ。
一人娘であるアリスとは僕は同い年(本当に同い年かは、不明だ。僕の生年月日なんて分からないんだから)という事もあり、一緒に学校などにも通わせてもらっていた。
「ああ、アキヒコの実力なら試験にも受かるだろう。私としては、娘に変な虫がつくのは御免こうむるからな」
「監視役、という事ですか?」
「そんな事はしなくていい。娘一人を騎士養成校に行かせるのも不安なんだよ。なので、信頼している君にも騎士養成校に通ってもらいたい。なに、君が行かないと言っても、アリスはごねるだろう。勝てるかな?」
何故だか僕とよく行動を共にしたがるアリスの事を思い出す。騎士養成校になんか行きたくない、なんて言ったらどうなる事か。仕方ないなあ。溜息一つ。僕の前に座るオーガストさんは苦笑している。
「分かりました。試験に受かれば、行かせていただきます」
「頼むよ、一応、レティにもお願いしているんだ。あの娘には快諾を貰ってね。いや、これで一安心というものだよ」
レティもか。まあ、アリスにベタ惚れのあの娘がついてくるのは当然か。
結局、試験には無事に受かった。
物思いにふけっていたのがいけなかったのか、かけられた声で意識をそちらに向けた。
「アキ、お待たせ!!」
幼いころから、ずっと、この呼び方は変わっていない。それがまた、嬉しかったりするんだ。
あの頃とは違い、腰のあたりまで伸びた金髪。幼さを少し残しながらも、少しキリッとした顔立ち。でも、僕が昔天使だと勘違いした笑顔は今も変わらない。
「アキ、何で制服をもう着ているの? 学園都市まであと一週間以上かかるんだよ? 制服を着るのは、流石に早すぎるんじゃないかな?」
アリスにそう指摘されて、僕は当然のことに恥ずかしさを覚えた。馬車で一週間以上かかるのだ。こんなところで制服を着ても意味がないじゃないか。アルフレッドさんも教えてくれればよかったのに!! もちろん、アリスは私服だ。当然だな。
「ふふ、じっとしててね」
そう言って、僕のネクタイを締めなおしてくれるアリス。あ、彼女の髪からいい匂いがしてくる。僕は顔を真っ赤にさせているに違いない。レティが僕を正面から凄く睨みつけてくる。怖い。彼女は何故かメイド服。メイドとしてこの屋敷に採用されているのだから当然だが、騎士養成校でもメイド服で通しそうで怖い。全てを「メイドですから」で通しそうなのだ。
この世界では珍しい(少ないけど、いないわけじゃない)黒髪黒瞳である彼女は、メイド募集の広告でやって来たアリスや僕らと同年代の少女だ。ポニーテールにしているため、うなじが見える。時々うなじにドキドキしてしまうのは僕だけの秘密だ。
この年頃から働くというのも、この世界では珍しい事じゃない。アリスと同年代の子を採用したいと考えていたオーガストさんの目にとまり、採用となった。
「はい、おしまい。じゃあ、馬車に乗ろうか」
「待ってください。何故、お嬢様もアキヒコさんもそのような少ない荷物で一週間もかかる旅に行こうというのですか?」
レティの疑問も当然か。彼女は凄い量の荷物を持ってきていた。
「ああ、言ってなかったっけ? 貸して、レティ」
そう言ってアリスはレティから荷物を無理やり奪いとり、ポンポン放り投げていく。アリスの手から離れてすぐ、荷物は見えなくなる。
「私の持つ“異空間”に入れておいたから、必要になったら言ってね。すぐに出してあげるから」
「冒険者が持つ、アイテムボックスとかと、同類のものですか?」
「うーん、違うんだけどね。まあ、あれだよ、細かい事は気にしちゃいけないよ、うん」
アリスの説明もいい加減だな、とは思いながらも、僕は口を挟まない。何故なら僕も詳しくは理解していないからだ。
「にゃっ」
アリスの肩の上にいたクリスが、僕の頭に飛び乗った。クリスは、僕がこの世界に来てから数か月後に拾った白猫だ。何故か足先としっぽの先だけ黒い。
僕に異様に懐いてきたこの白猫は、飼うことが出来ないと言って初めて出会った場所に置いて帰っても、屋敷に帰り着いたら僕の部屋に居るという事を何度も繰り返したため、困惑して屋敷で飼うことにしたのだ。今では僕以上にアリスに懐いている。出会ったころと大きさもほとんど変わらない。子猫より少し大きいというくらいだろうか。
クリスと名付けたのは、僕だ。なんとなく、アリスのような気高さみたいなのをクリスから感じたからだ、というのは嘘で、アリスと似た名前にしたかっただけだ。
騎士養成校では、魔道士も入学を許されている。騎士科と魔道士科があるのだ。合同で色々な授業も受けられるが、魔道士科では使い魔を持つ学生もいるので、それ以外の学生も大型の獣でなければ、学生寮にペットを連れてくることも許されている。なので、クリスも連れて行くことになったのだ。
こうして、身軽になった僕たちはとりあえず全員で馬車に乗り込んだ。僕やアリスの行動に慣れているジェラルドさんは何も言わない。
「この馬車、学園都市まで貸切だというのは本当ですか? 高いのではないですか?」
「ああ、一括で借り上げたから、アキが」
驚いた表情でレティが僕を見つめてくるが、説明がメンドクサイので、何も言わないことにした。
そんな中、馬車がレムリア辺境伯領では一番都会の商店街の一角で止まった。
そして、馬車の中に二匹の人間大の蜥蜴が乗り込んできた。一匹は茶色のほっそりとした蜥蜴で、黒いマント(裏地が赤)、そして赤いマフラーをしている。もう一匹は緑色の蜥蜴で、凄いマッチョだ。一張羅を着ていて、その背中には「誠」の一文字。なんでも、僕が昔いた世界の歴史で、幕末なる時代に活躍した「新撰組」の衣装らしい。
「ずいぶんと待たされたよ。ワガハイ、待ちぼうけをくらうのは好きではないのだよ。待ちぼうけさせるのが好きなのだ。まあ、大した時間ではなかったので許してやろうではないかね」
「げっげ、げげげ、げっげげ」
「旅の間、ご迷惑をおかけするかと思いますが、よろしくお願いします。そう申しております、ゲーサンが」
「相変わらず、それ、本当の訳なのかしら? ずいぶん長いわね」
アリスと僕は顔なじみだから、何の驚きもないが、レティは流石に驚いたようだ。
「な、なんで二人とも何の驚きもないのですか? だいたい、この馬車、私たちだけの貸切なのでは?」
「あれ、言ってなかったっけ? 彼らまで含めての貸切だよ。今度、学園都市でお店を出すって言ってたからね。どうせなら、一緒に学園都市まで行こうって事になったんだ」
彼女が彼らの存在を知らなくてもおかしくはない。何故なら、彼らのお店「スペースリザー堂」に辿り着くにはいくつか条件がある。普通の人間にはその店の存在すら知られていない。僕とアリスも彼らのお店には何度かお邪魔したが、僕ら以外の客がいる事を見たことがない。
もっとも、こうも簡単に店をたたんだり、新たに開店できたりするのは何か理由があるのだろうけど、聞いてはいけない気がする。
儲かっているのか、商売をやっていけるのか、以前気になって聞いたことがある。その時、蜥蜴丸と名乗った茶色の蜥蜴はこう答えた。
「お金じゃないんだよねえ、儲けがどうとかじゃないんだよねえ。これはね、ワガハイの偉大なる実験の一つなのだよ。まあ、趣味とも言うがね。ワガハイほどの科学者になると、科学以外のモノも追及してみたくなったりするトカ、しないトカ」
それを聞いた僕もアリスも諦めた。きっと、真面目に追及してもはぐらかされてしまうだろう。
ゲーサンは物凄く強い。僕もアリスも彼から剣術その他を学んだ。僕の魔力制御は蜥蜴丸やクリスから学んだ。クリスはあの時、僕をこの世界に送った少女が作った使い魔だという事が後に分かったのだ。蜥蜴丸が何故魔力制御法なんて知っていたのかは、謎だ。問い詰めてもはぐらかすだろう。
「3のスリーカード」
「ふふ、5と6のフルハウスよ」
「おうふ、ワガハイ、4のツーペア」
ゲーサンのカードは7のフォーカード。
「にゃっ」
嬉しそうな声をあげながらカードをひっくり返すクリス。彼女の前に置かれたカードは裏返り、一同の前にその数字を見せた。
「ロイヤルストレートフラッシュ……だと……? なんで、ワガハイだけがこう、カードの巡りが悪いのであろうな? 次はゲーサンが配れ。貴様らは信用できん」
そして、ゲーサンが配っても、ゲーム自体には参加しなかったレティがカードを配っても何故か蜥蜴丸は惨敗した。
「ワガハイの科学力が通用しない? バカな、そんなバナナ」
最後の一言に誰も反応しなかったのが気にくわなかったのか、蜥蜴丸はぶつぶつ呟きだした。ポーカーに科学力など必要ないと思うけど。もっとも、蜥蜴丸の言う科学が本当に科学なのか、僕にはわからない。
僕らを乗せ、馬車は走る。学園都市アーカムへ向けて。
「見送りはいいと言っていたので、昨日の送別会で済ませたが……、やっぱり不安だなあ。ちゃんとやっていけるかな?」
屋敷の中から馬車が消えた後も正門の方を見ているオーガストの姿があった。その後ろでは、彼の妻であるエミリアが呆れながらも夫を見つめていた。
「いい加減、娘離れしたら、貴方? よき騎士となる事を願おうではないですか。あの三人なら、きっとなってくれますよ」
「エミリア、それでも、やっぱり親としては心配なのだよ。私にとっての二番目の天使に変な虫がつかないか、特にね」
ちなみに、彼にとっての一番の天使は妻であるエミリアである。執事のアルフレッドに「万年新婚夫婦」と揶揄されるだけの男である。長年ブレない。彼の軸はそう簡単にはブレないのである。
「あら、アキヒコなら心配ないって言いたげね?」
からかうようなエミリアの声にも、動じない。
「アキヒコは私にとってももう、息子同然だからな。アキヒコならいいよ。だいたい、領地経営なんて私には向かないよ。前の戦争で活躍したから与えられた領地なんて、ね」
先の戦争での活躍が認められたオーガストは辺境領を与えられたのであったが、元来彼は貴族ではなく、一代貴族である。故に、出世欲などない。本当は今すぐ領地経営など放り投げて王都に帰り、騎士として生きたい、なんて考えている男であった。だからこそ、私腹を肥やそうなどと考えもせず、領地ではいい領主扱いされていた。
「まあ、仕方ないか。彼らの学生生活に幸あらんことを願おう」