青木クンとのキス
青木クンの筋肉トレーニングは毎朝十時にリハビリ室で行われた。
病室から場所を移動する時は、リハビリ室まで一緒に出向いた。
リハビリ室には何人かの大学生や高校生がトレーニングをしていた。
青木クンにバイバイだけして、一人で病室に帰った。
お見舞いに貰っていた花の水変えをして、一人病室で読みかけの小説を読みながら時間を過ごした。
昼食の時間が来ると、青木クンがリハビリ室から戻って来た。
そして、持って来た弁当を開いて青木クンと昼食をとった。
「これ見て。焦げてるでしょ。自分で作ったんだ」
焦げた卵焼きを箸で摘まんで青木クンに見せる。
卵焼きを見た青木クンが思い切り顔を綻ばせて
「嘘?マジ?それなら俺の方が上手かも」
「えっ?青木クン、料理出来るの?」
「卵焼きを作れたからって料理が出来るって言うのは違うと思うけど、まあ、チャーハンとかオムライスとかカレーぐらいならね」
「すごい。料理できるんだ」
そう言うと青木クンは困った顔をした。
なんでもないこんなやり取りはとても穏やかで、青木クンが笑うと幸せな気分になれた。
そんな日々を二週間ほど繰り返していた。
毎日の暑い日差しの中での自転車はかなり体力を消耗したが、それでも青木クンの笑顔を見る為にと頑張って続けた。
さすがに雨の日はバスを利用したが、それ以外は全て、自転車で通った。
日焼け止めを塗っているにも関わらず、鏡の中の自分は、日焼けをして、かなり引き締まった顔になっていた。
そんなある日、家から持って来た下手くそに剥いたリンゴを二人でおやつに食べている時だった。
いつものようにパイプ椅子に腰かけているわたしの頬にいきなり青木クンが手を伸ばして来た。
ドキリとした。
「沙都ちゃん、肌、日に焼けたね」
「うん。青木クンは逆に白くなった気がする」
「沙都ちゃん……本当に申し訳ない。俺のせいで、こんなに日焼けさせちゃって、ごめんね」
「気にしないでよ。どうせ、部活していても日に焼けるんだし」
二コリと笑ったわたしの方へ、ベッドに座っていた青木クンが身を乗り出してきた。
「沙都ちゃん……」
いつも保っていた一定の距離がグッと近くに感じて、気が付けば青木クンの唇がわたしの唇に重なっていた。
片手に文庫本を持ったまま動けずにいた。
誰もいない昼下がりの二人だけの病室。
白い壁をボンヤリ見ていた。
涼の唇の感触とは全然違うものだった。
荒々しい涼のキスとは違う、触れるだけの優しいキスだった。
そんなイケないことを思いながら、ゆっくり瞳を閉じた。
青木クンに肩を抱かれた状態で、何度も角度を変えたキスを黙って受けて続けていた。
長いキスが終わると、ギュッと抱きしめられた。
「ごめん。沙都ちゃんが可愛過ぎて、止まんなくなっちゃった」
青木クンに抱きしめられて、心の奥底に封印していたものがワッと込み上げて来た。
涼……
『沙都……好きだ』
あの抱かれた日の時の、涼の言葉を思い出した。
わたしは……こんなに毎日青木クンの傍にいるのに
今、キスをされて抱きしめられているのに……
それなのに……
まだ、涼が好きだ。
帰り際に、再度青木クンに抱き寄せられてキスをされた。
恋人同士なんだから、これはもう、当り前のことで、拒むことなどできない。
目を閉じて、ただ、青木クンの息使いを感じていた。
青木クンの暖かな胸の中で、身体を強張らせているわたしの髪を宥めるように何度も撫でてくれた。
これは、恋人として幸せなことだ。こんなに優しくされて、わたしは誰より幸せなはず。
わたしは幸せなんだ。
両手をゆっくり上げて、青木クンの広い背中にしがみ付くように腕を回した。