涙
最後に笑ったのはいつだろう
最後に泣いたのはいつだろう
それすらも覚えてないから…
きっと、自分なんてどうでもよいと思ってる
自分自身が一番自分に無関心
だから、どうでも良いのだ
他人のことも
身内のことも
自分のことも
「笑わなきゃ良いのに…」
そう言われて、私は飲んでいたコーヒーから口を離した。
「笑いたくもないなら、笑わなきゃ良いのに」
そう言った彼女は、つまらなそうに目の前のポテトを摘んだ。
「笑いたくないなんて…そんなことないけど?」
私は彼女に言った。
確かに笑いたいとも思わなかった
笑える出来事なんて無かったし…
でも笑顔でいた
皆が笑っているから…
笑えば良いのだと、笑みを顔に浮かべていた
そうすれば、周りも何も言わなかった
「私、楽しくなさそう?」
「楽しそうよ」
「じゃあ、なんでそんな事言うのよ」
彼女は幼い頃から一緒にいる。
家が近所で、親が仲良かったから
だから当たり前に一緒にいた
彼女も周りと一緒で、普通に会話して
毎日を過ごして、ただそれだけだった。
だから、いきなりこんな事を言われてビックリした
「楽しそうに見せてるだけに見えたから」
「…何…それ」
「そのまんま。演技にも見えないけど、本心にも見えない」
歯に物着せぬ言い方とは、こう言うことを言うのだろう
「あんたがどう感じて笑ってるかなんて誰にも分からないけど、見てる限りじゃ楽しそうに見えないだけ」
「楽しいわよ」
「そう。じゃ、怒れば良いでしょ。私にこんな事言われて腹立たない?」
淡々という彼女に、私は腹も立たなかった。
多分、言われたことは真実だし
そのことで怒る必要も無かったし…
けれど、気持ちが乱れた
-----何故だろう…
「腹も立たないの?」
何も言わない私の顔をのぞき込む彼女の表情から、何も伝わってこない
-----なにが言いたいの?
-----私にどうして欲しいの?
-----真意を知ってどうするの?
心が乱れる
胸の奥がざわつく
ワタシハ……ドウスレバ…イイノ?
「何か言ってよ」
私の腕を彼女が突っつく。
私はただ、冷めた飲みかけのコーヒーに視線を落とすだけ。
-----何も言えないの
-----何を言えば良いのか分からない
せめて、彼女の言いたいことが分かれば、希望する言葉が見つけられるのに…
「だんまり?」
彼女の大きなため息が、耳につく。
沈黙が続いた
自分の心臓の音だけが響いている気がする。
ふっと…涙が頬を伝った
涙なんて枯れたと思っていたのに…
「泣いた」
沈黙を破ったのは彼女。
その言葉に、私は顔をあげた。
彼女の視線とかち合う。
「泣いたね」
そう言った彼女の瞳が微笑んでいた。
感情のある彼女の笑いに、私の涙は止まることを忘れてしまったらしい。
「傷ついた?」
「………」
私は首を横に振る。
傷ついたかなんて分からない
ただ、怖かった…
表情が、感情がない彼女が、何を考えているか分からなくて
どうしたら良いのか分からなくて
ただ…怖かっただけ
「ごめんね」
彼女の謝罪の意味が分からず、私は彼女を見つめた。
「ごめんね。でも、イヤだったから…」
「何、が?」
「あんたが、このまま何の感情も感じないのが…」
「………」
「その方が楽だって知ってるよ。感情を無くしてしまえば、辛さを感じない。あんたの両親が亡くなって…辛い日々を過ごすのがイヤで、だから何も感じなくすれば楽なんだって…」
私は目を見開いた
私が気付きたく無かった全てを、彼女が言葉にしようとしている…
「楽しいことも辛い事も、感じなければ楽だよね。作り物の感情を顔に張り付けてさ…。相手の望む反応をすれば、何も失わずにすむよね…」
「…い、…やだ」
「でも、それじゃ意味が無いでしょう?」
私でも知りたくなかった心の奥底を、彼女が口にする。
「そんな風に逃げてるだけで、何が残るの?」
「…私は……」
「そうやって生きて…それがあんたの何になるの?失わない事が良いこと?自分に合わなくても、表面だけ繕っても、それで満足なの?」
「……だけど、私は………もう、イヤなの…」
幼い頃、両親を亡くした。
当たり前のようにあったはずの【明日】が突然なくなった。
その事実に耐え切れなくて、自分がどうにかなってしまうんじゃないかと思った。
イッソ、コワレテシマエバ…ラクナノニ…
心の中で囁く。
ナニモ、カンジナケレバ…ラクニナレル
笑顔を貼り付けて、悲しそうに俯いて…周りに合わせていれば誰も失わなかったし、自分も楽だった。
無関心になれば、辛いことも何もないと思った
「私はっ…全て受け入れるほど強くない!」
初めて、声を荒げた。
「もう、何かを失うのがイヤなの!辛い思いしたくないの!それがいけないこと?誰かに迷惑かけた?私自身のことなんだから放っておいてくれていいでしょ!!そっとしておいて。何も言わないで!これ以上、踏み込んでこないでよ!!」
一気に捲くし立てる。
全てを拒否するように。
今まで失っていた感情が噴出すように…
こんなに叫んだのは始めてだった。
私は肩で息をして、そのまま正面を見据えた。
-----これで、おしまい
また自分の殻を作ればいい
もう一度、自分の感情は押し殺してしまえばいい
けれど、そうはさせてくれなかった
「放っておかないわよ。どんなに怒られたって、嫌われたってそれがあんたの感情なんだから、私は踏み込んでいくわよ」
「…なっ…」
「言ったでしょう?イヤなんだって。昔みたいに、一緒に笑って泣いて…嫌なことも沢山あったけど、それでも乗り越えてきたように。いろんな事感じて生きて欲しいの」
「………」
「どんなに醜い感情だって、受け入れてやるわよ。あんたが嫌な人間だって、離れていきゃしないわ」
勝ち誇ったように笑う彼女に、私は何も言えなくなった。
「いきなりじゃなくっていい。少しずつでいいから、自分の感情を外に出してごらんよ。それで失うものがあったって、大丈夫だから…」
「私は、失うのはイヤだ…」
「だったら、私が一緒に辛さを感じてあげる。人形みたいなあんたを見続けるよりもずっとその方が楽だわ。…そうでしょう?」
そうやって笑う彼女は、私には無い笑顔がある。
私も…いつかこんな風に笑えるかな?
本当に心から笑える日が、来るのかな?
踏み出すのは怖いけれど…また失うものがあるのかと思うと引きそうになるけれど
でも、心のそこから笑えるのは気持ちが良いんだと思う
目の前の彼女を見ているとそう思える。
不思議だね…
今まで感じなかった感情が、次々をあふれ出す。
うん
彼女の言うとおり、少しずつ…少しずつ、いろんなものを感じよう
それが辛くても、悲しくても
何も感じないよりかずっと良い
辛くて、悲しくて…だからこそきっと感じる幸せがある。
だから-----
「ありがとう」
そう呟いて、私はぎこちなく笑った。
感情ばかりを全面に出してしまったのですが
なんとなく、そういう話を書きたかった気分でした