トパーズ
トパーズが夏の少女と会ったのは12歳の時。
焼きたてのパンのような大きな猫を連れた薄茶色の髪の少女は、大きな琥珀色の瞳をキラキラ輝かせて自分を見ていた。その顔は先月亡くなった母が大好きな夏の庭を見るときにそっくりで、懐かしさに話しかけたくなる。
でも、それはいけない。自分はここにいてはいけない厄介者だから。
トパーズは国王が侍女として勤めていた伯爵令嬢の母に気まぐれで手を出して生まれた。
妊娠した母は側妃に召し上げられ、自分は一応は第2王子として認められた。しかし、プライドの高い王妃は自分たち母子を憎み、彼女を恐れた王によって母と自分は離宮に追いやられた。
幸い、3つ年上の異母兄の王太子や忠臣たちが手を貸してくれたおかげで、離宮の中では自由に過ごせていた。
植物が好きな母は先生と慕う庭師と一緒に庭の手入れに励み、トパーズもまた母の手伝いをしながら生きていくための知識や技能を身につけて、成人した時には王位継承権を放棄して母と一緒にここを出ようと計画していた。
しかし、その平和な生活もささやかな望みも母が突然の病で亡くなったことをきっかけに、王妃にすべて取り上げられた。
執念深い彼女は、母が亡くなるとすぐにトパーズを王宮に呼び戻し、離宮に戻ることはおろか母の形見を持ち出すことも許さなかった。そして、葬儀が済むと”王子としての義務”としてかつて戦を繰り広げていた隣国との国境の砦に向かうように国王に進言した。
しかし、自分の味方をする王太子や王妃の横暴を良く思わない家臣たちが猛反発したことで、悩み疲れた国王は「辺境伯の元で魔獣の調査をせよ」と中立の立場のシトリン辺境伯の元にトパーズを送り込んだ。
ただ生きているだけで他人に憎まれ、王子という立場を押しつけられて振りまわされることに疲れたトパーズは、辺境伯のところに行く途中でひっそりと消えていなくなろうと思っていた。
しかし、王妃の監視の目をかいくぐって訪れた先生に、母がいつか自分が王宮を出る時に渡そうとしていたという種を託され「トパーズ様の手で育ててください」と涙ながらに言われて、母の宝物が幸せに生きられる場所を見つけるまではがんばろうと決めた。
シトリン辺境伯領は魔獣が出る危険性をのぞけば自然豊かで、人々も優しい。きっとここに来れば母も好きになっただろう。
トパーズは辺境伯の騎士たちと鍛錬をしながら時間があるとあちこちを歩いて探し回った。伯爵一家を始め気の良いシトリン領の人々は皆自分を見かけると声をかけてくれたけれど、元々知らない人たちと話すのは苦手だし、いつかはここも追い出されるのだからと関わりを避けていた。
そんなある日、お昼ご飯を食べるところを探しているとブチがやって来た。
「どうしたんだい?」
「んなあ~ん」
しっぽを振るブチについて行くとたくさんの夏の花が咲いていた。その色鮮やかな景色に母と過ごした庭を思い出して胸がいっぱいになる。
お礼を言って座るとブチも隣に座ってバスケットと自分にキラキラした目を向けてくる。パンをちぎってあげるとブチは甘えた声を出しながらぺろりと食べる。
それが面白くてあげているとあっという間に食べてしまう。満足したらしいブチはお腹を見せてひっくり返る。手でちょいちょいとつつかれてトパーズはおそるおそるブチに触った。
「ぷにぷにだ」
母が良く焼いてくれたパンに似ているブチは温かくて毛がもさもさしていて、身体はぷにぷにだけれどちょっと硬い。
生まれて初めて猫に触ったトパーズはその不思議な感触がうれしくなって、気づいたら夢中になって撫でていた。しばらくすると、ブチを呼びながらリッカがやって来た。
「あ、トパーズだ。もしかして、ブチがご飯食べちゃった?」
「あ、うん。ごめん、あげちゃダメなものがあったかな?」
「ううん、大丈夫。ブチは普通の猫ちゃんじゃないみたいで何でも食べられるから、優しい皆に甘えてご飯をもらっているの。ブチがお昼ご飯をもらっちゃってごめんね。あとで、おやつを持っていくね」
「ううん、大丈夫。お礼にブチに触らせてもらってうれしかったよ」
「にゃあ~ん」
再び甘えてきたブチを撫でるとうれしくなる。と、ジト目でブチをにらんでいたリッカはぱっと顔を輝かせて「見せたいものがあるんだ。明日、付き合って」と誘ってきた。
翌日、朝早くリッカとブチについて行くと、朝の淡い日差しの下でオレンジ色に明るく輝く花々が視界いっぱいに咲き誇っていた。
心奪われる美しさに言葉もなくじっと見つめていると、リッカがその一輪を摘んで差し出してきた。
とても欲しいけれど、自分の居場所も持てない情けない自分ではこんな美しい物をもらっても台無しにしてしまうだろう。残念に思いながらも断るもリッカはにこっと笑って渡してくる。
「いいの。ここの人たちは皆このランタン花を持って歩いているんだよ。トパーズもいつも持っていてね」
「……ありがとう。大事にするよ」
母と自分を守ってくれた人たちのような温かい笑顔と今はここにいても良いという言葉に胸が熱くなって、トパーズは久しぶりに凍りついていた心が温かくなるのを感じた。
*****
それからトパーズはリッカの手伝いをするようになった。
自分よりも2つ年下の小さなリッカはブチと一緒に毎日ランタン花や薬草が咲く庭をちょこまか駆け回って手入れしている。その元気いっぱいの姿が母と一緒に過ごしていた時を思い出して、トパーズもぽつぽつと話をするようになった。
「トパーズはすごく手際が良いんだね。誰かに教わったの?」
「教わったというか、母上が花が好きだから良く手伝っていたんだ。特に、夏はいろんな花が咲くからってはりきって庭の隅々まで花を植えていたから、へとへとになるまで駆けまわっていたよ。その分、咲いた花を見ながら母上が作ってくれたベリーのスコーンを食べるのは楽しかったけれどね」
「わあ、いいなあ。トパーズのお母様のスコーンってレシピはわかる?」
「ごめん、わからない。母上が元気なうちにレシピを聞いておけば良かったのだけれど」
母が得意なお菓子はベリーを使った素朴なスコーンで、作り方もシンプルだと思う。でも、トパーズは作ったことはないし、今では母が書いていたレシピも残っているかどうかわからない。
リッカの質問に答えられなくて申し訳なくなるも、優しい彼女は自分の母のおいしいクッキーを食べようと誘ってくれた。そのうれしそうな顔にトパーズもぜひリッカたちに母の自慢のスコーンを食べてほしいと思った。
――もしかしたら先生なら知っているかもしれない。シトリン辺境伯に連絡がとれるか聞いてみようか。
ふと自然にそう思ってトパーズは驚いた。
自分を心配していた先生は手紙が欲しいと言っていたけれど一度も出していない。
母が亡くなってからはこれまでのことを思い出すだけで心が悲しみでいっぱいになるし、下手に連絡をとれば王妃ににらまれて迷惑がかかるかもしれない。だから、せめて今だけは何もかも忘れて平和に過ごしたいと、祖父のようにしたっていた先生はおろか過去のことを思い出さないようにしていたのに。こんな風に思えるなんて。
でも、初めてできた友だちたちと笑いあって、へとへとになるまで走って、皆でお菓子を分け合って食べて。
たくさんの幸せを感じているうちにトパーズは悲しい気持ちが少しずつ薄れて、もっとリッカたちやここのことを知って過ごしたいと思うようになった。
それからはトパーズはおそるおそる周りの人たちに話しかけるようになった。
リッカの兄を始めとした気の良い先輩騎士たちは「お、やっと元気が出たか!! じゃあこれからは遠慮なくこき使えるな、がははははっ」と笑って、言葉通り新入りとして遠慮なくかわいがってくるようになった。おかげで、毎日へろへろになったけれど皆と打ち解けて楽しくなった。
そして、シトリン辺境伯を通じて先生に手紙を送るとしばらくして返事が返ってきた。
残念ながら、母のレシピは見つからなかったけれど。王太子たちの協力を得て離宮から小さい植物や大事にしていた物を運び出して安全なところで保管しているとうれしい知らせがきた。
トパーズは自分を気にかけてくれる先生たちに深く感謝した。
そんなある日、玄関に行くと心配そうな使用人たちに囲まれてリッカが立っていた。声をかけると熱が出ているらしく顔色が良くない。
それでもいつも通り庭の世話に行くという彼女が心配でトパーズも付いて行った。
いつもよりも小さく見えるリッカは何度も失敗しながらようやっと魔力を練り上げてランタン花に水をやる。その命を削るような痛々しい姿にトパーズは恐ろしさと怒りを感じた。
――どうしてリッカだけがこんな辛い思いをしなければいけないんだ。
シトリン辺境伯一族は代々魔獣避けのお守りになるランタン花を育てる魔力を受け継ぎ、毎日花を育ててこの地と人々を守ってきたという。
今の一族の中でただ1人、ランタン花を育てるための魔力を使えるリッカは、人々が魔獣に怯えないで平和に暮らすために毎日花の世話をするのが自分の義務だと言う。辺境伯たちも尋ねればそう答えるのだろう。
生まれてからそう教えられてきた彼女にとっては当たり前なのだろう。
でも、余所から来たトパーズは、自分よりも幼い少女が自分にしかできないことだからと辛さをこらえて必死に役目を果たすのを見ているのは辛いし、それを知っていてなお自分たちのために彼女だけに重い役目を強いている大人たちに怒りを覚えた。
それに引きずられるように、国王の血を引く子どもを産んだからと囚われた母を不幸にした自分への恨みと、いない者として蔑んでいるのに”王族の義務”を理由にして自分を都合よく利用する国王と王妃への強い怒りがこみ上げてくる。
だから、自分が今辛い思いをしているのに、弱っていく母の痛みを和らげるしかできない自分の役に立たない治癒の力を「すごい」と感謝するリッカの優しさに甘えて、自分の溜めこんでドロドロになった感情をこぼしてしまった。
「ねえ、リッカ。リッカは何で痛いのも苦しいのも嫌いなのに、自分が辛い思いをしても毎日ここに来て魔力を使い果たすまでがんばるんだ? シトリン辺境伯たちを助けるためにやらなければいけない義務だとはいえ、嫌だと思わないのかい?」
リッカは少し困った顔をしたけれど、澄んだ琥珀色の目でトパーズの目を見つめ返した。
「う~ん、そうね。嫌だと思うことはあるよ。風邪を引いた時とか嵐が来ている時とか来るのも大変だもの。でもね、これは私の”お役目”だから。お母様と一緒で、私もできなくなるまでお役目を果たすの」
「お役目……?」
「うんとね、上手く言えないけれど。お母様は『お父様たちが魔獣と戦ってこの地を守ってくれているように、私たちにも私たちにしかできないお役目があるの。だから、私と皆が今この幸せな日々を続けていくためにお役目を果たしているのよ』って良く言っていたの。
正直、お母様の言葉の意味は完全にはわかっていないと思うけれど。私がランタン花を育てれば皆が魔獣に怯えずに過ごせるからがんばるよ。
……それにね、ここにはお母様がいるから毎日お話したいことがたくさんあるんだ。だから私、お役目楽しいよ」
そう言って笑ったリッカは心から誇らしげで。トパーズはその心が晴れやかになるような笑顔に、母が自ら庭に植えた日差しを浴びて凛と咲く花々と、それを見て幸せに笑う母の姿を思い出した。
――ああ、そうだった。母上もいつも「あなたもここの庭も私の宝物よ」と言っていた。
トパーズの母は息子の自分の前ではいつも笑顔で、愚痴1つこぼさなかった。そして、毎日愛する花々を植えた庭と自分と過ごす時間をめいいっぱい楽しみ、最後に会った時には「愛しているわ、私のトパーズ。いつまでも元気でね」と抱きしめてくれた。
――リッカもここで過ごす時間が好きで、ここを守るためにがんばっているんだな。
第2王子として生まれたトパーズが周りから良いように利用されるのは変えられない。
でも、不自由で時には辛い目に合う環境の中でも好きなモノを見つけて笑って生きる母やリッカのように。自分もまた好きなモノを持てば生きていける気がする。
そう思うと独りぼっちになってから心に溜まっていった冷たく暗い感情が消えていく。
――僕、ここの生活が好きだ。もっと過ごしたい、もっと好きなことを見つけたい。そして、リッカとブチといつまでもここで生きていきたい。
トパーズはリッカにもらったランタン花を取り出すとそっと願った。
「そうか。リッカとリッカの母君はここが好きで自分のお役目を果たしているんだね。……僕もここの生活が好きだ。そして、君がくれたこの花も。ありがとう、リッカ。元気になったよ」
「うん、トパーズが元気になって良かったよ」
リッカはにっこりと笑う。その顔にトパーズはふと思いついて首から下げた袋から母の残した種を出した。
「そうだ。もし、良かったらこの種をここに植えさせてくれないかな。母上が大事にしていた種なんだ」
「うん、いいよ。どんな植物が育つか楽しみだね」
「そうだね。それに、母上もリッカたちがいるここなら喜ぶ。僕もいつか母上にお役目を果たしたと報告したいな」
きれいなランタン花が咲く、リッカの母がいるここならば母の魂も安らぐだろう。
どんなに嫌でも、いつかは自分は王子の義務を果たすためにここを離れなければいけない。
――でも、そのお役目をきちんと果たして、リッカたちがいるここに戻ってくることはできるんだ。
この日、トパーズはお役目をやり遂げると固く誓った。
*****
トパーズがシトリン辺境伯に来てからじきに1年になる。
先輩騎士たちに鍛えられたトパーズは騎士団の一員としても、リッカの庭の手伝いとしてもすっかりなじんだ。まあ、手伝いの方はリッカ曰く「ブチのご飯栽培係」という微妙に役に立っているのかわからないものだけれど。
しかし、そんな平和な日々は王都からやって来た使者によって終わった。
突然押しかけた王妃の手の者の使者は「国王からの急用」だと言い張り、殺気を放つシトリン辺境伯を恐れながらもトパーズにすぐに王都へ戻るように高圧的に命じた。
どこまでも嫌がらせをしてくる王妃に逆らえないことを悔しく思いつつも、トパーズは心配するリッカをなだめて、使者をにらみつづけるシトリン辺境伯とリッカの兄とともに王都に出発した。
久しぶりの王城は煌びやかだがどこかもろい感じがした。
廊下を歩きながらこっそりリッカの兄にこぼすと「だよな。あそこなんかブチが体当たりしたら大穴が開きそうだ」と言い、うっかり聞いてしまった辺境伯も巻きこんで3人で笑いをこらえるのが大変だった。
が、そんな辺境ジョークの和やかな空気は獲物を待ち構えていた王妃の宣言で消えた。
「第2王子トパーズ、そなたには王族として隣国との国境の砦での監視を命じます。辺境伯、1年間王子に騎士の生活の指導をしたこと、ご苦労でした。休息を終えたら領地にすぐに戻るように」
「お待ちください。陛下は1年前、第2王子殿下に我が領地での魔獣の監視を命じられました。
私はこの1年間、殿下をお預かりし1人前の騎士としてなるよう厳しく指導し、殿下もまた我が騎士団の一員としてのふさわしい実力を身につけられました。
魔獣との戦いは実力と信頼関係が必要です。1年かけて育て上げた貴重な戦力をただ渡せと言われても納得がいきません。どうかお考え直しを願います」
「無礼者っ!! たかが一貴族が王子を自分の部下のようにぞんざいに扱ったあげく、陛下の決定に異を唱えるなど思い上がりもはなはだしいっ!! 辺境の地への支援を考えなおす必要があるようねっ!!」
まなじりを吊り上げた王妃の脅しに辺境伯はぐっと詰まる。ヒステリックな声を上げる王妃に国王は無言で視線を合わせず、王太子や重臣たちは無表情だが悔し気なオーラを出している。
トパーズは父と慕う辺境伯の腕にそっと触れて感謝を示すと、一歩前に進み出た。
「王命、確かに聞き届けました。その上で陛下に1つ願いたいことがあります」
「何を言っているのですっ。たかが第2王子のおまえにその権利があると思うのですかっ」
「ああ、言ってみると良い」
王妃の声を無視して国王の自分と同じはちみつ色のどんよりとした瞳が見つめ返す。
母が亡くなった時はその昏い目が怖くて何も言えずに逃げた。でも、今は違う。理不尽に立ち向かって自分の願いを叶えるんだ。
「砦での役目を終えたら王位継承権を放棄し、王族から離れることを許可していただきたい」
トパーズの宣言に辺境伯親子以外がどよめく。自分は王子であることを望んでいないし、むしろ生まれてからずっと嫌っていたのに。王子でいたいと思われていたのだろうか。そう思って内心苦笑する。
皆が視線を向けてくる中、まっすぐに背筋を伸ばして国王を見つめてじっと待っているとやがて小さくうなずいた。続いて、王太子も重臣たちが見守る中で深くうなずいたことで、自分の意見が通ったことにほっとする。
これで王妃がどんなに嫌がらせをしても役目を果たせば解放される。そう思うと勇気がわいてきた。
それからは王妃の嫌がらせもあったがさくさくと話が進み、トパーズはこのまま王城に残って隣国との砦に向かうことになった。
執念深い王妃の嫌がらせで、父と兄と慕う辺境伯親子も追い立てられるように城から出される。
彼らはもちろん、必ず帰ると約束したリッカや辺境伯の皆ともきちんと別れを言えないことに無性に寂しさがこみ上げる。
せめてもと馬車まで見送りに行くと辺境伯が小声でささやく。
「国境に行くまでにうちを通るように手配しておく。おまえを待っているリッカとブチに会いに来てやってくれ、頼んだぞ」
「相棒、土産をたっぷり用意して待っているからな。必ず会いに来いよ」
辺境伯とリッカの兄は骨が砕けるのではないかと思うぐらい力強く自分を抱きしめて、いつも褒める時のように全力で頭をわしわし撫でると帰って行った。彼らの温かさと作ったシワはしばらく残っていた。
久しぶりに戻って来た城はやはり主の王妃に嫌われるトパーズに冷たく、油断すると王妃の悪意が襲い掛かってくることも多々ある。でも、家族たちとの約束や帰りを待っていてくれた先生を始めとした自分が思っていたよりもたくさんいる味方のおかげで乗りこえられた。
また、母が愛した庭はそのまま残っていた。先生曰く「王妃がいくらヒステリーを起こしても陛下はここに手を出すことは許さなかった」と言っていた。
今は王太子の婚約者が管理しているという。生真面目な彼女ならば大事にしてくれるだろう。トパーズはもう来ることのないだろう懐かしい場所を目に焼き付けて、別れを告げた。
そして、出発の日。
1年前と違って先生が堂々と見送りに来てくれた。先生はトパーズを抱きしめて幼い頃の時のように顔をくしゃくしゃにして喜ぶ。
「おお、力強い。トパーズ様、この1年で本当に大きくなられましたなあ」
「うん、お役目を果たすためにおじ上と兄上と一緒に鍛錬して体力をつけたからね」
「そうですか。やはり男は好きな女性ができると強くなりますなあ。どれ、この爺やもここでの仕事を終えたら、トパーズ様と想い人様が結ばれるように、お手伝いをしましょうかのう」
「ば、バカっ! リッカとはそんな仲じゃないよっ!! と、とにかく、先生も元気でねっ!」
辺境伯親子たちとやりとりをしている先生にからかわれているだけとは思いつつも真っ赤になる。先生はここの片づけが済みしだい辺境伯に移住すると言っている。変なことを言わないといいのだが。
「ほっほっほっ、トパーズ様もお手紙をくださいな。良い返事を待ってますよ。……そうそう、お世話になった方に良かったらこれを渡してください」
「ありがとう、先生。行って来るね」
先生がくれたのはひまわりの花をあしらったペンダントだった。準備で慌ただしい中でそこまで気が回らなかったので本当にうれしい。きっとあの夏の少女に良く似合うだろう。
馬車につきそう人々はシトリン辺境伯の友人だという人々で固められている。翌朝、リッカに会える距離になると彼らは気合の入った顔でトパーズの身なりを整えてくれて、トパーズも何だかドキドキしてしまった。
そして、懐かしい辺境伯領に入り約束の場所に着くと、肩まである長い髪をなびかせてリッカとぽよんぽよんと弾むようにブチが全力で走って来た。
「リッカ、ブチ、来てくれたのか!」
「もちろんだよっ! 皆、トパーズに会いたかったんだけれど時間がないから代表して私が来たの。手紙と贈り物があるよ」
「そうか、皆ありがとう。大事に使うよ」
皆からの気持ちに胸が温かくなって言葉が詰まる。
それからはリッカとブチと並んで座って離れていた間の話を交わす。話はいつまでも尽きなくて、でも時間はあっという間に経つ。
「トパーズ。あのね、これ、私の魔力をこめたお守りなの。持っていって」
リッカに渡されたのはランタン花のペンダントだった。大切に受け取って首につける。
そして、トパーズもまたリッカにひまわりのペンダントを渡した。リッカはうれしそうにつけてくれて心が温かくなる。
「ありがとう、リッカ。君にもらったランタン花と作ってくれたお守りを身につけて、僕も僕のお役目を果たしてくるよ」
「うん、私もこのひまわりのペンダント大事にする。お役目が終わったらまた会おうね。いつになっても待っているから」
「うん、僕もここに帰ってリッカに会いたい。そして、また母上が残してくれた種が育った庭を見たい。約束だよ」
「もちろんだよ! トパーズが帰って来るのを待っているからね! お手紙もプレゼントもたくさん送るからね!」
「にゃん!」
リッカの小さな手とブチのもちもちの手をいつまでも覚えているようにトパーズはきゅっと握った。再び馬車が動き出すと1人と1匹の姿が見えなくなるまでトパーズは手を振り続けた。
*****
シトリン辺境伯の地から旅立って7年になる。トパーズは20歳になり、じきに国境の砦の監視任務を終わる。
砦はトパーズが辺境伯のところにいた間に彼の働きかけで王妃が送り込んだ隊長と部下たちが左遷され、代わりに彼が選んだ人物に入れ替えられていた。おかげで、トパーズは砦の人々に「風通しが良くなった」と感謝され、最初からすんなり受け入れられた。
トパーズは辺境で学んだ知識と治癒の力を活かして薬草を育ててポーションを作った。ポーションは砦や周辺の村の人々に喜ばれ、この国と隣国を行き来する商人たちにも喜ばれて隣国との友好関係が深まった。
リッカたちシトリン辺境伯からは頻繁に手紙が来て、時にはリッカの兄や騎士たちがやって来た。残念ながら、辺境伯を離れられないリッカに会うことはできないが、ときどきブチの肉球のスタンプがついたぶ厚い手紙がくるのがトパーズの一番の楽しみだ。
ある年。リッカから母が残した種からベリーがとれたと送られてきた。
そのベリーは母が良く作ってくれた思い出のスコーンのベリーだった。トパーズはどこに行っても自分の一番好きなものが食べられるようにと幸せを願ってくれた母の愛に涙した。
リッカは自分の話を元に先生や領民たちと一緒に母のベリーを使ったスコーン再現してくれ、砦の名物料理になって皆を喜ばせた。
そして、7年後。国王に即位した王太子から王と王妃が静養したこと、砦の任務を終えて王都に戻るようにと使者が送られてきた。
王城に戻ると新しい国王はトパーズを温かく迎え入れてくれ王弟として自分の補佐をするようにと言ったが、トパーズは丁重に断って7年前の宣言通り王族を抜けて領地を持たない伯爵となった。
そして、王城の見知った人々に挨拶をしてまわると、今度はじっくりと準備とお土産を用意してシトリン辺境伯に旅立った。
辺境伯の地に入ると、初めて来た時のように夏の陽ざしが降りそそいでいた。
リッカと再会を約束した地に着くと、ひまわりのペンダントをつけた琥珀色の瞳の美しい少女と小岩のような巨大猫が走って来た。
「お帰りなさい、トパーズ」
「ただいま、リッカ」
2人と1匹は握手を交わし、戻ってこないことを心配した辺境伯たちが迎えにくるまでいつまでも再会を喜んだ。
その後、トパーズはシトリン辺境伯領地に住み、先生や噂を聞いてやって来た研究者たちと植物の研究を続けた。
そして、ランタン花の生態を解明し、この地に宿る魔力を含んだ水を安定して作り出すことに成功した。
彼の傍には琥珀色の目をした美しい妻と人懐っこい大きな猫が一緒にいて、研究室にはいつも妻が育てている花が絶えなかったという。




