音のない親友
私は一人称視点がとんでもなく苦手だとわかりました。
初めての短編で削りに削ったら最初考えていたプロットが跡形もなくなりました。
気が向いたらいつか連載するかもしれません(この短編とは大分違います。モハや別作品です)。
下駄箱に「萱野百花」と自分の名前が書いてあることを確認してから靴を履き替える。何度か間違って他の人の上履きを履いたことがあるから確認は大事だ。
「萱野、今日の部活なくなった。顧問が体調不良で早退したからだってよ。」
靴を履き替えたところで部活の先輩がやって来て、そう教えてくれた。
「マジですか?」
私は驚いて思わず聞き返した。
なぜなら、私が所属する陸上部の顧問は体が頑丈なことで有名だからだ。
「中総体の疲れでも出たんですかね。」
先月、中間考査の少し前に中学総合体育大会があった。会場では顧問が声を張り上げていた。そのせいで喉でもやられたのだろう。
「そうなんじゃね?じゃ、同じクラスのやつに伝えとけよ。」
「ラジャー!」
私が少しふざけて敬礼のポーズをした。先輩は苦笑して校門のほうへ向かっていった。
「ねね、少しいい?」
教室に入ってすぐ、窓際で話に花を咲かせていた同じ部活の友達に声をかけた。
「ん〜?百花、どしたん?」
皆外で活動しているから他の女子よりも肌が焼けている。かくいう私も。
一応、日焼け止めは塗っているんだけどな。
「今日部活なくなったって。顧問体調不良で。」
「おぉ……今日朝練で顔色悪かったもんね。」
「ね〜。大丈夫かな?」
「あの顧問は体調崩しても次の日にゃピンピンしてるような人間だよ。どうせ明日もケロッとした顔で学校来ると思う。」
顧問が体調を崩したのと聞いたのも今回が初めてである。皆、表面上はいつも通りだが、内心ではほんの少しは心配しているのだろう。表情がいつもより暗かった。
「バイバーイ!」
放課後を知らせるチャイムが鳴ると、私は教室を飛び出した。
学校の裏手には森がある。私は木漏れ日の漏れる林道を走る。梅雨が明けたばかりだから地面には水たまりの跡がある。踏んだら泥で靴が汚れてしまう。踏まないように気をつけながら足を動かす。僅かにピアノの音が聞こえてくると、走る速度を上げた。
部活がなかったせいで体力が有り余っていた私はいつもより短い時間で目的地に着いた。
「瑠璃ー!」
壁を蔦が覆っている洋館の玄関は鍵がかかっていない。いつものことだから、気にせず中に入る。
「いらっしゃい。百花ちゃん。」
リビングに置かれた黒いグランドピアノの前に座っていた少女は私の親友――日草瑠璃。サラサラな黒い髪に紺色の瞳で、すんごく可愛い。私が男だったら間違いなく惚れてる。
「何の曲弾いてたの?」
「この前も教えた曲なんだけどな〜?」
誤魔化すように頭をかきながらリビングのソファに座った。
「今年の夏休み、行く場所に希望ある?」
あと数日で夏休みだ。
今年の夏はどこかへ行こうと去年から約束していた。私の瑠璃は体が弱い。車の排気ガスなんかもダメで、ほとんど家から出ない。
最近は体調が落ち着いてきたため、どこかへ行こうという話になったのだ。
「百花ちゃんが行きたい場所ならどこでもいいよ。家から出るの久しぶりだからあんま分かんないし。」
それもそうか。私が知る限りで最後に一緒に出かけたのは小六の夏、この洋館の近くにある神社の縁日だ。近くといっても瑠璃の住む洋館からは私でも三十分はかかる。
それ以外だと家の周辺をたまに散歩するくらいだろうか。
「お医者さんはどれくらいの外出なら大丈夫だって言ってたの?」
「えっとねぇ……三時間くらいなら大丈夫だって言ってたよ。」
瑠璃のもとには定期的にお医者さんが来ているらしい。昔、私達がまだ幼稚園に通っていたころに一度だけ会ったことがあるくらいだが、優しそうなおばさんだった。
「三時間か……瑠璃は車椅子だよね?」
「そうなるかなぁ。ごめんね。」
「謝る必要ないから。」
瑠璃はいつも申し訳なさそうに謝る。体が弱いのは瑠璃のせいじゃない。だから謝る必要なんてないのにね。
あのことがトラウマになっているのだろう。
「でも……毎日ここに来るの大変でしょ?部活ある日は特に。疲れてるだろうし……」
「全然大丈夫だから!瑠璃は気にしすぎ。私は来たくて瑠璃の家来て、やりたくて車椅子押すんだから。」
「ありがとう。」
そう言ってはにかむ瑠璃はやっぱり可愛い。瑠璃のこの表情を見れるのは私だけだ。あの男どもは見れない。
ザマァみやがれ。
内心でそう嘲笑している間にも瑠璃は微笑みながら話を続ける。
「やっぱ百花ちゃんは優しいね。」
その時、グーッと音が鳴った。私のお腹の虫が鳴ったのだ。照れ隠しのようにお腹を抑えながら顔を上げる。
「へへっ、お腹空いちゃった。」
「それなら私の部屋にクッキーあるよ。持ってくるね。」
「私が代わりに取ってこようか?」
私が立ち上がろうとすると、瑠璃はそれを手で制した。
「たまには体動かさないと。」
それもそうか、と納得した私は大人しくソファに寄りかかった。
瑠璃の住む洋館は古い。なにせ廊下を歩くとギシギシと床が軋むのだ。見た目はそんなに古くないのだが。不思議だ。
不思議なことはもう一つある。
私が歩くとギシギシと音を立てる廊下は瑠璃が歩くと音が鳴らないのだ。
やっぱ体重か。
瑠璃は小柄で華奢だ。私は女子にしては身長が高いし、結構食べるから瑠璃よりは重いだろう。
「瑠璃が歩いたときは廊下軋まないよね。やっぱ瑠璃もう少し食べなきゃ。」
半分は冗談だが、もう半分は本気だ。
「そしたら太っちゃうよ。私あんまり運動できないし。」
「瑠璃は痩せすぎ。太ってやっと標準。」
「酷くな〜い??」
瑠璃は不貞腐れたように頬を膨らませる。それも可愛い。どんな表情でも絵になるから美形はやっぱりズルいと思う。
「また明日。」
「またね〜。」
夕方、空がオレンジ色になると、私は瑠璃に手を振ってから再び林道を走った。昼よりも多少は暑さが和らいでいて、走るのは気持ちよかった。
「おかえり。部活なくなったんだって?どこ行ってたの?」
帰宅してすぐ母さんにそう訊かれた。
どこに行っていたのかは毎回聞かれる。そして、私も毎回同じ返答をする。
「瑠璃のとこ。」
母さんの顔がわかりやすく曇った。
瑠璃の名前を出す度に母さんの表情は曇る。酷いときには眉間にしわが寄る。幼稚園児のころは瑠璃の名前を出すと穏やかな表情で話を聞いてくれたのに。
理由を知りたい。だけど、訊けずにいる。少し怖いからだ。
「夏休みに一緒に遊び行く約束してたからどこ行くか相談してたの。」
「……そう。来年は受験生なんだから勉強もしなさいよ。瑠璃ちゃんのとこに行く頻度減らしたほうがいいんじゃない?瑠璃ちゃんも自分のせいであんたが落ちたら気に病んじゃうでしょう?」
母さんは言葉を選んでいた。慎重に。まるで、私の機嫌を伺うように。
「大丈夫だって。勉強はわかんないとこ瑠璃に教えてもらってるから。」
瑠璃は頭がいい。学校にはあまり行けていないが、その分、家で勉強しているらしい。
「成績は上がってないんでしょう?」
「ゔっ……ス、スポーツ推薦で行くからいいの!」
「大学は?アスリートになるわけじゃないんだから進学を考えるともう少し勉強したほうがいいでしょう?」
母さんは私のことを思ってそう言ってくれているのだろう。それはわかる。でも、今はそれ以上聞いていたくない。
「まぁ……それは追々考える。お風呂入ってくるね。」
逃げるようにお風呂場に入った。
「大学かぁ……」
湯船に浸かりながら考える。私が大学に行っているところを。上手く想像できない。外を走り回っているところのほうが何倍も簡単に想像できる。
――アスリートになるわけじゃない――
母さんはそう言っていた。
確かにそうかもしれない。ただ、決めつけないでほしい。やってみなきゃわからないから。
「瑠璃はどこ行くんだろ?やっぱ頭いいとこかなぁ。」
そもそも、瑠璃が大学まで行けるのかはわからない。今は体調が安定しているけど、悪化することも十分考えられる。
小学生の頃は入退院を繰り返していたのだから。瑠璃が入院している間は会えなかった。家族以外は面会ができない病院だと瑠璃は言っていた。
正直、瑠璃がいないと寂しい。だから瑠璃には健康でいてほしい。
お風呂から上がり、夕食を食べると寝る時間だった。ベッドに入っても母さんの表情が脳裏にチラついてその夜はなかなか寝付けなかった。
「るーりー!」
「もぉ、ここが住宅街だったらどうするの?」
ついに夏休みになった。
夏休み初日。瑠璃と出かける日だ。私は嬉しさのあまり叫び、瑠璃に注意られてしまった。
「住宅街だったら叫ばないよ。森だから叫んだの。」
「野性の動物が来るかもよ?熊とか。」
「げっ、それは勘弁して。」
今の私はわかりやすく顔をしかめているのだろう。感情が顔に出やすいから。瑠璃はそんな私を見て楽しそうにクスクスと笑っている。
「だったらもう少し音量下げて叫んでね。」
「ボリューム下げたら叫んでいいんだ?」
ニコリ、と瑠璃は微笑んだ。それだけなのに、逆らえない。
「叫ばないよう善処します。」
「よろしい。」
私が大袈裟に頭を下げると、瑠璃も芝居がかった仕草で応えてくれた。
でも――
「なんか悔しい。」
「なんで?」
キョトンと首を傾げる瑠璃。美形はどんな表情でも似合うというこの世の真理を見つけた。
「いつも瑠璃に丸め込まれてる気がする……」
「気のせいじゃない?」
瑠璃は肩をすくめる。表情はとても楽しそうだ。
「絶対気のせいじゃないやつだよね!?」
私のツッコミをスルーして瑠璃は車椅子に座った。
私は忘れ物がないことを確認してから車椅子を押し始めた。
「大丈夫?暫く揺れるからね。」
林道は踏み固められているだけでコンクリートとかで整備されているわけじゃない。
ガタガタと揺れる車椅子でも瑠璃には景色を見る余裕があるらしい。久しぶりに外に出たこともあるのか目を輝かせている。
「綺麗だね。あっ、あれ百花ちゃんのスニーカーの跡じゃない?」
「うわっ、本当だ。この前泥踏んだときのかな?」
私は思わず足を止めて靴の底を確認する。瑠璃はクスクスと笑っている。つられて私も笑った。
「瑠璃、軽すぎない?」
林道を出て少ししたころ、私はずっと思っていたことを訊いた。車椅子を押す力の大きさは瑠璃が乗る前と乗った後でほぼ変わっていない。
「お世辞はいいよ。」
周囲に自転車や車が来ていないか確かめてから、瑠璃の前に回る。そして、脇のほうへ手を伸ばす。
「お世辞じゃない。ほら軽「百花ちゃん、いくら親友でも急に持ち上げるのはダメじゃない?」」
一瞬、瑠璃の顔から表情が抜け落ちた。
いや、違う。
いつもの瑠璃じゃなかった。いつも穏やかに微笑んでいる口元が愉悦で歪んでいるように見えた。
ほんの一瞬だったから見間違いの可能性は十分にある。
それでも、瑠璃の言葉には逆らい難い圧があった。
「百花ちゃん?」
凍りついたように動かない私を心配したのか、瑠璃は額に手を添えてきた。
「熱はないね。」
瑠璃の手はヒンヤリとしている。火照った体には気持ちいい温度だ。
(瑠璃って冷え性だっけ?)
「ん?あぁ、うん。そうだね。ごめん。」
「いいよ、気にしないで。百花ちゃんは私を心配してくれたんでしょう?」
いつもの瑠璃だ。それでも、私の心臓はバクバクと鳴っていて、瑠璃にこの音が聞こえてしまうのではないかとヒヤヒヤする。
「そ、そうだよ!瑠璃、一食一食が少ないから。うぅ……なんでそんなに細いの?羨ましい。」
これ以上この話題は続けるべきではない。そう判断し、話を変えた。
「百花ちゃんのは筋肉でしょ?部活の筋トレ頑張ってる証拠。」
「そそ。私は筋トレ頑張ってるからいいの!」
瑠璃はそれ以上、さっきの話題に触れてくることはなかった。
それでも、私の不安は拭いきれない。目の前にいる瑠璃が、私が押している車椅子に乗っている瑠璃が、私の知っている瑠璃とは別人に見えてしまう。
暫くすると、コンビニの駐車場で談笑している友達を見つけた。
「やっほー!」
大きく手を振ろうと片手を上げる。
「百花ちゃん、見て見て!あそこの花壇綺麗!」
私の注意が瑠璃の指が指し示す方向へそれた。今の私は出席確認で名前を呼ばれた時のような格好で止まっている。
一度、手を下ろして花壇を見る。
「ここね。季節ごとに違う花が植えられてるんだよ。それも毎年違うの。」
「へぇ〜。詳しいね。誰から教えてもらったの?」
瑠璃の声音が少し低い。気のせいだと言い聞かせて話を続ける。
「去年ランニング中にここの公園の管理人さんが教えてくれたんだ。」
「毎回違う花を植えるってことはその人、花が好きなんだね。男の人?」
なぜか瑠璃のほうを見ることができない。花壇を見たまま、話を続ける。
「白髪のおじいちゃんだよ。すっごく優しくてね、暑い日はお茶くれたり飴くれたりするんだ。」
「ふ〜ん……」
自分から話を振ってきたのに瑠璃は興味がなさそうだ。
私はコンビニのほうへ顔を向ける。友達が二人で何やら話し込んでいる。時折、私と瑠璃のほうへ指を向け、眉をひそめている。
なんの話をしているのか気になり、コンビニに向かおうと車椅子を押す。
「ゴホゴホゴホッ……ゲホッ……」
花壇から数メートルほど離れたところで急に瑠璃が咳込んだ。
「瑠璃!?病院行く?この近くには……」
「だ、大丈夫……少し横になれば治るから……」
瑠璃の顔は青白く、大丈夫には見えない。
「っ……家戻るよ!」
車椅子が揺れすぎないように気をつけながら私達は来た道を戻った。
「ごめんね。せっかく連れてってくれたのに。」
瑠璃はベッドに横たわり、申し訳なさそうに謝っている。
「気にしないで。今日は瑠璃のお父さんとお母さん何時に帰ってくるの?」
瑠璃が体を起こそうとしたため、それを制しながら額に濡らした手拭いをのせる。
家に戻ってくる頃には瑠璃は熱を出していたのだ。顔色は相変わらず青白い。
「17時くらいかな?」
「わかった。それまで私が看病する。」
「い、いいよ!午後から部活あるんでしょ!?」
瑠璃はなぜか必死だ。
大きな声を出したせいで咳込んでしまっている。ズレた毛布をかけ直しながら私は言葉を続ける。
「部活よりも瑠璃のほうが大事なの。室内でできるトレーニングしてるから。ね?」
「で、でも……全国大会の練習あるんでしょ?百花ちゃん、ずっと目標にしてた大会なんだから……」
「瑠璃、大丈夫だから。」
瑠璃の言葉を遮った。
瑠璃はこれで引いてくれるはず――
「お願い……部活サボらないで。もし私のせいで百花ちゃんが優勝できなかったら……」
(なんで?)
瑠璃の声はいつもより高かった。それは瑠璃が嘘をつくときの癖だ。
表情だけは私を心配する瑠璃のそれだ。
体温を確認するフリをして首のあたりに手を添える。
(なんで……?)
――脈がなかった。
私の心臓はバクバクと警鐘を鳴らす。
ダメだ。
これ以上、ここにいては
「そんなに言うなら……」
私はそのまま、瑠璃の家を出た。玄関のすぐ横には車椅子がある。私は気になっていたことを確かめるために車椅子を押した。
(音が同じだ。)
瑠璃を乗せて林道を押した時の音と今の音は同じだった。小石の上や小枝の上を走らせても同じだった。
(どういうこと……?)
急いで車椅子を元の場所に戻し、林道を走ろうとした。
その時、玄関の扉が開く音がした。
反射的にそちらへ目を向けた。そこには目が虚ろで、血色のない瑠璃が立っている。
瑠璃の位置から私は見えない。
瑠璃は私に気づくことなく、道がない森へ入っていく。地面の枝や落ち葉を踏んでいるのに、音がない。
私が踏んだら間違いなく枝が折れるバキッという音や落ち葉を踏むガサガサという音が響くはずなのに。
丁度、森に数歩入った瑠璃の目の前を鳥が飛んで行こうとしていた。
「……ミーツケタ。」
瑠璃がニタリと不気味に口角を上げた。次の瞬間にはもう生きた鳥などいなかった。クチャクチャと湿った音が聞こえ、瑠璃の服が赤く染まっていく。
「っ……」
体力配分など考えずに走り出していた。
気づいたら、自宅の前に立っていた。膝に手を当て、肩でゼェゼェと息をする。全身から汗が噴き出し、鼻の先から地面へと落ちた。
家の中に入り、階段を駆け上がって自分の部屋に飛び込んだ。ベッドの上でタオルケットを被ってガタガタと震える。
「あ、あれが瑠璃!?気づかれた!?」
信じたくない。
あれが瑠璃だと信じたくない。
これは悪夢だ。あまりの暑さで見た悪夢だ。
私はそう言い聞かせた。
それでも、体の震えは止まらない。顔から血の気が引き、奥歯がカチカチと鳴る。
そしてそのまま気絶した。
瑠璃の家に行かなくなって三日が経った。毎日のように行っていたせいでこの三日間は落ち着かなかったが、部活に打ち込んで恐怖を忘れさせていた。
そんな日の夜だった。事件が起こったのは。
夕食を食べ終え、部屋の扉を開けると、中には瑠璃が立っていた。
急いで部屋から出ようとしたが、遅かった。バタンと扉が閉まる音がした。取っ手をひねろうにもガチャガチャと音がするだけで扉は開かない。
――私の部屋の扉には鍵がないのに――
私の肩に冷たい手が乗せられた。瑠璃の手だ。
声色はいつもの瑠璃のものなのに。
声の高さも抑揚も発音も――その全ては「日草瑠璃」のものなのに。
「百花ちゃん、なんで最近来ないの?」
「ヒィッ……!」
耳元で囁かれた言葉を最後に私の意識は闇に沈んだ。
✽✽✽
「百花ちゃん、おままごとしよっ!」
「うん!瑠璃は何の役する?私はね――」
幼稚園での私と親友の会話だ。幸せな日常の一幕。
――崩れる前の、当たり前の日常だったものだ。
バンッ、キキィーーッ!
何かをはねる音と車のブレーキ音が耳をつんざく。
車にはねられたのは――
✽✽✽
「ゆ、夢……?」
目を覚ましてすぐ、見慣れた天井があった。私はベッドに仰向けになって寝ていたらしい。
「百花ちゃん」
「な、なんで……」
瑠璃の顔が視界に入ってきたことで、私は全て思い出した。
瑠璃に関する全てを――
「百花ちゃんが最近来てくれないから……寂しくて来ちゃった。」
そう、朗らかに微笑む瑠璃は邪気のない子供そのものだ。
でも、今の私には別のものに見えてしまう。
「ね、ねぇ…瑠璃、私さ、今の今まですごく大事なこと忘れてたんだよね。」
「大事なこと?」
可愛らしく小首を傾げる瑠璃を見ると胸が締め付けられる。
(ごめんね。)
心の中で小さく謝る。
大事な大事な眞友の瑠璃に。
私の母に。
「私さ、幼稚園くらいの記憶がないの。」
――嘘だ。
瑠璃との思い出は全て夢のおかげで思い出した。
「昔のことだからね。私も結構曖昧だよ?」
(やっぱり。)
確信してしまった。
自分の推測がほとんど正解だと。
「ううん。違うの。」
首を振る。
三日前は怖くて見られなかった瑠璃を真っ直ぐ見つめる。
「私が幼稚園のころのことをほとんど覚えていなかったのは……脳が思い出さないようにしているらしいの。」
ずっと前から知っていて、目をそらしていた事実だ。
ほんの数時間前まで、どこの幼稚園に通っていたかすら忘れていたのだから。
「ふぅん。それで?」
「脳が思い出さないようにするのは悲しかったり辛かったり……そういう記憶がほとんどらしいの。」
これはわからない。なんとなくそうなんじゃないかと思っただけ。
それでも、瑠璃の動揺を誘うには効果覿面だ。
「ねぇ…貴女は誰?」
ギシリという音と共にベッドに押し倒された。首には瑠璃の手が添えられている。
「百花ちゃん、そういうことは黙っておいたほうが長生きできるんだよ。少なくとも、あと一ヶ月は生きられたのに……」
「あ……ああ……」
目の前の光景に絶望する。涙で視界が潤んで瑠璃の表情が見えない。
「百花ちゃん、私寂しいの嫌なの。そう言ったら百花ちゃんは『ずっと一緒にいてあげる』って言ってくれたよね?」
言った。それは私が言ってしまった言葉だ。
幼稚園で瑠璃は私以外に遊び相手がいなかった。
私がいないところで虐められていたこともあったらしい。その度に瑠璃は「ごめんなさい」と謝っていたそうだ。体が弱く、抵抗できないところを何も知らない子供達はただ、遊びのつもりで嗤っていたらしい。
――何も悪いことをしていないのに。
そして、この話は瑠璃の葬式で知った。幼稚園の先生が話していたのを盗み聞きしていた。これだけはいつも脳みその奥にこびりついて忘れることはできなかった。
「車に跳ねられて死ぬ最期の瞬間もその言葉があったから私は諦めるんじゃなくてこの世にしがみついたんだよ。」
そうだ。瑠璃はこの世にもういない。
車にはねられて死んだ。
他でもない私がこの目で見た。
幼稚園の砂場に突っ込んできた車を。
それにはねられ、宙を飛ぶ小さな体を。
今になって後悔してる。
なんであの時、外で遊んでしまったのか。
いつも部屋の中で「私も皆と同じように遊びたい」とこぼしている瑠璃の笑顔を見たかっただけなのに。
「本当はこうするつもりはなかったの。でも……百花ちゃんが悪いんだよ。」
私の体の上に瑠璃が跨がっている。軽い。空気と変わらない重さ。
だけど、首に添えられた手は確かにある。
「だって、本当のことを思い出しちゃったから。だから私は成仏するしかなくなったの。責任取って一緒に逝ってくれるよね?」
「い、嫌…!忘れてたことは謝るかっ…あ゛っ……ゔっ……」
息ができない。
瑠璃に首を絞められている。
その細い指で絞められている。
「ズゥーット、イッショダヨ。」
私が最期に見たのは幸せそうに笑う瑠璃だった。
木々の間から洋館が見えてくると、ピアノの音が聞こえてくる。枝や落ち葉を踏んでも音はしない。ピアノの音が伸びやかに響いているだけだ。
辺りは白一色。木も地面もそこに生えてる草も全部白い。だけど、洋館だけは色がある。
ピアノの音は澄んでいて、青い宙に吸い込まれていく。
私は洋館に向かって走る。
静かな白い林道を。
瑠璃のいる場所へ。
面白いと思ったら是非感想やリアクション、評価をお願いします。
私の気分次第で瑠璃や百花の母親視点のものを出すかもしれません。リクエストありましたら感想と共にください。




