第9話 ふたりでの帰還
熊が光になって消えたあと、通路に残ったのは重たい静けさだった。
私達は、しばらく息を整えてから回収を始める。
熊二頭分の素材と魔石。
魔石はいつも通り、淡く光る石ころみたいな塊で…。
「…ん?」
手を止めた、魔石の中にな小さいのが混ざっている。
親指の先くらい、でも手に乗せた瞬間ずしっと沈んだ。
小さいのに重い。
中身がぎゅっと詰まっているみたいだ。
「なに、これ…」
金髪の子も横から覗き込む。
「それ、重くない?」
「…うん」
私は指先でそっと転がした。
光の密度が違う。
同じ魔石のはずなのに、輝きが妙に濃い。
【通常レアドロップ:魔石結晶】
魔石が濃縮された結晶。
高値で取引される。
「…魔石、結晶」
思わず声が漏れた。
コメント欄が一気に加速する。
『きたあああ結晶!!』
『魔石結晶はガチで金になる』
『発電会社が買うやつ』
『熊二頭の報酬として完璧』
『撤退推奨→狩った→勝ち』
金髪の子が、少し驚いた顔で笑う。
「うわ。当たり引いたね。…それ、普通に当たりくじだよ」
その言葉に、私は魔石結晶を握りしめた。
昨日は消えた。
でも今日は、消えない。
素材と魔石は持ち帰れる
「…残る?」
「そ、残るよ」
金髪の子は軽く頷いた。
結晶をポーチに入れようとして、ふと止まる。
小さい、だからこそ失くしそうで怖い。
両手で包むように持って、もう一度たしかめる。
濃い光と重さ。
目に見える確かな成果。
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
友達はまだできていない。
教室の空気も相変わらず怖い。
でもここでは、私の手の中にちゃんと価値が残る。
「…ありがと」
小さな声だったけど、言えた。
金髪の子は、少し照れたみたいに笑った。
「よし。じゃ、欲張りすぎる前に帰ろっか」
彼女はそう言って、通路の奥を警戒しながら歩き出した。
私はポーチの口を固く閉める。
帰り道は、ほとんど無言だった。
でも、息苦しくはなかった。
教室の無言は、針みたいに刺さってくる。
「話せない私」が、その場の空気を重くしている気がしてしまうから。
だけど今の無言は違う。
ただ、必要な静けさだった。
金髪の子は通路の先を見て、時々足を止める。
耳を澄ますみたいに首を傾けて、ほんの少し視線を動かす。
警戒、それが当たり前みたいに自然だった。
私はその横顔を、つい見つめてしまう。
強いし、慣れてる。
その時ふと、目が合った。
「あ」
私が慌てて逸らそうとすると、金髪の子が先に笑った。
「気になる?」
「…え、あ…」
「今ね、気配察知のスキル使ってるの」
さらっと言って、彼女は自分のこめかみを指先で軽く叩いた。
「周囲のモンスターの気配が分かるから、便利なんだよね」
そう言って笑う、太陽みたいな笑顔だった。
そういえば、こんな笑い方教室の誰かもしていた気がする。
でも私は、そういう顔をちゃんと見たことがない。
だって、いつも前髪の奥に隠れていたから。
それでも、その笑顔は胸の奥をじんわり温めた。
やがて、通路の先に虹色の膜が見えてくる。
生きて帰れる。
金髪の子が、その前で立ち止まった。
「…あ、そういや」
彼女が振り返る。
「私、名前言ってなかったよね」
私は小さく頷いた。
「じゃ、改めて」
彼女は、少しだけ胸を張った。
「神宮ほのか。ほのかでいいよ」
神宮。
その苗字で、頭の中の何かが引っかかった。
ほのかは、そのまま続ける。
「佐倉しずく、だよね?」
「…え」
背中がぞわっとした。
苗字まで言った?
言ってない、言ってないはずだ。
言ったのは「しずく」だけ。
なのに、彼女ははっきり佐倉しずくと言った。
心臓がどくんと跳ねる。
「…なんで」
問いかける声は小さすぎて、ほとんど空気に溶けた。
でも、ほのかは普通に笑った。
「え?だって、しずくって」
そこで言葉を切って、私の顔をまじまじと見る。
「あ、今さら気づいた?」
彼女が一歩近づく。
私は前髪の奥から、必死に彼女を見た。
見覚えがあった。
髪型が違うせいで、気づかなかっただけだ。
神宮ほのか。
クラスでも目立つ、ちょいギャルっぽい女の子。
教室では髪を下ろしていて、いつも笑い声が明るい。
周りに自然と人が集まっている。
私とは、別の世界の人。
「…え、えええ」
喉が詰まる。
ほのかが困ったように笑った。
「うん。クラスメイト」
軽く言う、当たり前みたいに。
その当たり前が、私には眩しすぎた。
クラスで一度も会話したことがない。
目をちゃんと合わせたことも、たぶんない。
なのに今、この子は私を助けたて一緒に戦った。
私の名前を知っている。
「…わ、わたし」
言葉が出ない。
ほのかが先に言った。
「協会登録の時にフルネーム一瞬聞こえたんだよね」
背中が冷える。
「…ご、ごめん」
「いやいや、謝らなくていいよ!」
ほのかは笑って、手を振った。
「むしろ昨日から気になってたんだよね。『しずく』って、もしかして同じクラスの佐倉さん?って」
気になってた。
その言葉が胸に刺さる。
ほのかが続ける。
「でもさ、学校だと話しかけづらくて。なんか、いつも目逸らすし」
私は縮こまる。
その通りだ。
目を合わせるのが怖い。
話しかけられるのが怖い。
変なことを言ったら終わる気がする。
でも、ほのかは明るいまま言った。
「だから今日、助けられてよかった。ダンジョンなら、話しかけても変じゃないし」
変じゃないし、その言い方が救いみたいだった。
私は息を吸う。
今なら、今なら言えるかもしれない。
「…ありがとう」
ほのかの笑顔が、少しだけ柔らかくなった。
「こちらこそ」
彼女がゲートを指さす。
「一緒に帰る?」
喉がぎゅっとなる。
友達が欲しい、って思っていた。
でも、目の前にその入口が来ると怖い。
怖いのに、嬉しい。
私は小さく、小さく頷いた。
「…うん」
ほのかが、満足そうに笑う。
「じゃ、帰ろ」
太陽みたいな笑顔のまま。
私たちは並んで、ゲートをくぐった。
ゲートを抜けると、探索者協会のロビーまで移動する。
いつもの熱気、いつものざわめき。
素材袋の擦れる音と、金属のぶつかる音。
昨日と同じ風景。
でも、昨日とは決定的に違う。
隣に、誰かがいる。
一人での帰還じゃない。
それだけで、少しだけ呼吸が楽になった気がした。
ほのかが私の方をちらっと見て、軽く顎で受付を指す。
「行こ」
「…う、うん」
二人で受付へ向かう。
受付のお姉さんがこちらに気づいて、目を細めた。
「あら…昨日の子」
それから、隣のほのかを見る。
「今日は二人?」
ほのかがにこっと笑う。
「はい。途中合流です。番の熊二頭、落とし穴と麻痺弾で片方落として、チャージで〆ました」
説明が早い、慣れてる。
私は隣で、こくこく頷くことしかできない。
「戦利品は…」
ほのかが素材袋を開けて、カウンターに並べる。
そして、小さな結晶。
魔石結晶。
受付のお姉さんがそれを見た瞬間、ほんの少しだけ目を見開いた。
「…わ、すごい」
いつもプロっぽい笑顔のお姉さんが、素で驚いてる。
「運がいいねぇ」
ほのかが胸を張る。
「でしょ。しずくが前衛めっちゃ頑張ったから!」
「…っ」
急に話を振られて、私は息を詰まらせた。
「…あ、あの」
ほのかが肘で軽く私の腕をつつく。
「ほら、分配どうする?」
私は一瞬だけ迷った。
でも、今日の私は一人じゃない。
「…等分で」
受付のお姉さんが頷く。
「共同討伐の合意、確認。番熊二頭の素材と魔石、それと…結晶ね。等分で処理するよ」
端末のキー音がカタカタ鳴る。
数字が画面に並ぶ。
「結晶の買取価格は」
お姉さんが一度だけ画面を見て、にこっと笑った。
「五十万円」
「…え」
五十万。
数字の意味が、一瞬うまく理解できない。
いろんな現実が頭をかすめて、逆に何も掴めない。
手が少し震えた。
でも、ほのかの方が先に爆発した。
「えっ、えっ、えっ!?五十!?」
次の瞬間、文字通り飛び上がる。
「やっば!家計が楽になる!」
「ちょ、ちょっと…!」
私は慌てて周りを見る。
人が見てる、受付の人まで笑ってる。
でもほのかは止まらない。
「いやマジで!今月、母さんの顔色やばかったんだって!これで電気代いける!あと米!」
米、という単語が妙に生々しくて、私は変なところで現実に引き戻された。
受付のお姉さんが楽しそうに言う。
「二人で等分だから、一人二十五万円ね」
二十五万。
私は固まったまま、ほのかを見る。
ほのかは両手をぎゅっと握って、目をきらきらさせている。
「二十五万だよ、しずく!二十五万!」
「…に、二十五」
口に出した瞬間、やっとその数字が重みを持った。
そして私は、初めて実感する。
ダンジョンって、本当に社会を回してるんだ。
ただの配信じゃない、ただの冒険でもない。
「…すごい」
小さな声だったけど。
ほのかは聞き逃さなかったみたいに、にこっと笑った。
「でしょ、だからさ」
彼女は、当たり前みたいに言う。
「また組もうね?」
友達が欲しい、変わりたい。
その答えが、今隣にいる気がした。




