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第6話 ダンジョンは動物園ではありません

銀のバックラーは、腕につけた瞬間から違っていた。


鉄のバックラーは、あくまで「道具」だった。

受ける角度も、流す角度も、全部こっちが必死に合わせなきゃいけない。


でも、銀のバックラーは違う。


「…馴染む」


腕の内側にぴたりと沿って、重心がぶれない。

少し姿勢が崩れても、盾の位置が勝手に正しい場所へ戻ってくるような感覚があった。


まるで、古くからの相棒みたいだ。


…変だな、と思う。


私は昨日まで、相棒なんていなかった。

友達だっていなかった。


なのに、盾に対して「懐かしい」なんて思うなんて。

少し可笑しくて、でもあまり笑えなかった。


『銀盾いいな』

『ガード音が違いそう』

『次なに来る?』


そのとき、かすかな音がした。


土を掘るような音。

通路の曲がり角の先から聞こえてくる。


足を止めつつも、背中がすっと冷える。

熊かもしれない、ロングソードを握りなおし、盾の位置を再度確認する。


音を立てないように、半歩ずつ近づく。

角の手前で呼吸を止め、慎重に覗き込んだ。


熊だ、でも大きくない。


体高は、せいぜい私の胸くらい。

毛はまだふわっとしていて、背中の筋肉も完成していない。


その子熊は、こちらに気づいていなかった。

床に溜まった土の層を、前足で夢中になって掘っている。

爪が石と土をかき分ける音が、妙に生々しい。


何かを探しているのか。

それとも巣穴でも作っているのか。

とにかく、隙だらけだった。


背中ががら空きで、首筋も見える。

急所らしい場所が、全部見えている。


今なら奇襲できる。


『子熊だ』

『可愛い…とか言ってる場合じゃない』

『幼体でも普通に死ねるぞ』

『でも今なら背中取れる』

『奇襲いけ』


昨日は、熊に正面からぶつかった。

あれは、偶然生き残れただけだ。


今日は、ちゃんと勝ちたい。

無理をせずに、生きて帰りたい。


私は銀のバックラーの縁を見た。

良い装備は少しだけ私に自信をくれる。


一歩だけ詰める。

子熊はまだ掘っている。


二歩目。

まだ気づかない。


慎重に三歩目。

もう、攻撃が届く距離。


ロングソードを上段に構える。

背中へ一撃、それで終わるかもしれない。


でも胸の奥が、ほんの少し痛んだ。

子熊、夢中で穴を掘っているだけの生き物。


私はそれを、上から見下ろしている。


『やるなら今』

『ためらうな』

『優しさで死ぬぞ』

『ダンジョンは動物園じゃない』


分かってる、分かってるんだ。


剣を振り下ろす覚悟を決めた、その瞬間。

子熊の耳が、ぴくりと動いた。


掘る手が止まり、ゆっくりと首が回る。

赤い目が私と合った。


…気づかれた。


通路の空気が変わる。

子熊の喉から、低い唸り声が漏れた。

背中を向けていた子熊が、正面を向く。


私は銀のバックラーを前へ出した。

もう奇襲じゃない、ここからは正面からの戦いだ。



子熊でも爪は鋭い。

しかも、攻撃の位置が低い。


私の下半身、足首や脛、そこを正確に狙ってくる。

速い上に、角度がいやらしい。


「っ!」


ロングソードを振ろうとして、直前で思いとどまる。

振った瞬間に、足を削られる。


銀のバックラーを合わせようとして、すぐ気づく。

低すぎる。


盾は腕に固定されている。

子熊の攻撃に合わせようとすると、かなり無理な体制になる。


しかも子熊の爪は、下からえぐるように来る。

受け流し向きの盾でも、角度が作りにくい。


『足狙いだ!』

『子熊の方が厄介って言われるやつ』

『盾合わせにくいんだよな』

『ステップ! ステップ!』


足を小刻みに動かしながら、小さく鋭い攻撃をなんとか避ける。

合気道で叩き込まれた、間合いの出入り。


子熊の爪が石畳を削る。


一度でも深く入れば、出血する。

昨日の犬より、たぶん裂く力は強い。


剣はまだ振らない、今は振れない。


子熊が前足を振り回す。

爪が靴先を掠め、火花が散った。


「危な…」


苛立ったのか、子熊の唸り声が低くなる。

さらに姿勢を落とした。


四肢が沈み、肩が落ちる。


コメント欄が一斉に叫んだ。


『タックル来るぞ!』

『跳ねる!』

『横!横!』


子熊の加速は一瞬だ、盾を構えるより先に身体が勝手に動いた。


跳ぶ。


子熊を飛び越えるように、地面を蹴った。

一瞬だけ視界が上を向き、天井の苔が目に入る。


その真下を、子熊が突っ切っていった。

鈍い音が通路に響く、そのままダンジョンの壁に激突したのだ。


毛皮の塊が壁にぶつかり、反動でひっくり返る。


腹が上になり、四肢が宙でばたつく。

完全に無防備。


『うおおおおお!』

『ジャンプ回避!?』

『今の反射神経やば』

『転倒取った!』


着地した瞬間に息を吸った。

今度は迷わない。


ロングソードを握り直して踏み込む。

倒れている子熊の首元へ、一撃で終わらせる。


刃が毛皮を裂く感触が硬い、でも通る。

そのまま強引に体重を掛けて、鉄の刃を押し込んだ。


子熊最後に短く鳴いて、ゆっくりと動きを止めた。

小さな体が、少しずつ光の粒子となってほどけていく。


通路に静寂が戻り、私はようやく息を吐いた。

心臓の音が、やけにうるさい。


『ナイス!』

『よく跳んだ!』

『あれ普通のJKじゃねえ』

『いやステは普通なんだよな』


光になって消える子熊の跡に、ドロップが落ちる。


魔石と素材、それから土にまみれた小さな木箱。

子熊が夢中で掘っていたのは、それだったらしい。


私は震える手で拾い上げた。


『箱!?』

『掘ってたのそれか』

『レア!』


木箱を開けた瞬間、甘い匂いがふわっと広がった。

濃い匂い、でもくどくない。


喉の奥がじんわり温かくなるような香りだった。

中には、小さな瓶が入っている。


黄金色。

とろりとしていて、光を吸うみたいに重い。


システムウィンドウが開く。


【通常レアドロップ:高級蜂蜜】


通常の蜂蜜とは比較にならない美味しさを持つ蜂蜜。

甘味素材として最高級。

中級以上のポーション素材としても使用可能。

高値で取引される。


「…蜂蜜?」


思わず声が漏れた。


『うおお蜂蜜!!』

『レア食材きた!』

『高級蜂蜜はマジで金になる』

『中級ポーション素材だぞ』

『勝ち確ドロップ!』


私は瓶を胸に抱えた。


銀のバックラーと違い、これは通常のレアドロップだ。

持ち帰れるし、協会で換金もできる。


「…やった」


胸の奥が、ふわっと軽くなる。


けど、背後の空気が急に冷たくなった。

明らかに何かが私を見ている、凝視している気配がある。


『…ん?』

『今、音したような』

『後ろ、後ろ』


ゆっくり振り返って、気配の元へ視線を合わせる。

通路の奥、暗闇の中で赤い目が二つ、いや四つ光っている。


体高は二メートル級。

昨日の熊と同じか、それ以上だ。


肩の筋肉が盛り上がっている。

爪が石畳を削り、嫌な音が鳴る。


怒っている。

いや、怒りというより許さない目だった。


『やばい二頭!?』

『番じゃねえか』

『子熊の親だろそれ』

『詰んだ』

『逃げろ!!』


私の喉がひくっと鳴る。


さっき倒した子熊の光の残滓を見た。

熊たちの視線も、そこへ落ちている。

そして、私を見る。


ひょっとして番で、子熊は…。


胸の奥がずしりと重くなる。

でも、ダンジョンは動物園じゃない。

優しさだけでは死ぬ。


熊が低く唸る。


一頭が前に出て、もう一頭は少し横へ回る。

挟むつもりだ、絶対に逃がす気はないらしい。


熊はゆっくり、だが確実にこちらへ距離を詰めてくる。

足音が、私の心臓の鼓動と重なる。


コメント欄が叫ぶ。


『撤退!撤退!』

『二頭は無理!』

『引き撃ちできないのきつい!』

『ゲートまで走れ!』


走る…でも、背中を見せたら終わる。

熊の一撃は背中に刺さる。


銀のバックラーとロングソード。

今日はアタッカー補正で力と耐久が高い。


でも、相手は二頭。

直線の通路で狭い。

狭いなら、同時には来にくい。


私は壁際へ寄りながら決めた。

片側を潰す、先頭の一頭に集中する。

もう一頭の回り込みは、盾と位置取りで止める。


銀のバックラーを構える。

受けない、流す。

まともに受けたら骨が持たない、流すしかない。


熊の爪が振り下ろされるタイミングに合わせ、角度をつけて盾を滑らせる。


衝撃が腕を貫ぬくが、銀の縁が滑る。

ほんの少しだけ、軌道が逸れた。


間髪いれずに、ロングソードを突き出す。

熊の前足に浅く入る。


でも、止まらない。

もう一頭が、横から詰めてくる。


そのとき、背中のリュックが急に重く感じた。

高級蜂蜜の甘い匂い、生きて持ち帰りたい。

でもそれ以上に、生きて帰りたい。


私は歯を食いしばり、足を踏ん張った。


「…来い」


今度の声は、昨日より少しだけ大きかった。

二頭の熊が、同時に唸る。


そして、二頭同時に踏み込んだ。

通路が熊で埋まる。


私の世界が、赤い目で満ちた。

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