第25話 獣ではない気配
協会ロビーへ戻ると、またいつものざわめきが迎えてくれた。
別棟の静けさから戻ると、こっちの空気の方が少しだけ落ち着く。
探索者の声、装備の擦れる音。
受付のやりとり。
「ふー」
ほのかが軽く伸びをした。
「なんか、別棟行くと毎回ちょっと緊張するね」
「…うん」
しずくも小さく頷く。
でも、双剣は戻ってきた。
謝礼ももらった。
月島の言葉も、少しだけ安心できるものだった。
ほのかはすぐに顔を上げた。
「で、どうする?」
にやっと笑う。
ちょっと楽しそうな、でも探るみたいな口元。
しずくが首を傾げる。
「…どう、する?」
「二層行く?」
その一言で、しずくの胸が少し跳ねた。
ほのかは、もうその気らしい。
「行っちゃう?」
しずくは前髪の奥で目を瞬かせた。
二層。
今までの一層の延長じゃない。
新しい階層、新しい敵、新しい危険。
でも、レベルは四になった。
装備も増えた。
踊り子の双剣という、どう考えても普通じゃない武器もある。
ほのかは、もう端末を開いていた。
「ちょっと待って、協会データベース見る」
手慣れた動きで探索者用アプリを開く。
画面には階層情報が表示される。
二層:ゴブリンの巣穴
「名前からして嫌な予感するなー」
ほのかが言いながらスクロールする。
しずくも横から覗き込んだ。
表示されていく説明は、思ったより具体的だった。
二層概要
天然洞窟型ダンジョン
主な出現モンスター
ゴブリン
ダンジョンボア
吸血蝙蝠
「うわ、ボアもいる」
ほのかが顔をしかめる。
「巨大イノシシだって。絶対、突進してくるやつじゃん」
しずくは、そこよりも別の文字に目が止まった。
ゴブリン
ファンタジーでは定番。
でも、協会データベースの説明は妙に生々しい。
ほのかが読み上げる。
「特にゴブリンは…」
指で画面をなぞる。
「小学生レベルと推測される知性があり、戦術のようなものを取る」
しずくの眉が寄る。
「…戦術」
「うん」
ほのかが続きを読む。
「本能だけではない、とにかくずる賢いので注意」
二人の間に、少しだけ沈黙が落ちた。
一層はまだ分かりやすかった。
ラット、犬、熊。
たまに、やたら強いうさぎ。
怖いけど、どこか動物寄りだった。
でも、二層は違う。
考え、隠れる、不意打ち。
誘い、囲み、数で押す。
そういう敵だ。
ほのかが、画面を見たまま呟いた。
「これさ」
少しだけ真顔になる。
「しずくの盾、かなり重要かも」
「…うん」
「気配察知もたぶん刺さる。待ち伏せとかありそうだし」
しずくは、双剣の柄に触れた。
ゴブリン。
戦術があり、ずる賢い。
人間に近い。
その時点で、一層とは怖さの質が違う。
しずくは小さく息を吸った。
「…行こう、ほのか」
ほのかが顔を上げる。
しずくは、今度は少しだけはっきりと言った。
「…二層行く。ほのかと一緒に」
ほのかの顔が、ぱっと明るくなる。
「よし!」
スマホを閉じて、にっと笑う。
「じゃあ今日は、二層お試し探索だね」
それから、少しだけ真面目な顔になる。
「無理そうならすぐ帰る」
「…うん」
「ゴブリンは人型だけど人じゃないから、変に油断しない」
「…うん」
「ボアは突進、蝙蝠は群れと吸血。たぶん近接だけだと面倒」
「…うん」
ほのかが最後に笑った。
「よし、作戦会議おしまい」
顎でゲートの方を示す。
「二層、初見攻略いきますか」
ロビーのざわめきの中、しずくは小さく頷いた。
胸は少し速く鳴っている。
でも、それは怖さだけじゃない。
未知の階層。
未知の敵。
未知のローグライク。
その全部に、二人で向かう。
しずくは銀盾の感触を確かめながら、ほのかの隣に並んだ。
そして二人は、二層行きのゲートへ向かった。
二層へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
一層より、じめじめしている。
湿気が肌にまとわりつくし、洞窟の匂いも濃い。
でも、それだけじゃない。
獣とも違う、何かの匂いが混ざっていた。
生活臭みたいな、妙に嫌な匂い。
「…くさい」
ほのかが顔をしかめる。
しずくも小さく頷いた。
「…一層と違うね」
視聴者コメントは、今日はいつもより勢いがあった。
『二層きたあああ』
『ゴブリンの巣穴だ』
『初見攻略がんばれ』
『今日は何ビルド!?』
そのタイミングで、半透明のシステムウィンドウが開いた。
【本日の型:アタッカー型】
しずくの身体に、じわっと熱が走る。
アタッカー寄りの補正が、体へ入っていく。
さらに追加の表示。
レベルアップによる一時取得スキル追加
【強靭な体幹】
体のバランスが向上する。
被弾時やガード時に体勢が崩れにくくなる。
「…おお」
しずくが小さく声を漏らす。
今の自分に、ぴったりだ。
銀盾で受け流しても、たまに体幹が揺らぐことがあった。
そこが補強される。
『盾役強化きた』
『アタッカー大当たりじゃん』
『二層でこれは偉い』
続いて、初期装備の表示。
【ロングソード】
それだけだ。
しずくが一瞬だけ首を傾げると、補足の表示が出た。
【防具・盾はロック装備のため支給なし】
【代わりに 初級ポーション ×2 を追加支給します】
足元に光が落ちる。
ロングソード。
そして、小さな赤い瓶が二本。
初級ポーションだ。
ほのかが覗き込む。
「お、いいね」
「…ポーション」
「うん、二層からは事故増えるし」
ほのかはもう、気配察知を走らせているみたいだった。
視線が、暗い通路の先を探っている。
しずくは銀のバックラーを左腕に固定した。
ロック装備だから、今日は支給なし。
でも、そのぶん自前の相棒がある。
銀兎のジャケットも、軽くて動きやすい。
ロングソードを握り直す。
さらに、頭の中でスキルカスタムの確認。
【マジックブロウ】
今日はアタッカー型。
魔法剣士としての戦いだ。
ほのかが、しずくの装備を見て言う。
「今日は完璧に前衛だね」
「…うん」
「私はいつも通り後ろ。ゴブリンはたぶん集団で来る」
ほのかの声が少し低くなる。
「犬とか熊より、嫌らしいはず」
しずくは、二層の説明を思い出した。
小学生レベルの知性。
戦術を使う、ずる賢い敵。
つまり、正面から殴り合うだけじゃない。
その時、ほのかがぴたりと止まった。
「…反応」
しずくも足を止める。
気配察知で、何かを捉えたらしい。
湿った空気の向こう。
曲がり角の先。
小さな、何かの気配。
獣じゃない。
もっと軽くて、もっと嫌な感じ。
ほのかが機弩を構える。
「多分、ゴブリン」
しずくは銀盾を少し前へ出し、ロングソードを構えた。
二層、最初の戦い。
湿った洞窟の奥から、かすかな足音が聞こえ始めていた。




