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第23話 あの日、月の魔女に会ったのよ

しずくは、膝の上の湯のみを見つめながら、何気ないふうを装って聞いた。


「お母さん、その杖は…」


お母さんが視線を向ける。

しずくは、ブリムスラーヴスを見る。

月を思わせる、美しい杖。


「…ローグライクみたいに、ドロップしたの?」


少しだけ間を置いて、続ける。


「…ダンジョンから、持ち帰ったんだよね?」


お母さんは、すぐには答えなかった。

少しだけ考えるみたいに、目を細める。

それから、ふっと視線を天井へ向けた。


まるで、ずっと昔のどこか遠い景色を見上げるみたいに。


部屋が静かになる。

おじいちゃんも、何も言わない。

しずくは、なんとなく息を潜めた。


やがて、お母さんは小さく笑った。


「…これはね」


その声は、いつもより少しだけ静かだった。


「貰ったのよ」


しずくが目を瞬く。


「…もらった?」


お母さんは、ブリムスラーヴスをそっと撫でる。

月の意匠が、やわらかく光る。


ほんの少しだけ、口元がやわらぐ。


「月の魔女にね」


しずくは固まった。


「…ま、魔女」


言葉が、そのまま口から落ちる。


お母さんは、まるで「そうよ」とでも言うみたいに自然に頷いた。


おじいちゃんは横でお茶をすすっている。

否定しない。


つまり、本当なんだ。

しずくの胸が、どくんと鳴る。


ダンジョン、ローグライク。

ファンタジー装備、協会での出来事。

そして、月の魔女。


今日一日で、世界の輪郭がどんどん変わっていく。

しずくは前髪の奥から、お母さんを見上げた。


「…それ、どういう」


お母さんは、少しだけ困ったように笑う。


「長い話になるわよ?」


しずくは、こくりと頷いた。


聞きたい。

すごく、聞きたい。


お母さんは、ブリムスラーヴスを膝の上で持ち直した。


「じゃあ、少しだけ」


その言い方で、しずくは分かった。

これは、たぶん。

お母さんが現役の探索者だった頃の話だ。


そして。

しずくの知らない、お母さんの物語の話だ。


お母さんは、しばらく杖を撫でていた。

その仕草は、さっきまでの軽い調子とは違う。

昔の記憶を、ひとつずつ指先でなぞっているみたいだった。


「まだ、しずくが生まれる前の話よ」


しずくは、自然と背筋を伸ばす。

お母さんは静かに続けた。


「私が現役の探索者だった頃、ダンジョンの十層まで行ったことがあるの」


しずくが息を呑む。


十層…深い、深すぎる。

講習でも、ニュースでも、そこは別世界みたいに扱われていた。


お母さんは、少し遠い目をした。


「当時でも、そして今でも破られていないわ。人類が到達しているダンジョンの一番深い場所」


その一言の重みが、部屋を少しだけ静かにした。


「その時、私はお父さんのパーティーに同行してたの」


しずくは、おじいちゃんを見る。

おじいちゃんは黙ったままだ。


「自衛隊の探索者部隊」


お母さんが続ける。


「そこに、私は民間探索者として臨時で入ったの」


しずくは、またお母さんを見た。

それくらい。

それくらい、お母さんは強かった。


探索者であり、マジシャン。

その言葉だけじゃ足りない。

たぶん、世界でも有数の魔法使いだったのだ。


お母さんは少し笑う。


「まあ若かったしね、尖ってたのよ」


おじいちゃんが低く言う。


「今もだ」


お母さんがじろっと見る。

でも、否定しない。


そのやり取りの奥に、たしかな信頼がある。

お母さんは、また静かに語り始めた。


「そして十層」


「深層の最奥で出会ったのが、月の魔女を名乗る女性だった」


しずくの喉が鳴る。


魔女。

モンスターじゃない、女性。


お母さんはそこで、一度だけ話を切った。

そして、視線をおじいちゃんへ向ける。

問いかけるみたいな目。


この先、話していい?


その空気が、しずくにも分かった。

おじいちゃんは数秒だけ黙ってから、ゆっくり頷いた。


それで、お母さんは続ける。


「月の魔女はね」


杖の石が、部屋の明かりを受けて淡く光る。


「私たちを見て、問いかけたの」


お母さんの声が、少しだけ低くなる。


「何のためにここまで来たのか」

「何のために命をかけて、ここまで来るのか」


しずくは、息を潜める。


それは、ただの問答じゃない。

試しみたいだ。


お母さんは、小さく笑った。


「私は、未来のためにって答えたわ」


未来。

人類の未来、国の未来、誰かの未来。

お母さんらしいようで、でも今の柔らかい雰囲気からは少し想像しづらい、真っ直ぐな答え。


「そしたらね」


お母さんの口元に、少しだけ苦笑が浮かぶ。


「百点ではないが、まあいいって」


しずくは目を瞬く。

お母さんは続けた。


「それで、様式美だ、構えろってね」


「…え」


しずくの声が漏れる。

お母さんは肩をすくめた。


「そういう人だったのよ。月の魔女は」


そして。


「そのまま、戦うことになったわ」


部屋が静まる。

おじいちゃんも、今は何も言わない。

お母さんの目は、もう完全にその時を見ていた。


「魔女は強かった」


短い言葉。

でも、それだけで十分だった。


「今まで戦ってきた、どんなモンスターよりも」


その言葉に、しずくはぞくりとする。


十層まで来た探索者たち。

自衛隊の探索者部隊。

歴戦の祖父。

そして、世界でも有数のマジシャンだった母。


その全員がいて。

それでも、魔女の方が強い。


お母さんは静かに言う。


「結果、負けた」


しずくの胸が、きゅっと縮む。


「未来では足りないって、魔女は言ったわ」


そこまで言って、お母さんはまた話を止めた。


今度は、しずくを見る。

まっすぐに。


その視線は、少しだけ真面目で、少しだけ遠い。


「ねぇ、しずく」


しずくは小さく頷く。


お母さんが言う。


「遠い未来、月が無くなるって言ったら」


少しだけ間を置いて。


「信じる?」


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