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第21話 ただいまの後に、話したいこと

玄関を開けると、家の匂いがした。


夕飯の残り香と洗剤の匂い。

落ち着く、いつもの家の空気。


「おかえりー」


リビングの方から、お母さんの声が飛んでくる。

その声を聞いただけで、しずくの肩から少しだけ力が抜けた。


靴を脱ぎながら、しずくは聞く。


「…おじいちゃん、は?」


「お風呂よー」


母の返事はのんびりしている。

いつも通り、何も知らない声だ。


しずくは鞄を持ったまま、少しだけ立ち止まった。


今だ。


おじいちゃんがいないなら。

まずは、お母さんに話そう。


しずくはリビングへ向かった。


テーブルには湯のみ。

お母さんはソファに座って、何かの雑誌を見ていた。


専業主婦。

でも、元探索者のマジシャン。

おっとりしているのに、本気になると怖い人だ。


「今日は遅かったわねぇ。ダンジョン、どうだった?」


軽い調子。

でもその一言で、しずくの心臓がどくんと鳴る。


しずくは鞄をぎゅっと握った。


「…あの」


お母さんが雑誌を閉じる。


「うん?」


しずくは前髪の奥で少し視線を泳がせた。


言わなきゃ。

でも、どこから。


ダンジョン、ほのか、協会、ローグライク。

頭の中で言葉が渋滞する。


それでも、しずくは一番言わなきゃいけないことから言うことにした。


「今日、協会の人に…呼ばれた」


お母さんの表情が、少しだけ変わる。

柔らかいままだけど、ちゃんと聞く顔になる。


「へえ。何かあったの?」


しずくは小さく息を吸った。


「…固有スキルの、ことで」


お母さんが静かに頷く。


急かさない。

でも、逃がさない。


しずくは、ぽつりぽつりと話し始めた。


ダンジョンに入ると、ビルドが変わること。

ステータス補正が入ること。

完成品の装備がドロップすること。

ロックすると残ること。

今日はパーティーを組んで、装備共有まで起きたこと。

そして、協会の部長に呼ばれて話をしたこと。


話しているうちに、自分でも改めて意味が分からなくなってくる。


でも、お母さんは途中で笑わなかった。

変な顔もしなかった。

ただ、じっと聞いていた。


しずくが話し終えるころには、喉が少し渇いていた。


「…それで」


最後に、小さく付け加える。


「協会の、部長さんに…双剣…今夜だけ預けてて…」


お母さんは少しだけ黙った。

それから、小さく息を吐く。


「なるほどねぇ」


意外なくらい、落ち着いた声だった。

お母さんはソファの背にもたれて、少し考えるように天井を見た。


「ローグライク、ねぇ」


その言い方が、まるで初めて聞く料理名でも確かめるみたいで、しずくは少し拍子抜けする。


「…お母さん、驚かないの?」


「驚いてるわよ?」


お母さんはにこっと笑った。


「でも、ダンジョンってそういう意味の分からないことが起きる場所だもの」


それは、探索者の言葉だった。

しずくは少しだけ肩の力を抜く。


お母さんは続ける。


「協会に先に把握してもらえたのは、むしろ良かったかもね」


「…うん」


「月島さん、っていうの?」


「…うん」


「その人がちゃんとしてる人なら、なおさら」


それから、お母さんはふっと笑った。


「で?」


しずくが首を傾げる。


「パーティー組んだんでしょ?」


「…あ」


そこも、ちゃんと話したのだった。

しずくは少しだけ頬を熱くしながら頷く。


「…神宮、ほのか…同じクラスの子」


お母さんの目が、少しだけ優しく細くなる。


「そう」


一拍置いて。


「よかったじゃない」


その言葉が、しずくの胸にまっすぐ落ちた。


よかった。

そう言ってもらえると思っていなかった。

しずくは前髪の奥で、少しだけ目を伏せる。


「…うん」


そのとき、廊下の向こうからガラッと音がした。

お風呂場の扉だ。


「…あ」


しずくの心臓が、また少し跳ねる。

おじいちゃんだ。


お母さんが立ち上がる。


「じゃ、おじいちゃんには一緒に説明しよっか」


しずくは、観念したように小さく頷いた。


「…うん」


さっきまで怖かった。

でも今は、少しだけ違う。


一人で話すんじゃない、お母さんが隣にいる。

それだけで、少しだけ心強かった。


お風呂上がりのおじいちゃんは、いつものように無口だった。


濡れた髪をタオルで拭きながら、居間に入ってくる。

湯気と石鹸の匂いが、少しだけ漂う。


しずくはソファーの端に、ちょこんと座っていた。

背筋だけ妙に伸びている。


お母さんが、ちょうどいいタイミングを見計らったみたいに口を開いた。


「お父さん」


おじいちゃんが、ん?という顔でそちらを見る。

お母さんは、のんびりした口調のまま言った。


「しずくが、今日ちょっと面白い話を持って帰ってきたの」


その言い方がずるい。

重大な話じゃなくて、面白い話。


おじいちゃんの眉が、わずかに動く。

警戒心が少しだけ下がる。


「ほう」


短い返事。

お母さんは、そのまましずくの方を見る。


ママに任せて、そんな視線だった。

しずくは少しだけ目を瞬いた。


そうだった。

おじいちゃんは、基本お母さんに甘い。

というか、逆らえない。


家の中では、お母さんの「まあまあ」がかなり強い。

おじいちゃんは湯のみを手に取りながら、しずくを見る。


「何があった」


しずくが口を開きかけるより先に、お母さんがさらっと補足した。


「ダンジョンでね、固有スキルのことがちょっと大ごとになって、協会の部長さんに呼ばれたの」


おじいちゃんの手が止まった。


「部長?」


「そう、装備技能審査部の月島さんって人」


おじいちゃんの目が、少しだけ細くなる。

完全に話を聞く顔になった。


お母さんはそこでまた、しずくの方を見る。


はい、続き。

そんな顔。


しずくは小さく息を吸った。


さっきお母さんに話したことを、もう一度、今度はおじいちゃんにも向けて話し始める。

おじいちゃんは、途中で一度も口を挟まなかった。

ただ、じっと聞いている。


でも、しずくには分かる。


これは信じてない沈黙じゃない。

考えてる沈黙だ。


話し終えると、部屋が少し静かになった。

おじいちゃんが、ゆっくりと湯のみを置く。


「…なるほどな」


短い。

でも、それは「分からん」じゃなかった。


お母さんが横から柔らかく言う。


「変なスキルでしょう?」


おじいちゃんはしばらく黙ってから、しずくを見た。


「協会は何と言った」


しずくは答える。


「…今後、報告は必要だけど…協会は探索者の味方だから、大ごとにはしないって」


「ふむ」


おじいちゃんは腕を組んだ。


「部長がそう言ったか」


「…うん」


また沈黙。


お母さんが、そこでおじいちゃんより先に言った。


「私は、先に協会が把握したのは悪くないと思うわ」


おじいちゃんがちらりと母を見る。

その視線に、お母さんはまったく怯まない。


「隠して後から揉めるより、ずっといいもの」


「…そうだな」


おじいちゃんが珍しく、すんなり頷いた。

しずくは少し驚く。

でも、それが普通なのかもしれない。

お母さんが静かに言ったことは、たぶん、おじいちゃんも同じように考えていた。


ただ。

この家では、先にそれを言葉にするのが、お母さんなだけだ。


しずくは、二人を見比べた。


おじいちゃんは、歴戦の戦士だ。

黎明期を生き残った探索者。

怖いし、強い。


でも、お母さんの前では少しだけ空気が違う。


それは家族の力関係というだけじゃない。

たぶん、おじいちゃん自身が知っているのだ。


娘は強い。

探索者としても。

純粋な戦闘力なら、もしかしたら自分より上かもしれない、と。


しずくは、そのことを言葉では知らない。

でも、空気では感じていた。


お母さんがふっと笑って言う。


「で、しずく」


「…うん」


「明日も潜るの?」


しずくは少しだけ迷ってから、頷いた。


「…たぶん」


「ほのかちゃんと?」


「…うん」


お母さんが最後に、まとめるみたいに言った。


「じゃあ決まりね」


おじいちゃんを見る。

しずくを見る。


「しずくは、今後もちゃんと家に報告すること」


「…うん」


「無理はしないこと」


「…うん」


「あと、協会から何か言われたら隠さないこと」


「…うん」


おじいちゃんがそこで低く言った。


「逃げる時は逃げろ」


しずくは背筋を伸ばす。


「…はい」


それは昔から何度も聞かされた言葉。

でも今は、少し違って聞こえた。


逃げることも、戦うことも。

全部含めて、生きて帰れということだ。


お母さんがにこっと笑う。


「はい、じゃあ今日はおしまい。しずく、お茶飲む?」


空気が一気にやわらぐ。

しずくは、ようやく肩の力を抜いた。


「…飲む」


今日は、いろんなことがありすぎた。

でも、全部話しても、家はちゃんと家のままだった。

それが、少しだけうれしかった。

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