第21話 お互い様
協会を出ると、夜の空気はもうだいぶ冷えていた。
昼の熱気が嘘みたいに、街は静かだ。
車の音も少なくて、二人の足音だけがやけに耳に残る。
しばらく、並んで歩く。
沈黙が落ちる。
でも、前みたいに苦しくはない。
やがて、ほのかがぽつりと言った。
「なんかさ」
しずくが顔を上げる。
ほのかは、夜道の先を見たまま笑う。
「話、ちょっと大きくなってきたね」
「…うん」
しずくは小さく頷いた。
大きい、思っていたより…ずっと。
ただ配信して、友達ができたらいいな、そのくらいだった。
それが今は、協会の部長が出てきて、特異スキルがどうとか、配信の認識疎外がどうとか。
まるで、自分が自分じゃないみたいだ。
ほのかは続ける。
「でも」
少しだけ間を置いて。
「月島さんは、信頼できる気がする」
しずくは、また頷いた。
「…うん」
あの人は怖かった。
でも、嫌な怖さじゃなかった。
取るために来た人じゃなくて、守るために来た人。
そんな感じがした。
ほのかが、肩をすくめるみたいに笑う。
「協会が探索者の味方ってのは、普通に嬉しいよね」
その言葉も、本当だった。
ダンジョンは危ない。
探索者は死ぬ。
稼げるけど、そのぶん怖い。
だからこそ、味方だって言ってくれる組織があるのは、少し救われる。
しずくは頷きながらも、頭の中では別のことを考えていた。
ほのかは、大丈夫なんだろうか。
ローグライク。
意味不明なスキル。
完成品の装備ドロップ。
ロック枠に、パーティーでの共有。
さらに出てきた、スキルカスタム。
普通じゃない。
これから先、もっと普通じゃないものが出るかもしれない。
もっと面倒なことになるかもしれない。
そのとき、ほのかを巻き込んでいくのかもしれない。
しずくは前髪の奥で、ちらりとほのかを見た。
ほのかは気づかず、夜道を歩いている。
いつもの明るい横顔。
でも、その肩には家族のことも、お金のことも乗っている。
私は、この子を巻き込んでいいんだろうか。
胸の奥が、少し重くなる。
言うべきか迷って、迷って、それでも口が開いた。
「…ほのか」
「ん?」
ほのかが自然に振り向く。
しずくは少しだけ視線を落として、言葉を探した。
「…その」
言葉が詰まる。
でも、逃げたくなかった。
「わたしの、スキル…」
「たぶん…これから…もっと変なの…出るかも…」
ほのかは黙って聞いている。
しずくは続けた。
「だから…その…」
胸がきゅっと痛む。
「巻き込んでる、かも…」
やっと言えた。
夜道に、小さな声が落ちる。
ほのかは黙っていたけど、私の目を見てふっと笑った。
「今さら?」
「…え」
ほのかと目が合う。
「もう今日だけで、ボスとレアモンと協会部長まで来たよ?」
それはそうだった。
しずくは何も言えなくなる。
ほのかは笑ったまま続ける。
「でもさ」
少しだけ、声が柔らかくなる。
「巻き込まれてるっていうか、私、自分で入ってってるからね」
「しずくのスキル、意味わかんないけど面白くて強いし、たぶん稼げるし」
最後だけ妙に現実的で、しずくは少しだけ肩の力が抜けた。
ほのかは前を向いたまま言う。
「それに」
少しだけ間を置く。
「しずくだって、私の事情に巻き込まれてるでしょ」
「…え」
「お金のために潜るとか、家計がどうとか、普通に重いじゃん」
しずくは、言葉に詰まった。
確かにそうだ。
私はほのかの事情を知ってしまった。
それでも一緒にいる。
ほのかは笑う。
「だから、おあいこ」
その言い方が、妙に優しかった。
しずくは胸の奥が、少しだけ熱くなるのを感じた。
巻き込む。
巻き込まれる。
そういうことじゃなくて。
一緒に進む、ってこういうことなんだ。
しずくは、小さく頷いた。
「…うん」
夜風は少し冷たい。
でも、隣を歩くほのかの足音があるだけで、しずくの胸の中は少しだけ温かかった。
やがて、昨日と同じ分かれ道に着く。
街灯の下で、ほのかが立ち止まった。
「じゃ、私こっち」
昨日と同じ台詞。
昨日と同じ夜道。
でも、しずくの胸の中は昨日よりずっと落ち着いていた。
消えるかもしれない、なんて思わなかったわけじゃない。
でも今日は、もう少しだけ信じられる。
ほのかが、いつものお日様みたいな笑顔で言う。
「また明日!」
しずくも、小さく頷いた。
「…うん、また明日」
ほのかは軽く手を振って、自分の道へ走っていく。
その背中が見えなくなるまで、しずくはしばらく立ち尽くしていた。
それから、一人で歩き出す。
足音が一つになる。
夜風は少し冷たい。
でも、それ以上に頭の中が忙しかった。
どうしよう。
おじいちゃんとお母さん。
月島さんの言葉が、まだ耳に残っている。
『今日のことは、保護者の方とも情報共有をお願いします』
…言わないといけない。
でも、何をどう言えばいいんだろう。
ローグライクという意味不明な固有スキルがあって、完成品の装備がドロップして、ロックすると残って、しかも共有できて、協会の部長に呼ばれました。
…頭がおかしくなったと思われそうだ。
いや、事実だけど。
しずくは歩きながら、頭の中で説明の練習をする。
まず、おじいちゃんには…ダンジョンであったことを順番に?
いや、絶対途中で「結論から言え」って言われる。
じゃあお母さんには…スキルのことから?
でもお母さん、元マジシャンだから、たぶん変なところで質問が細かい。
ロック枠って何?
共有ってどういうこと?
その双剣は何属性?
魔法耐性はどの程度?
…だめだ。
考えれば考えるほど、説明が破綻する。
しずくは前髪の奥で眉を寄せた。
月島さんのことも言わないと。
協会が味方ってことも。
認識疎外を強めるってことも。
双剣を預けたことも。
そして、ほのかのことも。
パーティーを組んだこと。
そこまで考えた瞬間、胸が少しだけ熱くなる。
友達…まだ、そう言っていいのかは分からない。
でも、放課後に待ち合わせをして。
一緒に潜って、ファミレスに行って。
帰り道を並んで歩いて。
また明日って言って。
それはたぶん、しずくの人生ではかなりすごいことだ。
「…うぅ」
頭を抱えたくなる。
どう説明しよう。
歩いているうちに、悩む時間はあっという間に消えた。
曲がり角を一つ。
小さな公園の前を通って。
見慣れた塀が見える。
そして、家の前だ。
無常だった。
もう少し悩む時間が欲しかったのに。
心の準備が欲しかったのに。
しずくは家の門の前で立ち止まる。
玄関の灯りがついている。
帰れば、おじいちゃんとお母さんがいる。
たぶん夕飯は終わってる。
そのいつもの家に、今日のいつもじゃない話を持ち込まなきゃいけない。
しずくは深く息を吸った。
そして、小さく呟く。
「…ただいま、の後に…なんて言おう」
誰もいない夜道に、その声だけが落ちた。
玄関の向こうには、いつもの家族がいる。
でも、今日からはきっと、少しだけいつもが変わる。




