第17話 レッドヘルム
石の扉を押し開けた瞬間、空気が変わった。
湿った洞窟の匂いに混じって、重い獣臭が流れ込んでくる。
しずくとほのかは、ほとんど同時に足を止めた。
そこは洞窟の奥とは思えないほど広い空間だった。
天然の大広間。
天井は高く、上の方は暗闇に溶けて見えない。
足元には、何度も踏み固められた土。
そして、その中央にそれはいた。
ほのかが小さく息を呑む。
「…でっか」
身の丈、目算で四メートル級。
普通の熊とは比べ物にならない巨大な体。
筋肉の塊みたいな肩。
全身を覆う黒い体毛。
だが、頭部だけが異様だった。
赤い、まるで血を浴び続けたみたいな、赤黒い毛。
そして、目もまた真っ赤だった。
その視線が、ゆっくりと二人を捉える。
見られただけで、空気が重くなる。
コメント欄がざわついた。
『でけえ』
『これボスか』
『レッドヘルムだ』
その時、しずく達の視界にシステムウィンドウが開く。
【レッドヘルム 強化個体】
ダンジョンベアの突然変異種。
頭部の骨格が異常発達し、天然の兜のような構造を持つ。
突進・腕力ともに非常に危険。
頭部への連続攻撃により、一時的に弱点へ変化する。
通常個体より能力が大幅に上昇しています。
『強化!?』
『マジか』
『当たりボス…か』
ほのかが、79式軽機弩を構えながら小さく言う。
「…マジ?普通のボスじゃないねこれ」
レッドヘルムが、ゆっくりと立ち上がった。
その巨体だけで、地面が震える。
赤い目が、二人を完全に捉えた。
そして、低く唸る。
洞窟の天井に反響する咆哮、空気そのものが震えた。
ほのかは短く息を吐いた。
「…作戦」
「頭は硬い、連続攻撃で弱点になるってあるけど、まずは足をとめる」
しずくも頷く。
あれはもう兜だ、先に足を止めるのが正しい。
「足にマーキングして、圧着弾で足を壊す」
「しずく、その時間をまかせてもいい?」
しずくは太刀を握った。
刃に魔力が薄く宿り、マジックブロウもある。
そして、守勢からの反撃。
「…できる」
ほのかが頷いた。
「よし、じゃあいくよ」
その声と同時に、レッドヘルムが再度咆哮した。
それから、巨体が信じられない速度で踏み込んできた。
空気が裂けたような衝撃と共に、巨大な腕が振り下ろされる。
地面が抉れる。
威嚇だ、お前らもこうなるぞと言ってる。
しずくは、それを見ながら半歩だけ踏み込んでいた。
銀盾を斜めに構える。
熊の腕が迫る。
質量と速度、まともに受ければ腕ごと持っていかれる。
しずくは盾の角度を、ほんのわずかにずらした。
重い衝撃が、左腕から全身へ走った。
だが、正面衝突ではない。
腕は盾の表面を滑り、そのまま地面へ流れた。
レッドヘルムは体勢を少し崩しながらも、今度は左の腕を横に薙ぐ。
しずくは、咄嗟に頭をさげてやりすごす。
風圧が、しずくの髪を少しだけ散らした。
それでも足は止めない。
しずくは、さらに一歩前に出た。
逃げない、むしろ距離を詰める。
熊の胸元の視線を引きつける位置。
レッドヘルムの赤い目が、完全にしずくへ固定された。
コメント欄が騒ぐ。
『タゲ取った!』
『盾役してる!』
『しずく、根性みせろ!』
熊が怒りと共に、腕を振り上げる。
足が完全に止まっている。
ほのかが低く呟いた。
「…今」
軽機弩を構える。
外付け圧着弾、残弾は三。
照準は…右脚。
一発目が、太腿へめり込む。
二発目が膝へ、三発目は踝へ叩き込まれる。
ほのかは迷わずに、外付けアタッチメントを外す。
鈍い音と共に、地面に落ちる。
「パージ!」
不要な重量は、即座に捨てる。
そして、レッドヘルムが動こうとした瞬間だった。
右脚の内部で、肉が弾け黒い毛と血しぶきが連鎖的に舞う。
三連続の内部爆発。
レッドヘルムの巨体が大きくぐらつく。
膝も完全に破壊されたのか、そのまま右脚から崩れ落ちた。
洞窟の地面が揺れる。
『うおおおお!!』
『脚壊した!!』
『連鎖爆発やべぇ』
しずくはもう動いていた。
太刀を握りながら、刃に魔力を通す。
レッドヘルムが頭を上げる。
赤い兜のような頭部。
だが、兜の隙間の左眼に太刀がまっすぐ伸びる。
柔らかい物を潰す感覚と同時に、魔力が内部へ流れ込む。
レッドヘルムの体が、びくんと硬直する。
そして、洞窟全体を震わせる咆哮が響く。
今ままでの己を誇示するものじゃない、屈辱の叫び。
巨大な熊が、怒りと痛みで暴れ始めた。
レッドヘルムは、半ば壊れた右脚を引きずりながら、それでも無理やり巨体を動かした。
滅茶苦茶に腕が振り回される。
拳が地面を砕き、爪が岩を抉る。
規則性などない、ただ本能のままに暴れ続ける。
でも、それが逆に怖い。
いつもの熊なら、読みやすい。
大振りで直線的。
当たれば怖いが、単調な攻撃。
でも今のレッドヘルムは違う。
痛みで狂っている。
動きが読めない、どこから来るか分からない。
気を抜けば、理不尽な一撃が飛んでくる。
銀盾で受け流そうにも、角度が作れない。
しずくの足が止まりかけたその時、ほのかの声が飛んだ。
「しずく!距離とって!」
しずくの視線が、一瞬だけほのかへ向く。
ほのかは叫びながら、地面を指差していた。
「ここ!落とし穴を置いた!」
(え…いつの間に)
「こっち来て!!」
声が切れるほど大きい。
「レッドベアを誘導して!」
しずくの心臓が跳ねた。
逃げるんじゃない、誘導する。
しずくは、即座に太刀を鞘へ納めながら後ろへ下がる。
走りながら、背中から79式軽機弩を取り出す。
背を向けて、装備を変えるのは怖い。
でも足は止めない、止めたら死ぬ。
しずくは走りながら、振り向きざまに撃った。
狙うためじゃない、誘導するための一手。
音と火花で、注意を引く。
レッドヘルムの赤い目が、しずくを追う。
怒りの焦点が、再びしずくへ固定された。
「…こっちこい!」
しずくは叫んだ。
声が出た、足が前に出る。
ほのかを見と、彼女はすでに膝立ち。
機弩を構え、呼吸を整えている。
チャージショットの姿勢。
しずくが落とし穴へ誘導してくれると、信じている。
その信頼が、しずくの背中を押した。
コメント欄が爆発する。
『罠きた!!』
『誘導だ!!』
『チャージ構えた!!』
『神回!』
しずくは走る、レッドヘルムが追う。
巨体なのに、右脚が壊れてるのに速い。
落とし穴の位置が見えた。
ほのかが設置した、あの仕掛け。
しずくは心の中で数える。
(3、2、1…)
「…今!」
落とし穴の縁、ぎりぎりで横へ跳んだ。
レッドヘルムが、そのまま落とし穴の中心へ踏み込む。
地面が揺れ、巨体が落とし穴へ沈む。
穴の縁に爪が引っかかり、熊が暴れだした。
腕を振り回そうとするが、うまく動かせない。
ただもがきはじめる。
めちゃくちゃだ。
だが、抜け出せない。
落とし穴の深さと幅が、巨体の踏ん張りを奪っている。
しずくは迷わず、9式軽機弩を肩に当てる。
照準を頭へ、フルオートで叩きこむ。
弾丸が赤い兜へ吸い込まれる。
さすがに、落とし穴にはまった相手には外さない。
弾が少しづつ削っていく、赤い体毛が舞う。
徐々に赤い部分が少なくなり、段々と頭皮そのものが見えはじめた。
痛みと怒りでレッドベアが吠える。
だが、吠えても穴の中だ。
逃げられない。
『当て放題www』
『このまま弱点露出させろ!』
『落とし穴つよすぎ』
マガジンが空になる。
即座にリロード、昨日より速い。
射撃修練のおかげだ、手が迷わない。
マガジンを交換し、レバーを引く。
血が迸る、赤い兜がほぼ消えて地肌へ弾がめり込みだした。
レッドヘルムの動きが、少しずつ鈍る。
しずくは、息を短く吐きながら撃ち続けた。
二回目のリロードに入ろうとした時、空気が変わった。
背後から、ほのかの声。
「溜め最大!」
しずくは、横にずれて射線を空ける。
レッドヘルムの頭が、穴の縁から少しだけ上がる。
その瞬間をほのかは待っていた。
【チャージショット】
洞窟の空気が切り裂かれ、衝撃が遅れて響く。
弾丸が一直線に走り、レッドヘルムの頭部、赤い兜だった中心を貫いた。
穴の中の巨体が、ぴたりと止まる。
吠え声が途切れる、巨大な熊が光になり始めた。
コメント欄が爆発する。
『勝った!!!』
『ボス討伐!』
『レッドヘルム落とした!』
『パーティ最強!!』
しずくは銃口を下げたまま、息を吐いた。
震えている。
でも、二人で倒せた。




