第10話 ちょいギャルのお誘い
精算が終わって、受付端末からカードが返ってくる。
重みのある数字だけが、まだ頭の中でぐるぐる回っていた。
二十五万円。
現実のはずなのに、現実じゃないみたいだ。
ほのかはというと、もはやテンションが青天井だった。
「よしっ!」
拳を握って、私の方へ振り向く。
「そうだ!色々話したいこともあるし、お金も入ったからファミレス行かない?」
「…え」
ファミレス。その単語で、心臓がまた変な音を立てた。
「祝勝会だ!」
ほのかは笑う、お日様みたいにまぶしい笑顔で。
私は固まった。
二人でファミレス。
今までの人生で、家族以外とファミレスなんて行ったことがない。
友達ゼロの人生、当然の結果だ。
「…わ、わたし」
断る理由を探そうとした。
明日、小テストがある。
疲れたし、家の用事がある。
でも、どれも本当じゃない。
本当は…怖い。
二人で座って、何を話すの。
沈黙になったらどうする。
飲み物の注文のタイミングは。
メニュー、どれを選べば正解。
会計は割り勘?
いや、今日お金入ったけど、それって…。
頭の中が一気に早口になっていると、ほのかが一歩近づいてきた。
「ねー、行こ行こ」
ぐいぐい来る。
普通なら、私はこういうのが苦手だ。
距離が近いと、呼吸が詰まる。
でも、なぜか嫌じゃなかった。
むしろ胸の奥が、ふわっと軽くなる。
…ほのかの気質なんだろうか。
それとも、これが陽キャパワー?
彼女の笑顔を見ていると、頭の中の心配が少しだけ小さくなる。
「大丈夫。変な店じゃないし。普通のファミレス!」
変な店ってなに?ツッコミたいのに、口が動かない。
ほのかは続ける。
「しずくさ、今日めっちゃ頑張ったじゃん。前衛で熊止めたの、普通にすごい」
「だから祝う!祝わせて!」
祝う。
そんな言葉、私は誰かに向けて言ったことがない。
私は前髪の奥から、ほのかを見上げた。
お日様みたいな笑顔。
その笑顔は、私を否定しない。
「…わ、わかった」
声は小さい、でもちゃんと出た。
ほのかの目が輝く。
「やった!」
そして当然みたいに私の腕を掴む。
「行こ!歩きながら話そ!」
「あ、う、うん…」
私は少し戸惑いながらも、腕を引かれるまま歩き出した。
手を繋ぐとかじゃない、ただ腕を掴まれただけ。
人生で初めての、家族以外とのファミレスが怖いのは変わらない。
怖いのに、その怖さの隣にちょっとだけ…嬉しさがある。
それが、いまだに信じられなかった。
ファミレスまでの道は、ほのかの独壇場だった。
ほのかの言葉に、頷くで返すしかできない。
それでも会話が成立してしまうのが、彼女のすごいところだった。
少し歩いて、信号で止まる。
そこでほのかが、ふっと表情を変えた。
明るさが消えるわけじゃない。
でも、笑い方が少しだけ現実になる。
「私さ」
唐突に言う。
「入学してすぐ探索者始めたんだよね」
「…え」
今度は頷けなかった。
驚いて声が出た。
ほのかは肩をすくめる。
「理由はお金!」
あっけらかんとした言い方。
でも、その続きは軽くなかった。
「うち、シングルマザーでさ、下に小学生の双子がいるの」
「…双子」
「弟と妹。めっちゃ元気で、めっちゃ食う」
「母さん一人の稼ぎじゃ、生活きついんだよね。もう、わりとギリ」
信号が青になる。
歩き出しながら、ほのかは言った。
「だから、危険なのは分かってるけど探索者になった」
私は言葉が出なかった。
探索者は、配信で見るとキラキラして見える。
でも実際は、死ぬときはあっさり死ぬ場所だ。
講習で聞いて、今日までの戦いで実感した。
そんな場所に、お金のために入る。
ほのかは、私の沈黙を気にしないみたいに笑う。
「だってさ、一番稼げるしね!」
まるで、部活を選ぶみたいなノリで。
でも私は、その言葉の裏を見てしまった。
選びたくて選んだんじゃない、選ぶしかなかったんだ。
ほのかはそのまま歩いて、ファミレスの看板を指さした。
「ほら!着いた!」
笑顔が戻る、太陽みたいな輝き。
「…うん」
頷くしかできないのに。
その頷きが、今日はちゃんと意味を持っている気がした。
ファミレスの自動ドアが開いて、冷たい空気と甘い匂いが流れてきた。
「いらっしゃいませー!」
店員さんの声。
私は一瞬、足が止まる。
店内の音が多すぎる。
食器の音、話し声。
店員の呼びかけと、柔らかいBGM。
頭がふわっと浮く。
でも、ほのかは止まらない。
「二名で!あ、壁際いこ!」
言い切って、私の前をすたすた歩く。
店員さんに笑顔を向けて、案内された席に当たり前みたいに座る。
私はそれについていくだけだ。
席に座った瞬間、大きく息を吐いた。
…ここ、学校より怖いかもしれない。
ほのかはすでに、メニューを開いていた。
「今日は奮発してパスタセットにしよっかなー」
ページをめくる指が迷わない。
注文の正解を最初から知っているみたいだ。
そして、顔を上げる。
「しずくは?」
「…え」
ここで何を頼むのが正解?
今決めるの?早すぎない?
メニューの文字が、全部同じに見えてくる。
異世界に迷い込んだ猫って、たぶんこんな気分なんだろう。
何も分からないのに、世界だけが普通に進んでいく。
「う、う…」
ほのかが首を傾げる。
「迷う?無難なのにしよ!ハンバーグとか!」
無難、その単語に私はすがった。
「ハンバーグ…セットで」
声が震える。
ほのかがにこっと笑った。
「オッケ!」
呼び鈴を押し、店員さんが来る。
ほのかが注文を全部言う。
パスタセット。
ハンバーグセット。
そして。
「ドリンクバーもつけるね!」
私は驚いてほのかを見る。
「え、いいの?」
「いいよいいよ、ドリンクバー行こ!」
立ち上がるスピードが違う。
そのまま当然みたいに歩き出す。
私は座ったまま固まる。
どうすればいいの。
ほのかが振り返って言う。
「しずく、何飲む?」
「…えっ」
飲み物、ここでも正解がわからない。
私は口を開いて、閉じて、また開いた。
ほのかが首を傾げる。
「甘いやつ?炭酸?お茶?」
「…あ、あの」
震える声で、私は言った。
「…か、カルピス」
言った瞬間、顔が熱くなる。
ほのかは、ぱっと笑った。
「かわいい!オッケ、カルピスね!」
かわいいって何。
カルピスがかわいいって何。
でもほのかは、もう決めたみたいに行ってしまう。
私は一人で席に残された。
メニューを閉じたり開いたりする。
意味はない、落ち着かないから動かしているだけ。
これがギャル、これがコミュ強。
すごい、住む世界が違う。
そう思ったのに。
なぜか、嫌じゃなかった。
むしろ、助かっていた。
ほのかが段取りしてくれるから、私は生きていける。
ダンジョンでもそうだった。
彼女は罠を置いて、私は前衛をした。
ここでも同じだ。
彼女は注文をして、私は頷く。
…役割分担。
そう思ったら、少しだけ胸が軽くなった。
やがて、ほのかが戻ってくる。
「はい、カルピス!」
目の前に置かれる白い液体。
私はそれを見て、なんだか泣きそうになった。
私のために、誰かが動いてくれた。
ほのかが自分の飲み物を一口飲んで、にやっと笑う。
「ね。ファミレスって便利でしょ?」
私はカルピスを両手で持って、こくりと頷いた。
「…うん」
小さな声。
でも今日は、そのうんがちゃんと会話になっている気がした。
料理が運ばれてきた。
湯気と肉の匂い。
バターとソースの匂い。
私はハンバーグを切って、口に運ぶ。
熱いけど、おいしい。
でも、緊張で味が半分しか分からない。
ほのかはパスタを器用にフォークで巻きながら、さらっと言った。
「で、話なんだけど」
私は背筋を伸ばして、聞く姿勢を取った。
「正式にパーティー組まない?」
「…え」
言葉がそのまま喉で止まった。
パーティー。
その単語は、ダンジョンでは何度も見た。
配信でも聞いた。
コメント欄でも流れていた。
でもそれは、私とは関係ないものだった。
前衛と後衛。
連携に役割分担。
そういうのは、ちゃんと話せる人たちがやることだと思っていた。
私には無理だと、最初から決めつけていた。
ほのかは、そんな私をじっと見ていた。
「今日さ、実際やれたじゃん」
明るい声。
でも、軽くはない。
「しずくが前に出て、私が後ろから撃つ。あれ、普通に噛み合ってた」
私は言葉を探す。
「…で、でも」
「うん?」
「…わたし、会話…その…うまく、できないし…」
ほのかは、少しだけ目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「知ってる」
「…っ」
思わず固まる。
でも、ほのかは意地悪じゃなかった。
「だって、学校だとめっちゃ目逸らすし」
「今日だって最初、ほぼ頷くだけだったじゃん」
「…う」
その通りすぎて、何も言えない。
ほのかは続ける。
「でも、ダンジョンだと違った」
フォークを置いて、まっすぐ私を見る。
「しずく、ちゃんと動けるし、ちゃんと判断できるし、必要なときは声も出る」
「それに、別にずっと喋れる必要なくない?」
ほのかは肩をすくめた。
「連携って、会話だけじゃないし」
「タイミングとか、役割とか、信頼とか。そういうのも大事じゃん」
信頼、その言葉がまっすぐ胸に入ってくる。
私はカルピスのグラスを両手で持った。
冷たい。
でも、手のひらは熱い。
ほのかを見る視線に、前髪というノイズが入る。
いままで私の盾だったものが、邪魔に思えたのはこれが初めてだった。




