王と生贄
私が選ばれたのは、十四の年の雨季のはじめだった。雨季は危険で人の命を奪う。そういった事を軽減するために人々は祈るのだ。
朝霧の中、神官たちは白布を携えて家に来た。父は何も言わず、母は弟の肩に手を置いた。その沈黙だけで、私は理解した。逃げ場はなかった。
王の厄を引き受ける者――生き身代わり。
この国では、王は神と人の境に立つ。境に立つ者には災いが集まる。その災いを引き受けるため、誰かが選ばれる。名は捨てられ、家族から切り離され、生きている限り祈られ続ける存在。
殺されはしない、と言われていた。
その言葉を、私は信じた。 王宮の奥、日の当たらぬ庭で、私は静かに暮らした。
池と老木と、毎朝の祈り。神官たちは私を清め、触れることを禁じた。私は人ではなく、器だった。
病は少しずつ私の体を削った。これも王の厄を引き受けているのか。身代わりとして…
熱が出るたび、王は無事だと告げられる。そのたびに、胸の奥で何かが確かに満たされていった。役に立っている。そう思わなければ、ここにはいられなかった。私はもう、狂ってしまったのだろうか。
即位十年の祭を前に、神官長が告げた。
「占いが変わった。災いは形を持つ」
私は黙ってうなずいた。形を持つ災いは、生き身代わりでは足りない。そういう意味だ。
祭の夜、私は白布に包まれ、地下の祭壇へ連れて行かれた。太鼓と歓声は、厚い石壁の向こうに遠ざかる。怖くなかったと言えば嘘になる。だが、逃げたいとは思わなかった。
王がそこにいた。 初めて近くで見る顔は、ひどく疲れていた。
「……すまない」
その一言で十分だった。謝罪が向けられたのが、私自身なのか、役目なのかは分からない。ただ、王が人であることだけは、確かだった。
祈りが始まる。香の匂いが満ち、視界が揺れる。 私は目を閉じた。母の背中、弟の手、雨季の土の匂い。名を呼ばれた記憶は、もう遠い。 これで終わる。 私がここで終われば、王は生き、国は続く。
誰も私の名を知らなくても、それでいい。
刃が触れた、その瞬間。
私は確かに、軽くなった。 この国が続く限り、生贄は増え続ける。誰かが反乱を起こしてこの流れをきることを最後に祈った。
ー終ー




