表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結済】息切れ・痛風・老眼おっさんパーティ、“老齢の塔”に挑む 旧:塔の頂きへ  作者: けんぽう。


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

81/93

第81話 折れた角の魔神


 強大な扉が、開いた。


 ぎぎぎ、と――鉄が軋む悲鳴が、広い回廊に長く尾を引く。

 この音を聞くたびに、胸の奥が勝手に固くなる。ここから先はいつだって同じだ。生死を賭けたやり取りが始まる、と。


 部屋の中は、闇だった。

 だが一歩、踏み込んだ瞬間。


 ぼっ、ぼっ、ぼっ――。


 松明が一斉に灯り、橙の光が円形の広大な空間を満たす。壁に揺れる影がぐるりと回り、天井の高さだけが遅れて理解を追いかけてくる。


 その中心に、“魔神”が立っていた。


 人型。二メートルほどの巨体。全身は漆黒に覆われ、肩と胸のところどころが鎧のように分厚く盛り上がっている。隆起した筋肉が光を鈍く跳ね返し、右手には三メートルはあろうかという大剣を、まるで枝でも握るみたいに軽々と持っていた。

 黄色い目が、こちらを見て笑う。獲物を弄ぶことが前提の、歪んだ微笑み。

 神話の中の伝説。


 そして――角。片方だけ、折れている。


 その形を見た瞬間、ダリウスとエドガーとオットーの顔色が変わった。

 息が、詰まる。


 忘れようとしても忘れられない。

 ジェリーとタッカーを生贄にし、逃げ切った“あの時”の魔神。

 オットーが《阿修羅》の呪いを手に入れる、あの最悪の夜の――折れた角。


「……っつ」


 ダリウスとエドガーが、言葉にならない息を漏らす。


 エリーが目を見開き、反射で弓に手をかけた。


「魔神……まだ、生き残りが……」


 オットーの大斧が、ぎし、と鳴った。

 握りしめた手が小刻みに震える。――恐怖じゃない。怒りだ。腹の底に沈んでいた火種が、いま噴き上がって全身を震わせている。


「てめぇーーーー!」


 地面を蹴る。踏み込もうとした、その瞬間。


「待て、オットー!」


 ダリウスが腕を伸ばす。だが止めるには遅い――はずだった。


「オットー!!!」


 ミラの声が、透き通っているのに鋼みたいに響いた。

 広間の空気が、一瞬で締まる。音が“命令”になる声。


 オットーの体が急ブレーキをかけ、靴底が床を噛んで軋んだ。


「……はっ!?」


 我に返ったように目を見開き、息を吸う。吐く。もう一度、深く吸う。

 怒りは消えない。だが――怒りに操られるのは違う。


 オットーは大斧を握り直し、歯を食いしばったまま、低く言った。


「……わりぃ、ミラ。助かった」


 その言葉は、礼であると同時に、自分を鎖で繋ぎとめる誓いだった。

 オットーの怒りが“制御”に落ちた瞬間、ダリウスはもう走り出していた。


「俺が最前線! ――奴は遠距離もある! オットー、後方よりでシールド! エドガー、最大火力の貫通! エリー、前後に動いて援護! ミラ、結界を張って待機!」


 命令は短く、切れ味だけを残して宙を裂く。

 返事はない。必要ない。全員の身体が、すでに答えていた。


 エドガーは魔導書を開く手を止めずに詠唱の“速度”を上げ、エリーは弓を構えたまま足を滑らせるように位置を変える。ミラは一歩だけ下がり、女神に祈りを捧げ結界の起点を探った。オットーは大斧を担ぎ直し、盾を前に出す角度だけを整える。――戦闘の形が、一息で組み上がる。


 そしてダリウスは、魔神へ一直線に突っ込んだ。


「《深き森》」


 世界の輪郭が、溶けた。

 松明の火も、床の石目も、魔神の黒い皮膚も――境界を失って流れ、白い空間へと沈んでいく。


 一歩先。

 ほんの一瞬だけ未来が“見える”場所。


(――あの大剣、軽々振るうな。右は腕を持っていかれる。上は頭を割られる。下も即死。……狭いが、あの隙間に)


 白の中で最適解が光る。ダリウスは剣を盾のように構え、魔神の左下へ踏み込んだ。足が床を噛む。身体が――躊躇を切り捨てる。


「《グランドスマッシュ》!」


 衝撃。

 剣が軌道を描き、魔神の胸のあたりに“ほんの小さな”切り傷が走った。


 たったそれだけ。だが――


「……ほぅ」


 魔神が、関心したように笑う。

 それは褒め言葉ではない。獲物を一段上の玩具に格上げする、冷たい合図だ。


 大剣がゆっくりと構え直される。

 空気の重さが変わる。


(遊び相手から昇格か? ……次はあいつの右腕を――)


 ダリウスはもう一度、“先”へ踏み込もうとして――凍りついた。


(……え?)


 白い空間に、逃げ道がない。


 上、下、左、右。

 すべてが“死”で塗りつぶされている。


(――全部、死ぬ。後ろへ!!)


 反転した瞬間、遅れて現実が追いついた。

 魔神の剣戟が、天井から落ちてくる隕石みたいに――ダリウスの脳天へ降り下ろされる。


 避けた。確かに避けた。

 それでも。


 ぶつり、と。

 嫌に乾いた音がして、視界の端に自分の左腕が転がった。


 痛みが“理解”に変わるより先に、エドガーの声が飛んだ。


「《伸縮紐》!」


 透明な紐がダリウスの体に巻きつき、後衛へ引き戻す。床を削り、血の線を引きながら――距離だけが、命を繋ぐ。


 ダリウスは歯を噛み、左肩を押さえた。肩の先が、空っぽだ。

 顔が歪む。それでも声は折れない。


「オットー! 前線に上がってくれ!!!」


 オットーが、獣じみた笑みを浮かべた。武者震いが背骨を駆け上がる。


「あぁ。借りを返してやるぜ」


 その間にもミラは動いていた。

 膝をつき、ダリウスの断面に布を当てる。止血。迷いのない指。――ただ、目だけが真剣すぎるほど真剣だった。


「ダリウス! 《神光再命》使うよ?」


 その言葉に、ダリウスは右腕を横に振った。拒絶。短く、強い。


「まだだ! エリー、止血だけ頼む!」


 エリーは即座にネックレスを握り込む。感情を挟まない声で、女神へ言葉を届ける。


「わかったわ。女神よ、痛みを撫で給え――《癒光》」


 淡い光が傷口を包み、出血が“ゆっくり”と止まっていく。

 完全な回復じゃない。だが、今はそれでいい。


 ダリウスは息を整える暇もなく、ミラへ早口で告げた。


「ミラ、血を失った。ポーションを」


 ミラは泣きそうな顔のまま、頷いた。

 声は震えても、芯だけは折れない。


「……わかった!」



 前線は、オットーひとりで“地獄”を引き受けていた。


 魔神が掌を開く。そこに黒い球が生まれる。拳ほどの大きさ――なのに、空間そのものを冷やすような重みがあった。


 次の瞬間、球から閃光が吐き出された。

 雷を纏った黒い線が、蛇のようにうねりながら一直線に襲いかかる。


「させるかよぉ! 《阿修羅》!」


 オットーが大斧に手を掛けた瞬間、筋肉が“赤く”なる。血管が浮き、骨が鳴るほどの圧が乗る。

 振り落とした斧が閃光を叩き落とし、弾き返す。


 ――轟。

 逸れた閃光は壁に突き刺さり、石を二メートルほど抉り取った。焦げた匂いが遅れて鼻を刺す。


 オットーの目が血走る。怒りで、というより――“忘れていなかった”ことの証明で。


「俺のこと覚えてるんだろ? テメェの角を折った男だよぉ!!」


 大斧がうなりを上げる。


「〈阿修羅・二十連〉!!」


 爆撃のような連打。床が震え、火花が弾け、空気が裂ける。

 だが当たるのは、わずかに二、三発。漆黒の皮膚が抉れ、黒い血が一筋流れるだけだ。残りはすべて、三メートルの大剣が“当然”のように受け止めた。


 オットーは息を上げながら、斧の先を地面に置く。肩が上下する。けれど口元だけは笑っていた。


「へへっ……いいぜ。ちょっとずつ削ってやるよぉ」


 その言葉を、嘲るように。


 魔神が――拍手した。


 乾いた音が、広い円形の部屋にやけに響いた。

 敬意? 違う。玩具が面白い動きをした時にする、上機嫌の合図だ。


 オットーの顔から笑みが消え、代わりに怒りが燃え上がる。


「てめぇええええええ……舐めてんじゃねぇええええぞぉおおおお!!」


「《阿修羅・四十連》!!」


 嵐。

 斧の軌道が見えないほどの連撃が魔神を飲み込む――はずだった。


 初めの三、四発は大剣で受け止められ、火花が散る。

 そして最後の一撃。


 魔神は、指で挟んだ。


 ――ぎち、と。

 鉄が軋む音がして、オットーの全身が一瞬固まる。


 汗が背中を冷たく伝う。嫌な汗だ。

 それでもオットーは、唇を吊り上げる。笑いで自分を誤魔化すみたいに。


「……マジでよぉ。舐めてんなぁ」


 魔神がまた掌を開く。今度は黒い球が、ひとつではない。五つ。

 宙に浮かび、円を描くように配置される。


 そして――曲線。


 黒い閃光が、まるで狙いを変える“意思”があるかのように弧を描き、オットーを貫いた。


 肉が裂ける音。

 巨体が、ぐらりと揺れる。口から空気が漏れ、言葉にならない。


 その瞬間、後衛から声が飛んだ。


「〈伸縮紐〉!」


 透明な紐がオットーに巻きつき、後方へ引き戻す。床に血の筋が引かれ、濃い赤が溜まっていく。


 オットーは倒れたまま、虫の息で笑おうとした。だが顔は真っ青だ。腹のあたりが裂け、臓器の一部が不格好に覗いている。――“回収”が、あと半拍遅れていたら終わっていた。


「はぁ……はぁ……マジで……あいつ……」


 前方。

 魔神は動かない。焦りもない。

 次はどんな玩具で遊ぼうか、とでも言いたげに――ダリウスたちを眺めて、黄色い目を細めて笑っていた。


 ミラはネックレスを握りしめた。指が白くなるほど、骨が軋むほど。視線だけでエドガーを射抜く。


「使うから!」


 宣言は短い。問いではない。選択肢はもう、残っていなかった。


 エドガーは魔導書から目を離さない。詠唱の流れを切れば、全員が終わる。けれど声だけは、迷いなく返す。


「えぇ!」


 ミラの喉から祈りが引きずり出される。


「——暖かき女神の息吹よ、肉体を再び編み直せ。《神光再命》!!」


 光が落ちた。血の臭いを、いったん塗り潰すほどの温かさ。裂けた肉が寄り、欠けたものが戻り、オットーの胸が——かすかに上下する。


 呼吸は、戻った。


 だが目は開かない。意識はまだ、深い闇の底に沈んだままだ。


 同時に、ミラの右手が死んだ。指先から。一本ずつ、順番に。熱も痛みもないまま、硬質な冷たさへ変わっていく。関節が固まり、皮膚の色が石の鈍い光沢を帯びる。


 視界が揺れた。遠くなる。床が傾く。心臓の鼓動が、耳の内側で大きく鳴る。


(ダメだよ……ここで意識を飛ばしたら……みんな死んじゃう!)


 その恐怖が、息を奪う。

 恐怖なのに、恐れている暇がない。


「あぁああ!」


 叫びは、祈りの反動に引き裂かれた獣の声だった。


「ミラ!!」


 エドガーの声が背中に刺さる。だがミラは振り向けない。振り向いたら倒れる。倒れたら——終わる。


 ミラは、床に頭を打ちつけた。


 ゴス。

 ゴス。


 嫌な音が二度、三度。骨と石がぶつかるような鈍い響き。額が割れ、熱いものが流れ出し、頬を伝って落ちる。視界の端で、赤が黒ずむ。


 それでも意識だけは、無理やり繋ぎ止められた。


 ミラは這った。片手が言うことをきかないなら、肘で。膝で。床に爪を立てるようにして、前へ、前へ。


「まだ……まだいけるよ……」


 声はかすれていた。けれど、その一言は呪いみたいに自分を縛る。倒れるな、と。起きろ、と。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ