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【完結済】息切れ・痛風・老眼おっさんパーティ、“老齢の塔”に挑む 旧:塔の頂きへ  作者: けんぽう。


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第78話 冷たい奇跡


 四十六階層。


 峡谷をまたぐように続く岩棚は、いやになるほどだだっ広かった。

 足元はざらついた灰色の岩肌が一面に広がり、遮蔽物と呼べるものは、ところどころにぽつぽつと転がる人ひとり分ほどの岩塊だけだ。


「ここなら、伏兵の心配はなさそうだね」


 ミラがぐるりと見渡し、慎重に言う。


「そうね」


 エリーも同じように視線を巡らせ、短く同意した。


「——来たぞ」


 ダリウスが剣を構え、前方を睨む。


 砂煙を上げて現れたのは、武装したリザードマンとゴブリンの群れだった。

 彼らは半円を描くように隊列を整え、じりじりと四人と一人を包み込んでいく。その後方では、ゴブリンメイジたちが魔導書を抱え、いつでも呪文を放てる態勢で待機していた。


「包囲網ってやつか」


 オットーが舌打ちし、盾を正面に構え直す。


「包囲は薄いわ!」


 ミラが即座に声を張った。

 甲高いが、よく通る声だ。


「エリー、ダリウス! 左右から各個撃破して!」


 呼びかけと同時に、エリーとダリウスは左右へと飛び出す。


 ミラはくるりと振り返る。そこでは、エドガーがすでに魔導書を開き、詠唱を始めていた。


「オットーは、やや前方で《シールドバッシュ》! 遠距離攻撃にも警戒して!」


 早口だが、言葉ははっきりしている。

 指示を出し終えると、ミラは両手を合わせ、エドガーと自分の周囲に淡い光の結界を展開した。



 右翼。


 エリーは剣を構え、迫るリザードマンの槍をいなして懐に飛び込む。

 一撃、二撃。鋼と鋼がぶつかり合い、火花が散る。切り伏せながらも、彼女の意識の一部は後方へ向けられていた。


(予想以上ね、ミラの指揮)


 敵の数も、位置も、こちらの布陣も。

 全体を見た上で、一切淀みなく命令が飛んでくる。そのおかげで——


(その分、私が前に出られる)


 エリーは口の端だけで笑い、さらに一歩踏み込み、リザードマンの首筋を切り払った。



「《深き森》」


 ダリウスが低く呟いた瞬間、世界の輪郭が溶けていった。


 色も音も、温度さえも遠のき、白く霞んだ「線」だけが浮かび上がる。

 敵の軌道、自分の踏み込み、刀身の延び——未来の動きが、分岐した道のようにつながって見える空間。


(右はダメか、潰される。左も分厚い……なら——上だ)


 ダリウスは地面を蹴り、空へ跳んだ。


 跳躍の軌道上から見下ろした視界で、包囲陣形の綻びが鮮やかに浮かび上がる。

 そこへ、最適な角度と速度で剣が落ちる。


 一撃。着地と同時に反転。二撃目は次の敵が踏み込む「前」に。

 白い世界の導きに沿うように、敵が次々と斬り伏せられていく。


 削られていく包囲陣形。

 中央では——



 オットーが光の壁を支えていた。


「《シールドバッシュ》!」


 盾を地面に叩きつけるように構えると、前方に大きな光の板が立ち上がる。

 そこに、ゴブリンメイジの放った火球や、弓兵の矢が次々と叩きつけられ、火と光が弾けた。


 衝撃のたびに、オットーの腕に重さがのしかかる。

 それでも彼は、歯を食いしばって一歩も退かない。


「……行けそうだな」


 額に薄く汗を浮かべながら、オットーはぽつりと呟いた。



 ミラは結界の内側で、じっと戦場全体を見ていた。


(……軽すぎるよ、攻撃が。数の割に押しが弱い。何があるの? 伏兵は——いないよね?)


 嫌な違和感が背筋を這い上がる。

 ミラはすぐさま隣のエドガーに向き直った。


「エドガー、《伸縮紐》でみんなをいつでも回収できるように準備しておいて」


 声はいつもより低く、真剣だった。


「わかりました」


 エドガーが冷静に頷き、魔導書の別ページへと指を滑らせる——。


 その瞬間だった。


 ゴゴゴゴ、と。

 地面の奥底から、岩盤ごと揺さぶるような地鳴りが響いた。


「——っ!」


 オットーのすぐ横、岩棚が内側から破裂するように盛り上がり、そこから巨大な影が飛び出した。


 一瞬、巨大な土の柱にも見えたそれは、ぬらりとした皮膚を持つ、巨大なワームだった。

 肥大化したミミズのような身体。だが、その口は環状に開き、内側には鋭い牙が幾重にも並んでいる。ひとたび噛み砕かれれば、ただでは済まないと、誰の目にもわかる凶悪な口だ。


「チッ……!」


 だが、オットーの反応はそれ以上に速かった。


 長年の戦場経験が、思考より先に身体を動かす。

 オットーは反射的にワームから一歩退き、大斧の柄へと手を伸ばす。阿修羅を叩き込むつもりで——。


 その足元が、崩れた。


「な——!」


 岩棚がぱきぱきと音を立てて割れ、そのまま足場ごと崩落する。


「落とし穴! てめぇ、掘ったのか!?」


 怒鳴りながらも、オットーの目は冷静だった。

 視界が切り替わる。地面はもう「遥か下」、ワームは崩れた縁から身を乗り出し、後を追うように落ちてくる。


(深い……! 《シールドバッシュ》で落下の勢いを殺すか? それともワームにぶつけるか?)


 一瞬で、いくつもの選択肢が脳裏をよぎる。

 だが、どれも致命的な穴がある。


(ワームに向けりゃ、地面で潰れる。ここで死んだら意味がねぇ……!)


 結論は一つだった。


「……地面だ!」


 オットーは落下の途中で盾を構え直し、歯を食いしばる。


「《シールドバッシュ》!!」


 着地と同時に、光の盾が地面に叩きつけられた。


 轟音とともに衝撃が全身を駆け抜ける。

 盾が落下の力を受け止め、衝撃を散らしてくれたのだ。


 だが、息をつききる前に。


 頭上から、巨大な影が落ちてくる。

 ワームが口を大きく開き、鋭い牙を剥き出しにして、オットーめがけて突っ込んでくる。


「舐めるなぁっ!!」


 吠えながら、オットーは地面を蹴った。


 落下の勢いを利用し、半ば無理やり身体を捻る。

 ぎちぎちと、筋肉と関節が悲鳴を上げた。それでも、身体は空中で回転し、致命の一撃だけは外れる軌道へと滑り込んでいく。


 その代償として——。


 ワームの牙が、オットーの左肩から腕を、丸ごと持っていった。


「——ッッ!!」


 熱いものが噴き出す。

 左肩から先が、突然「消えた」。遅れて痛みが脳を焼く。


 だが、オットーはその痛みを、怒りと共に飲みこむ。


(落ち着け。ここで阿修羅を暴走させたら終わりだ……怒りは、斬るために使え)


「……いてぇなあ、こらぁ……」


 低く、喉の奥で唸るように言いながら、オットーは大斧を両手——いや、片腕と残った筋肉で握りしめた。


「《阿修羅十連》!!」


 振り下ろされた大斧が、残像を引く。


 一撃目でワームの牙を叩き折り、

 二撃目で口蓋を砕き、

 三撃目で眼窩を潰し、

 四撃目、五撃目——怒涛の連撃が、頭部を原形のない肉塊へと変えていく。


 なおも動こうとする巨体に、オットーは斧を振り上げたまま、崩れた穴の壁へと叩きつけた。


 壁に食い込んだ大斧の反動を利用して、一直線に駆け上がる。

 引きずられるように、ワームの長い身体が千切れ、岩肌に血の帯を残しながら引き裂かれていった。


 地上に躍り出たオットーは、そのまま地面を転がり、仰向けに倒れ込む。


 左肩からは、止めどなく血が噴き出していた。

 灰色の岩の上に、真っ赤な水たまりがじわじわと広がっていく。


「《伸縮紐》!」


 エドガーが短く詠唱を締めくくると同時に、見えない紐がオットーの胴に巻きつく。

 次の瞬間、ぶん、と空気を裂く音とともに、オットーは穴の底から一気に引き上げられ、後衛の足元へと転がり込んできた。


「オットー!!」


 ミラの悲鳴が、峡谷の風に裂けて飛ぶ。


 地面に仰向けになったオットーの顔は、血の気が引ききって真っ白だった。

 それでも、彼はどうにか口角を上げてみせる。


「へへっ……どじっちまったぜ……」


 笑い声は、ひどく頼りない。


 ミラは膝から崩れ落ちるようにオットーのそばへにじり寄ると、胸元のネックレスを両手でぎゅっと握りしめた。


(今すぐ治さなきゃ。今すぐ——)


 その瞬間、頭の奥でエリーの声が、鮮明によみがえる。


『次に“あれ”を使ったら——言うわよ』


 エリーの冷たい視線。

 岩陰で見せられた、灰色に変色した自分の腕。

 全部が、一瞬でフラッシュバックする。


「……っ」


 ミラは思わず目をぎゅっとつむり、首を左右に振った。


(そんなの、どうでもいい。

 オットーを今すぐ治す。助ける。それしかない)


 胸の内で、自分自身に叩きつけるように言い聞かせる。


 ミラは大きく息を吸い込んだ。震える声を、無理やり整える。

 そして、ネックレスを掲げるように両手で持ち上げ——。


「——暖かき女神の息吹よ、肉体を再び編み直せ。《神光再命》!!」


 詠唱のラストと同時に、眩い光がオットーの身体を包んだ。


 ミラの視界の端で、エリーが何かに気づいてこちらへ振り返る。

 慌てて手を伸ばし、走り出す気配。


「ダメ!!」


 エリーの叫びが届いた時には——もう、遅かった。


 光が、弾ける。


 失われていたはずの左腕が、まるで巻き戻しを見ているかのように、骨から筋肉、血管、皮膚へと、一瞬で再構成されていく。

 青白かったオットーの顔に、じわじわと赤みが戻った。


「……お、おお……?」


 自分の腕を見つめ、オットーが呆然と指を握ったり開いたりする。


 ミラの視界が、ぐにゃりと揺れた。


 遠くなっていく音。

 心臓の鼓動だけが、やけに大きく響く。


(間違ってない。間違ってない。

 私がやるの。私が全部——治すんだ)


 必死にそう繰り返そうとした言葉は、声になる前に途切れる。


 ミラの膝から力が抜けた。

 ネックレスを握ったまま、糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちる。


「——ミラ!」


 誰かの叫ぶ声を、もうはっきりとは聞き取れなかった。


 最後に見えたのは、自分の右腕。

 袖の中で、石のような冷たさが、また少しだけ広がっていく感覚——。


 そこで、ミラの意識はぷつりと暗転した。


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