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【完結済】息切れ・痛風・老眼おっさんパーティ、“老齢の塔”に挑む 旧:塔の頂きへ  作者: けんぽう。


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第75話 女同士の話


ランタンの火も心なしか小さくなってきた頃。


「——そろそろ寝るか」


 ダリウスがひとつ大きく伸びをした。肩や背中の骨が、ぱきぱきと年季の入った音を立てる。


「そうだな」


 オットーも立ち上がり、腰をぐるぐると回す。

 昼間の指圧の名残りで、妙に可動域が広がっているらしく、微妙に誇らしげだ。


 エドガーも魔導書の手入れを終えたようで、栞を挟み、ぱたりと表紙を閉じて小さく頷いた。


「ミラ、ちょっといいかしら?」


 エリーが、焚き火——の代わりに置かれたランタンの向こう側から、柔らかく声をかける。


「……うん」


 さっきまで笑っていたミラの顔から、一気に色が引いた。

 視線が足元に落ち、指先が小さく震える。


「どうした?」


 ダリウスが眉をひそめるが——。


「女同士のお話よ」


 エリーはくるりと振り返り、いたずらっぽくダリウスにウィンクを飛ばした。

 中年二人の警戒心を、軽くいなすための仕草だと分かる。


 ミラの肩にそっと手を置き、岩陰へと歩いていく。


 野営地の喧騒から、ほんの少し外れた場所。

 渓谷を渡る風の音だけがする、細長い影の帯の中で、エリーは立ち止まった。


「——袖、まくるわよ」


 声の調子が変わっていた。

 先ほどまでの軽さはなく、仕事に向かう治癒師のそれだ。


 ミラは俯いたまま、小さく肩を震わせる。


「…………」


 抵抗はしなかった。ただ、ゆっくりとローブの袖を押し上げる。


 ランタンの淡い光が届く範囲に現れたその腕は——

 手首から肘、さらに肩の手前に至るまで、じわじわと灰色に染まり、石のように冷たく硬くなっていた。


 まだ皮膚の色が残る境界線が、くっきりと浮かび上がる。

 そこだけが、かろうじて“人間”であることを主張している。


「……やっぱりね」


 エリーは長く息を吐いた。

 その瞳が、悲しみと苛立ちをないまぜにした色を帯びる。


「嫌な予感はしていたわ。奇跡の行使だけじゃない……ただの“加護”でも、広がるのね」


 指先がそっと、灰色の部分に触れかけて、途中で止まる。

 冷たさを知っている手つきだった。


 沈黙が落ちた。


 岩陰は、野営地から少し外れているだけなのに、別世界みたいに静かだった。遠くのほうで、誰かの笑い声と鍋を洗う音が、うっすらと響いている。


「…………治すわ」


 ミラが、俯いたまま、ぽつりとこぼした。


 小さな声だった。でも、はっきりと届く声だった。


「あなた……?」


 エリーの目が、驚きと怒りで大きく見開かれる。


 ミラはゆっくり顔を上げた。潤んだ瞳が、まっすぐエリーを射抜く。


「治すって、決めてるから」


 その言葉には、子どもじみた無謀さと、どこまでも真っ直ぐな決意が同居していた。


「ここからは私が治すわ」


 エリーがたまらず一歩踏み出し、ミラの両肩を掴む。指先に力がこもり、細い肩がぐらりと揺れた。


「確かに、あなたには遠く及ばないけど、一通りは加護を使える。だから——」


 そこまで言ったところで、ミラが首を振る。

 視線は逸らさない。まっすぐエリーだけを見ていた。


「それじゃ、ダメだよ」


 子どもの声なのに、言い方だけは大人びている。


「みんないつも体を張って戦ってる。私のために体を張ってるんだよ? 私の石化を治す薬を探すために、いっぱい、いっぱい頑張ってる。今日だって……エドガー、あんなふうに自分から矢の前に出たじゃない……」


 ミラの喉が震え、一度言葉が詰まる。

 それでも、必死に絞り出すように続けた。


「そんな私が、体を張らないで……どうするの」


「あなたはまだ子どもよ!」


 エリーの声が、鋭く跳ねた。


「そういうのは大人が——あの中年どもと私がやればいいの! あなたまで身を削る必要なんてない!」


「エリーじゃダメ!」


 ミラも負けじと声を張り上げる。二人の声が、岩肌に反響してはね返った。


「治す時、きっと痛いでしょ? 時間もかかるでしょ? 私なら、一瞬で完治させられる!」


 エリーの表情が、ぐっと歪んだ。


「……っ。確かにそうよ」


 くやしさを噛み殺すように、歯を食いしばる。


「あなたの加護が規格外なのは、認める。認めるけど——精神が未熟よ。才能に振り回されてるだけじゃない」


「それが、どうしたのよ!」


 ミラは、石化しかけた腕を力いっぱい横に振った。灰色に染まりつつある皮膚が、ランタンの光を鈍く弾く。


「私は治す。全部治す。ダリウスも、オットーも、エドガーも……誰も死なせたくないの!」


 言葉の一つひとつが、無茶で、危うくて、それでもまっすぐで。

 エリーは一瞬、言葉を失った。


 それから、ふっと息を吐き、踵を返す。


「……これ以上は平行線ね」


 背中越しに、冷静な声だけが落ちてくる。


「次使ったら、あいつらに言うわ」


 ミラの指先が、ぎゅっと握りしめられる。震えが、腕から肩へと伝わっていく。


「っ……」


 エリーは振り返らない。テントの灯のほうへ、迷いのない足取りで去っていく。

 小さな背中が影に溶けて見えなくなったところで——。


 ミラは、その場にへたり込んだ。


 石の冷たさが、ローブ越しに伝わる。膝の上で握りしめた手の甲に、大粒の涙がぼとぼと落ちた。


「だって……」


 しゃくり上げながら、子どもの声がこぼれる。


「怪我、みんな、するから……」


 視界が涙でぼやける。エドガーの血、ダリウスの傷、オットーの悲鳴——頭の中で全部が渦巻いた。


「私が治すから……」


 震える声は、どこまでも真っ直ぐで、どこまでも幼かった。


「それがダメなの……?」


 答えてくれる大人は、今はいない。

 渓谷の風だけが、ミラの頬の涙を、そっと冷やしていった。


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