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【完結済】息切れ・痛風・老眼おっさんパーティ、“老齢の塔”に挑む 旧:塔の頂きへ  作者: けんぽう。


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第73話 善処してみます


 その少し離れた岩陰で——、じっと二人を見ている影があった。


 焚き火の光が届かない位置。

 闇に溶けるように身を潜め、視線だけが獲物を狙う獣のように光っている。


 唇の端が、ゆっくりと持ち上がった。

 それは穏やかな笑みではない。次に起こる出来事をすでに“知っている者”の、狡猾な笑みだった。


 どこで姿を現すか。

 どうやってとどめを刺すか。

 二人を、どう追い詰めて、どこまで詰めさせるか。


 その全てを、すでに組み立て終えている者の顔だ。


 呼吸は、わずかに早い。

 だが、それは焦りではない。

 獲物が罠にかかる決定的な一瞬に飛び込むため、鼓動を高鳴らせる“心の躍動”だった。


 渓谷を渡る風が、岩陰のその影の髪を揺らす。


 暗闇の中で、きらりと瞳が笑う。


 彼女の名は——


 恋愛警察ミラ!!


 ミラは岩陰に身を潜めたまま、じっと焚き火のそばの二人を観察していた。


(へいへい、エドガーさんエリーさん、いい感じじゃないですか……。ここはひと押しすればいけるんじゃない? いや、焦っちゃダメ。ここで失敗すると一気に冷める可能性もあるわ……まだ温める方がいいのよ)


 恋愛警察ミラ、完全張り込みモード。


 そんな彼女の決意とは裏腹に、当の標的の一人——エドガーの興奮は加速の一途をたどっていた。


「ぜひ!! お願いします!! ちょっと待ってください!! メモの準備を!!」


 四つん這いでにじり寄ったと思ったら、今にもテントの中へ突っ込んでいきそうな勢いだ。


(落ち着けって!! 近い近い近い! でも、これはこれで……アリ……?)


 ミラが頭を抱えかけた、そのとき。


 エドガーは、ふいに顔を上げ、テントの方へ向き直ると——。


「オットー、ダリウス、ミラ! 歴史が再解釈される瞬間に立ち会えます! こっちに来てください!」


 満面のドヤ顔で、大声を張り上げた。


(はわわわわわ——!? 何してるのエドガー! バカなの!? 今! いちばん呼んじゃダメな人たちをフルセットで召喚してるから!!)


 ミラはその場でガクッと崩れ落ちそうになりながら、そろりとエリーを見る。


 エリーはというと、ほっぺをぷくっと膨らませ、明らかにご機嫌ナナメな顔でエドガーを見ていた。


(ほらぁぁああ! エリーちょっと拗ねてる! 頬、完全にふくらんでるよ……可愛いけど!! そうじゃない!!)


 そこへ、タイミング最悪の足音が近づいてくる。


 どすどす、どすどす——と、渓谷の板張りを揺らす豪快な足取り。


「何だ? 面白い話なのか?」


 頭をぽりぽり掻きながら、オットーがのそのそと現れた。


 続いて、手を拭きながらダリウスも歩いてくる。


「食器の片付けしてたんだけどな。後で手伝えよ、エドガー」


 エドガーはそんな二人の気配などまるで気にせず、さらに声を張り上げた。


「ミラはどこですかね? おーい、ミラ! 早くしないと始まりますよ!」


(呼ぶなーーーーっ!!)


 心の中で絶叫しながらも、呼ばれてしまった以上、出ないわけにもいかない。


 ミラは勢いよく岩陰から飛び出した。


「エドガーのバカ!!」


 頬をぷくっと膨らませたまま、全速力で抗議する。


 だが当の本人は、まるで蚊の鳴き声ほどにも気にしていない様子で、手招きした。


「そんなところで何してたんですか? 早くこっちに」


(この人ほんとにデリカシーという概念をどこかに落としてきたのかな!?)


 オットーとダリウスも、ぞろぞろと焚き火のそばに集まってくる。


 オットーは興味津々といった顔で、ダリウスは「何事だ?」という視線をエドガーとエリーに順番に投げる。


 ミラはドカドカと歩きながら、その背中に全力で怒りマークを浮かべていた。


(もう!このパーティ、本当に全員恋愛偏差値が低い!!……って私も恋愛偏差値そんな高くないんだけどね!? でも現場警官がいないと世のカップルは進展しないのよ!!)


 エリーは、少し離れた岩にもたれながら、エドガーを見つめていた。


 魔導書を抱え、目を輝かせてまくしたてるエドガー。その横顔に、ふと——茶色の髪を後ろで束ねた、細身の魔術師の姿が重なる。


 胸の奥が、きゅっと縮んだ。


(……また、重ねてる)


 いままでなら、その瞬間に息が詰まるはずだった。肺が空っぽになるみたいに空気が入らなくなって、視界の端が白く滲んで——気づけば、発作の波に呑まれている。


 けれどもう、違った。


 きゅっと痛んだ胸の奥に、渓谷の風がそっと染み込んでくる。揺れるランタンの明かりが、エドガーの頬と、記憶の中のディートリッヒの横顔を、まとめて照らし出す。


 エリーは、そっと息を吸い込んだ。


 肺の奥まで、ちゃんと入っていく。喉は締めつけられない。指先も震えない。——ただ、少しだけ苦くて、やけにあたたかい。


「エドガー、あなた……ほんと、そっくりね」


 思わずこぼれた言葉に、自分でも小さく笑ってしまう。


 呼吸は乱れない。胸の高鳴りはあるのに、悲鳴のような息切れはどこにもなかった。


(……大丈夫。ちゃんと、息ができる)


 焚き火のぱちぱちという音と、仲間たちの笑い声に包まれながら、エリーの中で、長いあいだ彼女を縛りつけていた何かが、音もなくほどけていった。


 エリーはこほん、と小さく息を整えると、足場にぶら下げられたランタンのそばへ一歩出た。揺れる灯りが青い髪を縁どる。


「じゃ——」


 彼女は指をぴんと立て、わざと講義めかして言う。


「なんで昔の魔術師が〈魔導書の原本〉なんて書けたのか。魔法そのものを“作る”ことができたのか。それはね」


 一拍の沈黙。全員の視線が集まる。


「神がいたからよ」


「はっ?」


 あまりにもストレートな答えに、エドガーが情けない声を漏らす。


「か、神様って、昔話に出てくるアレか?」


 オットーも目を丸くしたまま、三段腹をぽりぽり掻いた。


 エリーはふん、と鼻を鳴らす。


「そうよ。ミラの“加護”を見なさい。女神がいるなら、火の神、水の神、雷の神……いてもおかしくないでしょ?」


「……理屈を言われると、そうなんだがな」


 ダリウスが顎に手をやり、うなずく。


 エリーは、肩の力を抜いたまま軽い声で続けた。


「それにね、魔導書も必要なかったの。そこら辺の杖とかで、みんな普通に魔法を使ってたわ」


「そこら辺の杖!?」


 エドガーががばっと前のめりになる。


「それは無理です! 呪文が——」


 エリーは彼に片目だけでウィンクしてみせた。


「呪文を書き込む必要がなかったのよ。魔導書はね、呪文を“教え”、伝えるための——ただの教科書」


 エドガーの口から、すうっと魂が抜けていく。


「教科書……? バカな……」


 か細い声でつぶやく頭頂部を、ミラがまだ怒りの残る表情で、拾った木の枝でつんつん突いている。


「じゃあ、神様はどこへ行ったんだ?」


 ダリウスが問うと、エリーの表情からわずかに冗談めいた色が消えた。


「順番に話すわ」


 ランタンの炎が、ふるりと揺れる。


「高度に発達した魔法は、何をもたらすと思う?」


「そりゃあ、いろいろ便利になりそうだよな」


 オットーが天井の見えない夜空を見上げる。


「そこら辺、全部が魔法で動いてるような世界だろ?」


「そうね。そして、その“便利さ”の果てに——大戦が起こった」


 エリーの声が、わずかに低くなる。


「人の子の、三分の二は地上から消えたわ」


 その夜、空は一度だけ、本当に“燃え尽きる”寸前まで赤くなった。

 誰も、すぐには言葉を発せなかった。

 エリーは細く息を吐いた。


「神は、そんな人の子に愛想を尽かして、“ダンジョン”になったの。際限なく力を与えるのをやめてね。犠牲を払った者だけが、対価を得られるように」


 ランタンの光が、彼女の横顔の影を長く引き伸ばす。


「そしてダンジョンは——神は——次第に意思を捨てて、“現象”に帰っていった」


 ダリウスの喉が、ごくりと鳴る。

 四人とも、固まったように動かない。


「じゃ、じゃあ?」


 ミラが、おずおずと声を上げた。


「なんで、このダンジョンはまだ“意思”を持ってるの?」


 エリーはそこで、すこしだけ表情を緩める。


「“人の子の神”だからよ」


 ランタンの灯が、その笑みを柔らかく照らす。


「人を愛して、最後まで人の営みを見守りたいの」


「そ……それにしては、やけに意地悪ですが……」


 エドガーが、エリーをまっすぐ凝視しながらぼそりと言う。


 エリーは肩をすくめた。


「“見合う対価”を、って前にも言ったでしょう? 試練の内容も、愛を試すものばかりだったはずよ。……あなた達には、覚えてないだろうけど」


 オットーが両手で顔を覆う。


「愛してるけど意地悪……って、ガキかよ。こっちはたまったもんじゃねぇな」


「そうよ。あの子は“痛くても愛を守りぬく”って感情に目がないの。若者より、傷だらけでそれでも立ち上がる中年の方が、よっぽど美味しいんでしょうね。だから何度も『もう無理だろう? それでも愛せる?』って試してくるのよ、この塔は」


 エリーはくすっと笑う。


「若いのよ、ここの神は。だって、火とか水の神の方が先にあったでしょう?」


「人間は、昔はいなかったのか?」


 ダリウスが真剣な声で尋ねる。


 エリーはいたずらっぽく目を細めた。


「おじいちゃんが言うには——猿だったらしいわよ」


「モンキー……」


 ミラがごくりと喉を鳴らしながら、なぜか言い換える。


「嘘だろ……」


 オットーは眉間に皺を寄せる。


「それ、ダンジョンも言ってたな……ま、マジなのかよ」


 エリーはパン、と軽やかに手を叩いた。

 ランタンの灯りがその仕草に揺れ、足場の上に小さな影が跳ねる。


「さぁ、話はこれでおしまい」


 そう言ってすっと立ち上がり、踵を返してテントの方へ歩き出す。

 数歩進んだところで、ふと足を止めた。


 肩越しにだけ振り向く。

 顔だけはこちらを向け、青い瞳だけが、真っ直ぐエドガーを射抜いた。


「——あ、そうだ。エドガー」


 口元が、悪戯を思いついた子どものように、にやりと吊り上がる。


「このダンジョンは“若い”。もしかしたら——魔導書なしで、魔法が使えるかもしれないわよ?」


「…………」


 一拍遅れて、エドガーは額を押さえた。

 ずきりと頭痛でも覚えたように、深く、長くため息をつく。


「……善処してみます」


 エドガーはその常識離れした無理難題にぼそりと返す。


 エリーはそんな三人の反応を背中で聞きながら、何も言わずテントの影に消えていく。

 高所を渡る風が、ひゅうと足場を抜けた。


 渓谷の夜は、ランタンの灯りと、仲間たちの小さな笑い声だけを残して、静かに深まっていく。


 こうして、四十三階層の夜は過ぎていった。


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