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【完結済】息切れ・痛風・老眼おっさんパーティ、“老齢の塔”に挑む 旧:塔の頂きへ  作者: けんぽう。


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第72話 笑える夜


 四十三階層。


 ほんの数日前と、進むオットーたち三人の動きは、まるで別パーティだった。


 通路脇の岩陰から、小型の魔物がばらばらと散って飛び出す。

 その気配をいち早く察知し、前に出るのは――オットーだ。


「来やがったな」


 丸太のような腕で大斧を構え、一歩前へ。

 その肩をかすめるように、ダリウスもすっと前へ踏み込む。

 さらに、その横には、本来なら後衛であるはずのエドガーまで、魔導書を構えて並んだ。


 前衛が一人だった頃の、頼りなげな布陣はもうどこにもない。

 三人の足音が、地面を叩く音さえ揃って聞こえた。


 魔物たちの気配が一段強くなった、その瞬間――


「下がるぞ!」


 三人は同時に一歩、二歩と後退する。

 迫りくる刃と牙を紙一重でいなしながら、ぴたりとオットーのシールドの影へと吸い込まれた。


 厚い盾が、三人をすぽりと包み込む。

 前に出る時も、下がる時も、一拍のズレもない。


 やがて、通路の奥から、まとまった足音が響いた。

 魔物たちが群れとして隊列を組み直し、一斉に突撃してくる。


「じゃ、いつものいきますか」


 エドガーが、オットーの背後から一歩踏み出す。

 さっきまで前に出ていた男とは思えないほど、静かな声音で呟いた。


 杖の先に、魔力の紋が幾重にも重なる。

 その合図を待っていたかのように、オットーはシールドの角度を変え、ダリウスは左右から回り込もうとする魔物の進路を刈り取るように立ち位置を調整した。


「《穿炎連鎖》!」


 次の瞬間、炎の奔流が盾の影から解き放たれる。

 先頭の魔物に突き刺さった火蛇が、そのまま後方の群れへと連鎖していく。


 突撃の勢いを殺した瞬間に下がり、波が高まった瞬間に一斉に受け、

 群れたところを焼き払う――その一連の流れに、もはや迷いはなかった。


 三人の動きは、まるで別々の人間ではないかのようだった。

 意思を持った一つの生き物が、三つの身体を使って戦っている――

 見ている者に、そう錯覚させるほどに。



 野営地は、渓谷の上に張り出した足場の一角だった。


 下を覗けば、暗く沈んだ谷底と、点々と灯る灯り。

 頭上では風が抜け、少し冷たい空気が頬を撫でていく。

 だが、その小さな焚き火の周りだけは、人の声と匂いで満ちていた。


「ほい、皿おくぞ」


 ダリウスが木皿を一枚ずつ前に置いていく。

 皿の上には、こんがりときつね色に揚がった魚と、ほくほくのポテト。

 その脇には、切り分けられたレモンがちょこんと添えられている。


 湯気がふわりと立ち上り、香ばしい油と魚の匂いが、夜気に溶けて広がった。


「これはまた……」


 エリーの喉が、ごくりと鳴る。

 涎が口の端にうっすら浮かぶのを、本人も隠しきれていない。


「美味しそう……!」


 向かいのミラも、目をきらきらさせながら同じように涎を垂らしていた。


 エリーはたまらず、揚げたての白身魚をひとかけ、フォークでつつんで口へ運ぶ。


 ——サクッ。


 軽やかな衣の音が、耳の奥で小さく鳴ったかと思うと、

 そのすぐ下から、柔らかな白身の旨みがどっと押し寄せてきた。


(……っ!)


 ほくほくとほどけていく魚の身。

 揚げ油の香りと、魚本来の甘みが、舌の上で一気に花開く。


 そこへ追いかけるように、ぎゅっと絞ったレモンの酸味が駆け抜けた。

 きゅっと引き締まるような爽やかさが、口の中を一度さらってから、

 残った塩とブラックペッパーが、今度は魚の旨みをさらに底から押し上げる。


 ——ただの塩と胡椒。

 それだけのはずなのに、余計なものが何ひとつないからこそ、

 白身魚の味が極限まで引き立っているのが、はっきり分かった。


「んーーーーー!! これでいいのよ!!」


 エリーは興奮のあまり、椅子の上で小さく地団駄を踏む。

 その様子に、焚き火の炎が揺れて、ぱちぱちと弾けた。

 オットー、ミラ、ダリウス、エドガー——四人の視線が、揃ってエリーに吸い寄せられる。

 皿を抱え、目をつぶって余韻を噛みしめるエルフ。頬は上気し、耳の先までほんのり赤い。


 しばしの沈黙。


「……おまえ、本当にうまそうに食うよな」


 ぽつりと、オットーが呆れたように、しかしどこか感心した声で言った。


 次の瞬間、堰を切ったように笑いが起こる。


「はははっ」「確かに」「見てるだけで腹減ってくるな」


 焚き火の炎が揺れ、渓谷の上に笑い声がこだました。


 エリーはと言えば、笑い声などどこ吹く風とばかりに、胸をぐいっと張る。


「いいのよ。もう私は、とことん楽しむと決めたもの……」


 そこで一拍、間を置き——


「——ご飯を」


 誇らしげに言い切った。


 また、どっと笑いが起きる。


「くっ、開き直った!」


 ミラが悔しそうに眉を寄せ、だが口元は笑っている。


「ダリウス! おかわり!」


 勢いよく木皿を突き出すミラ。


「はいはい、分かった分かった。まだ揚げてあるからな」


 ダリウスが苦笑しながら、皿を受け取ろうとした、その瞬間——。


「負けないわよ!」


 エリーも負けじと、ぐいっと皿を前に突き出した。


「おかわり!」


 ミラとエリーの皿が、カン、と軽くぶつかる。

 二人とも、まるで決闘に臨む剣士のような目つきだが、求めているのは剣ではなく白身魚である。


「……なんですかこの勝負は」


 エドガーが肩をすくめる。


「いいぞいいぞ、もっとやれ!」


 オットーはジョッキを片手に、完全に観客側へ回っている。


「よーし、じゃあどっちが何皿食えるか勝負だな」


「受けて立つわ!」


「望むところよ!」


 気がつけば、焚き火の周りでは、フィッシュ&チップスを巡る謎のおかわり合戦が開幕していた。


 皿と皿が行き交い、笑い声が飛び交い、

 渓谷を渡る夜風さえ、その賑やかさに押されてどこか楽しげに吹き抜けていった。



 食後の野営地は、ひとしきりの喧噪が落ち着き、焚き火の音だけが静かに弾けていた。


 少し離れた岩の上で、エドガーが一人、魔導書を膝に広げていた。

 革表紙を柔らかい布で拭き、ページの端を指先でなぞっては、折れや汚れがないか確かめていく。その手つきは、まるで大切な誰かの髪を梳かすように丁寧だ。


 そこへ、かすかな足音。


「またやってるの? 飽きないわね?」


 背後からかかった声に、エドガーは肩越しに視線だけを向けた。

 揺れる焚き火の光を背に、エリーが立っている。さっきまで「おかわり」を叫んでいたのと同じ人とは思えない、落ち着いた笑みだった。


「日課みたいなものですからね」


 エドガーは視線を魔導書に戻したまま、口元だけで微笑む。


「これをしないと、逆に寝られないんですよ」


「ふふっ、昔の魔術師達も喜んでるわ。きっと……」


 エリーはエドガーの隣に腰を下ろした。

 膝と膝が、触れるか触れないかの距離。

 風が吹き抜け、耳にかかった青い髪の一房を、指先でそっと押さえる。その横顔は、焚き火の光と渓谷の夜風を受けて、どこか遠いものを見ていた。


 その横顔をちらりと見て、エドガーは一瞬だけ指を止める。


「……辛かったら、無理に話さなくてもいいんですからね」


 魔導書から目を離さないまま言う声には、いつもの理論武装みたいな固さはなく、ほんの少しだけ柔らかさが混じっていた。


 エリーは胸元にそっと手を当てる。

 心臓の鼓動を確かめるように、指先で布をつまむ。


「いいのよ。もう大丈夫……」


 ゆっくりと、言葉を選ぶように続けた。


「みんな、まだここに……そばにいるって、分かったから」


 焚き火がぱちりと弾ける。

 二人の間に静寂が落ちるが、それは気まずさではなかった。


 エリーの「一万年分の過去」と、エドガーの「今」が、焚き火の明かりの中で、少しずつ重なり合っていくような——そんな、温度のある沈黙だった。


 やがて、その沈黙を破ったのは、エリーの小さないたずら心だ。


「ねぇ」


 じっと魔導書を見ている横顔を覗き込むように、エリーが身を少し寄せる。

 距離が一歩、縮まる。


「何で昔の魔術師は原本を作れたか、教えてあげてもいいんだけど?」


 エドガーの脳内で、バチンと何かが弾けた。


「——っ!?」


 魔導書を閉じる音もそこそこに、彼は条件反射のように体を乗り出す。

 勢い余って、半ば四つん這いの姿勢でエリーに近づき、顔が一気に距離を詰めた。


「ぜひ!! お願いします!! ちょっと待ってください!! メモの準備を!!」


「ちょ、ちょっと近いわよ」


 エリーは思わず上体をそらせるが、逃げるほどではない。

 エドガーの息遣いが、ほのかに頬にかかる距離。さっきまで遠くの景色を見ていた視線は、いつの間にか、すぐ目の前の彼に引き寄せられていた。


 慌てて腰のポーチを漁るエドガー。その手元を眺めながら、エリーは唇の端をきゅっと上げる。


「んー、どうしよっかなぁ?」


 わざとらしく首を傾げると、背中ごとエドガーの方へ向き直る。

 膝と膝が、今度ははっきりと触れた。


「え、え? いや、それはダメですよエリー!」


 エドガーは顔をぐっと近づける。焚き火の光が二人の間で揺れ、影が重なる。


「もったいぶらずに、早くお願いします!」


「そんなに?」


 エリーはわざと、ほんの指二本分だけ上体を前に倒す。

 間合いはさらに詰まる。互いの瞳の色が、はっきりと映り込む距離だ。


「そ、それはもちろんですとも!!」


 エドガーは真剣そのものの表情だが、その真剣さがまた滑稽で、愛おしい。


 次の瞬間——。


 ぷっ。


 こらえきれなくなったように、エリーが吹き出した。

 そして、腹を抱えて笑い始める。


「あははははっ……! ちょっと、顔、近すぎよエドガー。真面目な顔で迫ってくるから……!」


「えっ……あ、あれ?」


 ようやく我に返ったエドガーが、慌てて一歩下がる。

 だが、その頬もまた、焚き火とは別の熱でほんのり赤く染まっていた。


 笑い転げるエリーの肩が、くつくつと揺れるたび、さっきまで胸を締めつけていた重さが少しずつほどけていく。


 ——本当に、そっくりね。


 心の中で、エリーはそっと呟く。

 過去に愛した魔術師と、今、目の前で慌てふためく魔術師。

 同じではない。けれど、似ている。

 その「似ている」が、もう苦しみだけではなく、少しだけ温かく感じられ始めていた。


「……ふぅ。しょうがないわね」


 エリーは笑い疲れた息を整えながら、またそっとエドガーの方へ体を寄せる。


「特別サービスで教えてあげる。昔の魔術師が原本を作れた理由」


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