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【完結済】息切れ・痛風・老眼おっさんパーティ、“老齢の塔”に挑む 旧:塔の頂きへ  作者: けんぽう。


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第69話 長期戦になる


 五日後。

 渓谷は、相変わらずうるさいほどに賑やかだった。


 頭上をトロッコがきぃきぃと横切り、木箱のエレベーターがぎしぎしと昇り降りする。崖に穿たれた家々の窓からは洗濯物が揺れ、鳥型の魔物が客寄せの声を張り上げ、ゴーレムの花屋には今日も色とりどりの花が並んでいる。


 その一角。

 ダリウスたちは、いつまで経っても現れないひとりを待っていた。


「……遅いな」


 ダリウスが空を見上げながら呟く。

 崖のずっと上、エリーが泊まっている宿は、ここからでは見えない。


「ちょっと様子、見てくるね」


 ミラが首をかしげると、そのまま駆けだしていった。

 軽い足音が渓谷の階段を駆け上がり、やがて喧騒に紛れて聞こえなくなる。



 それから——短いようで、やけに長く感じられる沈黙が続いた。


 風が一度止まり、遠くのトロッコの音だけが耳につく。


 ダリウスがもう一度空を見上げたその頃、

 階段の方から、ばたばたと乱暴な足音が響いてきた。


「エリーが!! エリーが! たっ、大変なの!!」


 飛び込んできたミラは、顔を真っ赤にして、汗で前髪を額に貼り付けたまま叫んだ。

 肩で荒く息をしながら、言葉が口から転げ落ちていく。


「お願いエドガー!! あなたにしか頼めない!!」


 その一言で、エドガーの顔から血の気が引いた。


「……ダリウス、オットーはここで待ってください」


 声だけが妙に落ち着いていた。

 だが、握りしめた拳には白く力がこもっている。


「行きますよ、ミラ」


「う、うん!」


(嫌な予感は、していた……。いや——違う。見て見ぬふりをしていただけだ。一人にしておくべきじゃなかった)


 エドガーは胸の奥で自分を罵りながら、渓谷の階段を駆け上がる。


 石段は果てしなく続いていた。

 一段ごとに太ももが焼けつくように痛み、足首は鉛を括りつけられたみたいに重くなる。それでも、足は止まらない。止めるという選択肢そのものが、頭の中から消えていた。


 肺が焼ける。喉が切れそうだ。

 それでも空気を吸う。足りない分は、無理やり押し込むように。


(エリー。……バカなことは、するんじゃない)


 胸の中で繰り返す言葉は、祈りとも、命令ともつかない。


 ようやく、エリーが泊まっている宿の看板が視界に入った。

 視界がじわりと白く霞む。耳鳴りがする。空気が頭まで届かず、思考がまとまらない。


(間に合え——!)


 エドガーは最後の数段をほとんど飛ぶように駆け上がり、その勢いのまま扉に手をかけた。

 蹴破らんばかりの勢いで、扉を押し開ける。


「エリー!! ……こ、これは——!?」


 次の瞬間、エドガーの目に飛び込んできた光景は、彼の想像していた「最悪」とは、まったく別方向の惨状だった。


 そこにいたのは——ヨレヨレのクマの刺繍の寝巻きを着たエリーだった。


 青い髪は寝癖であちこち跳ね、枕に擦りつけたせいか片側だけぺたんと潰れている。口元には、乾きかけたよだれの跡。

 彼女は半分だけ開いた目をこすりながら、ぽかんとエドガーを見上げた。


「…………なに?」


 その眠たげな一言が落ちるまでの数秒が、やけに長く感じられた。


 ——たった五日。

 しかし、部屋はすでに一つの「事件現場」と化していた。


 シンクには洗い物が山のように積み上がり、底の方からは、かすかな生臭さが立ち上っている。

 ソファの上には脱ぎっぱなしの洋服が何枚も折り重なり、どこからどう見ても「一度も畳もうとした形跡がない」状態だ。


 床を見ると、追い出された皿や食べかけのパン、謎の干し肉、飲みかけのコップが散乱し、足の踏み場を探す方が難しい。

 壁際には魔導書がページを開いたまま坪庭の石のように並び、ベッドの上には、なぜか弓と剣が無造作に転がっていた。


 ついでに言うと、その弓矢のうち何本かは、どういう経緯を辿ったのか——天井と壁に、しっかり突き刺さっている。


 エドガーは、その惨状を一瞬で理解し、そして理解を拒否した。

 さっきまで胸の中で膨らんでいた「最悪の想像」が、別の意味で粉々に砕けていく。


「……なぜ、こうなるのですか?」


 思わず一歩、後ずさる。

 彼の中で「理知的な弓使いエルフ」のイメージが、ばきばきと音を立てて崩れていった。


 エリーはというと——。


「すごいでしょう?」


 胸を張って、なぜかドヤ顔だった。


「どこをどう評価すれば、その感想に辿り着くんですか……?」


 エドガーは絞り出すような声で呟き、震える手で額を押さえた。


「時空間魔法を……使いましたか?」


 この短期間でここまで荒廃させるには、もはや魔法的介入がなければ説明がつかない——と、彼の理性が訴えている。


「私の自力よ」


 誇らしげに胸を張るエリー。


 エドガーの中の「世界を支える理」が、今度こそ崩壊した。


 そこへ、一足遅れてミラが飛び込んでくる。


「はぁ、はぁ……エドガー速いよ……」


 膝に手をつき、肩で息をするミラの視線が、部屋の惨状を一周した。


「……ね?」


 感嘆とも悲鳴ともつかない声が漏れる。


 エドガーは、そんな二人を見比べ、ふっと何かを悟ったように表情を引き締めた。


「ミラ」


「えっ、なに?」


「ダリウスとオットーに伝えてください。——長期戦になる、と」


 妙に真剣な声音だった。


「りょ、了解……?」


 ミラがよくわかっていない返事をしながら出ていこうとしたその背中を見送り、エドガーはローブの前を掴む。


 ばさり、と音を立てて脱ぎ捨てた。


 そして、部屋の隅に掛かっていたクマさん柄のエプロンを、何のためらいもなくすばやく装備する。


 腰ひもをきゅっと結び、胸元の小さなクマの刺繍を一瞥。

 その表情は、今まさに魔王城へ突入しようとする勇者のそれだった。


「——戦いは、始まりますよ」


 宣言するようにそう言って、エドガーは一歩、荒れ果てた部屋の中へ踏み出した。


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