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【完結済】息切れ・痛風・老眼おっさんパーティ、“老齢の塔”に挑む 旧:塔の頂きへ  作者: けんぽう。


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第63話 父の網


 大きな扉が、ゴゴゴゴ……と塔そのものの腹の底から響くような音を立てて開いていく。


 暗闇に沈んでいた巨大な空間の壁面に、ぱち、ぱち、とひとつずつ松明の火が灯った。

 橙の光が輪を広げるように闇を押し返し、広大なボス部屋の全貌がゆっくりと浮かび上がっていく。


 本来なら、その中央には——。


 巨大な魔物が、威圧感たっぷりに陣取っているはずだった。


「えっ!?」


 最初に声を上げたのはミラだ。


 見渡す限り、広い床。

 あるべき場所に、巨大な影はない。


「空中か!? 隊列を組むぞ!!」


 ダリウスの声が飛ぶやいなや、三人の身体は条件反射で動いた。


 ダリウスが一歩前へ出て剣を構え、

 オットーが半歩後ろで盾を掲げ、

 エドガーが下がりながら魔導書を開く。


 エドガー、オットー、ダリウスの視線が一斉に天井へと跳ね上がり、瞬時に空中を警戒しながら、無駄のない陣形が整う。


 熟練の冒険者ならではの、「説明不要」の連携だった。


「わ、わっ——!」


 ミラは二、三歩遅れて、慌てて駆け出す。

 エドガーの背後に滑り込もうと、真剣な顔で手足をばたばたさせた、その瞬間——。


 ズドン、と嫌な音がした。


 地面が沈み込むように、三ヶ所で大きく崩れ落ちたのだ。


「っ!?」


 床に、真円に近い巨大な穴が三つ。

 その底には、うごめく巨大な影と、重たい息づかいが確かにあった。


「トラップ!?」


「クソがぁ!」


「……チッ」


 ダリウス、オットー、エドガーは、それぞれ自分の足元に開いた穴へと、抗う暇もなく飲み込まれていった。


 視界がぐるりと反転し、三人の姿が闇の中へ消えていく。


「きゃ——!」


 ミラの足場も崩れ、身体がふわりと宙に投げ出される——が、その腰を、横合いから伸びた腕がしっかりと掴んだ。


「……っと。暴れないで」


「エリー!!」


 ミラが顔を上げると、そこには青髪の魔女がいた。


 エリーは片腕でミラの身体を抱えたまま、足元に淡く光る魔法陣を《飛翔》の魔法で展開している。

 薄青い紋様が空中に広がり、二人の身体をふわりと支えていた。


 底の見えない大穴の上を滑るように漂いながら、エリーは心底うんざりしたように小さくため息をつく。


「……つくづく、このダンジョンに愛されているのね、あの中年三人組」


 ミラは慌てて下を覗き込み、真剣な表情で手足をばたばたさせた。


「エリー!! その空飛ぶやつで、みんな助けに行こうよ!」


 必死の声に、エリーはミラを軽く持ち上げて、そっと魔法陣の上に立たせた。

 ミラの足元にも光の紋が広がり、ひとまず安定する。


「いえ」


 エリーは首を横に振り、背筋を伸ばした。


「ここから三人の動きを見ながら、必要になれば援護するわ」


 そう言って、青い瞳を細める。


「——《鷹の目》、発動」


 虹彩が淡く光り、その視界は穴の底の暗がりに潜む魔物たち、そして落ちていった仲間たちの姿を、はっきりと映し出していく。


「でも……」


 ミラは俯き、ぎゅっと拳を握った。


「……」


 言いたいことは山ほどある。

 今すぐ飛んでいって、オットーの前に結界を張りたいし、ダリウスに治癒魔法をかけたいし、エドガーの盾役だってやりたい。


 けれど——。


「一人助けに行って、その間、残りの二人はどうするの?」


 エリーの声は、淡々としていた。


 責めるでも、責めないでもなく。

 ただ、事実をそのまま突きつけるような響き。


 ミラは、ゆっくりと顔を上げて、エリーをまっすぐ見つめた。


「…………わかった」


 小さく息を吸い込み、言葉を選ぶように続ける。


「前にいかないことが、私の仕事だよね?」


 エリーの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。


 背中から弓を抜き、いつでも矢を番えられるように構えながら、静かに頷く。


「そうよ」


 矢羽根に指を添えた手に、ぎゅっと力が入る。


「よく、わかってきたじゃない」


 指先がじんと痺れるほど、弓を握りしめる。


(——さすがに厳しいけど)


(ここが踏ん張りどころよ)


 高所でふたりを乗せた《飛翔》は、ゆっくりと三つの大穴の真上へと移動していった。

 そこから見下ろす視界の先で——中年三人と三体の魔物の、別々の地獄が、同時に幕を開けようとしていた。



 まず落ちたのは、オットーだった。


「——《シールドバッシュ》!!」


 反射的に叫び、掲げた盾が眩い光を放つ。

 半透明の光盾がオットーの身体を包み込み、落下の衝撃を受け止めるように弾んだ。


 ドンッ、と鈍い音を立てて着地。膝に衝撃は走ったが、骨が軋むほどではない。


「ふぅ……危ねぇ」


 息を吐き、盾を構え直す。


 目の前に、巨体がぬうっと影を落とした。


 岩をそのまま削り出したようなごつごつとした皮膚。

 節くれ立った筋肉が盛り上がった腕。

 その右手には、人間用の斧が玩具に見えるほど巨大な、大斧が握られている。


 ぎょろり、と赤い眼がひとつオットーを見下ろした。


「ちっ……またお前かよ」


 オットーの口から、自然と悪態がこぼれた。


 オーガ——。

 かつて十階層で、彼の足を切断した魔物が、そこにいた。


 *


 同じ頃。


「——《深き森》」


 ダリウスは、落下しながら静かに息を吐いた。


 意識が、すとん、と深く沈み込む。


 背中側の岩壁が迫る瞬間、彼は剣を逆手に持ち替え、その切っ先を壁に突き立てた。


 ぎぃいいい——!


 火花を散らして、鋼と石が擦れ合う。

 剣に伝わる衝撃を、肩と肘と腰のしなりで逃がしながら、落下速度をじわりと殺していく。


 ある程度まで減速したところで、ダリウスは剣を引き抜き、壁を蹴った。


 空中で身体をひねり、両足、片手、剣先——と、まるで教本に載せたいほど教科書通りの五点着地を決める。


 コツ、と床を踏む音。

 ほんの一瞬で、滑らかな着地は終わっていた。


 顔を上げる。


 そこにいたものを見て、ダリウスは無意識に息を呑んだ。


 四肢は、鋼鉄の柱をそのまま関節につなげたかのように太く、重い。

 大きく息を吸い込めば——それだけで吐息が上級魔法のブレスと化し、

 岩盤を紙屑のように削り飛ばすだろう鋭い爪。


 全身を覆う赤い鱗は、一枚一枚が巨大なプレートアーマーのように重なり合い、

 炎の光を反射して、不吉な光沢を放っている。


 巨大な頭部が、ぐぐ、とこちらを向いた。

 黄金の瞳が、ただの虫けらでも見るような冷たい光でダリウスを射抜く。


「……ドラゴン、か」


 ダリウスは小さく笑った。笑うしかなかった。


「これが塔の意思か? 連携も何もあったもんじゃないな」


 冗談めかした言葉とは裏腹に、その握る剣には汗が滲んでいた。



 一方その頃——。


「……ガルゥ……ジィン——《伸縮紐》!」


 エドガーは、落下中にも関わらず、まるで教壇で朗読でもしているかのように滑らかな発音とリズムで詠唱を終えた。


 パシンッ、と乾いた音が響く。


 透明な魔力の紐が、穴の側面から突き出した岩の出っ張りに巻きつき、ぴんと張る。

 その紐がエドガーの身体にも巻きつき、勢いを殺しながら、びよん、と弾むようにして落下を受け止めた。


 最後はやや不格好に尻もちをつく形になったが、それでも致命傷には程遠い。


「ふぅ……あぶないあぶない」


 埃を払って立ち上がる。


 その正面に——影が、あった。


 大人二人分は優にある巨体。

 灰色の剛毛に覆われた体躯。

 口元から覗く、鋭く長い牙。

 獣の脚でありながら、二本の脚で立ち、人間じみたバランスで前傾姿勢を取る。


 黄色く光る獣眼が、じろりとエドガーを見据えていた。


 ワーウルフ。


 かつて、彼らの命を狙った、あの魔物と同じ種——いや、もしかすると。


「おや……」


 エドガーは思わず一歩後ずさりしながら、乾いた笑みを浮かべた。


「……久しぶりですね」


(まずいですね……後衛職が一人きり。そのうえ、あれは魔法耐性持ち……二重詠唱の貫通術式、間に合いますかね)


 ワーウルフが、地を抉るように後ろ足で蹴った。


 岩場を砕くほどの勢いで、一気に距離を詰めてくる。

 振りかざされた爪は、岩でも簡単に刻み込めそうな鋭さだった。


「フルゥ……エルシィ——《魔導糸》!」


 エドガーの指先から、白い糸と銀の針が奔る。

 細く鋭い糸が地面を縫うように走り、ワーウルフの足首を貫いて、背後の床に縫い付けた。


 バチン、と音がして、獣の巨体が僅かにつんのめる。


 エドガーはその隙に、全速力で後ろへと距離を取った。


(よし、これで詠唱の時間は——)


 そう考えたのも、ほんの数秒だった。


 ワーウルフが、ぎろりとこちらを睨む。

 指先の爪が閃いたと思った瞬間には、糸は断ち切られていた。


 十秒も持たなかった。


(……早すぎる。爪を使って、ピンポイントで……相変わらず賢いですね)


 解き放たれた獣が、再び地を蹴る。

 今度は、腕だけでなく、全身をばねのようにしならせた突進だった。


 振り下ろされる爪を、エドガーは土埃を巻き上げて転がり、紙一重で避ける。


 肩口すれすれを、冷たい刃の風が撫でていった。


(ふぅ……前衛は、いつもこんな死線をくぐっているんですね……)


 立ち上がりざま、エドガーは魔導書を胸元に抱え直す。


(集中しろ、エドガー。考えろ……!)


 ワーウルフが低く唸り、今度は牙を剥き出しにして迫ってくる。

 大きく口を開き、喉奥の黒さが間近に迫る。


「ガルゥ……ジィン——《伸縮紐》!」


 エドガーはとっさに手をかざした。


 透明な紐が、獣の開いた顎の間を滑り込むように走り、上下の牙の間にぐるりと巻きつく。

 もう一方の端は、すぐ横の岩壁の突起へ。


「縮め!」


 虫眼鏡をワーウルフに向けて叫ぶ。


 ぴん、と音を立てて紐が一気に縮んだ。


 ごしゃん!


 巨体が横向きに引き倒され、そのまま壁に横殴りに叩きつけられる。

 岩壁がひび割れ、粉塵が舞った。


「フルゥ……エルシィ——《魔導糸》!」


 間髪入れずに、エドガーは次の術式を紡ぐ。


 針と糸が奔り、ワーウルフの太い脚へと絡みついた。

 何重にも巻きつき、その場に縫い止めるように締め上げる。


 がっちりと固定された獣を確認すると、エドガーは魔導書の別ページへと栞をめくった。


(……急がないと。貫通術式を完成させる時間を、ここで稼がないと)


 ワーウルフが、くぐもった唸り声を上げる。


 伸縮紐を、牙であっさり噛み千切ると、全身の輪郭がぐにゃりと歪んだ。


 二本足で立っていた体勢から——骨格が変形し、背中が丸まり、四足歩行の姿勢に移行していく。

 筋肉がしなるように移動し、体勢が低く、より地を這う獣そのものの形へ。


 その過程で、脚は細くしなやかに変わり——

 さきほどまで「太い脚」を縛っていた糸は、ギチギチと音を立てながらも、締め上げ切る前に、ふっと緩んだ。


 次の瞬間、ひゅるりと空を舞い、頼りなく地面に落ちる。


 拘束は、解けてしまっていた。


「……くっ。本当に、こざかしい!」


 エドガーは舌打ちし、詠唱を中断する。

 代わりに身体を反転させ、再び回避に徹した。


 爪が目の前を掠め、石片が頬に当たって飛び散る。


(距離を詰められた……!)


「ガルゥ……ジィン——《伸縮紐》!」


 今度は、紐はエドガー自身の身体に巻きつき、もう片方の端は少し高く突き出した岩へと飛ぶ。


 ぎゅん、と急激な加速で身体が引かれ、ワーウルフの一撃が空を切る。

 エドガーは、岩の上に転がり込みながら、かろうじて距離を取り戻した。


 岩の上まで一気に運ばれたエドガーは、片膝をついて息を整えた。


 少し上空——高所から、その様子を見ている青髪の魔女がいた。

 《飛翔》の魔法陣に立ち、弓を構えたまま。


(エドガー……あなたは、魔法を“百”の精度で再現できる)

(だからこそ、決定的に足りないものがあるのよ……)


 エリーの青い瞳が、鋭くもどこか惜しむように細められる。


 一方、岩の上のエドガーは、荒い呼吸のまま額の汗を拭った。


(どうする……考えろ。何か手はないか!?)


 目の前では、ワーウルフが低く身をかがめ、次の一歩を踏み出そうとしている。

 その姿を見据えながら——ふと、まるで別の光景が脳裏をかすめた。


 潮風の匂い。

 きしむ小舟。

 小さな船に網をのせ、波に揺られながら沖へ出ていく、痩せた背中。


 父が、振り返りもせずに網を投げる。

 弧を描いて広がり、陽光を受けてきらりと光る縄目——。


(……!!?)


 エドガーの瞳に、一瞬だけ驚きの色が灯った。

 指先が、無意識に魔導書の“糸”の術式のページをなぞる。


「フルゥ……エルシィ——《魔導糸》」


 エドガーの声に応じて、魔導書の頁から細い光の糸が奔った。

 先ほどまでの“縫い付ける”直線ではない。空中で幾重にも交差し、輪を描き、編まれていく。


(できるか……? 違う、“やる”んだ。集中しろ。制御しろ)


 突進してくる四足の獣のシルエットに合わせ、光の糸がぱっと広がった。

 潮風の中、父が放った投網の軌跡と同じように——。


 ばさり、と網が落ちる。

 ワーウルフの巨体が、その場で縺れるようにつんのめった。


「ふぅ……なるほど。こんな使い方も、あるんですね」


 荒い息をひとつ吐き、エドガーは眼鏡の奥の瞳を細める。


「……ですが、念には念を入れましょう」


(まだだ。さっきよりさらに細かく、正確に)


「フルゥ……エルシィ——《魔導糸》」


 今度は、糸と針が狂ったような速度で動き出した。

 より太く、より密に束ねられていく。


 きしり、と空気が鳴った。


 編み上がったのは、一本の“綱”だった。

 膨れ上がる筋肉を見越して余裕を潰すように、ワーウルフの胴へ、首へ、腕へと巻き付き、容赦なく締め上げていく。


「ガァ……ッ!」


 獣が、苦鳴とも怒号ともつかぬ声をあげる。

 形態変化し、四足から二足へ——だが、細く長かった四肢は逆に枷となり、綱はさらに深く肉に食い込んだ。


 ギリギリ、と繊維が軋む音。

 それは綱が負けているのではない。

 獣の筋肉と骨格が、抗いながらも一歩ずつ“折られて”いく音だった。


 仰け反った首に、綱が食い込む。

 ワーウルフの咆哮は、途中で途切れた。


「……ふぅ。では——」


 エドガーはゆっくりと虫眼鏡を取り出した。

 懐から小瓶を取り出し、慣れた手つきで目薬を一滴、瞳に落とす。


「さぁ、ここからは——私の芸術的魔術詠唱を、あなたにだけ特別に披露しますよ」


 紐に絡め取られ、身動きの取れないワーウルフの前で、エドガーは一歩踏み出した。


 数分後、洞窟の一角を白熱の炎柱が呑み込む。

 轟音と熱風が吹き抜け、灰と焦げた毛の匂いが立ち昇った。


 炎が収まったとき——そこに“敵”と呼べるものは、もう何ひとつ残ってはいなかった。


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