表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結済】息切れ・痛風・老眼おっさんパーティ、“老齢の塔”に挑む 旧:塔の頂きへ  作者: けんぽう。


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

59/93

第59話 〇・〇〇八の敗北

 その時エドガーが、ぱん、と手を打った。


「ちょっと待ってください!」


 ぴしゃり、と雨より鋭い声がタープの下に落ちた。


 ダリウス、ミラ、オットーの三人は、同時に嫌な予感に肩をすくめる。

 ――あ、これは始まる。


「何よ? まだ不満なの?」


 エリーが眉をひそめる。腕を組み、さっきまでの得意げな気配を一瞬で消した。


 しかし、エドガーは譲らない。椅子から立ち上がり、プレゼンでも始めるかのように手をひらひらと動かし始めた。


「三節目の発声のピッチが半音高いです。ここで出力が、そうですね……およそ〇・〇〇三落ちます」


 さらりと言いつつ、指で「0.003」と空中に数字を書き出す。


「それからリズムです。途中、裏打ちが続く箇所で三拍子のうち、四分の三拍ほど遅れました。これは致命的だ。ここでさらに〇・〇〇五。合計で〇・〇〇八のロスです。わかりますか、この重さが」


 ダリウスたちは、全くわかっていなかった。ただ場の空気だけが、じわじわと重くなっていく。


「ほ、ほら見てください、あそこの炎の残滓――あれは本来ならもっと細かく分解されて……それに、詠唱の第二小節。『テリィ』の母音を伸ばす長さが……いや、これはもう最初に戻るべきです。なぜなら――」


 早口のまま、エドガーは延々と手を振り、指を立て、空中に見えない譜面と数式を描き続けた。

 説明されている「ロス」はどれも、実戦的には誤差と言っていいほど微々たるものばかりだ。


「――つまりですね、古代の魔導詠唱は一音一音に意味があり、その一音のズレが百年単位で連なる系譜を――」


「もういいでしょ!」


 堪えきれなくなったように、エリーが叫ぶ。頬は真っ赤に染まり、耳まで赤い。


「大事なのは実用性よ! ちゃんと海もえぐれたじゃない! 威力出てたわよね!?」


 エドガーは、きっぱりと言い返した。


「実用性……? 確かに、そういう人は多い」


 そこで、ぐっと目を細める。


「ですが、我々は“古代の人々が描いた原書を紐解き、この世に再臨させる”という使命があるんです!」


 拳を握りしめ、ぐいっと前に踏み出す。


「詠唱ひとつ疎かにするのは、作者への冒涜だ! ここはもう少し説明が必要なようですね――」


「ああもうわかったから!!」


 エリーは両手をばっと前に突き出した。


「ごめんなさい! 悪かったわよ! 私が間違ってました! これで許して!!」


 必死の形相に、さすがのエドガーもぴたりと口を閉ざした。

 そして、ふっと穏やかな笑みを浮かべる。


「わかってもらって良かったです」


 その笑顔は、魔導院の優等生そのものだった。

 ……その分、余計にタチが悪い。


 ダリウス、ミラ、オットーの三人は、そろってエリーに同情のまなざしを向ける。

 あぁ……可哀想に。


 天才長命種でさえ、オタク学者の情熱には勝てないのだ。


「……まぁ、前置きはこれぐらいにしましょう」


 さっきまで熱弁していたのが嘘だったかのように、エドガーがさらっと言った。


 ダリウス、ミラ、オットーの三人は、同時にうな垂れる。

 ――今のが、前置き……?


「ま、前置き……だったの?」


 エリーの顔から血の気が引いていく。さっきまで赤かった頬が、今度は真っ青だ。


「えぇ。何か?」


 エドガーは本気で不思議そうだった。


「…………」


 エリーは額に手を当て、そのまましばらく固まる。

 雨音と波音と、タープを叩くしずくの音だけが、タープの下を満たした。


 やがて、エドガーがふっと嬉しそうに微笑む。


「『楽しいお裁縫・全編』の魔法――これは実に素晴らしいです」


 瞳が、完全に研究者のそれになる。


「詠唱が短い。その割に応用が利く。紡ぎ、結び、留める……対象の拘束、補助、延長。構造魔術として、完成度が高い」


 エリーの頬が、また少しずつ色を取り戻していく。


「そうでしょう!!」


 思わず一歩前に出ていた。


「あなたにぴったりだと思ったの。集中力もあるし、精度も高いし――」


 そこまで言って、はっとする。

 自分が全力で褒めていることに気づいて、耳まで赤くなった。


「……べ、別に、あの本が余ってたからよ。他に貸す相手もいなかったし……!」


 取り繕うようにぶつぶつ付け加えるが、誰も本気にしていない。

 エドガーは、そんな彼女の様子には気づいているのかいないのか、きりっと真面目な顔に戻った。


「ですが、問題は火力です」


 場の空気が少し引き締まる。


「オットーの火力は上がった。ダリウスも同様です」

 

 指を折りながら、順に見ていく。


「ただ、このパーティで“最大火力”を持つのは、今も昔も私に変わりありません」


「そうね」


 エリーはあっさり頷いた。


「原書を百で再現できるんだもの。当然ね」


 その言い方は、誇張でもお世辞でもなかった。ただの事実確認だ。


「えぇ。だからこそ――」


 エドガーは、魔導書の背をそっと撫でる。


「『楽しいお裁縫・全編』の詠唱をしている間、攻撃魔法が詠唱できなくなっている。これは致命的ですよ」


「……え?」


 エリーが小首をかしげる。


「?? 二重詠唱すればいいじゃない? 何も問題はないわ」


「…………」


 エドガーが瞬きをする。


「?? 二重詠唱とは???」


「どういうこと?」


 今度はエリーの方が、心底不思議そうだった。


「知らないの…………???」


「いえ」


 エドガーはきっぱり首を振る。


「二つの魔法を同時に詠唱すると、魔力回路が干渉して術式が混ざり、発動不能になる。児童院でも習いますよ。基本中の基本です」


 さらっと言い切る。


 タープの下に、しん、と沈黙が落ちた。

 エリーの神経質そうな横顔に、ふっと陰が落ちる。


「そっか……この時代では、もう失われたのね……」


 ぽつりと零した声は、さっきまでのきつさとは違い、どこか寂しげだった。

 雨音がタープを叩く音と混ざって、その小さな嘆きはすぐにかき消えてしまう。


 けれど、彼女はほんの一瞬だけ目を伏せると、すぐに表情を切り替えた。


「……まぁいいわ。しおりを使えばできるもの」


「しおり?」


 エドガーが首をかしげる。


 エリーの口元に、ゆっくりと得意げな笑みが浮かんだ。


「二重詠唱を“転写”したしおりよ」


 エドガーの喉が、ごくりと鳴る。

 悔しさと好奇心がないまぜになった、いつもの顔だ。


「くっ……詳しく……」


「ふっ、いいわよ」


 完全に“講師モード”のドヤ顔になるエリー。


「このしおりを、二重詠唱したいページに挟むの。そうすれば、ひとつ目の詠唱を途中でやめても――」


 右手で空中にページを開く所作をし、左手で別の線をなぞるようなジェスチャーをする。


「もう一つの魔法を、その途中から詠唱できるってわけ」


「す、素晴らしい!!!」


 椅子から立ち上がらん勢いで、エドガーが叫んだ。


「はっ……!? ということは、別系統の魔法同士を組み合わせることも――」


「いいところに気づいたわね」


 エリーは満足そうに頷く。


「そうよ、水と雷、風と炎……。組み合わせることもできるわ。

 “混ざって暴発する”んじゃなく、“縫い合わせて繋ぐ”のが二重詠唱なの。しおりが“縫い目”の役割をするのよ」


 エドガーの目が、完全に星になった。


「ダリウス!!」


 くるりと振り向き、隊長へ視線を向ける。


「問題はありません! 進めますよ、次の階層に!!」


 胸に魔導書を抱きしめながら、満面の笑みで宣言した。


「私が、すべてを焼き払います!!」


 ダリウス、オットー、ミラの三人は、同時に視線をそらした。

 ――ああ、もうわかったから……。


「……あぁ」


 ダリウスは、スプーンを静かに置いた。


(さっきまでの“危険な編成”とは条件が違う。

 エリーの前線参加はリスクじゃない。“最後に全部ひっくり返せる保険”だ。

 エドガーも、『楽しいお裁縫』があっても、いざとなればいつでも最大火力に戻せる)


(最悪の時は、以前の安定パターン――オットーの盾と、俺とエドガーの火力、ミラの結界と回復で“下がる”形に切り替えられる。安全マージンは、ギリギリだが……戻った)


「……よし」


 自分に言い聞かせるように、一度だけ頷く。


「進もう」


 それは諦めではなく、“隊長としての判断”としての声だった。


 その横で、エリーがふいに笑う。

 今まで見せたことがないくらい、柔らかな、心からの笑みだった。


「ふふっ……エドガー。あなた、本当に魔法が好きなのね」


 雨音の中、焚き火の明かりに照らされたその笑顔に――

 ダリウスも、オットーも、ミラも、思わず目を丸くする。


(……笑った?)

(エリーが……?)

(え、なにこれレア?)


 エドガーだけが、その変化をまともに受け止めきれず、心臓が早鐘を打ち始めていた。


 エリーは、ふっと我に返ったように肩を震わせる。


(……だから嫌なのよ、エドガー。あなたは困るの)

(あの人に、あまりにもそっくりだから)


 胸の奥で誰かの面影を追い払うように、エリーはくるりと背を向けた。

 古い傷痕がかすかに疼いた。


「わ、私はもう寝るわ! おやすみなさい!」


 早口でそう言い捨てると、タープの外れに張られた自分用の小さなテントへ、足早に消えていく。


 残されたダリウスは、手元のスープを一口すすり、ごくりと飲み下した。


「……『おやすみなさい』、か」


 ぽつりと呟く。


「これも、初めてだよな」


「いいんじゃねぇのか」


 オットーがパンを齧りながら言った。


「こういうのは、ちょっとずつだ。無理なく、な」


「そのうち一緒にご飯も食べられるかもね!」


 ミラが、パンを口に詰めたまま笑う。言葉が少しもごもごした。

 エドガーはと言えば、耳まで赤くして俯き、スープを見つめている。


「そ、そうなると……いいですね……」


 早くなった鼓動をごまかすように、スプーンでさざなみを作った。


 雨音は相変わらず強く、海は荒れている。

 それでも、タープの下だけは、久々に柔らかいぬくもりが戻ってきていた。


 ミラは、ふと顔を上げ、雨越しに暗い海を眺める。

 顎に手を当て、ふんす、と小さく鼻息を鳴らした。


(ほほぉ……)

(エドガーさん、恋愛警察ミラの勘をなめてもらっちゃ困りますよ)


 さっきのエドガーの横顔を思い出す。

 エリーが笑った瞬間、視線を逸らして、耳まで真っ赤にして、やたらとスープばかり見つめていたあの顔だ。


(前は“すごい博識のエルフだなぁ”って尊敬してる目だったのに今のはもう、“理由のわからないドキドキ”が混ざってたわね)


 当のエドガー本人は、その変化にまったく気づいていない。

 自分の胸のざわつきを、「魔法の新発見で興奮しているせいだ」と本気で思っているあたりが、実にエドガーらしい。


 青い髪のエルフと、オタクの魔法使い。

 その間に流れる、まだ名前のない感情に、誰よりも早く気づいたのは――

 やっぱり、このパーティ唯一の思春期女子ミラだった。


 その夜、塔の海辺のキャンプでは、外の嵐とは裏腹に、静かにいろいろなものが動き始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ