第54話 五キロ増
三ヶ月後。
エリーの自宅は、もはや別の空間になっていた。
魔導書と書類は背の高さまである本棚にきっちりと並べられ、散らかっていた魔道具も用途ごとに棚へ収まっている。
テーブルの端には、綺麗に畳まれたクマさんTシャツとエプロン。
ついこのあいだまで埃っぽさと紙屑の海に沈んでいた部屋は、窓が開け放たれ、湖からの風がすっと抜けていく、見事なまでの“別人の部屋”へと生まれ変わっていた。
そのソファに、ダリウス、オットー、エドガー、ミラの四人が並んで腰掛けている。
向かいの椅子に座ったエリーが、腕を組みながら四人を順に眺めた。
「それぞれの進捗だけ教えてくれるかしら」
「まぁまぁだ」
最初に答えたのはオットーだ。
手応えを掴んだとでも言うように、無精髭を一本つまんでぷちりと抜き、ニヤリと笑う。
(……驚いた。目的の半分は、正直《阿修羅》をこれ以上使わせないためだったのに。これは予想外の収穫ね。一つのことに集中するのは得意分野ってところかしら)
エリーは、ほんのわずかに目を見開いた。
「写本は完了しました。問題なく百の出力で出せます」
エドガーは、楽勝だったと言わんばかりにひらひらと手のひらを振る。
(さすが原書写しね。この短期間で……ふふ、これも当たりだわ)
「それと——」
エドガーは、さらにドヤ顔を深める。
「部屋の片付けも完了です」
エリーの顔が一気に真っ赤になった。
「それは頼んでないわ!!」
思わずうつむき、裏返り気味の声が出る。
ひとつ息を整え、エリーはダリウスへと視線を送った。
「ダリウスは?」
名を呼ばれたダリウスは、わずかに肩を落とし、俯いたまま答える。
「……すまない……まだだ」
(もしや、と思ったけど想定内。何年もかけて習得する技だもの。三ヶ月でどうこうなる話じゃないわ)
(これで修行の半分は終わったわね)
エリーは、心の中で静かに頷く。
その横で、オットーが天井を見上げた。
照れを隠すように、わざとらしくそっぽを向きながら言う。
「気にするな。俺は盾だ、俺が必ず守る」
ダリウスは、ふっと息を漏らすように笑った。
「……頼むよ」
不器用な気遣いへの感謝が、その短い言葉ににじんでいた。
ミラが、ふんすと胸を張って腕を組んだ。
「ふふん……私も発表するわ……」
どや顔で前のめりになった瞬間、エリーが真顔でピシャリと言い放つ。
「あなたには何も課題を渡してないわよ」
「これを見て!」
ミラはまったく堪えていない様子で、カバンの中をごそごそと漁り、一枚の紙を取り出した。
紙にはぎっしりと文字が踊っていた。
いや、文字だけではない。☆マーク、下線、ところどころに付けられた小さなイラスト。
「……?」
エリーが受け取って、目を走らせる。
『サハギンのお頭付き刺身 ☆☆☆
さっぱりとしていてコリコリとした食感が美味しかったです』
『オークの睾丸焼き ☆☆
まろやかでクリーミーな食感と濃厚な旨味。
ただし好みの問題だが独特の臭みは甲乙分かれる』
その下にも、びっしりと並ぶ魔物食レビューの数々。
『コボルトのスペアリブ蜂蜜焼き』『リザードマンのカルパッチョ』『スライムゼリー三種盛り』――コメントと星評価付きで。
「…………こっ……これは……な、何?」
エリーは紙を両手で持ったまま、目の奥をぐるぐる回しながら固まった。
ミラはなぜか偉そうに顎を上げる。
「五キロ太ったわ」
「回答になってないわ!!」
エリーは両手で頭を抱え、ぐしゃぐしゃと髪をかきむしった。
その横で、エドガーが悟りでも開いたような表情で、静かに口を開く。
「エリー、慣れてください」
同じく悟り顔のオットーが、腕を組んだまま遠い目で続ける。
「あぁ。全部つっこんでたら、もう話が進まねぇんだ」
エリーは片手でおでこを押さえたまま、深く深く息を吐いた。
「……そうなのね。極めて特殊な取り扱いが必要なようね」
ダリウス、オットー、エドガーの三人は、これ以上ないほど真剣な顔でエリーを見つめ、揃ってこくりと頷いた。
妙な連帯感だけが、その場に生まれる。
エリーは小さく咳払いをした。
「じゃあ——今から装備を整えて、上の階層に進みましょう」
そう言うと、部屋の隅へと歩いていく。
壁に立てかけてあった弓を取り上げて背中に背負い、簡素だがよく研がれた剣を腰のベルトに差し込む。
机の上に置いていた魔導書をいくつか選び、革のポーチに収めると、その紐をきゅっと締めた。
エルフの長い青い髪が、動きに合わせてさらりと揺れる。
「それはつまり——」
オットーが、ニヤリと笑って腕を組んだ。
エリーもまた、上の階層を見つめ淡々と返す。
「ええ。目的地は四十二階層。次のセーフエリアを目指すわよ」




